4月
4月2日(月)  アルゲリッチ

この春の来日をキャンセルしたというマルタ・アルゲリッチ(p)だが、その若い頃の演奏が収められたCDを聴いていると、時々胸がわくわくしたり、背筋がぞくぞくする。

そのメロディーの歌い方はピアノというより弦楽器のように感じられたりするところもある。リズムはエッジが立っていて、とてもキレがいい。例えば、ギドン・クレーメル(vn)とのデュエットなどは、実にスリリングな感じだ。一度、生演奏を聴いてみたい。


4月7日(土)  once a student

「Every master was once a student.」
どんな巨匠もかつては生徒でした。

午後、レッスンで生徒を二人見る。ちょうど交替の時間が重なったので、一人にはベースラインを弾いてもらって、二人で演奏してみてもらう。初めて会った二人は、いきなりいっしょに演奏するという体験をし、気持ちはアップしている感じ。ぎゃあ、わあ、ふうう、と声が響く。

そして近いうちに、両者とも初めてジャムセッションなるものにデビューする予定。初々しさがたまらない。約25年前の自分にもこんな時期があったことを思い出す。

ジャズのジャムセッションと言えば、店内は薄暗く、煙草のけむりがもうもうとたちこめた、ああ、すこぶる不健康な場所。扉を開けると、実際に眼をこちらに向ける人と、そうでない人がいるけれど、いずれにしても「誰が来たのだ?」みたいな意識がギラギラ、ねちょっとしている、いかにも日本的な(村の)気配を感じる。様々な意識が交錯している雰囲気。「あ、上手い奴が来た」あるいは逆に「あ、あの下手糞野郎、また来やがって」みたいな。

初めてのジャムセッション。ジャズのことなどよく知らなかった私にとっては、曲の途中で「イエイ!」なんて言っている意味がさっぱりわからず。Fのブルーズと「枯葉」しか弾けないくせに、ありったけの勇気を出して行ってみて、心臓をばくばくさせながらステージに上がって、初めてやった曲が「ドナ・リー」。常連らしき若いベーシストの希望に押し切られたのだ。できるわけがないっっっ、じゃないのおおお。当然、舞い上がって沈没した。

ということで、一人で足を踏み入れたのはいいけれど、非常に疎外感を抱いた。そして、この初体験がぬぐいようがない第一印象として深く刻まれた結果、ジャズという音楽はなんて排他的なのだ、という洗礼を受けてしまったのだった。

ああ、生徒たちに幸多かれと祈るばかりなり〜。


4月8日(月)  春の遠足

今日は大人の春の遠足。ということで、早起きをして、オノボリさん状態でお台場へ向かう。お台場へは演奏の仕事で何回か行っているけれど、どうやら月日はだいぶ経っていたようで、駅に着いてもさっぱりわからない。

自由の女神のレプリカの向こうにはレインボーブリッジ。高層マンション群がたくさん見える。そんな風景を眺められる、海を前にした公園で、遠足委員長さんが用意してくれた温かいおでんやらサラダやおむすびなどを、みんなでお腹いっぱいいただく。

桜もまだ散っておらず、春先の小さな花も地面にいっぱい咲いている。少し潮風が吹き、ゆっくりと静かに時間が流れていく。日々の生活の中で、こんな時間はなかなか持てない。近くでヒップホップ系の野外コンサートをやっているらしく、やたら増幅された低音が耳に響く。この音楽、いらないなあと、どうしても感じてしまう。

午後3時をまわり、少し空気が冷えてきたかなと感じる頃に移動。お台場の駅の方に歩いて行くと、先程までののどかな感じが一気にかき消され、一瞬、自分がいる場所がわからなくなり、立ちすくみそうになった。突然、ものすごい数の人をまのあたりにしたためだろう。いわゆる芸能人がなにやら撮影もしていた。何故こんなに人がいるのだ?そうか、ここは東京だった。

お台場海浜公園駅の方に向かう途中では、野外コンサートが行われていたようだ。その大音量、バカでかいベースとバスドラムの音に、この耳はまったく耐えられない。ほとんど暴力だ。両耳を塞いで歩く。以前はそういうコンサートにも行っていたし、自分も演奏していたわけだが。って、そういう機会がこれからもあるかもしれないのだけれど。

で、グレゴリー・コルベールの『ashes and snow』展を、ノマディック美術館に観に行く。ノマディック美術館は文字通り移動美術館。日本人建築家の設計によるもので、貨物コンテナを積み上げた造りになっていた。コルベールはカナダ出身のアーティスト。人間と象、鯨、鳥、豹、猿などなどの動物たちとの映像を、スチールとムービーカメラの両方を使って撮っている。作品全体はアンバーとセピアの色調で表現されていて、写真は手漉きの和紙に焼き付けられている。映像作品には音楽が付いていて、大きなスクリーンには日本語も流れていた。が、これは不要に感じられた。

