4月
4月2日(木) ニャンコイン

昨日、今日と、絵本や子供の歌をたくさん作っていらっしゃることでその名を広く知られている、中川ひろたかさんが主宰するレーベルのCDための、ベーシックトラックのレコーディングに参加する。

ミュージシャンは、佐藤克彦(g)さん、渡辺茂(b)さん、松本照夫(ds)さんというメンバー。エンジニアは録音界の重鎮と言われる伊豫部富治さん。主としてジャズや即興演奏の世界にいる私にとっては、どなたも初めまして、なのだけれど、ポピュラーミュージック界では、みなさんそれぞれ相当なキャリアの方たちであることを知る。光栄至極。

佐藤さんは「オープンDチューニング」というギターのチューニングをされている。この響きがとてもすてきだった。ナチュラルで豊かな倍音が響いている感じ。渡辺さんはコントラバスもエレキベースも演奏される。ちょっと知的でやさしい雰囲気を醸し出している方で、別れ際に、「全然畑が違うんだけど、僕は斎藤徹さんが大好きだ」とおっしゃる。松本さんはバリバリの関西弁のブルースドラマーといった感じ。もしかしたら大阪の『春一番コンサート』で出会った、不良のまま大人になった愛すべきロック青年たちの中にいらっしゃったかもしれない。

サウンド全体を考えると、中心になっているのはギター。ピアノがベーシックな部分を演奏する曲もあったけれど、今回の私の役割はそこにはあまりないかも、と判断。こういう音楽の場合、音色や奏法の多彩さでは、ギターはピアノより遥かに幅のある柔軟な対応ができる。

というか、ギターで作曲されたものは、やっぱりギターなんじゃないかしら、と思った。ピアノで作られたものはやはりピアノ。バンドネオンで作られたものも、しかり。そんな気がしてならない。その楽器を手にした時点で、これから作られようとしている音楽の世界観が異なるように思われる。

録音された歌たちは、どれもなかなか楽しい。鈴木翼さんが作詞された“あそびうた”の数々。つまり、子供たちが歌いながら踊ったり遊んだりする歌、ということなのだが、すこぶる愉快。

この中川さんのレーベルは「ソングレコード」というのだが、これまで500円玉一個で買えるワンコインCD(3曲入り)を作ってきたそうだ。で、今回は1000円で6曲入りのCDになるそうで、すなわち、2(ニャン)コイン。ワンコインが犬のマークなら、ニャンコインは猫のマークなんだそうだ(笑)。

中川ひろたかさんのwebはこちら。



4月3日(金) 演出家不在

久しぶりに能楽関係の本を読み始める。『これならわかる、能の面白さ』(林 望/淡交社)という、初心者向けの本(^^;)。ちなみに、リンボウ先生の本を読むのは初めて。

能には演出家がいない。

世界中にはいろんな演劇があるが、唯一、能楽には演出家がいないのだ。それで思う。能楽とジャズ、この二つの出会いは、私の人生、また私という人間の在り様や考え方に、決定的なものを与えている、と。

ところで、定額給付金の申請書が送られてきた。母の分も助言をしながら母自身が書き込むようにしたが、この通知の記載内容、これではお年寄りはよくわからないんじゃないかしら?と思う。どうしてこう役所の書面はわかりづらくできているのだろう。日中、自分一人で読んでみて、質問事項があった母は、どうやら何度も市の担当部署へ電話をしたらしい。が、ずっとお話し中で、まったくつながらなかったと言う。

「振込口座を○○市に登録している場合は」という記述。「市税等」という言葉。私が愚か者かもしれないが、たとえば、私自身にしても、振込口座を市に登録したことがある、という憶えがない。確定申告の際に記述する還付金の口座のことでいいのだろうか?それに、おそらく税金の引き落とし口座ならある、と答える人はたくさんいるだろう。が、一般サラリーマン家庭の健常者で、市が自分の口座にお金を振り込んでくれる、という人はあまりいないのではないか?固定資産税は市税?国民健康保険税は国税?など、混乱しそうな感じは濃厚だ。

