2004年11月
11月2日(火)  ハッピー・エンド

両国にある劇場シアター・カイに、トランクシアターの芝居『ステップ・ヘブン』を観に行く。今回はB.ブレヒトの『ハッピー・エンド』を下敷きにしたもので、休憩をはさんで約2時間の長い芝居だった。出演した役者さんたちの数もものすごく多い。いつになくそれなりのストーリーがあり、結末への持っていき方はいつものように少々唐突な感触を受け、最終的に何を言いたいのかが、私にはよく感じとれなかった。

音楽監督は村田厚生(tb)さん。演奏ボックスには、井上juju博之(sax,fl)さんを始めとして、トランペット、トロンボーン、ピアノ、ドラム、それにたまにコントラバスも入っていた。今回も、役者さんたちはそれぞれサックスなどを吹いていた。

音楽はおそらくクルト・ワイルが書いた譜面を楽器に振り分けた編曲になっていたように思われ、やはりワイルはえらい、などと思ってしまった。これまでワイルの音楽が内包しているものを見つめ直し、再構築してきた私の作業はいったい何だったのだろう。


11月3日(水)  強制、ではない

秋の園遊会で、東京都教育委員会の棋士が「国民全員が国家斉唱し、国旗掲揚をすることが私の役目です」と言ったことを受けて、天皇が異例の発言。「それは強制、ということではなく」。
この棋士は天皇からこんなことを言われるとは、想像だにしていなかっただろう。


11月4日(木)  疲れている時

疲れていると、指はイヤイヤ、と言う。もう弾きたくない、などと感じている自分を眺める自分を見る。そのうち、腰が重い、腕が痛いぞ、膝がだるいなあ、昨晩飲み過ぎたかなあ、と身体がグズグズ言い出す。

疲れていると、発想(イマジネーション)が飛ばない。頭がキレず、ひらめきが輝かない。心にはいろんな花が咲かず、魂は薄暗い道に迷う。

結果、音色は濁り、音は冴えず、生き生きと前に出ない。即興演奏は展開が遅くなり、同じようなことを繰り返して冗漫になる。

1人が調子が悪くても、他の人がその人を引っ張り上げることもある。逆に引きずられてしまうこともある。全員が調子悪いとドツボにはまる。とにかく、音楽は基本的にナマモノであることを痛感する。

そんな時はほんのちょっとのきっかけで、いきなり空気が変わったり、気持ちのハリが戻ったりする。音の発信所はまず気持ち、だろう。たとえどんなに身体が疲れていようとも。

久しぶりに会ったナイス・ガイはやっぱりナイス・ガイだった。


11月5日(金)  フォーム改造計画

CD『赤とんぼ』(坂田明mii)の発売記念コンサートの本番をずっと聞いていてくださった調律師さんから、今回もまた一つ学ぶ。ピアノのペダルの構造について。

現在、特に右腕が腱鞘炎になったようで、お箸は持てるからまだ軽い方だと思っているが、物をしっかり掴めない状態になっている私。この結果は指の運動によることもさることながら、おそらく意識せずに腕の力を使っているためかもしれない。とは、薄々感じてはいたのだが。

で、前半は会場の後方で、後半は舞台袖から見守ってくださっていた調律師さんから、私の演奏フォームにアドヴァイスをいただく。なんて有り難いことだろう。

1日に戻ってきたツアー中は、できるだけ背筋を一定に保つようにして、自分の感情のままにのめり込んだり、その想いをピアノに打ち込まないようにすることを心がけた。さらに、意識して椅子の高さをいつもより高めに設定し、演奏内容によって椅子の位置、つまりピアノと自分の位置関係を動かしていたのだが、やはりまだまだ、だ。椅子の高さ、位置。これからいろいろ試してみて、これが自分のポジションだ、というのをなんとか見つけたい。


11月6日(土)  満点の星

『舘野泉&岸田今日子 音楽と物語の世界』を、八ヶ岳高原音楽堂へ聞きに行く。良い天気で、ドライブしていて気持ちがいい。久しぶりの休日、さらに自分へのご褒美にした一日。

わざわざ八ヶ岳まででかけたのは、以前、舘野さんの演奏をテレビで聞いて、どうしても生で演奏を聞きたくなったのが第一の理由。それよりも前に、フィンランドで暮らしながら音楽活動をされているドキュメンタリー番組を見て、ずっと心に残っていたピアニストだったし、おそらくずいぶん前に現代音楽のコンサートでその演奏を聞いたことがあったように記憶している。