すべての映像に人工的な施し、例えばCGなどは一切使われていないという。ということが、すごい。とても不思議な感覚になる。あ、そっか、人間は鯨だったり象だったり鳥だったりしたのかもしれない、自然の一部だったんじゃないかしら、というような。「太古」というような言葉が浮かんできて、ゆっくり深呼吸して、見えないものをゆったり見てみよう、聞こえない音に耳を澄ましてみよう、という気持ちになってくる。

かくて、遠足は夜の江古田のベトナム料理で終了。一日中、MBT(靴)を履いて歩いて、どうやら少々筋肉痛。ああ、あと10kg、痩せたい。しかし、痩せれば耳の狭窄症(耳がつまった感じ)が治るかもしれないなんて、ほんとかなあ。


4月9日(月)  古楽の楽しみ

橋本晋哉(チューバ、セルパン奏者)さんとリハーサル。J.S.バッハの作品をやるだけでもけっこう時間を費やす。セルパンも演奏する橋本さんは古楽にも詳しく、いろんな話を聞かせてくださる。実に有り難いことだ。知らなかったことを学ぶのはとっても楽しい。

というか、練習をしながら、自分が感じているフレーズの歌い方(ブレスの入れ方)やリズムの取り方が、どうしてもこういう風になってしまう、ということがあった。それはなんだかわからないけれど、きわめて身体的な感覚で、こんな歌い方をしてもいいのか、自分では何の確証もなかった。

けれど、どうもそうであってもいいらしいことが、橋本さんとあれこれ話しているうちに見えてきた。今回は複雑なリズムの感じ方までは踏み入ることができないが、どうもやっぱり古楽にはジャズに近い要素もたくさんあるようで、なんだか楽しい。お世辞にも上手には弾けないけれど、何かがある、という感覚は、演奏の歓びにつながる。

さてさて、今週の一騎打ち、みなさま、ぜひご来場のほどを。


4月12日(木)  いづこへ

大泉学園・inFにて、橋本晋哉(チューバ、セルパン奏者)さんと初めてデュオで演奏。

J.S.バッハ作曲「Adagio BWV 564 」「Sonata in Eb BWV 1031」といった、既に譜面に書かれている音楽も演奏。しかしながら、チューバが奏でるメロディーは決して書かれている通りではなく、かなり自由に装飾音を施したり、一拍の中で揺れ動いたりしている。さらに、途中でちょいとアドリブを施す部分も作ってやってみたり。

また、Roger Kellaway作曲「 The Westwood Song 」も演奏。これはジャズ・ミュージシャンとしても活躍したケラウェイが譜面に書いた作品だけれど、そこには例えば「ad lib with LOVE」とか「with FIRE」といった言葉が書かれている。私しゃ、この「ad lib with LOVE」という言い方が気に入った。で、「書かれている通りに演奏しなくて、もう全〜然いいですよ」という橋本さんのお言葉に甘えて、私は音符通りにはまったく弾かず、記載されているコードもしくはこんな雰囲気〜という感じでピアノを弾いた。

その他、E.サティの曲や拙作品(宮沢賢治・三部作)を演奏したり。さらに、橋本さんはチューバとセルパンのソロ曲を1曲ずつ演奏された。アンコールもチューバのソロでお願いしてしまった。私はよくわからなかったが、いわゆる“定番”という曲だったらしい。んが、これがとっても楽しい。

セルパン(古楽器)には多くの人が興味をそそられたようで、間の休憩時間も質疑応答時間になり、橋本さんは丁寧に応対されていた。で、橋本さん曰く、「この楽器は“根性”で吹く楽器なのです」。実際、そもそもピッチが非常に不安定で、基本的にそれらをすべて唇でコントロールするのだから、いやはやたいへんだ。

音色、奏法など、楽器のコントロールを含めた、橋本さんの演奏技術は実にすばらしい。感心することしきりのうちに、あ、自分も演奏しなくちゃ、みたいな感じだったかもしれない。

この日の橋本さんはおしゃべりも快調。20人も入ればいっぱいになるような小さな店がなごんだ感じになる。そして、このようにいっぱい即興演奏をやったのは生涯初めてとのこと。怪しげな領域に引っ張り出して、すみません〜。

とにかく初めましてのライヴ。譜面が得意な橋本さん、不得意な私。橋本さんがおっしゃっていたように、互いに不得意な分野に挑戦した部分があるが、問題は“次”だ。とにかくやってみたという今回と、もはや同じことはできないだろう。