それに、なんだかものすごい手間と人手と税金が無駄に使われている気がしてきた。かくて、私の場合、このお金は温泉に消えることになったけれど。




4月4日(土) 山姥

国立能楽堂へ、“下平克宏 演能の会”の『山姥』を観に行く。初めて観た山姥はずっしりと感慨深く、堪能する。

最初に、狂言『茶壷』が行われる。シテは野村萬斎。詳しい内容はここには書かないが、シテはアドのセリフを微妙な間合いで反復して、さらにおかしみのようなものを出さなければならないから、その呼吸がなかなか難しいのだろうなと思う。萬斎は少しだけ現代的な感じで面白く演じ切っていたと思う。

ちなみに、隣の席に座っていたご婦人たちは、どうやら萬斎ファンらしく、萬斎の出番が終わったら、そこは空席に。ま、映画やテレビへの露出度も高い人だから、萬斎人気というのもあるのだろうけれど、そういう観客もいるんですねえ。

『山姥』は想像以上にすばらしかった。シテが登場するところでは、いかにもこれから何かちょっと不気味で不思議なことが起こりそうな感じの低い声が、「なうなう」と幕の向こうから聞こえてくる。姿はまったく見えない。やがてゆっくりと現れて、橋掛りを歩く。その橋掛りを渡り切るまでの張りつめた空気感はたまらな~い、のだった。無音。静寂。沈黙。「ああ、これが能だ」と思いだした瞬間。

下平さんの謡は、声の調子(トーン/私には中入り前と中入り後のトーンを少し変えているように感じられた)や、細かい節回しなど、非常に丁寧に稽古を積まれて臨まれたように感じた。また、中入り後、クセ舞からキリ舞へなだれこんでいくあたりの“序破急”は見事だったと思う。舞には歌舞伎の見得を切るような所作が随所に見られたが、私にはそれほど嫌味には感じられず、むしろ内実がきちんとうまっている気迫として受け止められた。

始まる前には、今日の演目の“解説”があった(普通はない)。上演中には座席の背面に取り付けられたモニター(飛行機の座席のような)に、詞章が映るようになっていた。パンフレットの中には感想などを書き送ることができる葉書が入っていた。

など、能を観たことがない人に対しても、行き届いた配慮があったと思う。この姿勢にも感心した。事務局がしっかりしているのだろうと思うが、下平さんご自身の、社会における能楽の在り方や関わり方の意識が明確に現れている結果ではないかと感じられた。

ところで、私が学生時代にやったのはクセ舞のほうだったが、いやあ、こんなに長くて重たかったのねえ、という感じ。それに謡の内容がなにやら抽象的、観念的、哲学的(仏教用語もたくさん出てくる)だと、あらためて思う。こんなものをよくやったものだ(苦笑)。

けれど、山姥、好きだなあ、と思う。何故こんなに惹かれるのだろう。山廻りをしている女、最後はどこへともなく去っていく、というだけなのだが。果たして、これはこのまま私自身のことか?

『能鑑賞 二百一番』(金子直樹 著/淡交社)によれば、

「山姥とは、山に住んで旅人を取って食うという鬼ではなく、神秘的な深山のたたずまいから想起される山岳信仰を含めた、大自然そのものの象徴。
また、山廻りとは輪廻を象徴し、絶え間ない苦しみを繰り返す人生そのものといえる。
そうした意味では、山姥とは人間存在そのものを表していると考えられる。」

また、この山姥で使われる能面については、

「一種類の能面を汎用することが多い能の中で、山姥は専用面を用いる。
その表から受ける印象は、優美とか柔和ではなく、鬼の持つ怖ろしい強さでもなく、また単に老女でもない。
強みと凄味がありながら優しさもあり、スケール感も持ちあわせている。」

