6月
6月1日(水) 脱力

5月末、あまりにも濃い演奏が続いた三日間を過ごして、外へエネルギーを放出してしまったのだろう。もう誰とも話もしたくないし、何も聴きたくない気分。どこか山の奥の奥の奥にあるような秘湯のある旅館に行って、そのまま住み込みで働いてもいいような。



6月2日(木) ジムが

夜、たまたま観ていた“日本映画専門チャンネル”で、ジム・オルーク(g)のインタビューが。これは珍しいと思っていたら、実際、こうしたテレビのインタビューを受けるのは2回目で、しかも日本では初めてだと、本人が言っていた。自分の生い立ちや、日本映画への思いなどを語っていた。

その後に放映されたのは、今村昌平監督『赤い殺意』(1964年)。白黒の映画で、カメラワーク、光の陰影などなど、その映像美が見事ですばらしかった。日本の村の因習の中で生きる一人の女性の姿を描いたものと言っていいと思うが、女優・春川ますみがしたたかに生きる女性を、身体を賭けて熱演していた。『楢山節考』など、今村監督の社会をみつめる視点と、その映画にも出演していた役者・緒方拳の目が、私には重なって見えてくる。



6月3日(水) 不思議な

夜、下北沢・leteへ、石橋英子(p,vo)さんのソロを聴きに行く。エレピを弾きながら、歌もうたう彼女の音楽は、ちょっと不思議な肌ざわり。後半に演奏した、アチコ(vo)さんとの新曲が深く印象に残る。



6月4日(木) 中国語

午後、太極拳の教室で、練功十八法(未病、予防のための中国式体操)。だが、今日はここで身体を動かすのはストップしてしまった。先生曰く、ダレていた。ということで、その後、その練功十八法をやる時に流れる音楽に付いている中国語を聴き取る、という流れへ。

普段、中国語になど接していないし、なにせ発音が難しいので、非常に聴き取りにくい。でも、おかげで、中国語の1から10までは言えるようになった。

「重要なのは、毎回、初めて行うように心を尽くすことです」とは先生のブログの言葉だが、これはそのまま演奏にも通じる。

夜は、大塚・グレコで、喜多直毅(vn)さん、北村聡(bandoneon)さんとライヴ。この三人が紡ぎ出すヴァイオリン、バンドネオン、ピアノ、という楽器のサウンドを、もっと広く、響きの良い会場で、自分が聴きたくなった。



6月5日(金) トラで

午後、地元でコンサートを、という打ち合わせに。で、11月に決定。私は内容のことを企画するだけで、制作には携わらないことになったので、だいぶ気が楽になった。うっしゃ、いい音楽を届けたるで〜。

ここのところ、私と同じように突発性難聴になった女性ピアニストの相談にのって、少しだけメールを交わしているのだが、その彼女のトラで、急遽、本厚木・キャビンで、井上淑彦(ts,ss)さんとデュオで演奏。

実はとても昔から存じ上げている方にもかかわらず、いっしょに演奏するのは初めて。なにせ、井上さんはいつも非常に美形な女性しか相手にされないので、よもや私と演奏するような日がやってくるとは思ってもおらず(笑)。

今宵は、主として井上さんの曲を中心に、私の曲も2曲ほど演奏。もし今後も機会があれば、井上さんとなら、もっと音色や色彩感や空間的な感じで音楽を創ることができる気がした。



6月7日(日) ウォッカ万歳

久しぶりに良い天気。昨日は父の命日だったので、午前中、みんなでお墓参りに行ってランチする。母がうれしそうで、うれしい。

午後、この春、東京競馬G1レース最後の“安田記念”をTV観戦。最後のコーナーをまわったところで、前に馬がたくさんい過ぎて、一番人気のウォッカはもうダメだ〜、と思っていたら、いやあ、すごい。なんとか間を抜けて、他の馬をぐんぐん抜いて、一等賞。すごい牝馬だ。




6月8日(月) うたとぴあのと

夜、門仲天井ホールの支配人と、コンサートのフライヤーを最初から担当してくれているデザイナーさんと、コンサート『くりくら音楽会』の打ち合わせ。次回からはテーマ性を持たせて企画制作をすることにする。で、この秋は、“うたとぴあのともうひとり”という感じ。

