2月
2月3日(火)  アコーディオンの調べ

自称“アウトロー”のアコーディオン奏者、佐藤芳明さんとデュオで演奏。そのソロの演奏を聴いているだけで、なんだか充分という気持ちになる。

そして、今の30歳代半ばの人たちは、生まれた時からほんとにいろんな音楽を聴ける環境に育って来ているんだなあと感じる。いつのことだったか、ラジオで、2回り上の渡辺貞夫(as)さんが下の世代に対して同じような感慨を言っていたことを思い出した。



2月5日(木)  まだ意識が

午後、太極拳の教室へ。汗をかく。今日は八法。すべては五功の応用とのことだけれど、これがなかなかできない。例えば、ただ立っているだけの時、どこに自分の意識を持っていくか。そんなことすらできていない。それに、私の姿勢はちょっと歪んでいることに気付かされる。先生は真っ直ぐだ。



2月7日(土)  たまごやさんで

黒田京子トリオで、埼玉県深谷にある“エッグファーム(スペース・フー)”で演奏。ここはトリオの2枚目のCD『ホルトノキ』を録音した場所でもある。天井が高く、弦楽器の響きはいい。もちろん生音で演奏。

ただ、翠川さんのチェロのエンドピンを支える下敷が絨毯だったからだろうか、ニューヨーク・スタインウェイのフルコンを弾く私には、音がちょっと遠く感じる。太田さんは新しいヴァイオリンで軽やかに。そしていつものように、その独特の声で、このトリオの空間軸を異なるところに持っていく。

帰りにはたくさんの卵をいただいて帰宅。美味しそう。



2月8日(日)  ああ、弁当弁

5月に還暦を迎える翠川敬基(vc)さんの誕生日前々夜祭は、翠川さんがリーダーとなって、太田惠資(vn)さんと私とが演奏する予定になっている。その際は、翠川さんの言うことをきく、という約束で、ライヴの選曲はすべて翠川さんがすることに。

で、さっそくお達しが。ベートーヴェンのピアノトリオ第三番。それで、アシュケナージのトリオのCDがあったので、さっそく聴いてみた。みるみるうちに・・・・・・・・顔がひきつった。果たしてできるのだろうか?というきわめて素朴な疑問を自分に問いかける。ああ、またお花見に行けない。

ブラームスの時は眼、メンデルスゾーンの時には耳、を患ったから、今回は呼吸法など、とにかく練功(中国の体操)や太極拳をやってから練習することにしよう。




2月10日(火)  身体操法

フルート奏者・白川真理さんが主催している『音楽家の為の身体操法講座』に初めて参加してみる。これは古武術研究家・甲野善紀さんを迎えてお話しなどを伺うというもので、基本的に非公開、予約制。プロ・アマは問わないけれど、音楽家や芸術関係者対象の私的な会で、今回で30回目、5周年を迎えたそうだ。

振り返れば、去年の秋に私の出身校の先生でもある舞踏家と公演を行ったが、その先生も甲野さんに深く傾倒して勉強された方だ。また、白川さんも登場する甲野さんの著書『身体から革命を起こす』(新潮社)に名前が出てくる、舞踏家・山田うんさんとも何年か前に共演している。今、共演している歌手、カルメン・マキさんとも交流があると聞いている。

甲野さんのことはwebを検索すれば、youtubeにアップされている動画なども含めて、それはもうたくさんあるが、例えば、こんな風。

・・・・・・・・・・

武術だけにとらわれない身体運用法一般の研究者。基本的に組織を作らない(師弟関係、弟子を採らない)。
   
「うねらない、ためない、ひねらない」動きや固定的な支点に依らない動作、いわゆる「ナンバ」の動きなど、従来のスポーツ運動論にはなかった身体運用法を、様々な武術・武道・スポーツ・異業種との交流からヒントを得て研究している。甲野の紹介する技術は、安定している重心(バランス)をわざと不安定にする事によって、軽い力加減で動かせるようにするもの (重いドラム缶を斜めにして転がすような) などで、たびたび「不安定な状態は、最も身軽な状態である」と述べている。