と書かれている。

大学時代に習った先生は“四柱推命”をやっておられ、学生の仕舞をそれで選んでいたのだけれど(^^;)、それまで先輩たちなど誰もやったことがない、この山姥のクセ舞を、何故、先生は私の学生時代最後の仕舞にあてがったのだろう?・・・うんむう。

で、実は、下平さんは同じ大学出身で、しかも能楽研究会とは別のサークル、観世会に属されていた方だ。能楽師になったのは家元というわけではない。ちょうど今頃、新入生として大学のキャンパスを歩いていた時に、たまたま能楽のサークルに勧誘されたことが、その後の人生のすべてを決めた、そうだ。

これは私の後輩で能楽師になった人も同様。それで、いつか、この下平さんと後輩と、流派は違うけれど、一日に二つの演能を観るようなことが実現できると面白いだろうなあと思う。というか、そんな風に二人を応援したくなった。今回の笛の方にはちょっと首がかしげてしまったので、できれば、笛は一噌幸弘さん、大鼓は大倉正之助さんで。

で、囃子方は空気を決める、と強く感じた。一般に音楽は時間軸の芸術と思われることが多いが、そうではない。音楽は空間を作る、とあらためてはっきりと認識する。だいたい、シテの声が聞こえないくらいに、小鼓も大鼓も叩くか?(笑)って、それでいいのだ、と私は思う。(無論、状況によりけりではあるが。)

それが能なのではないか?少なくとも、能楽が私に教えてくれたことの一つだ、と思っている。つまり、みんな違っていて、それぞれがきちんと自律、対峙、拮抗して、そこに在るという在り方。

やっぱり能は面白い。



4月5日(日) 白いタイツ

良い天気。桜は満開。

坂本龍一の自伝『音楽は自由にする』(新潮社)を読み進めている。

彼が小学校に入学した時、みんなは学生服で黒の詰襟だったのに、自分だけ白っぽいブレザーを着ていたという記述に、思わず笑ってしまった。

どうでもいいことだし、比較するのも甚だおこがましいが、小学校の入学式の時、みんなは黒いタイツなのに、私は一人だけ白いタイツをはいていた。だいたいに目立っていけない。アルバムに写真が残っているので、その光景とその時抱いた自分の気持ち(嫌だった、恥ずかしかった、そんなものを穿かせた親に、どうして自分だけ白いのだと恨むような目で抗議した)は、いつまでたっても脳裏から消えない。

作曲をしたのも、私も幼稚園か小学生の初めの頃だったと思う。多分、歌、だった。たわいもない、「お山がきれい」とかなんとか。納戸を探せば、譜面が出てくると思う。

私は彼が最初に結婚した女性をたまたま知っているのだけれど、そっか、矢野顕子の時は、彼女をなんとか助け出したかったのか。私も誰か助けだしてくれないだろうか?(笑)



4月7日(火) 中古で

地元にある中古レコード・CD屋に、初めて足を踏み入れてみる。目的は、五輪真弓と三波春夫と藤圭子を探しに。

したらば、アルゼンチンのコーナーに斎藤徹(b)さんリーダーのCD『アウセンシャス』(小松亮太(bandoneon)デビュー前演奏入り)が1500円で。さらにジャズのコーナーに、黒京トリオの「 Do you like B ? 」がやはり1500円で。ああ、100円じゃなくてよかった。

・・・って、うれしいやら、情けないやら、思わず買ってしまいそうになって、なんだか妙な気分になる(苦笑)。って、「アウセンシャス」は手元にはもう1枚しかないから、ほんとに買ってしまうかもしれない。けど、地元で、誰が売り払ったんだーーー(笑)。






4月8日(水) 出発の歌

あらかじめ曲順を知らされることもなく、譜面を渡されることもなく、今日のライヴは行われた。そして、前半は谷川俊太郎さん、宮沢賢治の詩を、後半は中原中也と石川啄木の詩を、それぞれ採り上げたものになる。