(出演者、日程など、決まり次第、webにアップいたします。)



6月9日(火) あやしい力

世の中にはあやしい力を持った人がいる。科学的根拠、はおそらくない。そんな力を持った人から、予期せずたまたま電話がかかってきて、受話器を置いて、しばらくしてから・・・。ちょっと痛かった腕のあたりが、ほわ〜っと温かくなってきて、あ、と直感する。ありがとう。



6月10日(水) 気づくこと

夜、甲野善紀さんの音楽家講座に行く。二度目の参加だが、今回も大勢の人たちが甲野先生を囲む。ドラムスをやっている人の質問に応えながら、甲野さんがスティックで打ったスネアの音のすごかったこと。

それに、これまで甲野さんに関わってきた人たちによれば、以前には見たことがない、新しい技が披露されたらしい。先回も思ったが、甲野さんは「○○ということに気づいた」ということをよく言われる。私はこの「気づく」というのも才能のうちだと思っているが、還暦を越えてもなお、こうやって気づき続けることができるのは、すてきなことだなあと思う。



6月11日(木) 平移運動

午後、太極拳の教室。左右、前後、上下、と自分の身体を平行に移動させる。これが全然できない。下半身や身体のバランス感覚のようなものが鍛えられる。

堀文子さんの画文集『命といふもの 第二集 無心にして花を尋ね』(小学館)を購入。病気を経て、さらに静けさを増しているような文章に胸がうたれ、いつとはなしに涙が流れる。堀さんもまた「気づく」力を持っておられる方だと思う。



6月12日(金) 新トリオ

夜、横浜・ドルフィーにて、坂田明(as,cl)さんの新トリオでライヴ。ベーシストは水谷浩章さん。一人、異なっただけで、音楽は大きく変わる。そしてそれは決して誰でもいいわけではない。というのが、こういう音楽をやっている醍醐味の一つでもあるかと。前世紀にデューク・エリントンが示したように。

約8年間続いた坂田さんのmii(みい)は、バカボン鈴木(b)さんと1回だけ演奏して、その夏には東北ツアーだった。今回もほぼ同様の感じ。つまり、今日のライヴで、一週間後には東北方面へツアーに出て、さらに今年は北海道も約3週間廻ることになっている。AB型のボスの直観力はすごい。



6月13日(土) キックバック

夜、巻上公一(vo)さんが総合プロデュースを務めている『第二回 JAZZ ART せんがわ 〜野生に還る音 親密な関係 生きる芸術〜』のコンサートに加わったライヴハウス、キックバックカフェで、カルメン・マキ(vo)さん、喜多直毅(vn)さんと演奏。

午後6時の入り時間には、まだ前のバンド、パスカルズが演奏中。午後7時半には開場予定なので、ごく短い時間の中で、サウンドチェックなどを済ませる。PAを担当してくださった方の対応に助けられる。

ピアノは初めてお目にかかる“Shigeru Kawai”というピアノ。ここにはピアノはないので、お店がレンタルしてくださったものだ。そんなこともあって、事前に、ピアノについてああだこうだと、まるで小姑のように少々口うるさくメールで注文したのは私だが、お店のスタッフと親しくしているという調律師さんが尽力してくださったことが、ちょっと弾いただけでよく感じられる。お店の方の誠意と調律師さんの愛情に、心から感謝。

演奏は約1時間半1本勝負。一睡もしていないという本番前の喜多さんからは全然生気が感じられなかったものの、いったん舞台に立てば、音は上へ下へと飛翔する。マキさんの声も客席に深く届いている感じ。温かいスタッフとお客様に囲まれて、いいライヴだったと思う。




6月15日(月)〜16日(火) トルコ元気

午前中の飛行機で広島へ向かう。カルメン・マキ(vo)さんと太田惠資(vn)さんと、オリエンタル・ホテルで演奏。たくさんのお客様に聴いていただく。トルコから帰ったばかりの太田さんのヴォイスは、さらに深みを増した感じで、ぞくっとする。ご本人曰く、にこやかに「トルコ元気!」。