舘野さんは2002年1月に演奏会のステージ上で倒れ、脳溢血で右半身不随の身になられ、2年半の闘病生活を経て、現在、左手だけでピアノを演奏する道を切り拓かれた。67歳にして再起を果たした方だ。

「弾いていて、手が一本であるか二本であるか、そんなことも忘れてしまうほど音楽の力は大きい。」

これは、舘野さんご自身がパンフレットに書かれている文章だが、今宵の演奏はまったくその通りだった。ごくたまに、ミス・タッチや指が完全にまわっていない感触は受けたものの、そんなことはどうでもよかった。およそ左手だけで弾いているとは思えない、音に賭ける想いと音楽の豊饒さが、そこにはあった。

音楽の内容は現代音楽だったが、途中であまりに気持ちよくて眠ってしまったりしたものの、聞こえてきた音を追う私の頭の中は、鍵盤の上を動く左手の運動を想像し続けていたりもした。このメロディーを立たせるのに、このフレーズの指使いはどうしているのだろう?ペダルの操作が重要に違いない、等々。

使用していたピアノはベーゼンドルファー。ここには他にヤマハがあり、そのヤマハの方にはハンク・ジョーンズなどのサインも残っている。機会があり、私はその両方のピアノを弾いたことがあるが、ベーゼンの状態は完璧とは聞こえてこなかった。よくわからないが、また不遜なことだが、ピアノの音というものが、どうやらほんの少しずつちゃんと聞こえるようになってきているようである自分を感じる。

そして語る岸田さんの居ずまいが、実にすてきに感じられた。多分なかなかあんな風には居られないのではないか。舘野さんの音を受け止め、空気を追っている目や表情がすこぶる自然で、あの少しかすれたような声だけが会場に響く。

帰り道、空には満天の星。澄んだ冷たい空気と過ごした時間を、胸いっぱいに吸い込む。


11月10日(水)  書き続けること

これまでも折に触れて、散々書いてきた。何故web上に自分が思ったことや考えたことを文章にして公開するか、について。
それでもこの世はなんと生き難いことであることか。私は自分が書いた内容については、いつでも意見や批判を受ける覚悟を持っているし、そういう開き方をしてきているつもりだ。書くことによって、ほかならぬ自分自身が厳しいところに立たされていることもわかっている。けれど、”世間”が私を傷つける。


11月11日(木)  グッドデザイン大賞

グッドデザイン賞というのは、工業製品とか実物や実態があるようなものに与えられるのかと思っていたのだが、今年、すなわち2004年『グッドデザイン大賞』には、NHKの2つの番組が選ばれた。「ドレミノテレビ」も「にほんごであそぼ」も、いっしょに演奏する機会に恵まれていてるミュージシャンが関わっている。ので、なんだかうれしい。


11月12日(金)  ピアノとの距離

これまで、ピアノときちんと距離をとりたいという気持ちが働いていたのだろう。私は普通の人よりけっこう椅子の位置をピアノから離して演奏していた。

のを、昨晩はだいぶピアノに近づけて弾いてみた。椅子の高さも低めに設定してみた。

らば、これまであまり感じたことがないような、指と自分との一体感があったのに、自分で驚く。それに想像していたより、今の私はかなり楽器に対して客観的であることが感じられた。以前の私は、その時の感情移入にまかせて、身体がもっと揺れたり前のめりになったり、いろいろ動いていたように思う。
さらに驚いたのは、終演後、腱鞘炎になっている右腕がそれほど痛くなかったことだ。つまり、それだけ腕には負担がかかっていない弾き方、ということなのだろうと解釈した。
こりゃ、もっと指そのものを鍛えないといけない。

もっともとまどったのは、足の方だった。ペダルを踏む際の違和感はけっこう長く続いた。細かい調整がなかなかできず、これは大いなる課題か。
それに、椅子に腰掛けている状態、すなわち椅子への体重の乗せ方も変わっているわけだから、まだちょっと居心地がよくない。
上半身よりも、私を支える下半身の方が課題は多いかもしれない。でも多分坐骨神経痛が軽減されるような気がしてきた。