・・・・・・・・・・

会場にはけっこうたくさんの人たち。ほぼ全員靴を脱いだ状態で、甲野さんの言葉や身体の動きを、みんなが注視している。

私の印象に残ったことは、「経路」「連動」「連想」などなど。

「経路」は腕なら腕の自然な動き、流れがあるということ、と解釈した。

また、例えば手のひらが上向きの仕事をする人はまず下向きにしてから、逆の仕事をする人はその反対にするといいという話。具体的に言えば、その演奏中に力が入って肩が上がってしまうピアニストがいるとする。そんな時は、まず手のひらを上向きにして(弾くのとは反対の向き)、自然に手のひらを返せば肩は上がらない、というようなこと。

「連動」は例えば何かを持ち上げようとする時、腕だけで持ち上げるのではなく、肩や背中、あるいは腰や足など、身体全体が文字通り連動するように意識する、動かすということ。実際、上半身を脱いで見せてくれた甲野さんの背中や肩甲骨の辺りは、うにゃうにゃぐねぐねと動き回っていた。

「連想」は要するにイメージすること。

他に、例えばしゃがんだ姿勢から上へ飛ぶという動作。上へ飛ぶことだけに意識が行っていると飛べない。しゃがんだ時に一度5cmくらい下げてから飛ぶと、まるで自分の身体ではないような不思議な感覚で飛べた気になる。飛ぶというより宙に浮くという感覚に近いだろうか。あるいは蛙になったような気分?

これは介護の話にもつながっていき、「いっぺん落とす」と甲野さんは言う。あるいは、自分の体重を利用して、瞬間に相手を浮かす、この時「足裏を使う」とも。

さらに、「足の裏をちょっと浮かせる」とも言っていて、例えば、歩き方。踵から着くのではなく、足全体を持ち上げる、ゆっくり進む、これはたいへんな修行になるそうで、膝など予病によく効く、とのこと。が、この「足裏」の話の辺りのことは、私にはなんだかとても難しく感じる。

また、例えば剣道の竹刀の持ち方。右手と左手をくっつけて竹刀を持つと、動かしにくい。動かしにくいから、身体全体を使うようになる。腕を使っていない。つまり、腕は身体のエネルギーを伝えるだけの役目、という考え方。

この“発想”はとても面白いと思った。持ちにくいとか、不安定だとか、歪んでいるとか、そうしたことを頭から否定したりしないものの考え方や態度、とでも言おうか。

後半は実際に楽器を演奏する人たちの相談コーナーに突入。
平家琵琶、コントラバス、フルート、調律師さん、ピアノなどの楽器を演奏する人たちが、甲野さんに直接質問をして話を聴いたり。あるいは、甲野さんが実際に楽器を持って弾いてみたりといったことも。

その質問の内容は、主として演奏する時の姿勢や楽器に対する構え(フォーム)のことで、概ね無駄な力が入っているのではないか、リキまないようにするにはどうしたらいいか?といったようなところへつながっていく。

その際も、無駄な力が入っているかどうかというよりは、“糸電話の発想”を言っていたことが印象に残る。つまり、無駄な力は必要はないけれど、だからと言って、適度な緊張がなければ用を為さない、というような意味と解釈した。

ま、なにせ、初めての体験ということもあり、実際に目の前で見た甲野さんの動作や身体の使い方は、あまりにも動きの速いところや、素人ではよくわからないことだらけで、途中からメモも取り始めたものの、ちょっと不思議な世界を見ているような心持ちになった。

正直に言えば、現在、太極拳を学んでいる超初心者の私には、言葉は違っていても同じことを言っているのか、それとも全然異なることなのか、が判別できないようなところもあり。ちょっと混乱したところもあったと思う。

ともあれ、いずれもいわば“武術”なわけで、それぞれをきちんと見極める目が必要なのだろうと思う。というより、一つのことをちゃんとやることで、他が見えると思うから、なににせよ、日常的には週に一度の太極拳をやめるつもりはまったくないし、そのごくごく初心者の段階にいる私は、まずはゆっくりしっかり五功や八法を身につけていきたいと思っている。