終演後、打ち上げ。その後、通称ルーシーさんがやっているお店に、とても久しぶりに行く。ルーシーさんは以前と変わらず、筋金入りの耳と心を持っておられる。なんだかすごい。

明け方4時頃、ホテルに戻り、冷房で冷えた身体を温めてから寝ることにする。外国製のバスタブで、たとえば足の悪いお年寄りなどには相当つらいと想像される湯船の高さで、よいしょっと足を持ち上げて入る。

で、お風呂からあがって身体をふいていて、ちょっと足をふこうとかがもうとした瞬間、ギクッ。・・・やばい。生涯3度目のぎっくり腰をやってしまった。ああ、腰に手を当てながら、山の向こうに昇ってきたまぶしい太陽をみつめる私・・・。

正午にホテルを出て、飛行機に乗り、今回同行したデザイナーさんに紹介してもらった渋谷の整体院に、即刻その足で向かう。そこまで付き添ってくれた彼には心から感謝。最後にボキボキッとやられて、幾分楽になった感じ。やれやれ。



6月17日(水) 芯のある女性たちと

午後、秋に地元でやるコンサートの打ち合わせに行く。第1回目は町内にある老人養護施設のロビーでやることになっている。その施設に入居している高齢者の方たちのためのみならず、一般にも広く公開して行う予定。

コンサートの主催者は、実は私が通っている整体院の女性の先生。そしてこの老人養護施設の館長さんもとてもしっかりした感じの、元は病院の看護婦長をやっておられたのではないかと思われるような女性。こんな風に、芯のある女性たちと出会えるのはうれしい。

夜は上野・アリエスで、金丸正城(vo)さんと古西忠哲(b)さんと演奏。



6月18日(木) よりみちライヴ

船橋・きららホール(船橋市民文化創造館)主催「ちょっとよりみちライヴ」で、黒田京子トリオで演奏。

この「ちょっとよりみちライヴ」というのは、文字通り、夕方の買い物帰りやお勤め帰りに、ちょこっと寄り道気分で音楽などいかがでしょう?と、船橋市が広く一般市民に呼びかけ、ひと月に一回定期的に行っているコンサートだ。

だから、開演時間も午後6時半と7時半の2回で、しかも演奏時間は各回とも30分という短いものだ。1回目だけ聴いて帰ってもいいし、2回とも聴くこともできる。場所も船橋駅から直結しているビルの上階にあって、街の中心にあり便利だ。さらに、このコンサートに来てスタンプを集めると、他の主催事業のコンサート1回分を無料で聴くことができるようになっているらしい。

地方の自治体でこうした文化活動に取り組んで、しかも継続している(私たちは68回目!)というのは、私はとてもすばらしいことだと思う。それになにより、このコンサートのこれまでの出演者が尋常でないところがまことにいい。非常に幅広く、いろんな音楽をプロデュースしている。

というより、メディアやジャーナリズムの情報に寄りかからず、自ら足を運んで演奏を聴いたり、CDを購入したりしているスタッフの方たちがいる、というのがすばらしい。いわば自前のアンテナがあるのだ。でなければ、この黒京トリオがその網に引っ掛かるはずがない。

実を言えば、今だから書くが、この黒田京子トリオでは一般市民には非常に難しい、難し過ぎるのではないか、というのが先方の最初の意見だった。そこのところをけっこう無理に、半ば説き伏せる感じでぜひとお願いしたのは私だが、とにかく、こうしてトリオの音楽を聴いていただく機会に恵まれたことは、たいへんうれしい。

もっとも、このコンサートに対して、一般市民の人たちからは、知っている曲あるいはわかりやすい曲をやって欲しいという要望が多いとのことで、選曲に考慮して欲しいという要請はあった。私は、わかりました、と応えた。

・・・が、本番当日はやはりそういう具合にはいかず、曲ということで言えば、おそらくほとんどの人は知らない曲を演奏した。す、す、すみません。でも、音楽の本質はそうした選曲にあるわけではないので、どうかお許しください、という感じだろうか。