クラシック曲をやるなら、さらに突っ込んだ解釈や理解、コンセンサスが必要だ。即興演奏に関しては、個人の在り様といったことも含めて、もっと深い話し合いの時間を持つべきだろう。即興は方法ではない、と考える私にとって、では、二人の間にどのような“即興”の了解があったのだろう。終わってみれば、その辺りのことが猛省するべき点として残った。

うーっし、次回を目指すぞー。って、何を目指し、このデュオはいづこへ。これからの課題を背負って、楽しみながら次の一歩を踏み出すのじゃ。


4月13日(金)  山田さん

東京オペラシティで行われた『山田晃子 ヴァイオリン・リサイタル』へ行く。

この山田さん、1986年生まれだそうだから、現在、若干21歳。13歳でパリ国立音楽院に入学して、十代の頃からいろんなコンクールの賞を取っている。んでもって、使っている楽器は1729年製のストラディヴァリウス“レカミエ”だそうだ。ひえ〜っ、ってなもんや三度笠である。

前半はシューベルトのソナチネ。そして、ドビューッシーが死ぬ1年前(1917年)に書いたソナタ。後半はJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ、いわゆる“シャコンヌ”から始まる。そして、1975年に書かれたシュトニケのテープを使った現代作品、もやりますのよ、とちょいと聴かせておいて、最後は予定されていたフランクではなく、ラヴェルのソナタ・ト長調。初演は1927年の作品。

前半は緊張していたのか、ちょっとピッチも不安定で、なんだかめちゃくちゃ硬い感じがした。が、後半、一人で舞台に立って弾き出したシャコンヌは堂々たるものだったと思う。なんだか楽器の鳴り方がまるで違うように感じられた。

最後のラヴェルは去年12月に喜多直毅(vl)さんと千野秀一(p)さんのデュオで聴いた曲だったから、いわば“復習”。(本当はフランクのソナタを“予習”するつもりだった私。)が、まるで違う曲に聞こえてきた。とても同じ曲とは思えない。はっきり言って、私は喜多&千野ペアの方が断然好きな演奏だった。そっかあ、こんなにも違って聞こえてくるのね〜。黄金の二十年代と言われている時代に書かれた作品は、クラシックの演奏家が演奏するより、ジャズを学んだ人が演奏する方が面白くなるのかもしれない。よくわかりましぇんが。


4月16日(月)から18日(水)  いつか咲くらん

父が亡くなってから、年に一度か二度、母と旅行することにしていて、まんず今回は“東北みちのくの三大桜を観に行く”という、某デパート系のツアーに参加する。

こういう団体ツアーにはまったく不慣れな私だが、基本的にな〜んも考えなくていいわけで、考えようによっては楽だ。「○時にバスは出発します」ということで、行動の制限は受けるが。って、私が最年少の参加者の様子で、例えば集合時間ぎりぎりくらいに行くのは、たいてい私と母だったりする。どうやら歳をとると朝はめっぽう早く、集合時間にも早めに現場にいたりするらしい。



16日(月)

朝6時に起きて、東京駅に向かう。新幹線の中で出たお弁当は“なだ万”で、なかなか美味。このお昼のお弁当、こういうツアーでは大問題になるらしい。○○百貨店なんだから、××のお弁当くらい出さなきゃ、みたいな。おそらく食事に関する不満はけっこう多いんだろうなあと思う。

角館に到着。武家屋敷が並ぶ街並みを散策。んがあああ、桜はまーーーったく咲いていない。黒塀にしだれ桜、を観る予定だったのだが。その近くを流れる檜木内川沿いの桜並木もまーーーったく咲いていない。残念〜。

それからバスは男鹿半島に向かい、強い風が吹く入道崎で日本海を眺め、男鹿温泉へ。食事中、“なまはげ”がやってきて、記念写真を撮る。母はもう生涯こんなことはないからと言って、特別になまはげとツーショットを撮ってもらっている。ちなみに、翌朝、一枚○×△円で売られる仕掛けになっている。

夜、近くの居酒屋で行われているという“秋田三味線”を聴きに行く。生ライヴをやっているというのだから、当然行ってしまう私なわけだが、3〜4軒の閑散としたネオン街で出会う人はなく、その店には客は誰もおらず。結局、母と私だけが約30分のライヴを堪能。

なんでも男鹿温泉でも過疎化は深刻らしく、小さな宿などはどんどん倒産してしまっているらしい。大きなホテルも経営統合をしてなんとか生き延びているとのことだった。で、地元をもっと盛り上げようということで、なまはげの演出があったり、こうした秋田三味線のライヴをやったりしているとのことだった。学校などにも行って、子供たちに三味線を教えたりもしていると言っていた。思わず応援したくなる。