詩、言葉の力、がとても強い。

そして、それらにメロディーを付けた人の思いや在り様は、決して揺らぐことがない。

かくて、アンコールで最後に歌われた「出発(たびだち)の歌」は、演奏者全員が口ずさんでいた。当時、この歌は、“関西フォーク”の人たちからは「商業主義」とこっぴどく批判された、と聞いた。

でも、私が小学生の時に聴いたこの歌は、学生運動が挫折し、閉塞感が色濃く感じられる時代の雰囲気の中、子供ながらも、これまでとは違う何か、をとても感じさせてくれた。それはほとんど一筋の光に近い輝きを放っており、時代はこれから変わる、という感じを受けたのだった。

今晩は、小室等(vo,g)さん、不破大輔(b)さんと演奏。不破さんが啄木の詩に曲を付けたという作品もシンプルで秀逸。小室さんもお気に入り。

打ち上げでは小室さんに少々詰め寄られる(笑)。「フリージャズ、って何?」などなど。なんだかあれこれ答えた記憶があるけれど、問題を“即興”というところまで話を持っていかなかったので、しかと対することができなかったかも。

で、別れ際の最後にひとこと。「私はフリージャズをやっているつもりはありません」と、小室さんに言う。フリージャズをやっているから、自分は自由かといえば、決してそういうわけでもなく、例えば小室さんと音楽を創っている時のほうが、私はずっと自由だったりする、ということだ。



4月9日(木) 点で座る

先週の太極拳の教室では、意識を外に置く(あるいは張る)ことの大切さを学んだ。が、これがなかなかできない。自分の動作や姿勢のどこが悪いのだろう?と思った途端に、意識は内側に向き、時々下を向いてしまう。ということに、やっと最近、少しは注意できるようになったかもかも、くらいの感じだ。

で、今日はいついかなる場合でも、五功の姿勢を守り続けることを教わる。これがもうまったくできない。他者から自分の顔の前に拳を突き出されると、自分の身体は揺らいでしまう。この時、リラックスしていて、抵抗をしない、力を入れない、というのだが、これまた全然できない。

終わった後、先生と音大を出た方とちょっとお茶をする。その際、ピアノの演奏法の話になる。椅子に座った時に、どこに意識をするか。先生曰く、股関節の隙間。そして身体を面で支えるというよりも、点で支えるという感覚を持つと良い、と。そこがしっかりしていれば、安定した姿勢で演奏できるという。ふんむう。

そしてすべての指先の意識を外へ外へと持つこと。これは太極拳の教室でもずっと言われていることだが、先生曰く「指先より先に意識をもち、目を前に向けて、動作を行う際に自分の筋肉を感じないように」と。ふんむう。

ううう、・・・この動かない指、特に左手、その動かない時点で、ダメな筋肉を意識している(苦笑)。



4月12日(日) 録音へ

カルメンマキ(vo)さん、太田惠資(vn)さんとのレコーディングに突入。

ほぼ一年前に初めて出会ったマキさんと、このような関わり方をするようになり、CDという作品を作るお手伝いをすることになろうとは、その時は夢にも思ってもいなかった。

ピアノはザウター。南ドイツのピアノだそうだが、初めてお目にかかるメーカーで、初めて演奏する楽器。なかなかの状態だが、すべてはいつもお願いしている調律師さんに委ねる。今回も、それはもう、とても助けてもらった。心から感謝。




4月13日(月) 録音2日目

カルメン・マキ(vo)さんのレコーディング、2日目。

ピアノのザウター君。その三本の脚の下に、特製のインシュレーターが敷かれる。この“ツジ・ボード”と名付けられた板は、さらに改良されていて、その威力たるや恐るべしかな。昨日とは別人28号になり、響きがまるで変わる。調律師さんのご尽力にただただ感謝するのみ。