かくて、二次会も盛況。甲野さんが還暦を迎えられたこともあったのだろう。大勢の人たちが残って、わいわいがやがや。

で、他にも誰かいるだろうと思っていたら、帰りは先生と二人きりになり、祝日前とあって混んでいる電車の中で、約30分くらいだろうか、ずっと話をして過ごす。

その内容は、古いピアノを調整する人のこと。いきなり阿部薫(sax)は同じ歳だ、とおっしゃり、即興演奏の話へ。即興は予想がつかないというところから、セロニアス・モンク(p)の演奏のことを話される。モンクの演奏のはずし方には仰天したそうだ。それで生意気にも動くモンクを観るととても面白いですよ、などと言ってしまう。また、カルメン・マキさんの歌は木を彫るようだ、と言う。そういえば、マキさんは言葉を刻むように歌われますね、と私。などなど、最後は現在の能楽には力がないという話や、世阿弥の花伝書の「花」の話で、時間切れと相成り候。



2月12日(木)  太極拳が少しずつ

午後、太極拳の教室。まったくできていないけれど、なんだか少しずつ面白くなってきた。初めて、自分の五感や意識が解放されていくような心持になった。

五功、それから八法。八法は五功がちゃんとできていないとできないということがよくわかる。「前を視る」ということがきちんとできない。一瞬、あ、できたかも、と一回だけ感じる。が、その直後、意識や集中力が弛緩してしまう。というようなことを、先生は確実に指摘する。すごい。

もっとも、自分も生徒にレッスンをしている時、その生徒がテキトーな気分でやっているのか、集中して自分の音を出そうとしているのか、というようなことは、窓の外を眺めながら聴いているだけでも、だいたいわかる。あるいは、演奏中、音楽の表面的な現れは普通に聴いていると大差はないように思えても、その共演者の内側の意識が変わったことなども如実に感じ取ることができる。

おそらく「意識」というものは、そんな風に、見たり、聴いたり、感じたり、することができるものなのだろう。「気配」というようなことも含めて、私はおそらくそうしたことを音楽から、即興演奏から、学んでいるように思う。




2月16日(月)  作業を観る

午後、私宅のピアノの調律に調律師さんが来てくださる。実際の調律の音が出るまでの約1時間半、これまで疑問に思っていたことを尋ねたり、その細かな作業をずっと観察させていただく。初めて見た部品や作業もあった。

実に細かなところに気を配り、作業に工夫を積み重ねていることが、よーくわかった。頭が下がる。音楽やピアノという楽器への愛情があることは前提として、根本的にプラモデルや器械といったものに即物的な興味がある人が、この調律師という仕事に向いているのだろうとつくづく感じた日。決して差別するわけではなく、どう考えても男性向きの仕事だと思う。鍵盤を引き出すのにもピン一つ締めるのにもかなりの力が必要だし、女性に向いている職業とは思えない。

さてさて、これでますます練習せねば〜。



2月17日(火)  値上がりラッシュ

映画『チェ 39歳別れの手紙』を観に行く。映画としては見逃してしまった『28歳の革命』のほうが面白いかも?貧しき者を助ける、そして革命・・・か。実際、その人の周辺にいる者たちや家族はおそろしくたいへんだ。

ということで、久しぶりに映画を観に行ったら、これまで3本観たら1本無料で観られるというシステムが、その倍の6本観ないとタダでは観られなくなっていた。

いつも買い求めている天然酵母のパンが一気に50円近く値上がりした。販売している店員の態度はいつも悪いけれど、いつにも増して無愛想に感じてしまう。

牛乳は一日一本。一日置きに牛乳屋さんが瓶で配達してくれるのをとっている。これもまたつい最近値上がりした。が、さらに今度は値段は据え置くものの、内容量を200mlから180mlに変えるという。再び実質的な値上げだ。

電話はNTT東日本を使っているが、ユニバーサルサービス料とやらが、ひと月6円から8円に上がるそうだ。そもそも民営化される以前の電電公社の時代に、確かえらく高いお金を出して電話加入権を得たのだけれど、思えばこの電話の仕組みもよくわからない。時代は大きく変わっているし。

すべてのものが値上がりしている。

にも関わらず、私たちの演奏料は20年前からまったく変わっていない。どころか、下がっている。春闘などというものもないから、まったく上がらない。

スポーツの状況も厳しい。企業が文化活動からどんどん手を引き始めている。ホンダはF1から撤退したし、西武は伝統あるアイスホッケー部を廃止する。などなど。

NHKスペシャルで『職業 詐欺』という「オレオレ詐欺」についての番組を放映していた。住む所もお金もない人間が「“出し子”(ATMからお金を引き出す、最末端の役割をする人)をやれば、明日2万円」と言葉をかけられ、犯罪とわかりながら引き受けてしまうというのは、この未曾有の不況の状態を物語っている。