秋田三味線は津軽三味線と異なり、基本的に歌を支えるような在り方をしていると聞いた。津軽の方は歌と三味線がもっと対峙している感じだそうだ。だから秋田の方がなんとな〜く柔らかい感じがした。



17日(火)

バスは八郎潟を抜ける。政府の減反政策で、この辺りもやはり過疎化が進んでいるらしい。って、まんず、バスガイドさんが全部いろいろ説明してくれる。

このバスガイドという仕事。ガイドさんの頭の中には、歴史的な年代、他の数字も全部入っていて、移動中はずっと立ったまま、ずっとしゃべりっぱなしだ。さすがにプロだと感心する。声が耳障りではなく、だいぶ助かった。それでもスピーカーからの音が大きくて、耳栓をしていたのは私だけれど。

運転手さんは客がバスから降りる時、戻って来た時、一人一人に声をかけている。印象が良い。のは、やっぱりこういうツアー、我儘な客のいろんな苦情があるんだろうなあと想像する。「無愛想な運転手は不愉快だ」などとアンケートに書かれた日にゃあ。この某デパート・ツアーからの大口の仕事が来なくならないように、バス会社も懸命なのだろう。

大曲で地元の食材が使われている昼食をいただく。そして青森・弘前城へ。んがあああ、をを、見事に桜は咲いていなーーーいではないか。この弘前城の桜、咲いていれば素晴らしいらしい。

夜は岩手・盛岡から近い、鶯宿(おうしゅく)温泉へ。夕飯にいただいた前沢牛がすこぶる美味。ロビーでは太鼓演奏や民謡ショーのようなものが行われていた。が、太鼓を叩いているホテルの従業員らしき人たちの腰は据わっておらず、民謡はカラオケの延長だったので、まったく聴く気にならず。昨晩の、親子で演奏していた秋田三味線の方がずっといい。

最近は中国、韓国からの観光客がとても増えている。演奏でツアーしている時も感じたが、ますます増えている感じを抱く。お湯につかっていても、日本語が全然聞こえてこない。



18日(水)

バスは北上展勝地公園へ。約2kmに渡る桜並木があるそうだ。んがあああ、つぼみはだいぶ膨らんではいたけれど、咲いてなーーーい。

それから一関へ移動して、厳美渓を見てから、御餅中心の昼食。周りの風景に見憶えがあると思ったら、あら、ジャズ喫茶の老舗・ベイシーの近くではないの。ということで訪れてみたけれど、店には定休日の張り紙。残念〜。ただ、桜は五分咲きくらい。やっと愛でた、という感じ。

その後、中尊寺へ。以前、バカボン鈴木(b)さんに詳細を説明してもらったことを思い出した。そしてバスは仙台駅に向かい、夜遅く帰京。



ああ、いつか桜は咲くらん。

実際、ここのところ妙に冷え込み、寒い日が続いている。おかげで、桜を愛でることはかなわず。さらに、低気圧のおかげで、耳鳴りがひどい。先週辺りはだいぶ楽になってきたなあと思っていたのに、いきなりまたひどくなった。

この耳鳴り。通常、一点ハの全音下のB♭の持続音が鳴っている時は、けっこう楽に過ごせる。

が、まず、例えば頭を上下に振ると、耳鳴りが動いて、スフォルツアンドを奏でると、やばい。さらに、このB♭の音が1オクターヴ上がり、さらにその長三度上のDと共に二重奏を奏で始めると、耳鳴りの圧迫感が強まり、耳の下が痛くなり、肩と首がバリバリに凝り始める。ついでに左耳にも高音のD♭音が聞こえていると、状態は最悪。

そうなると、さらに左右の耳の聞こえ方がアンバランスになり、悪い方の右耳はハイがカットされる。それは、例えばケータイの呼び出し音が左右で違って聞こえてくることで、自分で確かめることができる。また、そういう状態の時は、ピアノのある音域で重音を弾くと、倍音の関係からか、別の音がわんわんと響いて聞こえてく来て少々つらい。テレビのアナウンサーの声にも輪がかかって、エコーがかかっているように聞こえてくる。やれやれ〜。