ほんとうに楽器は生きものだ。これだけ質感が違うと、曲ごとにだいぶ感じが異なってくる。最終的にはトラックダウンが勝負、か。



4月14日(火) 中世の歌と踊り

昼間、生徒のレッスンを二人見てから、夜は雨の中を千駄木まで。古楽を演奏するクラシック音楽のユニット、アントネッロの“ファンキー・ルネッサンス・ライヴ”に足を運ぶ。

これは五夜連続で行われているコンサートの最終公演。リーダーの濱田芳通(リコーダー、コルネット)さんのご自宅の地下に造られた“鷹羽スタジオ”が、その建て替えのために取り壊されることになったため、感謝をこめてサヨナラのファイナルコンサートとのこと。

スタジオは天井が高く、会場にはパイプ椅子が並べられ、50人も入れば適度に人がいるような空間。後方にはワインやジュース、ビスケットなどのお菓子が机に並べられており、自由に飲食できるようになっている。なんともアットホームな雰囲気。

その空間の感じそのままに、このコンサートもとても温かく、楽しさに満ち溢れたものだった。途中におしゃべりもあり、会場内には笑い声が響き、演奏者と観客席はとても近い。およそ片苦しいクラシック音楽の雰囲気は皆無。

このアントネッロは、その濱田さんと、石川かおり(フィーデル)さん、西山まりえ(歌、中世ゴシックハープ、オルガネット)さんの3人が主要メンバー。今宵はこのほかに、プサルテリーやオルガネットを演奏する方やダラブッカなどを演奏するパーカション奏者、さらにベリーダンスを踊る方が加わって、にぎやかに、楽しくコンサートは行われた。

フランチェスコ・ランディーニやギヨーム・ド・マショーの曲などが演奏される。基本的に、そこには「歌」がある。言葉はラテン語だと思うが、内容はわからなくても、なんとなく懐かしい気持ちになるのは何故だろう。それに、ゴシック・ハープの響きを聴いていると、その倍音のせいだろうか、私はだんだん眠りに誘われた。どこか遠いところへいざなわれるような気分。

おみやげにCD『ナトゥラーレ』を購入。なんでも通奏低音(オスティナート)による即興演奏が入ったものらしい。売っている人が一番オススメだと言っていた一品。そして濱田さんや西山さんにはサインをしていただく。ついでに、もちろん、今度ちょいと楽器を持って、拙ライヴにぜひ遊びに来てください、とお誘いする(笑)。

この濱田さんは音楽一家でおられ、プロフィールによれば「我が国初の私立音楽大学、東洋音楽大学(現東京音楽大学)の創立者を曾々父に持ち、音楽一家の四代目として東京に生まれた」そうだ。だから、ご本人曰く、幼少の頃より、クラシック音楽以外は音楽ではない、という厳格な環境で育ったとのこと。とすれば、通奏低音でアドリブをかます、などというのは超ご法度だったに違いない。のに、やっている、ところに、ひどく共感してしまう私なのだった(笑)。



4月15日(水) 録音3日目

カルメン・マキ(vo)さんのレコーディング、3日目。

ゲストとして加わってくださる吉見征樹(tabra)さんが登場。スタジオ入口のとても小さなスペースに楽器をセッティング。演奏後、すてきな男の汗臭~い香りが充満する(笑)。



4月17日(金) ちょいと

門前仲町・門仲天井ホールにて、『耳を開く vol.2 東京弦楽宣言 交響する非調和』の一回目。黒田京子トリオにて演奏。

本番前にベートーヴェンのピアノトリオの練習をすることになっていたが、某人が霊によって、じゃない、例によって、現れず、流れる。私の2時間を返して~(笑)。

今宵は珍しくチェロ奏者ではなく、ヴァイオリン奏者が聞こし召しておられ、どうもいつもの感じとちょっと違う。即興演奏の後、チェロ奏者と私はもうここでテーマだろうという気配でヴァイオリン奏者を見れども、彼は次の即興演奏へ展開。などなどの感じは、どうやら聴衆の方々にも伝わったらしい。良いとか悪いとかではなく、今宵はこうだったということなのではあるけれど、なんとなくちょいともったいなかったような気分が残った一夜だっただろうか。



