8月
8月1日(土) 私の表れ方

夜、代々木・ナルで、アマチュア・ボーカリストの方たちと演奏する。私の演奏を長年聴いてくださっている方からは、ここでの私の演奏には他所では聴けないものがあると言われる。ふんむう、なるほど〜。そう言われれば、このような“関係”のもとに演奏することは、ここしかないかなと思う。



8月3日(月) 土のにおい

終日、庭掃除に明け暮れる。汗だく。土のにおいに命がを救われる心持ち。



8月4日(火) アマルフィ

映画『アマルフィ』を観る。まるで観光案内のようなシーンが続いたのにはなんじゃらほいと思ったが、やっぱりまだ行ったことがないイタリアにますます飛んでみたくなった。

女優・天海祐希の子持ち役はなんとなくリアリティに欠ける感触。佐藤浩一は緒方拳亡き後、私がいいなと思う役者の一人。

夜、NHKアーカイブスで放映されていた、「オフコース」を追ったドキュメンタリー番組を観る。

彼らはまずサウンドとリズムを作ってから、メロディーと歌詞を考える、という作曲の仕方にちょっと驚く。また、当時の彼らのレコーディング時間は、海外でのマスタリングも含めて、のべ800時間という。武道館連続10日間の公演ができるのだから、それくらいの費用は軽く捻出できるということだろう。それにしても、録音時間そのものは8時間にも満たない黒京トリオとは、えらい違いだ。



8月5日(水) 再会

会って話すのは約十年ぶりになる友人と再会。別れてからしばらく放心状態。私はとてもさみしかったことに気づかされる。人の幸せを願うことと、自分の内のさみしさは、鮮やかなほどに比例する。



8月6日(木) 汗だく

午後、太極拳の教室へ。全身汗だく。下半身が弱っている。腰痛を治すためにも、ちょいとがむばろう。



8月7日(金) デュオで

カルメン・マキ(vo)さんと、外苑前・Zimaginで、久しぶりにデュオで演奏。新曲もやったりして、マキさんは既に新しい方向へと動いておられるご様子。



8月8日(土) 短歌

阿木耀子監督作品の映画『TANKA』(2006年)を観る。それとは知らず、冒頭のホーミーは、これは太田惠資(vn)さんではないかしら?と思ったので、そのまま観てみた。らば、そういうことだった。音楽は宇崎竜童さん。

主人公の女性が愛した年下の男性は、アラブ音楽をやっているヴァイオリン奏者。官能映画ということらしいのだが、途中、ベリーダンスのショーのシーンでは、常味裕司(ウード)さんや、太田さん、吉見征樹(タブラ)さん、海沼正利(per)さんが、自前の衣装で演奏していた。

で、最後のクレジットを眺めていたら、太田さんの名前の横に、喜多直毅(vn)さんの名前も。

映画の内容はともあれ、その中でしばしば使われていたのは、俵万智の短歌。久しぶりに彼女の句に触れて、なんとはない日常の言葉たちがとても新鮮に感じられ、寺山修司の短歌を読んで以来の衝撃だったことを思い出す。

1987年『サラダ記念日』が出版された時はセンセーショナルだった。バブリンな当時、私は下北沢のお店で毎週金曜日に演奏していたのだけれど、その頃、よく行っていた喫茶店に彼女も来ていて、この短歌集の話をしたことを思い出す。



8月9日(日) 地震

昨夕の落ち込みから立ち直れず。夏はそうでもないと思っていたけれど、今年の天候のように精神はちょっと不安定。いよいよ更年期かあ?(苦笑)夜にはけっこう長かった地震。




8月11日(火) メロディー

渋谷・公園通りクラシックスにて、鬼怒無月(g)さんとデュオで演奏。今年5月に「きれいなメロディー、へんてこりんなメロディー」というテーマでライヴをやり、各々の自作曲は一切やらないという方向で演奏した時の感触が互いに良かったことが、今回のライヴにつながった。

