5月
5月1日(土) 音が聞こえる話

午後、青山・ウィメンズプラザホールで、NPO法人・国際ストレスマネージメント協会ジャパンのイベントで演奏。この協会は、老舗のジャズクラブ、代々木・ナルで知り合ってからもう長いおつきあいになる、精神科医・丸野廣さんが代表をつとめている団体。

『日日是好日〜「お茶」が教えてくれた15のしあわせ〜』(森下典子 著/新潮文庫)というエッセイを、著者自身と小川桃子さんが朗読する。もちろん文章は選択・抜粋されていて、全部で75分くらいのものに、私が音楽を付けた。

二人ともすてきな着物をお召しになっている。和服の色彩は、なんとすてきなことだろう。それで、なんとなく私も和風な装いにしてみる。

このエッセイには、森下さんが“お茶”を習い始めてからのできごとが書かれていて、うつろう季節の中で、ご自身がいろんなことに気づいていく過程がきめ細かに書きこまれている。

そして、音が聞こえてくる。なんとなく、間(ま)も感じる。匂いも、少し。

ので、音楽のイメージはどんどんふくらむ。調律をしてくださった辻さんにはあらかじめお断りして、少々内部奏法も。無論、柔らかい布や、柔らかいマレットを使って演奏する。かつ、用心深く、言葉との距離をはかる。説明的にするところはベタに、あとはできるだけ寄り添わないように、空間を感じながら音を放つ。

夜は打ち上げ。やはりまだあまり食べられない。おいしそうなイタリアンを前に、哀しいかなの、お腹かな。(4月末、京都で激しい腹痛に見舞われました。)



5月3日(月) 祭り囃子

私が住む東京都府中の5月の連休は、毎年、大きなお祭り。今夕は、参道になっている並木道を、馬が駆け抜ける。ほかに、地域ごとの囃子方が乗った山車がたくさん出る。にぎやかなこと、このうえなし。

小さな子供もいるし、それにけっこう若者が参加していたので、この町も捨てたもんじゃないかもと思ったりもした。が、神輿をかついでいる義理の弟の話だと、「若い奴らはサボッていて、ちっとも担いでくれない」のだそうで、彼の肩は真っ赤に腫れ上がっているらしい。

夜は中華でお粥。少しだけ八宝菜など。



5月4日(火) アインシュタインの眼

NHK番組『アインシュタインの眼』で「太極拳」の特集をしているからぜひ見なさい、と先生からメールが入っていた。ので、見てみた。

教室で言われていることが、科学的に、目の前にデータや映像になって、はっきりわかった感じ。司会の古田(元野球選手)も驚きながら言っていたが、東大などの研究室では、あそこまで人間の筋肉の動きや重心の取り方などが鮮明にわかることに、私もくりびつてんぎょう(=びっくり仰天)。

太極拳では「実」と「虚」ということがよく言われるが、その「虚」の姿勢になった時、「虚」になっている身体にはほんとうに全然力が入っていないことがよくわかった。仮に、相手から攻撃を受けたとしても、それを受け流して、一瞬のうちに攻撃に転じる動きなどもよくわかった。

その他、氷の上で、他人から押されても決してバランスを崩さない身体などなど。

なかなか楽しめた番組だった。



5月7日(金) やっと

やっと家の掃除をするくらいの気力が出てきた。お腹に力が入らないと、どうにもやる気が起きなくていけない。



5月8日(土) 庭園

東京都庭園美術館で行われている『ロシア構成主義のまなざし〜ロトチェンコ&ステパーノワ〜』に足を運ぶ。ロトチェンコ(1891-1956)、その妻であり芸術上のパートナーでもあったステパーノワ(1894-1958)の、革命(1917年)より後、主として20年代〜30年代前半の作品を観ることができる。

それぞれの作品の趣は異なっているが、その表現方法は多岐に渡っており、油絵、版画、スケッチ、演劇へのオブジェ提供、デパートなどの宣伝ポスター、写真などなど。時代的には、カンディンスキーは彼らの一世代前、という感じだろうか。