4月18日(土) 気分転換

気分転換に、車を飛ばす。藤野のレストランで食事。そこの畑で穫れた有機野菜がすこぶる美味。そして、温泉へ。身体が軽くなって、心も少しのんびりする。やっぱり私には時々自然の中で呼吸することが必要。



4月19日(日) 録音4日目

カルメン・マキ(vo)さんのレコーディング、4日目。

今日は佐藤芳明(accordion)さんが加わってくださる。イントロをお任せした曲で、決して同じアプローチ、演奏をしない彼の姿勢がすばらしい。



4月20日(月) 広大

午後、坂田明(as,cl)さんのリハーサル。坂田さんは初めましてのベーシスト、佐藤有介さんと。いっしょにやる理由は、佐藤君が坂田さんと同じ「広島大学出身」という理由のみ?(笑)にて、音楽的根拠なし。

ちなみに、その年齢は親子ほどの差がある。(坂田さんの息子さんはドラマー。最近、ユーミンのバックで演奏していた。今はちょうど中島美嘉のコンサート・ツアー中。その息子さんよりも佐藤君は年下になる。)

佐藤君、すこぶる真面目。予習はバッチリ。相当緊張していたようではあるけれど、さすが、広大の哲学科の修士を出ただけのことはある。ちなみに、その研究はフランス哲学。ロマネコンティ、否、メルロ・ポンティだそうだ。

広大出身といえば、フルート奏者の太田朱美さんも。彼女はなんでも“苔”の研究をしていたそうだ。坂田さんはミジンコの研究でも有名だが、なんだか一風変わった研究をした広大出身者はジャズメンになるらしい(笑)。



4月21日(火) 録音5日目

カルメン・マキ(vo)さんのレコーディング、5日目。とりあえず録音は終了。

今日は吉見征樹(tabra)さんと佐藤芳明(accordion)さんが参加して録音。詩の朗読のところのサウンドも面白くなる。全体の音楽のディレクションを担っているのは太田惠資(vn)さんだが、その太田さんも、このゲストのお二人も、その力を遺憾なく発揮されている。私は自分がやるべきこと、その時々の役割や関係のようなものを考えながら、録音に臨んだつもりだが、さてはて、全体はどんな感じになるだろう。



4月22日(水) TD1日目

カルメン・マキ(vo)さんのレコーディングのトラックダウン作業1日目。

夜は西嶋徹(b)さんと大塚・グレコでデュオで演奏。西嶋さんのコントラバスの音色はどこまでも温かい。うまく言えないけれど、自分のピアノの質感と合っている気がしている。



4月23日(木) 久々の

午後、太極拳の教室に出てから、夜は大泉学園・inFで、赤木りえ(fl)さんと初めましてこんにちわ、のデュオで演奏。りえさんはたくさんのフレーズを知っておられ、その音はまっすぐと感じる。で、久々のお客様一人。幸か不幸か、帰るに帰れないオンリー・フォー・ユー状態。いくつになっても集客力がない私(苦笑)。

でも、このinFのピアノ、すばらしく生まれ変わったようになっていて、とても驚く。先にここにも書いた、新しく改良された“ツジ・ボード”が大活躍。それに整調作業も少し施されている。キャンキャンしたような、耳障りな嫌な成分がかなりなくなっており、この型のピアノとは思えないような響きになっている。



4月24日(金) 何年ぶりかに

午前中の新幹線で、愛知県吉良吉田へ。名古屋からさらに急行で約1時間くらいかかるところにあるライヴハウス・インテルサットで、坂田明(as,cl)さん、佐藤有介(b)さんと演奏。マニアックな車で駅まで迎えに来てくださったマスターが経営するお店は、なんでも三十五周年だそうで、私がここで演奏したのはもうかれこれ15年前くらいになる。