11月14日(日)  二の酉

夕方、近くの神社の二の酉に行く。出店もたくさん出ていて賑やかだった。夕刻の出店の灯りはなんとなく情緒があっていい。その中に、ガラス細工を売っているおじちゃんがいて、これを買えば幸せになるよ、と言われ、来年の干支のにわとりと四羽のひよこ、カエルを二匹、購入。おまけに付いてきたほんの小さなガラス玉はきらきら。

それから来年の手帳やカレンダー、年賀状などを買う。月日が流れるのが早い。


11月15日(月)  年に一度の逢瀬

ヴァイオリン界の貴公子(と、私がまったく勝手に名付けている)と翁(能面の中でももっともめでたく、尊い面)との、年に一度の逢瀬を楽しむ。今回で3回目。これまでで一番力が抜けていたように感じる。

音色が変わったね。即興演奏の局面で、全体をよく聞いていたね。などなど、貴公子のちょっとの変化を感じる。それにしても、弓の重さを少し重くしただけで、あれほど音色が変わるとは知らなかった。

ハード・ワークが続いてるらしい翁は顔色がすぐれず、心配した。ああ、高砂や〜。と、娘さんが結婚されたというお客様を祝福して謡ってしまった。なににせよ、めでたい。と思っていたら、厨房から鯛のご馳走。ご配慮に大感謝。かくて秋の七夕の夜は更けていった。


11月17日(水)  萌え〜

今年の流行語大賞の候補にあがっている言葉の中に、「萌え」というのがあるそうだ。その意味、さっぱりわからなかったが、なんでもゲームやネット上のアニメの可愛い女の子のフィギアを手にした時などに発せられる言葉らしい。癒されるとか、いとおしいとか、さらに使われる範囲は広がっているらしいのだが。

秋葉原辺りではコスプレ喫茶も流行っているらしいが、うーん、私にはようわからん。

いずれにしても、生身の人間に向き合って話がきちんとできない人たちが、ひとときの憩いを求めているような気もするのだけれど、ちゃうやろか?


11月19日(金)〜21日(日)  晴天の収穫祭

真っ青な空。20日、21日、両日とも抜群の晴天に恵まれ、足利にあるぶどう畑、ココファームの収穫祭で演奏。今年で何回目の参加になるだろうか。例年に比べ開催時期が何日か遅く、冬空の下で演奏することを覚悟で、ももひきなどを買い込んで臨んだものの、陽が降りるまではとても暖かく、ピアノのそばにストーヴを置いてもらうこともなかった。宿泊した宿には桜が狂い咲き。今年は確実に暖冬で、異常気象だ。

でもここでの演奏は天気のせいばかりで温かい気持ちになるわけではない。園長先生をはじめ、苦労されている主催者、こころみ学園の人たち、たくさんのボランティア・スタッフなどの笑顔がなにより温かい。

なにせ一年に一度のお祭りだ。日曜日は入場と引き換えにもらえるキットが完売。屋台の食べ物も売り切れの満員御礼。たくさんの人たちの顔はほの赤く、帰る足取りはふらふらと。

「耕す者の祈り」「平和に生きる権利」を歌ったのはヴィクトル・ハラ。ここに来ると、何故かいつも思い出す。
一粒一粒摘み取られたぶどうの実、原木から採られた椎茸。道端に生えている草、そこにいる蟻んこ、空を飛ぶ鳥。子供の手から放たれた赤い風船が風に乗って舞い上がる背景には、急な山の斜面。
空にこだまする「赤とんぼ」のうた。

命あるものの、ただそこに生きている、という尊さ。そのことを素直に、謙虚に受け止めている自分を見る。
(生涯に一度は訪れることを薦めます・・・http://www.cocowine.com/

そして、20日、私はここでまたひとつ歳を重ねた。


11月22日(月)〜12月12日(日)  よくぞ走った、バカボン号/その1

坂田明(as,cl)さん率いるユニット、mii(みい)での活動も5年を終えようとしているこの冬。国内・海外を含め、今回の『赤とんぼ』2004・西日本ツアーは10回目となる。しかも、これまでで最長期間という約3週間。バカボン鈴木(b)さんがただ一人で運転するバカボン君の車で、関西、中国、九州を廻る旅だ。