美術館は昭和8年(1933年)に建てられた朝香宮(あさかのみや)邸をそのまま使っているとのことで、アールデコ調の内装や照明なども、展示作品と共に楽しむことができる。

庭園では多くの人が芝生でくつろいでいた。日差しと風が心地よく、久しぶりにのんびりした気分になる。

夕方、神保町へ出て、最後はラドリオで、喜多直毅(vn)さんと、次回のデュオ・シリーズ『軋む音』の打ち合わせをする。

ラドリオは妙に落ち着く。学生時代、さらに出版社に勤めている間はしょっちゅう行っていたから、もうかれこれ30年くらいの月日が流れていることになる。店は半分の広さになったが、すべては昔のままなのがいい。されど、コーヒー、未だあまり飲めず。まだ完全復調していないお腹の感じ。



5月9日(日) 母の日

午後、母に、妹とケーキで感謝。後、東京競馬場へ行き、G1レース鑑賞。晴れた日の競馬場は気持ちよい。「あの馬のお尻はダメよ」などと言う母の発言に、隣にいたおじさんが思わず笑った。



5月11日(火) 金山

指がなまるといけないので、バッハなどを少しずつ練習しているが、「金山」は難しい。



5月13日(木) 指を伸ばす

午後、太極拳の教室。「指を伸ばす」これができない。腕も手も力を抜いて、指先だけに集中される内側の力のようなもの。振り返れば、日常生活において、指を曲げることは多いけれど、伸ばすことは案外少ない。おそらく、音楽家にはおおいに役立つ“意識”、あるいはストレッチだと思う。

先週新しく習った『練功十八法』の第六套、顔のマッサージや内臓のマッサージについては、いわゆるツボ(中国では「穴位(けつい)」と言う)が、そもそもどこか?がわかっていないと、話が始まらない。このツボがまだ的確にわからない。

さらに、強く何回も押せばいいかというと、そういうことはまったくなく、やり過ぎると、顔などは歪むから注意しなさいと言われる。そういえば、お腹のマッサージをやり過ぎると、おならとゲップがたくさん出るから注意するように言われていたのを思い出す。・・・って、やり過ぎていた私。

何事も、過ぎたるは及ばざるが如し。

夕方、身体が冷え切っていることに気づき、三鷹の温泉へ。冷たい風が吹いていたこともあったとは思うが、どうも身体が温まらない。リフレもやってみたが、私はやっぱり中国式足裏ツボのほうがいい。



5月14日(金) 待つ

午前中、母に付き添って病院へ。検査結果を聴くだけだったが、予約時間の約1時間後に呼び出される。なんともはや。

先週、この検査を受けた時の母は、非常に不愉快そうに話をしていたことを思い出す。検査室の若いお姉さんの態度が、きわめて事務的で、愛情のかけらもない感じだったらしい。彼女に限らず、毎日毎日、同じことをしている病院従事者は、おおむねそうなってくる、というところだろうか。

そうした現実と比べて、6日(木)に観たNHK番組『ヒューマンドキュメンタリー/88歳 里山の医師〜静岡市清沢・最後の50日〜』は、“医療”あるいは“地域医療”がどうあるべきかについて考えさせられるものだった。この地域に密着した医師の在り様は、やはり医者だった明治生まれの祖父のようでさえあった。現代の都会の病院のそれとはまったく異なっている。



5月16日(日) 蜜月

15日25時、日本映画専門チャンネル・ATGアーカイヴ『蜜月』(橋浦方人監督/原作 立松和平/1984年)を観る。当時、主演の佐藤浩一は24歳。

音楽は山下洋輔(p)さんが担当しており、全面的にフリージャズが流れる。最後の方にはは麿赤児(舞踏)などとのジョイント・コンサートの模様が映し出されている。

ただ、ライヴ演奏は山下さんではなく、原田依幸(p)さん率いるバンドで、ほかに、藤川義明(as)さん、故板谷博(tb)さん、山崎幸一(b)さん、安部正隆 (ds)さん。原田さんがしゃべるぎこちないセリフに思わず笑ってしまった。山下さんはコンサートの観客として、1秒間くらい映っていた。