GDPが大幅に下がったこの国のこうした危機的状況を、あのヘロヘロ会見をした大臣はほんとうにわかっているのか?と国民の誰もが思っても仕方ないだろう。それを黙認していた周辺の自民党の人間たちも、あの記者会見の場にいたジャーナリストも、いかがなものか?で、麻生総理も含めて、現内閣は失言自滅内閣か?と思っていたら、中川大臣は辞任。(後日、中川大臣が移動に使ったチャーター機の費用は4100万円だと報じられていた。)そして、かつて「自民党をぶっこわす」と言っていたコイズミさんは造反。



2月19日(木)  仇討

東京・国立劇場へ文楽『敵討襤褸錦(かたきうちつづれのにしき)』を観に行く。午後の第二部にあたる上演なので、午後2時半から休憩を挟んでで5時40分頃まで。

元文元年(1736年)に大阪で初演されたというこの話は、いわゆる“仇討もの”。今回の上演では最初の動機のところがはしょられているので、あらかじめ荒筋を知っておかないと物語に入り込むのが難しい。何故母が息子を殺すのか、婚約者が自害するのか、がわからなかったりする。

が、ま、それはそれとして、今回は座った席が大夫と三味線側だったので、私の視線は遠い人形を観るよりもどうしてもそちらのほうへ行ってしまう。というより、大夫と三味線の呼吸と音楽にほとんどの神経が注がれてしまった。この二人の“呼吸”がだいぶ感じられるようになった気がする。三味線はほとんど言葉を語っているかのように聞こえてくる。

前半の豊竹嶋大夫はやや感情移入し過ぎかも、と感じるところがないでもなかったが、すばらしい力演。とてもよかった。

後半の人間国宝・竹本住大夫はさすがの貫録。以前より少し声が出なくなっているような気がしなくもなかったけれど、前へ出ていくエネルギーよりも、堂々とした存在感と客観的なスタンスをとっているような謡い方が実に渋い。表現の表も裏も知り尽くしている感じだ。

住大夫さんは今年84歳!だそうで、思わず『なほになほなほ(私の履歴書)』(竹本住大夫 著/日本経済新聞出版社)を購入。大阪弁で書かれていて、それがとってもいい。そしてその内容もとっても面白い。このような環境で生まれ育った大夫は、これからの日本ではもう決して生まれることはないだろう。

夜の第三部は近松の世話物。『女殺油地獄』。す、す、すごい題名だ。現代において、時代物は、例えば主君に仕えるとか、命を捧げるとか、そうした信条(あるいは心情)を理解することがなかなか難しい部分があると思うが、古今東西、男女の中や金銭欲を扱った話は永遠だ(笑)。できれば、これも観に行きたいが、ちょっと時間を作れないか。



2月20日(金)  マキさんと

恵比寿・アートカフェ・フレンズにて、カルメンマキ(vo)さんと太田惠資(vl)さんとライヴ。この三人をベースにした新しいCD制作が予定されている。きっと独特な世界観にあふれたものになると思う。いいアルバムにするべく、いい演奏を残したい。

ちなみに、マキさんは今年デビュー40周年ということで、過去の音源をまとめたCDボックスセットの発売や、若い時に撮影された写真集など、いろいろな企画が目白押しとのこと。

終演後、そのレコーディングの話をして、最終の山手線に乗れず、渋谷からの深夜バスでなんとか吉祥寺までたどりつき、久々のタクシー帰り。



2月21日(土)  フルートな一日

午後、レッスンで生徒を一人みた後、美人フルート奏者お二人とリハーサル。おみやげに持ってきていただいた、なめらかプリンを食べるところから始まる、というのがなんともいい(笑)。

今回はクラシック音楽の畑で仕事をされている白川真理(fl)さんが提案された、クロード・ボリングがフルート奏者ジャン=ピエール・ランパルのために作曲した『フルートとジャズ・ピアノ・トリオのための組曲』(1975年)の中から2曲ほどやる。これらをかなり大幅にアレンジを変えたものでトライする予定。

その白川さん、ほとんど即興演奏などはしたことがないとおっしゃっていたけれど、なんのなんの、アドリブも即興演奏もどんどんいけそうな感じ。お話を伺うと、どうやら天田透(fl)さんからおおいに影響を受けたらしい。白川さん、開眼なるか?