ちなみに、この無敵のバカボン号、国内はこれまですべてこの車で移動している。今年10月の東北ツアーの際に、走行距離が14万キロを突破した頑丈な装甲車のような車に、楽器、荷物、それに今回はCDを積んでの行商の旅だ。

22日(月)、午前10時半頃に東京を発って、夜7時過ぎに京都に到着。主催者の方たちと、創作料理のお店でからすみなどもつつきながら会食。

23日(火)はプライヴェート・コンサートで京都の町屋の蔵で演奏。打ち上げではブイヤベースをご馳走になり、たくさんの文化人たちとわいわいと過ごす。

24日(水)、神戸に移動するだけの日なので、詩仙堂、三十三間堂を観光。平日にもかかわらず、ものすごい観光客の中で紅葉をしばし楽しみ、夥しい仏像に圧倒され、鴨川のほとりにある喫茶店で、ぼけっとした時間を過ごす。この、ぼけっ、が大切。

神戸に着いて、夕飯の後、以前より連絡をいただいていたライヴハウス、クレオールに店主を一人で尋ね、しばしピアノを弾かさせていただいたりする。

25日(木)、神戸にあるライヴハウス、Mokuba's Tvarenで演奏。2ステージ目には歌手とタップ・ダンサーがゲストに入り、笑顔のすてきな女性たちの存在で、このトリオにも爽やかな風が吹く。ジャズ・ミュージシャンとも親交のある指揮者の佐渡裕さんご夫妻が聞きに来てくださり、楽しいひとときを過ごす。

26日(金)、神戸で長いトンネルを抜け、中国道を走り、国道375号線を北上。この国道、ほぼ川沿いを走っていて、外は真っ暗闇。しかも車が一台通るのがやっとという道幅で、すれ違う時はどちらかが待機しなくてはならない。でもって、けっこう頻繁にダンプが通る、くねくね道。ほとんどジャングルを探検しているような気分だったが、何故か他人の家の庭先を通ったりもしている、実に変わった国道だった。が、今回のツアーの道程で、もっともスリルと緊張感のある道だったかもしれない。

夜、石見銀山に到着。江戸時代の建物に宿泊し、薪で炊かれた大釜のふっくらとした白米(竹筒でふうふうと火を吹く)や、炭で焼いた魚や新鮮な野菜などを土間でいただく。実に美味で元気がつく。ふかふかとした蒲団の足元には、これまた懐かしい湯たんぽ。日本人の生活をしみじみ感じながら、眠りにつく。

27日(土)、町の交流センターで演奏。ボランティア・スタッフたちの手作りの会場の設営に感心する。打ち上げ後、蝋燭だけが灯る家を訪れ、不思議な気分になる。

28日(日)、朝食がおいしい。畑で採れたての野菜が身体の血を洗ってくれるよう。広島へ向かう途中、「あわてるな、昔はみんな歩いてた」という大きな立て看板にえらく感動する。そのとおりっ。

広島では高速を降りてほどなく、道路上で運転手同士が揉め事で車を停め、車を蹴っぽったりしている風景を横目に、知らんふりして通り過ぎる。広島じゃけん。

夜、広島のライヴハウス、SOHOで演奏。みんな、そろそろ一度壊れかける頃か。ホテルへ戻り、エレベーターに乗っても、誰もボタンを押そうとしない。

29日(月)、広島から博多へ半日かけて移動。ちょうど関門海峡を渡る頃に、見事な夕焼けと遭遇。バカボン号、いよいよ九州へ上陸だ。

福岡・博多は大都会。運転マナーがすこぶる悪い。右左折するのにウィンカーを出さない。ぐちゃぐちゃに存在する道路上の車たち。

夜はもつ鍋と焼酎で九州初上陸を祝う。

30日(火)、朝からコインランドリーで洗濯。また、この日から演奏は三晩続くので、天神交差点付近ですぐ目に入ったファイテン・ショップに駆け込み、悪化している右腕の腱鞘炎のためにテーピングをしてもらい、他にもあれこれ買い込む。散歩して画廊・香月にも行き、しばしオーナーと談笑。同じ大学出身者だったこともあり、あれこれ話がはずむ。歩き回ったが、結局デパートでお土産を購入して発送。

夜は博多にある老舗のライヴハウス、ニュー・コンボで演奏。店は亡くなったお父様のあとを引き継いで、息子さんが切り盛りされている。




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