また、いったい何年ぶりだろうか、伊勢丹の裏にあった時の新宿・ピットインを見た。



5月17日(月) 髪切り

一年二ヶ月ぶりに髪の毛を切って、パーマをかけた。だいぶ軽い感じになる。

このお店には立派なJBLのスピーカーがあって、BGMにはレゲエかジャズしかかけない。私が行くと、いつも気を遣ってくださってジャズにしてくれるのだが、ジャズだと妙に勉強してしまう頭になってしまうので、別にジャズじゃなくていいです、とお願いする。

でも、今日聴いたフィンランドのピアノ・トリオのCDで演奏されていた「枯葉」は、AABC形式の32小節とすると、2回目のAの部分がGmからEmに変わるアレンジになっていて面白かった。また、全員70歳くらいの人たちが演奏しているというレゲエ。リズムが重くて、これもまたすばらしかった。

という風に、髪の毛をいじられながら、耳は聴いてしまうのは、ほとんど職業病か。



5月19日(水) 春や母にちなんで

昨夜リハーサルした“宿題トリオ”のライヴ。今回で二回目になる、喜多直毅(vn)さん、蜂谷真紀(vo)さんとの演奏で、毎回必ず“お題”にちなんで新曲を書く、あるいは持ち寄ることにしているので、ごく一部の方面で、このような名前が付けられているらしい。

私は新曲ができなかったので、久しぶりにブレヒト&アイスラーの曲を提案する。私の“うた”の原点の一つだと、あらためて思ったり。否、はたまた、私しゃ全然進歩していないということか?



5月20日(木) メモリアルな

『くりくら音楽会vol.7』、春の2回目。今宵は、詩人の谷川俊太郎さんと、ピアニスト谷川賢作さん親子が出演してくださる。

つい2〜3日前に、俊太郎さんの「で、黒田さんは演奏しないの?」のひとことにより、私も俊太郎さんと少し共演させていただくことに相成り候。いっしょにやる詩は、私が選んでかまわないというので、急ぎ、10cmの厚さの詩集など、家にある本のページをかたっぱしからめくった。そこには約35年前の俊太郎さんのサインがある本もいくつか。

結局、3つほど提案して、そのうちのどれかを、とお願いしたのだけれど、「全部やってみたい」というご本人のお申し出により、全部やることになってしまった。このような時間をゆるしてくださった賢作さんに心から感謝。

ということで、自分の気持ちや動機に正直な詩を選び、それぞれの方法論もおおまかにたてて、後半のステージの最初に共演させていただいた。

こんな日がおとずれることを、私は想像だにしていなかった。なんてすてきな日。生涯忘れられない、メモリアルな日になった。

会場にはたくさんのお客様。前半はやや雰囲気がかたかったかもしれないが、後半からは空気がちょっと変わった感じで、終始、なごやかなムードになる。

俊太郎さんの「詩めくり」は、366日の日めくりならぬ、一日ごとに詩が書かれているもので、お客様の誕生日にちなんで朗読されたりする時間も。会場には笑いがあふれる。

間のおしゃべりも、俊太郎さんと賢作さんのかけあいや間合いが楽しい。お二人が創り出す世界はとても温かい、人間味にあふれたものだったと思う。

やはり、俊太郎さん、“言葉”に力がある。すばらしい。平易な文章やさりげない言葉に、やわらかい光とともに、素直ないのちへの賛歌を感じる。日々の生活へのまなざしはやさしく、なにげないこと、なんでもないことが、とてもいとおしく感じられる時間を贈ってくださる感じ。

でも、その出発点は「二十億光年の孤独」だ。そりゃもう、どんな思いを抱えてこれまでの78年間を生きてこられたことだろうと思う。

「悲しみはむきかけのりんご」

今でも、この文章は、胸に突き刺さる。高校生の時に出会って涙したこの一文が、歳を重ねても私の中に生きているかぎり、多分、私はだいじょうぶ。って、ボケたらあきまへんが。