4月19日(木)  自分(の)じゃない

『くりくら音楽会 ピアノ大作戦 春の陣』の二回目。出演する二組とも、先月に引き続き、すべて即興演奏。

前半は、山口とも(per)さんと私との演奏。ともさんは通常のガラクタ廃品セットで、いつもと変わらず、キュートでユーモアもあり、すてきだった。

が、私はもう一組のデュオを明らかに意識し過ぎた。対照的な音楽内容にしたい、哲学・思想性のかけらもないような、音そのものが遊んでいるような光景を創りたい、などと思えば思うほど、からまわりしてしまった感じ。おそらく超シビアな内容になるであろうブロンディさんペアに対して、こちらはできるだけエンタテイメトな感じにしたい、じゃないと、お客様はちとつらいかもしれない、などなど、実に余計なことを考え過ぎた。

さらに、企画・制作もしているため、どうも今ひとつ演奏に集中できなかったのか、どこかが自分じゃないような気もした。結果、演奏している最中から反省することに。こんなんじゃあ、いけません。こんな感じの演奏をえらく久しぶりにしてしまったように思う。猛省。

もう一組のデュオは、フランス在住のフレデリック・ブロンディ(p)さんと斎藤徹(b)さん。ブロンディさんはいわゆるプリペアド・ピアノ及び内部奏法を得意とする人だそうで、これまでの都内でのライヴではすべてそのような演奏をしてきている。

今日はその都内での演奏の最後にあたったのだが、今回のコンサートではピアノの内部奏法をお断りすることになり、ブロンディさんにもテツさんにも、不愉快な思いをさせてしまい、たいへんご迷惑をおかけすることになった。正直に言えば、今回の内部奏法をめぐる問題は、演奏者としての私と、企画・制作者としての私との間で、かなり揺れ動いた。

(ちなみに、この門仲天井ホールは原則としてピアノの内部奏法はご遠慮願うことになっています。お客様の中には、ブロンディさんのプリペアド及び内部奏法を期待して、足を運ばれた方もおられることと思います。この場借りて、再度お詫びいたします。)

「自分の楽器ではないものを演奏しなければならない」というのは、余程のことでもない限り、ピアニストが背負わなければならない宿命のようなものだ。まんず、ピアノを飛行機で運ぶことができるようなピアニスト(ホロビッツとか、ポリーニとか)にでもならない限り、自分の楽器を弾くというようなことはないだろう。

また、極端なことを言えば、スポンサーとして楽器メーカー(例えば、セシル・テイラーの場合はベーゼンドルファー)が付いてくれるとか、凄腕の調律師さんにずっと付いていてもらえる予算があるとか、仮にピアノが壊れたらポンと新しい部品や楽器を買えるくらいの財力がある大金持ちか・・・、でないと、ピアノの内部奏法を思いっきりやることはできないのかもしれない。

要するに、相当なプリペアドや内部奏法が施された場合、その後に他の誰が弾いても、ピアノという楽器があるべき状態にリペアする必要が生じることが必至になる。その費用を誰が負担するのか?という具体的な問題が起きてしまう。

ちなみに、例えばピアノの低音部に張られている金色に輝く巻き線は、1本約1万円近くするらしい。なんでも、ちゃんとした巻き線は、もはや今は数少なくなった職人さんの手作りのものが一番いい、とも聞いている。

この自分のじゃない、いわば人様からお借りしている、さらに、それなりに高価な楽器に対して、意図しているいないに関わらず、明らかにダメージを与える、傷つける、壊す、という行為をすることは、ごく常識的に考えても普通は通じない。弁償問題にさえなりかねない。

これが音楽、または芸術、表現、という名の元に許されているのが、“内部奏法”と言ってもいいのかもしれない。あるいは、“その人の音楽”ということで、すべてを理解し、すべてを許す、大きく深い心を持ったホールや店のオーナー(すなわちピアノの持ち主)や、そのピアノのメンテナンスをしている調律師さんにより、実現可能な演奏方法と言ってもいいだろうと思う。

(さらに、門天ホールの代表者になりかわって書けば、ここの代表者はこうしたことにたいへん理解のある方です。しかしながら、ここのスタインウェイのピアノは、例えば大金持ちが寄贈したといったものではなく、多くの会員や有志によって購入された楽器、という生まれ育ち、経緯があります。どうかその辺りのことを理解していただければと思います。)

(ピアノの内部奏法については、これまでも時々触れていますが、この拙「洗面器」の記述の中にも、こんなのもあります。/ちなみに、この記述の中にもありますが、私がやった内部奏法に、間に入った事務所は、なんと20万円も支払っています。あまりにもばかばかしい話だと、今でも不愉快に思っています。かくのごとく、ピアノの内部奏法に関しては、日本のピアノ製造・輸入メーカーの構造的な問題が根底にあるようにも思います。)

ともあれ、ということで、ブロンディさんにはピアノの内部には一切手を触れないで欲しいということで、その演奏をお願いすることになった。この私でさえ、ちょいとピアノの弦をはじいたりといった音色が欲しくて手が出かかったのだから、ブロンディさんが抱えたであろうストレスは想像に難くない。