少し新曲もまじえて、いい意味で無責任に、他人が作った曲を、自分たちが気持ちいいように演奏する。



8月12日(水) 遠見

夕方、ウォ−キングをしている時に、遠くで鳴る花火の音が聞こえる。昨晩に予定されていた多摩川・関戸橋の花火大会が台風で延期になって、今晩になったことを思い出した。それで気持のよい風が吹く中、自転車で多摩川のほうへ行ってみる。

遠くから見る花火も一興。打ち上げられている花火が見えてから、約7秒後に音が聞こえる。「伝わり方」というものはいろいろあるのだと、妙に哲学的になってみたり。そして、能楽の「離見の見(りけんのけん)」という言葉を思い出す。

余談。花火を設置するアルバイトをしたことがある某ミュージシャンの話。

打ち上げる花火の土台はしっかり作らなくてはならないので、基本的には地面に杭を打ったり、重い土のうで支柱を支えるらしい。つまり酷暑の中の、朝から晩までの肉体労働、だそうだ。

彼によれば、調布の花火大会は東京の西のほうではもっとも充実したものだそうだ。運営がしっかりしているらしい。

また、隅田川の花火大会には二度と関わりたくない、と言う。設置場所が川に浮かぶ巨大な筏(いかだ)で、杭を打てないため、ものすごい量の土のうを運ばなければならないらしい。しかも足もとが揺れる川の上で終日過ごすことになり、基本的にはどこにも逃げられないからたいへんだ。川面に風が吹くったって、その蒸し暑さや臭いたるや尋常ではないことくらい容易に想像できる。

食事や飲み物は、船が近づいて来て、そこから受け取るそうだ。トイレは我慢するか、川の中か、それとも汗になって一滴も出ないか?とにかく、打ち上げられている最中は、火の子を避けるために筵(むしろ)を頭からかぶって、耳栓をして、ただひたすらじっと耐えているそうだ。そして終わった後は片づけで、再び土のうを運び出す、ということらしい。そりゃもう、へとへとだろう。

夜空に放たれる美しい花火も、実に多くの人の力によって支えられている。



8月13日(木) インタビュー

エフエム多摩という、ローカル・ミニFM局の「ふれあい交差点」という短い番組のインタビューを受ける。来月末に南大沢で演奏する機会があって、その情報が網にかかったらしい。ということで、主としてそのコンサートの宣伝営業と割り切って引き受けた。

感じたことは、最近はインタビューする相手のことを調べるようなことはほとんどしないのかしら?ということだった。ま、ミニFM局だから仕方ないところは多々あると思うが、人とのコミュニケイションという点において、これでいいのかしら?と感じるところがちょっとあったのも正直なところ。

(なお、放送が予定されているのは、8月22日(土)午前11時から15分間くらいです。)

深夜、NHKで放映されているシリーズ「ブロードウェイ」を観る。ジャズの曲、いわゆるスタンダードナンバーと呼ばれるものとは縁が深いから、とても面白い。アーヴィング・バーリン(「ホワイト・クリスマス」などを作曲している作曲家)は譜面を書けなかったことを初めて知る。



8月14日(金) アイの活躍

午後、南大沢文化会館で現場打ち合わせ。会場は円形になっているので、自由に作ることができる客席と演奏者の位置関係を、もう少し工夫できないかと感じたが、指定席券は既に売り出されているということで、今のところどうにもならず。

夜は、金丸正城(b)さん、佐藤有介(b)さんと演奏。

お客様からリクエストされたけれど、譜面がない曲があったとする。さて、どうしましょ?これまでなら、その曲を歌手にうたってもらったりして、演奏者が曲を思い出しながら、紙にコード進行を書いたりしてきた。

が、今や、金丸さんの手にはi-phonとi-pod。

i-phonの画面に、その曲のコード進行がくっきりと。なんと、手のひらサイズのここに、ダウンロードした曲が収められているという。いわゆる“センイチ”と呼ばれるジャズのスタンダード曲集が、現在は700曲余り落とせるとのことで、検索すればその曲はパッと出てくる。

さらに、少しあやしげだったらしい歌詞のチェックを、金丸さんはi-podで歌を聴きながら確認されている。

ああ、時代だ〜。アイ、サマサマ。歌手の人は演奏者の分だけ譜面を持ち歩いているのだが、なにせ紙はやたら重い。そのうち、譜面もデジタル化、軽量化されて、私たちの前に置かれる日が来るのだろうか?