会場はけっこうデッドで響きがあまりなく、結局、ヴァイオリンとチェロにはマイクを通すことになった。先方の要望は、このトリオならぜひとも生音で、ということだったのだが、少し薄くリヴァーヴを入れる程度にPAは使うことになった。

ピアノの調律には、私がコンサートやレコーディングにいつもお願いしている方に依頼できたので、再び辻さんにお世話になった。そして、ここでもまた“ツジボード”(ピアノの足の下に敷くインシュレーター)が威力を発揮した。辻さんの説明を聴いている会場のスタッフの人たちのまなざしは、まるで大学教授の講義を聴いているような雰囲気だった。

こうして温かい、否、熱いスタッフの人たちに囲まれて、演奏は時にはハードに、時にはなごやかに行われた。いい音楽を届けることができたのではないかと思う。やはり、時々、外へ出ていかないとだめだな、と思う。



その後、

後日、アンケートの結果が送られてきました。

来場者数は1回目が264人(満席・立ち見状態)、2回目が184人(太田さんがMCで一所懸命「みなさん、ぜひ残って2回目も聴いて行ってくださいっ」と言っていたのが功を奏したか?)だったそうです。

アンケートに答えてくださった人たちはのべ165人。その中で、このコンサートに来たことが4回以上ある人は100人を超えています。

そのアンケートに書かれていたご感想やご意見は、おおむね良好で、これまでこういう音楽は聴いたことがなかったけれど、また聴きたい、と書いてくださっている方たちが多数いらっしゃったことが、正直、とってもうれしいです。



6月19日(金) この三人

夕方、整体に行く。ぎっくり腰はちょっとだけ楽になる。

夜は渋谷・公園通りクラシックスにて、喜多直毅(vn)さんのトリオ(北村聡(bandoneon)さん)で演奏。

熱く暴走する喜多君と、冷ややかな面持ちの北村君の間で、私は何をする人ぞ。今日はどこまでも行こうとする喜多君の綱をやや引っ張ったかも?「この三人」で創れる音楽、「この三人」が生きる音楽、そのことを考える必要があるように感じる、とバンマスには言ってみたりする。



なお、

今日のライヴの演奏を、YouTubeで観ながら聴くことができます。
お暇な方はどんぞ〜。

http://www.youtube.com/watch?v=e0L7s61oMQs

http://www.youtube.com/watch?v=aK4l7fde3Yc
(こちらの映像、まだ腰が痛い私がよくわかるかもおおお・苦笑)




6月20日(土)〜7月1日(水) 東北ツアー

坂田明(as,cl)さんの新しいトリオで、東北を廻りました。新メンバーはコントラバス奏者の水谷浩章さん。というわけで、移動はすべて水谷君の車で、レッツラゴーであります。

(今回はまったくメモをとっていないので、記憶の誤りが多々あるかも、です。なにせ、これを書いているのが8月初旬なので、ま、ざっと簡単に印象に残っていることなどを記しておきます。)



6月20日(土)

正午頃、坂田さん宅集合。

南浦和駅で、私のスーツケースの縦方向に付いている取っ手が切れてしまう。思えばもうずいぶん長い間いっしょに旅をしているケースなわけで、さすがにくたびれたのだろう。

しかし、リュックを背負って、もう一つ大きなバッグも肩から下げているという、なんともはやのいでたちなので、この取っ手が切れてしまったのはちと痛い。これまでは私宅の近くに住むバカボン鈴木(b)さんが、必ず私をピックアップしてくれていたのだが、これからはそうはいかず、途中まで自力。

かくて、坂田さん宅にて、水谷号から大きなアンプやかなりの数の譜面台などを降ろし、車の後部に空間を作ってから、荷物を詰め込む。今回はそれぞれ販売するCDがたくさんあるので、箱がいっぱい。荷物満載。燃費悪し。

外環道から東北道に入り、最初に目指す地は宮城県大崎市。新幹線の駅で言えば、古川駅だ。着いたホテルは会員になると少しお安くなるというので、その場で3人とも会員カードを作る。電気スタンドのようなカメラで撮られる光景が、なんだか妙でおかしい。