その分、テツさんはコントラバスにプリペアドをしたり、弓以外のもので弦をこすったり、楽器を横に寝かせて二本の弓で演奏したり。オーケストラのコントラバス奏者は決してそのような演奏はしないというような方法で、ブロンディさんの分まで演奏しているかのようでさえあった。ベースを横に寝かせて演奏するのは初めて聴いたが、それはまるで海を泳ぐ鯨の声のような感じがした。って、実際に聞いたことはないのだけれど。なんだか深遠な生命の声、ノイズを聴いたような気がした。

友人の中に、いみじくも、ブロンディさんを「瞬間湯沸かし器」、テツさんの演奏を「ブラックホール」と称していた人がいたが、なかなか言い得て妙かと。その即興演奏の姿は、テツさんの方がブロンディさんに合わせているような印象を少し抱いたものの、目には見えない互いの細かいパルスが常にぶつかり合っている感じだった。その集中力と緊張感が漲ったエネルギーは磁場のようでもあり、聴いている方は圧倒される。もう、その瞬間、瞬間、を逃すまいと、それぞれの存在を賭けたような内容の重い演奏だったと思う。

今夜のような即興演奏を生まれて初めて聴いたというお客様もいるかもしれない。もしかなりシビア、ハードに感じられ、疲れたということであれば、それはもう冥土の土産に持って行っていただくしかありましぇん・・・。

そして、最後はペアを交換して演奏。つまりブロンディさんはともさんと。私はとても久しぶりにテツさんと演奏した。テツさんとの演奏は短い時間ではあったが、なんとな〜くちょっと不思議な、これまでにはあまりなかったような、温かい温度の空気のようなものを感じた気がする。

このコンサート・シリーズ、次回は5月17日(木)です。どうぞおでかけくださいませ。なお、今年は『秋の陣』も行う予定で、現在ブッキング中です。今回の春の陣は全体にかなり即興色の強いものになりましたが、ちょっと秋は変えてみようかなあと思っています。どうぞお楽しみに!


4月20日(金)  ネネムのはなし

劇団トランクシアターの稽古場公演を観に行く。今回は宮沢賢治の作品を下敷きにした『ペンネン ネンネンネン・ネンムのはなし』。

いつものことながら、舞台の作り方や衣装などは工夫が凝らされていて、上手く楽しく仕上がっていた。音楽は初めて担当したという人がやっていたが、彼女は自身もセリフをしゃべったりして、すっかり劇団に溶け込んでいる感じがした。この劇団によく合っていると思う。

また、今回は“地球温暖化”のことが問題にされていたようだが、もう一つテーマに迫る切迫感が欠けているように感じられた。身体を持った役者、一人一人が、本当にそういうことを感じているのか?みたいな感じだろうか。あるいは、もうちょっとだけインパクト、つまりこの問題に対する具体的なヴィジョンや提案の支えがあると、全体の作り方の楽しさと拮抗できるだけの何かが、観ている者に残るような気がした。


4月21日(土)  言霊(ことだま)

大泉学園・inFで、黒田京子トリオ、ゲストにおおたか静流(vo)さんを迎えて演奏。ゲストというより、最初から最後までいっしょに音楽を創る。

おおたかさんが歌う「The voice is coming」はいつ聴いても心が震える。前半は早くもこの歌で締めたが、後半では彼女が詩を作って来てくれた「ホルトノキ」「Songs my mother taught me」を演奏。特に「ホルトノキ」のなんとすばらしかったことか。あのようにメロディーに対して言葉を紡ぎ、曲に言霊をのせる人を、私は他に知らない。

そして、きわめつけは最後に歌った「Evrything must change」。これはかつて私が彼女にリクエストした曲で、これにも実に彼女ならではの言葉が付いている。これもまたすんばらしい。アンコールには、「'Round midnight」を初めて歌うというおおたかさん。彼女の歌うジャズ・ナンバーもなかなかすてきで、私は好きだ。

かくて、楽屋好きの大酒飲みのお兄さんと、確信犯的遅刻魔のお兄さんと、不気味で天然あまりにすてきな歌姫と、デブな保険の外交のおばさんの奏でる音楽が、漆黒の闇に消えていき、おでんな夜は更けていったのだった。


4月26日(木)  背中・その1

東京オペラシティで行われた、佐渡裕さんが指揮する東京フィルの演奏を聴きに行く。佐渡さんの指揮姿を生で拝見するのは初めてで、とても楽しみにしていたコンサートだった。