8月15日(土) 声のレクチャー

昨晩、たまたまweb上で知ったレクチャーに足を運んでみる。会場が以前よりちょっと気になっていた所、さらに、自宅から自転車で5分くらいで行ける場所という気軽さも手伝って、午後、おひさまが高い中、どれどれ、と。

これは徳久ウィリアム(vo)さんが行ったレコチャーコンサート。“倍音S”(ホーメイのグループ)にも所属していたことがある方で、トゥバ共和国にも何度も訪れておられる。以前より巻上公一さんの関係でお名前は拝見したことがあるが、実際に聴くのは初めて。

なかなか詳細、さらに具体的な内容を伴ったレクチャーで、全体で2時間余り。たいへん面白かった。これで1500円は安過ぎる。それに参加者がわずか8名、は非常にもったいない。お盆期間中ということもあるとは思うが、ま、地元の府中の文化度はこんなものかも?

最初はモンゴルの民謡。「これは“ツォンボーン”だろうな」と思ったら、やっぱりそうだった。ちなみに、この曲は“褐色の蹄をもった馬”といったような意味のモンゴル民謡で、モンゴルに行ったことがある坂田明(as)さんのユニットで、私は何度も演奏している。途中のコブシのところは、坂田さんがサックスを吹くと、ほんとに馬が鳴いているように聞こえる。

そうしたら、今度は参加者たちに実際に歌わせてみる、というやり方。モンゴルの唱法を真似て、コブシをきかせてみたりして、素人には絶対すぐにできるわけがないが、とにかく自分で声を出してみる、というのが、とってもいいなと思う。

レクチャー自体は「古今東西の際立った声」ということで、モンゴルのオルティンドー、トゥバの倍音唱法ホーメイ及びカラグラ発声、イラン(ペルシャ)のタハリール唱法、トルコの喉打ち、ヨーデル、さらに口琴、現代のデスメタルやノイズなどが、音源や映像を使いながら紹介された。

さらに、徳久さんは、舌はこんな風に上あごに付けるとか、こんな感じでイメージしながら喉を使うとか、ごく簡単に説明を加えながら、実際にその唱法で歌われる。そして時々私たちも声を出してみる。

ダブルヴォイス(とりあえず、こう表現しておくが)はやはり相当喉を酷使するようだ。実演されてから、少し声が枯れておられた。そういえば、ローレン・ニュートン(vo)もよく言っていたことを思い出す。

最後に、徳久さんがヴォイスパフォーマンスをされた。それを聴いていて、私自身も同時代的に影響を受けた、いわゆる'80年代のNYノイズ・ミュージックが、現在の音質や音色、音響といったことの発端になっていることを感じた。彼が出した声の中には、ジョン・ゾーン(as)が初来日した時に演奏した、夥しい数のマウスピースを机の上に並べて、とっかえひっかえピー、ぷう、ぶぎゃあああと吹いていた姿を思い出させるものがあった。

そして、一番最後には、喉を少し使いながら、ルイ・アームストロングの歌で有名な「What a wonderful world」を、サッチモから次第にトム・ウェイツに変化していく、というのを聴かせてくださる。途中で音色を変えたところで、思わず声を出して笑ってしまった。

こんな風に、最後に甘いデザート、みたいな一般市民への配慮をされる徳久さん。また、ヘビメタから派生したデスメタル、さらに最近はブルータルデスメタル(ブルータル=凶暴な)とも言われている音楽について、「こうした音楽をやっているのは、ほとんどが中流家庭の出身だ」というようなことを、やや自嘲的に話されていた徳久さん自身に興味を抱く。