夕飯は地元の主催者の方たちに招かれて、美味な和食をいただく。二次会は醸室(かむろ)と呼ばれている、寛政2年から続いてる酒造店の酒蔵をリフォームして造られた、いわば“食”のテーマパークへ。

ここのメイン通りからは一番奥にあるイタリアンのお店「足軽」もまたなかなか美味。グルメな水谷君の講釈が爆発する。どちらかというと質より量だったこれまでのベーシストとはちょいと違う感じ。また、若いシェフがサックスを勉強しているということで、最後には坂田さんと少しだけセッションも。かくて前乗りの、美味な夜は更けていった。



6月21日(日)

「明日のランチに行きます」と言って、昼間、イタリアンのお店にマジに足を運んだのは私だけ。山盛りのサラダとパスタを注文。散歩しながらホテルに戻る途中、映画館も併設しているスーパーの広場で、ブラスバンドが演奏を披露中。なかなかサウンドがまとまっている。

後にわかったことだが、今晩のコンサートに関わっている方の中に、宮城県の学生たちがやっている吹奏楽部の育成に多大なる貢献をされている方がおられた。その方は現在もなおその中心にいて、熱心に指導しているそうだ。なるほど〜。

夜は、パレット大崎という多目的ホールで演奏。水谷君はアンプを2つ持ってきていて、会場に着いてから、その選択をしていた。その響きの微妙な違いに、神経をかなり注いでいる姿が印象的。

ピアノの調律は、自ら申し出てくださった、東北地方を廻る時にはいつもお世話になっている方が、準備万端やってくださっていた。今回のツアーでは、盛岡を除いて、すべての調律をやってくださることになっている。のみならず、というお話は、のちほど。

終演後、その会場内にあるレストランで打ち上げ。二次会は、もともとは秋田のご出身という方がやっている居酒屋へ。ここで、すばらしいものを聴いた。

主催者のお手伝いをされていた女性は、いわゆる“語り部”でいらして、まっことすんばらしい方言で、とても面白い話を聞かせてくださった。たいへん感動した。

日本語という言語がどれほど豊かなものであるかを、全身が実感したような時間だった。朗読というより、語りと呼ぶほうがまさにふさわしい。こうした語りの文化は、その“地”に根ざしていたことをあらためて感じ、そういう意味では関西で発達した浄瑠璃はかなり洗練され、形式化、体系化されたものだとあらためて思う。



6月22日(月)

オフ。主催者の方の中に、東鳴子温泉で旅館「大沼」を営んでいる方がおられ、その方の温かいはからいで、日中、その山の上にある別棟で過ごさせていただくことになった。

まず、女将さんが茶室で抹茶を御馳走してくださる。なんとも心が落ち着く時間。美しく、品のよい女将さんのたたずまいもとてもすてきで、あの肌の美しさはやはり温泉ゆえだろうか。歌舞伎の話や、堀文子さんのお話などをする。

その後、美味な昼食をいただき、露天風呂につかり、しばらく昼寝して、これでいいのか、これでいいのだ、なにしにきたのだ、これでいいのだ、という極楽の境地を3人でさまよう。

そして、一度仙台のほうへ下って、山形道を走り、山形・オクテットへ。山形駅の近くにある老舗のジャズ喫茶だ。ここで久々にミンガスとドルフィーの演奏を聴く。やっぱりすごい。何か根性が違う。ああ、自分はこれにひっかかってしまったんだなあ、としみじみ思う。

夜は山形の居酒屋でこれまたたらふくいただく。毎日こんなに食べていいのか?飲んでいいのか?普段まったく飲まない私だが、毎日ビール一杯飲んでるぞ。(そんなもの、飲んでいるうちに入らない、と言わないでくださいね。私には致死量。それでほぼ昇天できます。)

それから、南下して、高畠駅に併設しているホテルへ移動。



6月23日(火)

本番まで時間があったので、まずはほんの軽く温泉につかる。朝からけっこうおばさんたちがいたので、ちょっと驚く。その後、レンタサイクルを借りて軽くお散歩。ランチをゆっくりとってから、高畠ワイナリーやスモークハウスなどを見学。お土産も送る。