演奏曲
ドヴォルザーク:序曲「謝肉祭」
メンデレスゾーン:ヴァイオリン協奏曲  リディア・バイチ(vn)
レスピーギ:リュートのための古風な舞曲とアリア第三組曲
レスピーギ:交響詩「ローマの松」

このオペラシティ、音は断然二階席の方が良いとのことで、本日の座席は正面右端で、コントラバスの辺りが少しだけ視野からはずれる所。確かに一階で聴いているより、全体のサウンドが十全に感じられる気がした。ただ、ステージ全体を照らす多数の照明も視野に入るので、私のような眼の持ち主には途中からちょっとだけ気になってきた。

前半のヴァイオリン協奏曲。いやあ、リディア・バイチ(vn)さん、今ひとつピッチが危ういところがある気がして。それよりもなによりも、走る、走る、走る、走る、走る。一人で走る。まるでテンポ感が合っていない。おいおい、と誰もが感じたと思う。相当性格悪いんじゃないかと、思わず勝手に想像してしまう。

オケは指揮者の意図を汲み取って、きっちりついていっているように感じられたのが救いだっただろうか。佐渡さんは行くな、行くな、とリディア姫のたずなを必死に引っ張りながら、なんとかぎりぎり最後までオケとの折り合いを持たせたという感じ。そこで見えてきたのは、佐渡さんの人柄と、佐渡さんとオケとの間にある信頼感のようなものだった。音楽が聞こえてくるのではなく、こういうものが聞こえてきてしまう。実に音楽というものは正直なものだと思う。こわい。

後半のレスピーギの弦楽曲は非常に心に残るものだった。メンコン(業界用語でこのように言うらしい/メンデルスゾーンのコンチェルトのことを、こう呼ぶのだそうだ。って、今時、「のだめ」を読んでいる人はみんな知っているわけ?)の悪夢を振り払うかのような、弦楽器だけによる音の流れやうねりが、時折跳ねるピッチカートの音が、私たちを深い音楽の世界へといざなう。指揮者と演奏者の呼吸はひとつの生き物のようにさえ感じられた。

「ローマの松」はド派手な始まりに、ド派手な終わり方をする曲。実はレスピーギという作曲家を知らず、一応予習はしていたのだけれど、ここまで派手だとは想像していなかった。もちろん、間には静謐なところもあり、ハープの音などが生かされている曲だったけれど。

で、今までこういう聴き方をしたことがなかったが、耳を患ったせいだろう、この日のハープ奏者の背後の状況を想像するだけでも、私は発狂しそうになった。なにせ派手にシャーーーンとシンバルは鳴り、ジャーーーンと大きなドラが鳴っている。ああ、おまけにトライアングルもチリチリチリチリと高音で鳴り続けている。ひえ〜っ、あれではどんなに強力な耳栓をしても、絶対に耳をやられる。もう心の底から同情してやまない。思えば、オケの団員というのも、耳には過酷な状況で演奏している人がずいぶんいるように思われる。

こうしたクラシック音楽のコンサートは、指揮者が到着して、オケとのリハーサルはほとんど2〜3回、というのが常らしい。そのリハに至るまでには、演奏者なら個人練習や、指揮者であれば作曲者の時代背景や、曲の解釈、譜読みといった、膨大な勉強及び練習時間が積み重ねられているわけで。

そして本番を迎えて、指揮者も演奏者も、これだけのエネルギーを使って演奏するのだから、さぞや疲れるだろう。いやはや、たいへんな職業だ。佐渡さんの背中を見ながら、そんなことをしみじみ感じた。何の因果で棒を振っているのか。何の因果で○×△という楽器を演奏しているのか。

それにしても、普段私がやっている音楽とはなんと音楽の成り立ちが異なることか。何の曲を演奏するかというようなことを、事前に告知しているミュージシャンはほとんどいない。たいていは“その人”の演奏を聴きに行く、という態度だろう。

が、今やクラシック音楽は、どの作曲家のどの曲を演奏するかも人を集める要素になっていることを、改めて理解した感じ。高橋悠治さんのように、こうしたコンサート形式、すなわち一年以上前からプログラムの提示を強要されて、一年経ったら気持ちが変わっているかもしれないのに、そんな制度はおかしい、と異を唱えている人もいるけれど。


4月27日(金)  力を入れない力

佐藤芳明(accordion)さんと“身体”の話になる。ヨガ、太極拳、整体のことなど、興味は尽きず、話も尽きず。ミュージシャンはアスリートと同じように、非常にフィジカルな問題をたくさん抱えているのだ。

如何に力を入れずに、芯のある力が自然に働いて、演奏をすることができるか。

アコーディオンという楽器はとても重い。テレビの露出度が高かったcobaさんの演奏姿を思い出せばわかると思うが、あんなものを抱えて、あのようにのけぞって弾いて、腰に良いわけがない。肩も凝るだろう。