なお、このレクチャーは調布のピアノ調律師さんが主催されたものらしい。世の中にはアクティヴな調律師さんはけっこういるものだ。調律は倍音を聴き取ることでもあるから、興味を抱かれたのだろうか?そんなこんなも、いろいろ尋ねたきこと多々あれど、なんとなくそのまま帰宅する。



8月16日(日) 家代々

三鷹市美術ギャラリーで、今月末から10月半ばまで、『世界をめぐる吉田家4代の画家たち』という企画展が催される。この4代目にあたる吉田亜世美さんは、木版画の削り取られた木片を使って作品を作ったりしている。また、美術では難しいと思われる、その制作過程を定着させるようなこともコンセプトとして試みている。

吉田亜世美さんのwebはこちら

彼女は高校時代の同級生。その凛々しい姿に励まされる思い。それにしても、4代目とはいえ、亜細亜の亜、世界の世、美の美、だかとうかは知らないけれど、よく見てみるとすごい名前だ。また、彼女のパートナーは年下の能面打ち。

ところで、代々と言えば、今夏、黒田家は3代にわたって泥棒に入られたことになった。なんとまあ。

日本映画専門チャンネルで『二十歳の原点』を観る。中学生の頃、バイブルのように持ち歩いていた本が映画化されたものだ。高野悦子は最後に自殺することを選んだわけだが、ある種の純粋さや孤独感のようなものが、当時の私の胸に突き刺さったのだと思う。多分、その棘は今でも自分の内にある。




8月17日(月) えびさま

「えびさま」とは「えびちゃん」にはあらず、市川海老蔵にて候。

まさに、旬。そして、そこには、華。海老蔵は1977年生まれ、現在32歳。

新橋演舞場で行われている八月公演、新作歌舞伎『石川五右衛門』を観に行く。

作:樹林伸、振付・演出:藤間勘十郎、監修:奈河彰輔、脚本:川崎哲男、松岡亮。出演している役者は、海老蔵のほかに、中村七之助、片岡市蔵、市川猿弥、市川右近、そして、えびさまの父上、市川團十郎、などなど。

「歌舞伎は自由だ」(パンフレットの作・樹林伸の文章中)と繰り返し言い、「これまでにない石川五右衛門を演じてみたい」(脚本を書いた方たちの文章中)と去年の正月に言っていたという海老蔵は、気迫のある力演をしていたと思う。

“一声、二顔、三姿”が歴代の海老蔵ということらしいのだが、まさにその通り。目に力があり、そのお姿にはオバサンでも惚れ惚れする。

間に30分さらに20分という休憩は入るものの、午前11時の昼の部が終わるのはほぼ午後2時30分。同日、午後4時30分から始まる夜の部もある時が、全公演中11日分もあり、8日の初日から27日の楽日まで、合計で31公演。

これをすべてやり通すのは、体力的にも精神的にも、相当たいへんだ。中腰でにらみをきかせて“型”を決める、激しい立ち回り、動きをこらえるような日本舞踏などなど。その身体の所作をじっと見ていると、ますますそういう気持ちになる。お酒を飲んで演奏している最中に寝てしまう、というようなことが許されている某世界との違いはあまりにも大きい。まあ、それも人間、なのだろうけれど。

また、新作ということで、その話の筋の奇想天外な感じ、さらに随所に見られる斬新な演出も面白かった。かなり現代的、平成の石川五右衛門、という仕上がりになっていたと思う。

たとえば、一幕目で、五右衛門は修業を積んで、伊賀の忍術を取得するのだが、その際にはまるで引田天功ばりのイリュージョン・マジックが目の前に。立ち回りをしている最中に、そこにいたはずの五右衛門が舞台上から姿を消していて、どこにもいないのだ。あるいは、二幕目で、團十郎が演じる秀吉と話を交わしている場面で、重要な役割を担っているキセル(煙管)がパッと消えたりする。

さらに、二幕目で、五右衛門と秀吉の側室・茶々が恋仲になるシーンがある。そこでは、まるで現代劇のようなキス・シーンはあるし、二人で舞踊をするシーンでは、スローモーションになっている。歌舞伎で、こんなスローモーションなどはかつて観たことがない。