白川さんとMiya(fl)さん、このお二人のフルートの音色はかなり違っている。というようなところもとても面白い。来週24日の大泉学園・inFでのライヴは、この三人に黒一点の男性フルート奏者も入り、四人でのなんとも“F”な(笛な^^;)一夜になりそう。




2月23日(月)  私なら

その最後。私なら演奏をやめて、ステージから降りていただろう。

ずいぶん昔、とにかく即興演奏が長くて耐えられなくなった私は、アコーディオンを演奏しながら、店の外へ出たこともある。もちろん戻ってきた。・・・その共演者はまだ演奏し続けていたけれど(笑)。

新宿・ピットインに、ルシア・レシオ(vo)とグザヴィエ・ガルシア(sampler)の演奏を聴きに行く。

前半はデュオで、おそらくコンポジション主体のもの。間の即興演奏はアドリブといった感じ。

後半は小川紀美代(bandoneon)さんと坂本弘道(vc,etc)さんが加わったセッション。おおまかな組み合わせは決めていたらしいけれど、そんなものは途中からどこへいったやらの様相。互いを探り合う時間も流れる即興演奏。その間を縫って、坂本さんが楽器を逆さにしたり、火花を散らしたり、ドリルを使ったり、といった“ジャブ”を入れていた感じ。

ガルシアさんはまるでピアノを弾くようにサンプラーを扱っており、その演奏姿は全然スタティックな感じではなく、身体はピアノを弾くような感じで動いている。'97年にハイナー・ゲッペルスが来日して行った音楽劇『或いは不幸なる上陸』に出演していたというから、私は以前に彼を観ていたことになる。

レシオさんはスペイン・アンダルシアの出身とのこと。フラメンコ歌手として出発したらしい。小柄な身体で、身振り手振りを使って、声を出す。ローレン・ニュートン(vo)のような、発声の技術を駆使するアカデミックなヴォイスパフォーマーという感じではないが、直感的体当たり的肉体感覚にあふれている。

そして、なんとなく懐かしい感じ。ターンテーブルでもサンプラーでもいいのだが、私にはほとんど'80年代の郷愁を伴って感じられる。'90年代前半、現在よりもはるかに容量が乏しいコンピュータは、とてもじゃないが、人間の声を取り入れることなどできなかった。これがなんとかなれば、と話したことも思い出す。

後半はガルシア以外にも、小川さんも坂本さんもエレクトロニクスを使っていて、サンプリングしたりしていた(?)と思う。その最後、レシオのヴォイスを取り入れた音源が、かなり長い間ループして全体を支配していた。これ、私はてっきり確信犯的に坂本さんが仕掛けているのだろうと思っていた。らば、どうやら、単に小川さんが自分が出しているとはまったく気付かずに放置していたらしい。最後はイライラが募って我慢し切れなくなったガルシアさんが、小川さんに耳打ちして音がやんで終了。



2月24日(火)  ふえ〜な一日

大泉学園・inFにて、白川真理(fl、竹笛)さん、Miya(fl)さん、天田透(コントラバスフルート、バスフルート、竹笛)、三人のフルート奏者と演奏。

白川さんの楽器は“ロット”というもので、約100年前のものとのこと。また、バスフルートは見たことも聴いたこともあるし、この楽器を演奏する人と共演したこともある。けれど、今宵、天田さんが演奏したコントラバスフルートというのは初めて見た。フルート奏者が「今日はピッコロも持っているから荷物が重いわ」なんて言ってる場合じゃない(笑)。とにかくバカでかい。地面にピンを立てて演奏されるもので、時折ディジュリドゥのような音色も出ていた。

前半はフルート奏者たちの組み合わせが主軸のプログラム。天田さんと白川さんののデュオでは、彼がこの日のために作曲したベースパターンを主体にした曲が演奏される。アドリブや即興演奏はほとんどやったことがないと言っていた白川さんは、好きなように気持ち良さそうに吹いていた。