このワイナリーではコンサートも行われているようで、パンフレットには小室等(vo)さんのコメントも載っていた。ちなみに、私はワインよりドレッシングでお世話になっていることのほうが多い。

ホテルに戻ると、やはりレンタサイクルをして走りまくった水谷君がくつろいでいた。なんでも相当な距離を走ったらしい。夜の本番を控えて、私にはもはやそのような若い体力はないのだ〜。

夜は高畠町文化ホールのホワイエで演奏。「まほら カクテルコンサート」と題されていて、カクテルを楽しみながら、洒落たひとときを・・・というものらしい。い、い、いいのか、・・・いいのだ。

ホワイエは天井が高く、壁はガラス張り。サックスは響きまくり、全体のサウンドをつかむのがちょっと難しい感じ。ピアノは超小型のグランドピアノ。

終演後、この時間になるとほとんど店は空いていないらしいが、無理矢理営業してもらったらしいお店で。これまたなかなか美味なものをいただく。



6月24日(水)

ホテルをチェックアウト後、もと来た道、すなわち山形方面へ北上。途中で横道に入り、斎藤茂吉記念館の近くのお蕎麦屋さんへ。ここのお蕎麦、アタリ。“板そば”で、すこぶる美味。またしても食べ物の写真を激写する水谷君。

茂吉記念館には寄ることができなかったのはちょっと残念だったが、遊びに来ているわけではないから仕方ない。それにしても、JR奥羽本線に「茂吉記念館前駅」があるとは知らなかった。天国の茂吉とて、自分の名前が刻まれた駅ができるとは思ってもいなかっただろう。結局、どの地も観光事業に必死なのだろう。

そして、再び山形道から仙台に入って、一ノ関へ。インターチェンジを降りてまもなく、オートバックスへ。水谷号、今回のツアーにETC設置が間に合わず、実は出発したのが土曜日だったのだが、高速代は1000円にならず。浦和IC→古川ICは8000円だから、車移動のツアーには多大なる影響があるのだ。ということで、手を尽くして探してもらった結果、ここに一台だけあるというETCを搭載。

夕飯は駅前のお店で、ソースかつ丼をいただき、夜は一ノ関・ベイシーで演奏。よくわからないが、なんとなく自分の演奏はこの時に何かがやってきたような気がする。「ダンス」という曲で、思わず「ダンスのあとにしてね〜」と歌ってしまった私はなんだったのだろう?長いツアーの中では、正直、いろんな波があるのだが、どうも高波がやってきたような。

終演後は焼き肉屋さんで、みなさんとワイワイ。こんなに遅い時間に焼肉はダメでしょう、と思いながらも、箸は動いてしまう。メタボ対策で、夜8時以降は食べませんと約束した私は、無残にも粉々に砕け散ってしまった。ツアーに出てしまうと、まず守れない。



6月25日(木)

お昼に魚屋さんが経営するお店で、ちょうど仕入れてきたところだというサバの塩焼き定食をいただく。う〜ん、脂が乗っていてすこぶる美味〜。また、店主のはからいで、箱入りのうにが登場。これまた抜群においしい。

今日は一ノ関から海岸線沿いにある大船渡へ。なにやら新しく高速道路ができていて、途中でこれは行き過ぎているのではないか?と全員の意見が一致し、Uターン。水谷号にはカーナビは付いていないものの、携帯電話のカーナビが活躍している。されど、この道はもう何度も走っているので、カーナビは使わずにいたら、このようなことになってしまった。地図は10年前のものだし・・・。

ちなみに、ほんとに時代は移り変わっていると実感。この岩手県ツアーの最初(2000年)の頃は、確かまだ誰も携帯を持っていなかったのではなかったか?当然カーナビもなかったから、ひたすら地図だけが頼りの道中だった。その次のツアーから携帯電話は登場し、道に迷えば電話して聞けばいいわけだから、それはもう飛躍的に便利になった。そして、今や、GPS機能付き携帯電話のナビ、だもの。

大船渡では廣洋館というホテルで演奏。ここで演奏するのは、坂田さんの岩手県ツアーで5回目になる。一昨年はここのアップライト・ピアノが調律師さんの手で別人28号になって、まるで違うピアノに生まれ変わっていた。それだけでもとてもうれしかったのだが、今年は、なんと、そこにグランド・ピアノが!