リハーサルでピアノの位置やら脚元を整えたり、ベースアンプの向きを変えたり、いろいろ工夫して、3人のサウンドがもっとも良く聞こえるセッティングにする。ステージは床より30cmくらい高く造られていて、床との間は空いているので、こういう時、“ツジボード”が欲しいと切に思う。

演奏前にホテルに迎えに来てくれた若者がカー・ステレオで聴いていたのは、友部正人さんのCD『にんじん』。へえ~。今の若い人はこういうフォークソングを聴くのねえ。実際、周りは畑のような場所にあるこのお店では、地元の若い人たちのライヴをやったりして、ミュージシャンを育てているらしい。でもって、35年間やり続けているというのだから、それなりにたいしたものだと思う。

かくて、打ち上げにて、佐藤君は坂田さんから「現象学」という愛称で呼ばれることになる(笑)。

宿泊は海が一望できるところで温泉も付いていたが、当然真夜中に戻ったので、何も見えず、お風呂にも入れず、残念~。

翌日は暴風雨のような天気で、おまけに寒い。震えながら帰京。



4月26日(日) 熱帯ジャングル

昨日にうってかわって良い天気。“大人の遠足”にて、班長さんに従い、板橋区は高島平まででかける。事前情報では「熱帯のジャングル」としか聞いていない。かくて、御一行の目的地は板橋清掃工場から出る余熱を利用しているという、板橋区立・熱帯環境植物園。そこまで行くのに少し遠回りをして、遊歩道を歩き、川にぶちあたり、これが泥の川だと紹介される。そっかあ、この風景が「板橋区」で「泥の川」(いずれも、喜多直毅(vn)さんが作曲した曲の題名)なのね~。

で、おじさん、おばさんたちは、まず喫茶室で一服。お菓子を広げて、談笑。それから行動開始。地下にはミニ水族館があり、これがなかなか楽しい。まったくもって不思議な形態をしている魚やらイソギンチャクやらなにやらかんやら。そして熱帯ジャングルへ。これまた不思議な葉っぱの模様やら、色鮮やかな花々などを堪能。入場料220円で、これだけ楽しめて学べるのはすばらしいぞ。板橋区も捨てたもんじゃない。

それから、公園でワインを1本。みんなで少しずつ飲みながら、再び談笑。なんだかほんとに遠足に来ているような気分。昔の子供たちはやっぱり表情があるなあと思う。実は、この週末の愛知で会った若者の中には、まったく無表情の人が何人かいて少々驚いたところだった。こちらは爆笑しているのに、彼らはまったく無反応で、まるで心は死んでいるようだったのだ。が、そうした若い人たちと接する機会の多い佐藤有介(b)君曰く、「現実はもっと深刻ですよ」・・・うんむう。

そして、なんたって大人の遠足なので、最後は当然宴会へ突入。その様子を横目で見ながら、私は急遽やることになったカルメン・マキ(vo)さんのトラックダウンをやっているスタジオへ足を急がせる。

スタジオに着くと、吉見征樹(tabra)さんも来てくださっていて、低音問題は解決された様子。また、某曲が見違えるようになったという。みんなの力でいいものができあがりつつあることを実感する。私は最終電車に間に合うように帰ったけれど、エンジニアの人を含め、マキさん、太田惠資(vn)さんは深夜2時過ぎまでやっていたらしい。



4月27日(月) TD3日目

カルメン・マキ(vo)さんのレコーディングのトラックダウン作業3日目。

このレコーディングやトラックダウンを通して、ゲストのお二人を除いて、午後2時にはまずほとんど誰も演奏者は来ないので、その間、毎回ベートーヴェンをさらっていたのは私。そうでもしないと練習する時間を捻出できない。