前半の最後にはクロード・ボリング作曲の『フルートとジャズ・ピアノ・トリオのための組曲』から1番と7番を、白川さんとMiyaさんと私の三人で演奏。元曲からはだいぶ離れたアレンジだったかもしれないが、意図はぶれていないと思っている。

が、本番の演奏では少々の交通事故があり(^^;)。リハーサルではとても楽しかっただけに、あの感じをお客様に伝えることができなかったことがちょっとだけ残念かも。って、リハで盛り上がり過ぎたかも?(笑)

後半は、白川さんの1200年前の笛を復元したという竹笛の調べから始まる。なんでも日本最古と言われる奈良時代の竹笛で、「江平(えだいら)の笛」というそうだ。その後に、今度は天田さんがやはり竹笛を。その奏法や内容はほとんどエヴァン・パーカーのようだった。

このように、同じ竹でできた笛でも、その音色も奏法も世界観のようなものも、全然異なっている。ということが、とっても面白い。無論、それはこの三人の演奏者が奏でたフルートでも同じことで、楽器の音色などがまったく違うから、音楽は不思議なものだ。

それから、三人の奏者と私とのデュオ。

白川さんとはピアソラの曲をやる。始める前に、「約束は守りません」と言ったのは私(笑)。でも、約束ではなく自分を守っていた白川さんに、私はだいぶ歩み寄ったかもしれない。こういうところに性格が出てしまうのだろうなあ(苦笑)。Miyaさんとはパルスが速い即興演奏になったモンクの曲を。天田さんとは古いドイツ民謡に彼が新たにコード付けしたバラードを。後に、天田さんからはあの曲をあのように演奏をした人はいない、と言われたけれど、私にはあんな風に感じられてしまったのだから仕方ない(笑)。

終演後、ほとんど青春状態に突入(笑)。わいわい、ああだこうだ、と夜は更けて行く。

“足裏離陸”ということを言っていた白川さんからは、もちろん演奏する時の楽器の構え方や身体の在り様のことなどの話を伺う。ドイツの音楽大学で即興講座などを持って教えていたという、天田さんの即興演奏に関するお話は、クラシック音楽が即興演奏をやめてしまったのはたかだか150年前、今の音楽教育は間違っている・・・云々。あ、そういえば、「Betonung」(ドイツ語)についてもひとしきりあったっけ。などなど、興味が尽きない。

ちなみに、この日、白川さんは二本歯の桐の下駄を裸足ではいて演奏された。

それで、調律師さんも交えて、このお店のピアノに敷かれているインシュレーター(ピアノの三本足の下にあるお皿)のことにも話が及ぶ。ちなみに、この硬い木で作られているインシュレーターは、“ツジボード”と呼ばれている。この間の私宅のピアノ調律の際に、一番最初にピアノ用に作られた第一号(一度割れてしまってボンドで貼り付けられているけれど)は、ここに置かれている。

最後には、店に置いてあるコントラバスで、その調律師さんがコントラバス用(このボードが最初に開発されたのはコントラバスのためだった。現在、チェロのために開発中らしいが、なかなかうまくいかないらしい)に作った板を下に置くのとそうでない場合と、どんな風に音が違って聞こえるかを聴き比べてみる。挙句の果てには、桐下駄の上にも置いてみたり。身体に感じられる響きが違う、のだ。まことにマニアックなこと、このうえない楽しい時間が流れる(笑)。

かくて、まだまだ話し続ける様子のみなさんに別れを告げて、深夜3時過ぎに帰宅。駐車場に車を停めると、窓が開いて若き女性の声。テスト期間中の高校2年生の姪がまだ勉強していたのだった。ああ、こちらはほんものの青春真っ只中(笑)。



2月25日(水)  指が動かぬ

指が正確に動かない。ベートーヴェン、音を拾うのはブラームスの時よりずっと楽だ。けれど、音の粒が揃わない。えらいこっちゃ。まるで小学校か中学時代に戻ったような気分。ああ、へたくそ。修行、修行。



2月26日(木)  だんだん

午後、太極拳の教室。「五功」というのは“立禅”とも言われている。読んで字の如く、“座禅”は座って行う禅だが、これは立って行う禅だ。今日は五功はやらなかったけれど、これをやっていると、何も考えていないけれど、集中している時間を持てる心持ちになる。