さらに、そのスローモーション舞踊の時に奏でられている音楽には、歌舞伎では聴くことができない楽器の音が施されている。実に細かい配慮がされており、音楽は通常の歌舞伎のそれのほかに、義太夫語り、長唄など、かなりバラエティに富んでいる。

三幕目の大詰。金のどでかいしゃちと闘うシーンでは、海老蔵は吊り上げられたりして、やんややんや。一番最後には花道のほぼ真上辺りで、つづらを背負った海老蔵が宙吊りになって、にらみをきかせて、空を駆け巡るようにして消えて行く。ちなみに、誰もが知っている“釜ゆで”のシーンは、全体の一番最初にドッカーンと見せられる趣向になっている。

五右衛門のセリフにも、現代語が使われていたところもあり。「バーカ、てめえらなんぞに・・・」みたいなセリフとか。

といった風に、こんなことは通常の歌舞伎では絶対やらないだろう、という作り方で、えびさま人気も相俟って、若い人たちにも充分楽しめるものになっている。

なお、この演出を手掛けているのは、1980年生まれ、29歳の藤間勘十郎。彼はweb上に自分のブログを持っていて日々のことを書いているが、そんなことも歌舞伎を一層身近に感じられるものにしているようにも思う。ほんのちょいと昔には考えられなかった状況だろう。

うーん。観終わった後、思わず唸ってしまった。特に、こうした新作歌舞伎を観ると、歌舞伎という芸能がいかに貪欲で、ごった煮であるか、というより、そういうことができる幅の広さを持っているか、をつくづく感じた。それはまるで20世紀に生まれた「ジャズ」のようでもあるけれど。

とにかく、“今”を生きている。話自体はさしたる深みはなけれども、こうした向こうを張ったエンタテイメント性は歌舞伎ならではのものだろう。

おそらく能楽や文楽では、こういうことはできない。能楽の面(おもて)、文楽の人形。そもそも根本の表現形態が既に抽象化されている芸能だし、抱えている内容がもっと内面的、観念的と言えよう。

いずれもいわば日本の元祖ミュージカルと言ってもよい側面もあると思うが、音楽と語りが重要な役割を果たしていることや、役者と音楽の関係は、歌舞伎のそれとは大きく異なっている。言葉の問題はとりあえず外に置くとして、歌舞伎のほうがやはりより“芝居”である点において、世界の演劇の要素を多く取り入れたり、現代的な演出を思い切り施すことができるのだろう。

ちなみに、無論、能楽にも新作はあるし、文楽ではちょうど来月、シェイクスピア原作『テンペスト』を、『天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)』とした新作が公演される。これも観てみたいと思ったが、予定がかなわず。

若い、力のある、いい歌舞伎を観たと思う。もう一度観たい、と思わせるものがあった。



8月19日(水) ラテンな笑顔

午後、松田美緒(vo)さんと齋藤徹(b)さんと顔合わせ、打ち合わせ。10月に予定されている『くりくら音楽会vol.6』のために。

なにせ、テツさんは旅から帰ってきたばかりで、すぐにコロンビアへ演奏に行くというし、美緒ちゃんは9月から一か月ちょっとブラジルに行ったまま帰らないというし、私も9月は三週間ほど旅に出る。ので、とにかく会って譜面をもらったりして話をする時間を持つことにしたのだ。

私はポルトガルや、ブラジルなどの音楽には詳しくはないが、南米音楽を25年間聴き続けてきているというテツさんと、ポルトガル語もスペイン語もまるで母国語のように話し歌うことができる美緒ちゃんは、なかなか気が合ったような雰囲気。ほとんど親子ほどの年齢差はあるのだけれど。