トラックダウンの細かい作業を通して、マキさんの声も歌も、そして太田惠資(vn)さんのヴァイオリンの音色や奏法も、その“成分”のようなニュアンスがすばらしいと、あらためて感じる。それは上手いとか下手とかそういう技術的なことではなく、ピッチが恐ろしく正確だといったことでもない。もっと音楽の大事なことが、そこに存在しているという感じ。

多分どこにもないような作品になっていると思う。

そりゃあね、いろいろあったわけですが。太田さん曰く「難産」だったかもしれないけれど、その分のエネルギーはしっかり結実しているように思う。

実は、このような長期間及び長時間に渡るレコーディング作業を、私は耳を患ってから初めて体験したことになる。普段、ヘッドフォンで音楽を聴くことはまったくないし、のべつまくなし音楽を聴いているような環境は身につけていない。

だから、実際、午後1時か2時頃から最終電車で帰るまで、こんな風に耳を使うと、もう耳の下や肩がバリバリで、頭痛もしてきて疲労困憊状態になった。かなり限界に近い。この耳の状態で携帯電話で話したりなど、とてもできない。(ついでに。このレコーディング作業中、京王線及び井の頭線の人身事故に3度も遭った。さすがに夜11時半の事故にはしびれた。)

それで、最後のツメとなるマスタリングは、残念だし申し訳ないと思いつつも、すべてを太田さんにゆだねて、不参加にさせてもらうことにした。この最後の作業で、CDという作品はまたまったく別の仕上がりになる。さらに、凄腕を持った方がマスタリングをやってくださるらしい。「コテツ・マジック」と言うそうだ。仕上がりが楽しみ。




4月29日(水) ドー

ベートーヴェン作曲「ピアノ三重奏曲第三番」のリハーサル。第一楽章の冒頭の3拍の「ドー」。これをどう演奏するか。「ゥドー」となだらかに弾くのか?頭に少しだけアタックを付けて「ドッオー」と表現するのか?たったこれだけのことで、音楽が大きく変わる。そうしたコンセンサスをとっていると、時間はあっという間に経つ。とても細かいニュアンスのことだけれど、そうしたことを詰めていくのが面白い。それに、ピアニストの私には、そうした弦楽器特有の表現の仕方がとても勉強になる。では、私のタッチはどうすればいいのか?と自分が問われる。

私の左手は相変わらず蹄の状態。これまでまだ一度たりとも全部をきちんと弾けたためしがない。技術がないことはよくわかっているが、・・・困った。



4月30日(木) ふんむう

ごくたまに、自分の名前をweb上で検索してみることがある。ランダムに眺めているだけなのだが、今回、偶然に、こんなことを記述している文章に遭遇した。

これは今年の3月に井上郷子(p)さんのリサイタルを聴きに行かれた方が書いていたブログの記述で、ハンドル名はping pongさん。おそらくお会いしたことがあるとは思うのだけれど・・・。

(ping pongさんのブログのURLはこちら。
http://pingpong.vox.com/library/post/
とりいそぎ、勝手に、以下に引用します。)

「一方魔性とは違うが、井上さんの演奏は孤独を深めるために聴くのにいいなと今回感じた。私たちは普段は人との交流を楽しむことで孤独を意識しないようにしていると思うが、本質的には一人で生きている。そういう言わば都会の孤独のようなものを意識させられる思いがした。この辺りが例えば黒田京子さん(クラシックではなくジャズだが)の演奏と決定的に違うなと思う。黒田さんの演奏を聴くと人と手を握り合って和を築き合って生きていこうという決心が生まれるのに対し、井上さんの演奏を聴くと一人で静かに黙々と生きていこうという思いが深まるという感じだ。そこには寂寥感もさみしさもなく、ただありのままなのがまたこわい。」

ふんむう。いろんな感じ方があるものだなあ、と感心。







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