今日やったことは「八法」。自分の保ち方、意識の持ち方、身体の感じ方、を意識する時間。さらに、決して止まらない動作、動きが淀まずに自然であることなど、だんだん面白く感じられるようになってきた。

夕方、いつもの整体に行く。ここに来ると、何故か耳鳴りがとても静かになる。そしていつのまにかすーっと眠ってしまう。極楽〜。

終わった後、この町のことについて先生と話す。地産地消のことや、この町が少しでも良い方向へ変わっていくといいし、動かしていきたいという話へ。

ちなみに、この町のゴミ問題。全国で唯一残っているダストボックス廃止問題に向けて、住民投票条例案が審議されることになっているらしい。(2/27の市議会で、来月の本会議に取り上げられることに決まったとのこと)



2月27日(金)  震える空気

大泉学園・inFにて、喜多直毅(vn)さんリーダーのトリオでライヴ。バンドネオン奏者は北村聡さん。私はこのトリオのサウンド、三人が織りなす、震える空気の肌ざわりや色彩感がとても好きだ。

いわゆるピアノ・トリオ(ヴァイオリン、チェロ、ピアノ)とはまたまったく異なる倍音が出ている気がする。それに、どうやら私はコードだのフレーズだの即興演奏だのといったことから解放されて、そうしたこととは別の次元で音楽を奏でているような気持になっているようだ。

なんというか、私には時々空気が霧のように細かく震えているのが見える。それはそこにほんわりと漂っていることもあれば、果てしない光の帯のような形状をしている時もある。ドス黒い塊のようになっている時もある。

そして、そこには、この三人でなければならないなにものかが潜んでいる。実はそれぞれが内側に抱えている“虫”のようなものが響き合っているのかもしれない?

終演後、今日のバンドネオンのピッチは442、けれどピアノは441(今週火曜日のフルート奏者三人のライヴでは、その約100年前の楽器“ロット”の本来のピッチは386くらい(?)ということで、通常442で合わせているのだけれど、少し低く整調したとのこと)云々・・・という話から、調律師さんと調律用語の「inharmonicity(非調和性)」の話をする。

私たちピアニストは、コンサートなどを行う際、主催者やホールの人から「ピッチはいくつにしますか?」と尋ねられる。ピッチというのはNHKラジオの時報の“ラ”、あるいはオンサの音、のヘルツ数のことを指し、今、日本では概ね442だと思う。クラシック音楽のオーケストラはもっと高く、海外では445だったりするらしい。逆に、ロックは440だったり、古楽はさらにもっと低くなる。

でも、これは数字の問題ではなく、ほんとうは、どういう内容の音楽をやるか、どういう楽器編成か、どういう人が演奏するか、そうしたことまで考慮されて、初めて音楽になる、というような話をする。

現在のピアノは平均率で調律されているのだけれど、実際は高い方の音はほんの少しだけ高く、低い方の音はやはりほんの少し低めになっている。それはもうビミョーーーなわけだけれど、そのビミョーーーなところが、何か化学変化のようなものを起こす気がする。それに、例えばピアノの場合、一つの音が2本の弦によって音が出る部分は、どちらかをビミョーーーにずらすと、音や響き(サウンド)がまったく変わる。

また、バンドネオンやヴィブラフォン、マリンバといった楽器奏者と演奏する場合は、その音色や音の成分、倍音などによって、それらとピアノのピッチの関係やバランスをうまくとることが大事、とも調律師さんはおっしゃっていた。ぴったり合わせればいいというものでもないらしく、そこもまた実にビミョーーーなところに違いない。とにかく、違う、というところが何かを生み出しているような。

ひいては、何が豊かさをもたらすのか?という人生哲学のようなところまでいくような話かもしれないのだけれど。

というわけでもないのですが、既に、ORTMusicのページでおしらせしているように、今春、二回に渡って『耳を開く』コンサートシリーズvol.2を行います。今回のタイトルは 〜東京弦楽宣言 「交響する非調和」〜 としました。二回通し券はたいへんお得な料金に設定しました。みなさま、ぜひおでかけくださいますよう!







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