話している途中で、私もテツさんも耳がつらくなるような喫茶店を選んだ私が悪かったが、なんとなくラテンな笑顔で10月の再会を約束する。



8月21日(金)〜22日(土) 空気が

ちょっとだけ八ヶ岳へ。行きも帰りも渋滞に遭って車の運転はたいへんだったが、八ヶ岳はやっぱり空気が違う。こよなく好きだ。

帰りがけに寄った“ひまわり畑”では、ちょうど結婚式が行われていた。へえ〜、暑いけど、生涯の思い出だろうなあと思う。



8月23日(日) 生音で

伊勢原音楽院で、坂田明(as,cl)さん、吉野弘志(b)さんと演奏。全員、生音で。昨晩は大阪で「非常階段」というバンドの結成30周年ライヴで、耳栓をしながら演奏したという坂田さんは、今日の音響の状態とのあまりの差異に、「自分は何をする人ぞ」と笑いながら話される。


8月24日(月) なんとまあ

先週だっただろうか、自宅のCATVの器械の調子がちょっとヘンだったので、J-comに電話した。

で、まず驚いたのは、「この会話を録音させていただきます」というアナウンスが流れたことだった。それから担当者が電話に出て、丁寧な言葉遣いで話す。次に驚いたのは、これから2時間以内には係の者が行く、という対応。

さらに驚いたのは、修理の人が来たら、まず、インフォームド・コンセントよろしく、なにやら「お願い」と書かれている一枚の紙を渡され、よく読むように言われたことだ。

そこには、たとえば、作業時間中は必ず立ち会ってくれ、子供やペットが作業現場付近に立ち入らないようにしてくれ、作業中には若干の騒音や振動を伴うこともある、家具などを移動することもある、貴重品や現金などはあらかじめ作業所周辺から移動させてくれ、といったようなことが書かれていた。

最後には、作業場所に汚れやキズはないか?移動した家具などは元の位置にあるか?作業内容についての説明はきちんとあったか?などの項目にチェックを入れて、署名することになっていた。

これほどまでに、会話を録音するとか、書類に目を通したり、確認書に署名したり、といった手続きをしたのは初めてのことだった。ので、やはりそれなりに丁寧な言葉を使って話していた作業員さんに、「そんなにクレイムをつける人がいるんですか?」と尋ねれば、「そうなんです」とのこと。 そう・・・って、あなた、もう少しきれいな靴下を履いてきたほうがいいかもお?(^^;)

なんとまあ、なんという時代なんだろう、とつくづく。




8月26日(水) トランク

午後、トランクシアタースタジオ公演『手紙』を観に行く。1993年頃から音楽監督して関わってきた小さな劇団・トランクシアターは、知らないうちに2007年に解散していたのだけれど、今回、あらたに劇団の名称を変えて、再出発することになったらしい。

今回の芝居は宮沢賢治の小品をコラージュしたもの。いつものように舞台造りはシンプルで、今回は特に能舞台を意識したものらしいことはすぐにわかる。衣装、小道具などの作りものも、音楽や歌や演奏も、すべて手作り。全体としては、これまでのトランクシアターの演劇の流れを引き継ぐもののように感じられた。

私がトランクシアターのメンバーと初めて出会ったのは1980年代後半のことで、自分が主宰していた“ORT”というユニットに、当時は千田是也率いる“ブレヒトの会”の女優だった人を歌手として招いたことがきっかけだった。だからそこから数えれば、既に20年以上の月日が流れていることになる。

主宰者は来年には還暦を迎えるというし、彼女も50歳代半ばになり、体力の衰えや記憶力のあやうさをひしひしと感じているらしい。セリフを忘れはしないだろうか、ということが不安だと話していた。時は流れる、ものだ。なんだかしみじみ。

夜は、代々木・ナルで、澄淳子(vo)さん、佐藤芳明(accordion)さんと演奏。二人は初めまして、の出会い。

年齢の差は無論大きいが、澄さんが普段歌っている昭和歌謡曲や60年代ポップス、さらに山口百恵の歌などを、佐藤さん(1972年生まれくらい?)はほとんど知らなかった。どうやらいわゆるテレビの歌謡番組や洋楽などは、ほとんど通っていないらしい。