調律師・只野さんがいつも乗っておられる車が駐車場に見当たらないので、どうしたのかしら?と思っていたら、乗って来られたのは軽トラックとのこと。つまり、ご自宅の工房から山道をお一人でグランド・ピアノを運んで来られたのだ。

・・・・・。は、は、運んだの?絶句。

私の如き者にとっては、どこに行っても信頼する調律師さんがピアノの調律をしてくださるというだけでも、もうとてつもなく有り難いことなのに、これはもう考えらない事態だ。

実は、この大船渡も、今週末に演奏する大槌も、アップライト・ピアノなのだが、いずれもどうやら私が2年前に弾いて以来、誰も弾いていないらしい。これらの楽器の状態を、あらかじめ下見までしてくださった只野さんが判断した上での決意だったようだ。はっきり言って、大赤字の仕事だろう。

正直に言えば、楽器の状態が良いことで、どれだけ演奏者が救われることか。今回のツアーで、腕や手首が全然痛くならず、身体への負担が少なかったのは、ひとえに只野さんのご尽力によるものだ。

感謝、の二文字、のみ。
私にできることはいい演奏を残すこと、のみ。

終演後、やんややんやの、アワビの踊り食い、殻付きウニなどなど、これでもかというくらいの海の幸を満喫。今夜もまたメタボや痛風の道へまっしぐら。



6月26日(金)

オフ。朝はゆっくりと過ごし、正午過ぎにゆっくり出発。途中の田んぼで、坂田さんはミジンコ採集。私は夕飯までゆっくり近辺を散歩する。夜は3人で、一昨年にも行った居酒屋で食事をする。その時も「今度ぜひ演奏で来てください」と言われ、今日もまた同じことを言われた。はい、早く呼んでくださーい。

その後、水谷君だけ「夜のパトロールをしてきます」と言って、数少ないピンクや黄色のネオンが光る路地へ消えていった。ここは遠野でっせえ、ダンナ。



6月27日(土)

午前中、遠野市立「とおの昔話村」へ一人で行ってみる。“語り部”のおばあさんが観光客を相手にお話を聞かせてくれる。それなりに面白かったけれど、このツアー初日の語りを聴いてしまった後では、どうにも味が100分の1くらい薄い。

正午過ぎに出発。約1名、かなりお酒臭い。昨晩は2軒ほどハシゴしたらしい。ので、坂田さんが運転する。ちなみに、自分の車を決して他人に運転させないベーシストと違って、今回のツアーでは水谷君と坂田さんはほぼ交互に運転している。

途中できびだんごを食べたりしながら、ほどなく大槌へ到着。今回も坂田さんの顔写真が大きく写っている、まるで選挙ポスターのようなコンサートのポスターがあちこちに貼られている。そして、ここにも白い軽トラックが。どうやらばらばらに分解されたグランド・ピアノは、ぎりぎりのところでエレベーターに乗ったらしい。

コンサート会場となるふれあいセンターには冷房がなく、暑い。それでも、その前列にはすてきなおばあさまたちがたくさん。扇子であおぎながら、にこやかな顔をして聴いてくださっている。とにかく会場の雰囲気が温かい。過疎化が進む小さな町だが、100人以上の方たちが足を運んでくださり、なごやかな感じに終始したのは、なんだかうれしい。

コンサートが終了して、グランド・ピアノがたくましい数人の男性たちの手によって運ばれ、なんと3階から階段をかけ声と共に降りてくる光景を見ていたら、もう、私はほとんど涙がこぼれそうになった。そして、それは見事に軽トラックに乗せられ、布団をまかれ、縄でしばりつけられた姿になった。調律師さんも、みなさんも汗だくだ。

終演後は、ジャズ喫茶クイーンで、多くのスタッフの方たちと打ち上げ。やっぱりグランド・ピアノは違うんだねえ、と何人もの方が声をかけてくださる。いつものことながら、手料理がとっても美味。



6月28日(日)