したらば、佐藤さんは「肩で吐く」ということをイメージすると、力が抜けて楽になる、という。なるほど〜。太極拳もそうらしいが、ヨガでも、大地に接触している「足の裏」を感じることは大切なことらしい。

こうしたことを感じるには“意識”、そして“イメージする”ということが重要になってくる。これは練功十八法のような健康体操でも、太極拳でも、その動作の一連の動きや、身体の気の流れには、とても大事なことだ。

などという話をしているうちに時間は経ち、急いで演奏する曲を決めて、今宵もデュエットな夜は深まっていったのだった。しかし、GW直前のためか、またしてもお客様は少なく。もそっとなんとかせにゃあ。


4月28日(土)  背中・その2

文京シビックホールに、再び、佐渡裕さん指揮、東京フィルのコンサートに行く。今回は前から17番目の席で、ステージに近い分、いろんなことをダイレクトに感じることができた。

佐渡さんの背中が近い。そして私はものすごくたくさんのものを受け取った。

演奏曲目
バーンスタイン:「キャンディード」序曲
バーンスタイン:シンフォニック・ダンス
ショスタコービッチ:交響曲第五番 ニ短調 作品47「革命」

いきなりハンドマイクで話し始めたのは佐渡さん。このコンサートは東京フィルと文京区が提携している公演で、なんでも指揮者が自由に選べる一曲というのがあって、プログラムには記載されていない最初の曲の名前や、その曲を選んだ理由などについての話があってから、音楽が始まった。

佐渡さんは割合に間を空けずに指揮を始める。その瞬間、オケはぴったりついていっている。指揮者とオケの間に、非常に温かい親和感が生まれていることを感じる。佐渡さんは概ね楽章間もあまり長い時間をとらない。そこにはいったんステージにあがった演奏家の油断を決して許さない姿勢を感じる。

だから、オケのメンバーの姿勢というものが、余計にとっても気になってくる。客席に向かって最前列にいる人はけっこう目立つ。特に自分が演奏していない時の姿勢、すなわち他の人の演奏を聴いている時の姿勢というのは、非常に重要だと思う。精神の入っていない、だれた聴き方をしていることが、その姿勢からよく感じ取れるのだ。すると、それだけで音楽が壊れる。そういう時、ああ、残念だなあと思う。それくらい“身体”はモノを言う。

また、シンフォニック・ダンスの前にもマイクは登場し、この中に収められている“マンボ”のところで、私たちにいっしょに「マンボ!」と言ってくれと佐渡さんは話をする。オケの人たちは顔を見合わせて笑っていたから、彼らはおそらく事前にそういうことは聞いていなかったと想像される。というあたりが、とっても佐渡さんらしい。この曲、4ビートも出てくるし、オケの仕上がりがどんな風になっているかがわくわくものだったが、佐渡さんはきっちりまとめていたと思う。メリハリのあるいい演奏だった。

そして、後半のショスタコ。これもすばらしかった。そもそも非常にコンプレックスしたものを内包している、陰影の深い曲のように感じられたが、その演奏内容、表現の幅の広さや深みといったものが、こちらの心の奥にとってもよく伝わってきた。

特に第三楽章のラルゴの響きの深遠さはたとえようがなく。こうした内容の音楽と、前半にやったバーンスタインの曲との対比、バランスは絶妙。そして、一人の指揮者の表現の幅の広さや深さを具体的に感じるには、充分なプログラムのように感じられた。

この曲を指揮する佐渡さんの身体の動きや、顔や手の表情はすばらしく、その身体から、また指先からはものすごいエネルギーが出ていることを感じた。その姿は圧巻だった。そっかあ、指揮者というのはこういう仕事をするのか、と改めて認識した一夜になった。

そして帰り道。何故かわからないが、一人になったら涙が出てきた。こんなことはクラシック音楽のコンサートに行って初めてのことだ。指揮者の背中と、その時のオケとの親和感に満たされた時間を思い出したら、泣けてきたのだった。

と同時に、それはすぐに自分への問いかけにもなった。自分は佐渡さんのように、果たしてあそこまで音楽を愛しているのだろうか?やっぱり、自分はまだまだ甘くてだめだ。と思ったら、また泣けてきた。

背中。
中高時代の校長先生がよく言っていた。背中は大事。背中が語るような人間になりなさい。
自分はほんとにまだまだ、だ。

ちなみに、世の中には指揮者の追っかけをしている人たちがいるらしい。佐渡さんの追っかけは「サドラー」と呼ばれているそうだ。




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