が、さすがの才能で、それぞれの曲を弾き分ける。それに、服部良一や宮川泰といった作曲家の息子さんたちの仕事には、けっこう携わっているとのことだった。というところも、また面白い。



8月27日(木) 原初的な

午後、太極拳の教室。「五功」をやっている時、もう足はがくがく。「八法」は全然できない。修業が足りない私。

夜、新宿・ピットインへ、ウーゴ・ファトルーソ(pf)さん、ヤヒロトモヒロ(per)さん、そして、ゲストとして2ステージ目から登場した松田美緒(vo)さんのライヴを聴きに行く。

ウーゴさんとヤヒロさんには、一昨年の『くりくら音楽会』に出演していただいたのだが、このデュオはすっかり気心も知れていて、なによりも彼ら自身が音楽を楽しんでいる雰囲気が伝わってくる。ウーゴさんが時折見せる笑顔は最高。

後半は美緒さんが入って、若い花が咲く。この3人でレコーディングを終えたばかりとのことで、美緒さんは若干声が疲れているような印象も受けたけれど、なんのなんの、3人ですてきな音楽を届けてくれた。

一番最後、ウーゴさんもヤヒロさんも太鼓を叩き、美緒さんはマイクを通さずメロディーを歌う。それを聴いていて、とても原初的な音楽の在り様をまのあたりにした思いになる。音楽はこれでしょ、みたいな。

したらば、何故か、私の脳裏には黒田京子トリオのことが浮かぶ。ヴァイオリンとチェロとピアノでっせ・・・。なんと合理的に作られ、制度化された楽器を使って演奏していることか。他人のライヴを聴きに行くと、自分のやっていることを客観的に視ることができるのがいい。

ちなみに、松田美緒さん、斎藤徹(b)さんとの三人で、『くりくら音楽会』(10月15日)で演奏します。今日の美緒さんとはまたちょっと違った側面というか魅力を聴いていただけるコンサートになるやも?とにかく、まだまだ若い、未知にあふれた彼女と、25年間南米音楽を聴いて来たけれど、自らがそれを演奏することはほとんどなかったというテツさんが出会います。どうぞおでかけください!



8月28日(金) 音の粒

夜、大泉学園・inFで、黒田京子トリオでライヴ。冨樫雅彦さんの曲を採譜したものをあらたに2曲ほど演奏する。来年、このトリオで、冨樫さんへのトリビュート・アルバムをなんとか録音したい。

終演後、調律師の辻さんとみんなでしばし話を交わす。

演奏前に、辻さんが調律以外に施した作業があったであろうことは、弾いてからすぐに感じられ、そのことは1ステージ目終了後にすぐに辻さんに伝えたのだが。その作業の話。

また、太田惠資(vn)さんや翠川敬基(vc)さん、お二人とも口をそろえて、「今日のピアノは違うと感じた」とをおっしゃる。ピアノの音が壁にならず、塊になって聞こえて来ない。音の粒がひとつひとつクリアに聞こえてきたので、ピアニッシモからフォルティッシモまで、とてもやりやすかった、というのだ。

さらに、11月にinFで予定しているソロのライヴについても言及され、お二人からはいろいろ意見をうかがう。

「ピアノの音色は、弾き手の指が弾き分けるものではないか?」と友人から言われたのは私だが、そのことについて、お二人は「自分たちはいつもやっていることだ」と少し強い口調で言う。

ったって、私だって、毎日違うピアノを弾くわけで、実際はほとんどそうしたことに神経を注いで、大袈裟に言えば闘っているといっても過言ではないと思っている。私はなにも調律師さんにすべてを頼っているわけではない。

ただ、ピアノという楽器の場合、調律師さんという存在はほんとうに重要で、「二人でその日の音楽を創っている」という意識は、どうしても私の中にある。このようなピアニストと調律師の、特に“現場”での関係というのは、他の楽器ではあまりないものだろう。

とにかく、この前半と後半のピアノの状態を変えて演奏するというライヴ。話しているうちに、実は、何のために、どういう目的でやるのか、がちょいとわからなくなってきた。はっきり言えることは、私は別に啓蒙活動をしたいわけでは決してない、ということだ。

ので、もう一度しっかり考えを定めて、当日は私の音楽をしっかり届けたいと思う。いずれにせよ、話は非常にトリビアル、微妙。言い方を変えれば、オタッキー。かもしれないのだが、ピアノという楽器のこと、自分の演奏方法、指のタッチ、音色などなど、演奏家としての自分が新たにピアノに向き合う、いい機会だと考えている。興味のある方はぜひご予約ください!