朝、ちょっとがむばって起きて、まずNHKの番組『ようこそ先輩』を見る。八代亜紀(歌手)が先生だが、ナレーションを坂田さんが担当されていて、これはものすごく良いから観るように、と言われていたものだ。事実、なかなか良かった。両親の顔を見ながら絵を描くとか、話を聴く、といった機会はあまりないと思われ、子供たちにはいい経験になったのではないかと思われる内容だった。

引き続き、テレ朝の番組『題名のない音楽会』を拝見。山下洋輔(p)トリオ結成40周年記念ということもあって、坂田さんや森山さんも出演。トリオの演奏は短かったものの、それぞれの輝きを失っていないものだったと思う。が、後半のほうの別のグループの演奏は、ちょっとうんむう?

で、午前中に、大槌にある東京大学海洋研究所の国際沿岸海洋研究センターを訪問。日曜日でお休みのところを、館長さんに丁寧に案内していただく。魚の年齢は耳骨でわかることは、一昨年にここを訪れた時にも伺っていて、驚いたことを思い出す。ほかに、ウミガメの生態の話もとても面白かった。こうした研究はほんとに地道なものだと感心する。

そして水谷号は再び遠野の辺りを通って、岩手県の内陸に向かい、高速道路経由で盛岡へ入った。夜はすぺいん倶楽部で演奏。本番前に食べたお蕎麦はいかがなものか状態で、ちと残念。ここでの演奏を聴きに来てくださった調律師・只野さんは、このお店は聴く場所によって響きが全然違うとおっしゃっていた。そっかあ。打ち上げはそのままお店で。



6月29日(月)

オフ。お昼に紅茶の店“しゅん”に寄る。私はそこでおいしいカレーと紅茶をいただく。他の2人はお蕎麦屋さんへ。

その後、信号がほとんどない下道を走って、花巻へ向かう。立ち寄ったのは、花巻ふれあいの里福祉会、こぶし苑パン工房「銀の鳩」 。知的障害者の人たちが作っているパンで、これがとってもおいしい。

それから、今回もまた大沢温泉・菊水館へ。かやぶき屋根の昔ながらの温泉宿といった風情で、川沿いには混浴露天風呂がある温泉旅館だ。今回はそのお風呂には入らなかったけれど。でも、女性専用の露天風呂が新しくできていたらしい。それを知らずに入らなくて残念〜。

夕方、調律師の只野さんがお土産を携えておみえになる。今回のツアーにはとことん付き合ってくださっている。たいへんうれしい。

夜はゆっくり。花巻の主催者の方、パン工房の所長さんと若いスタッフの方も交えて会食。



6月30日(火)

ツアー最後の演奏となるのは花巻。でもまだちょっと早いということで、ボスの命令により、水谷号は右折して、高村山荘・高村光太郎記念館へ。

終戦間近の昭和20年春、東京にいた62歳の高村は空襲でアトリエを失い、宮沢賢治の弟・清六を頼って花巻に疎開し、清六の家も焼かれると、この山深いところへ引っ越し、約7年間を過ごしたという。畳わずか3畳半と土間が少しの、小さな山荘だ。冬はさぞ寒かったろうと思う。

そんな風に散策してから、花巻・宮沢賢治記念館の近くにあるブドリ舎へ。先にリハーサルなどを済ませ、本番を迎えることにする。

ツアー最終日ということもあって、今回廻ったところ、すなわち山形、一ノ関、大船渡、大槌、盛岡、花巻、各所の主催者やお世話になった方たちが、あまねくぞくぞくと結集。お店の40周年、45周年、還暦お祝いなど、おめでたいことが盛りだくさん。

かくて、終演後はそのまま会場で宴会に突入。最後には古い映像を編集したスライドが上映される。若き日のみなさんの雄姿はまぶしく、あちこちで笑い声が響く。どこで見つけて来たのか、坂田さんとタモリさんの爆笑トークの映像もあった。

ここのピアノの調律も、もちろん。私は頭を深々と下げて御礼を申し上げる。



7月1日(水)

午前中にはホテルをチェックアウトして、帰路に着く。水谷君には無理を言って、私宅まで送ってもらい、夕方には到着。

このツアーでお世話になったすべてのみなさんに、心から感謝いたします。






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