8月29日(土) シェー

午後、友人のグループ展『第29回 BOL5th展』を観に、銀座・美術家連盟画廊へ足を運ぶ。友人とその旦那様も会場にいて、しばし談笑する。ライフワークとして、絵を描くことをやめないでいる彼女の姿勢をすてきだなと思う。彼女が描く、人物が真ん中にいる暖色系のアクリル画は、グループ展の中でも光を放っていたように思う。

その後、松屋銀座で行われている『赤塚不二夫展』にも足を運ぶ。土曜日ということもあって、老若男女、超満員。グッズ売り場も大混雑。

私が赤塚さんの漫画に接したのは、テレビで放映されたものがほとんどだ。小学校の頃に祖父が撮影した8ミリビデオには、いとこ全員で「シェー」をやっている映像が残っているくらいだから、やはりものすごく流行したのだと思う。

会場の出口付近には、著名な人たちによる「シェー」の写真や漫画が飾られているのだが、そこにひときわ黄色いジャケットを着て目立っているおじさんが一人。先の東北ツアーの時に「シェー」の練習をしていた坂田明(as)さんの写真だ。ほかにも、山下洋輔さんや、タモリさん、坂本龍一さんなどなど。

その中で、おそらく、写真としては坂田さんだけ足が逆だったような。漫画では秋山ジョージさんも逆。つまり坂田さんや秋山さんは右足が軸足になっている。他の人たちは左足が軸だった。

ちなみに、男性の大事なところにヤツデでの葉っぱをあしらった全裸の赤塚さんの写真は、左足が軸。けれど、この展覧会のことを報道しているテレビで流れたアニメの中で、ピンクの背広を着たイヤミは右足が軸だった。

って、「そんなことはどーでもいいのだ!」と、バカボンのパパに言われそうですが(笑)。



8月30日(日) ステージ・ドア

1980年代後半から90年代初頭にかけて、私は毎週金曜日、下北沢の本多劇場の地下にあったお店「ステージドア」で、ハコで演奏していた。ピアノはアップライトで、たいていはベースとのデュオ、時々ヴォーカルが入ることもあった。ちなみに、この時に知り合ったお客様の中には、今でもライヴに来てくださる方たちが何人かいる。

当時、このお店には芝居が終わった後の役者さんたちがけっこう飲みに来ていた。マスターがもともと俳優だったこともあるが、下北沢という町が“演劇”の町として立ち上がり、それが定着しつつある勢いがあった頃でもある。

さらに、日本がもっともバブリンだった時代とも重なる。地下にあったお店の、地上につながる階段に並ぶ人たちが絶えることがなかった風景を、今でもまざまざと思い出す。そして、だんだん来る人がいなくなってきた、さみしい光景も。

今だから笑って書くこともできるが、いっしょに演奏していたレギュラー・ベーシストが、自分の結婚式を挙げた翌日に別の女性と失踪した時は、そりゃあもうご近所中(←いかにも下北沢らしい)たいへんだった。そんなら、結婚なんかするなーーー。

思えば、ここで、私も人生のなんたるかをずいぶん勉強させてもらったと思う。薄暗い厨房の裏のねずみが走っているような所で、ビール箱に座って食事をしたことだってある。ピアノはもちろん調律されていないことがほとんどだったが、ここで私はたくさんのジャズのスタンダード曲を覚えた。

その時のお店のマスターが昨日亡くなったとしらせを受ける。たいへんかなしい。お別れ会には私は北海道の空の下にいて出席できない。遠くから冥福を祈ろう。






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