僭越ながら、俊太郎さんの朗読は昔にくらべればはるかに上手になられていると思った。でも、上手い、下手はどうでもいい。自分の書いた言葉を自分が語る。その説得力は、俳優やアナウンサーが他人の文章を朗読するのとはまったく異なることがよくわかった。

俊太郎さんはご自身の詩を読む時に「詠む(よむ)」と書かれるが、振り返れば、平安の和歌の時代から、日本人はずっと詠んできた。平家琵琶、浄瑠璃などの語り物の世界もしかり、文字が書けなくても、すべて口伝で文化はかたちを変えながら生き続けてきている。そんなことにまで思いを馳せたひとときになった。

終演後、軽く打ち上げ。もちろん、今日の日付で、詩集にサインをいただく。

帰宅後、高校の時の国語の先生に手紙を書く。5年前に奥様を亡くされて、毎日失意の日々を送っておられると聞いている先生だが、今回のようなことが起きる“種”は、その時にまかれたものだ、ということを伝えたかった。



5月21日(金) 天童でソロ

「お店にアップライト・ピアノが入ったんだけど」と連絡があって、諸処の条件はともあれ、「行きます」と返事をして、今日のソロということになった。そのために、ピアノは低弦をすべて張り替えたという。

山形県天童。まだ名もない、カセットテープしか出していない頃の演奏を聴いて、コンサートをやりたいと声をかけてくださり、90年代初め頃に呼んでくださった所。奇特な、さらにほんとうにすてきな耳を持っている方たちで、昔からあまり普通ではない音楽を聴いたり、メールス・ジャズフェスティバルに行っている人がいたり、とけっこうコアな人たちが集まっている。

ここで、初めてのソロ。前日の名残りもあってか、朗読もしたり、いろんな曲をやる。

後半には、私からお願いして、地元のミュージシャンの方たちとセッションもする。なかなか楽しいひとときを過ごせたと思う。

パーカッションの方は、以前、富樫雅彦(per)さんのボーヤをやっていたこともあるということで、富樫さんの曲を演奏した。彼が持ってきた楽器やその演奏は、富樫さんの世界を踏襲しているものと感じた。

ヴォーカルの方は、澄淳子(vo)さんの弟子(?)とかで、日本語の歌も自由な感じでうたっておられた。

翌日は、“らぐたいむ”のマスターのはからいで、天童駅から車で30〜40分走ったところにある、老舗のお蕎麦屋さん「あらきそば」へ。駐車場には県外のナンバーの車がたくさん。

藁葺き屋根の古民家に靴を脱いで上がると、お昼前だというのに既にたくさんの人がいる。普通のもりそば(「うす毛利」と書いてあった)でも量が多く、極太の田舎蕎麦(板蕎麦)。すこぶる美味。にしんの煮つけも、山菜もおいしかった。



5月23日(日) 同着

雨。予定していた競馬ピクニックを中止にしたものの、雨の中を競馬場に足を運んだ、物好きな友人たちは5人。

今回は某調律師さんも参戦。片耳にイヤホン、ジャンパー姿で、ほとんど競馬場のおじさんに同化していることに、妙に共感と違和感を抱くも、お仕事と同じく、競馬についても超詳しいことに驚く。ほかに、かつて有馬記念に単勝100万円をかけて130万円にしたという大バカ者の、愛すべき友人なども。

かくて、東京競馬場G1レース「オークス」は、G1史上初の一等賞が同着で二頭の馬に。

終了後、みんなで飲み会。私も負けたけれど、誰も大きく勝たなかったので、誰のおごりにもならず、ワリカン。



5月25日(火) 姪のお祝い

この春、めでたく女子大生になった妹の子供、姪にお祝いを買ってあげるべく、新宿のハンズでお買い物。栄養学などを学びたい彼女の授業には実習があって、お料理やお菓子を作っているらしい。曰く、「授業で太る」らしいが、自宅でもお菓子を作りたいとのことで、料理器具などを買い込む。

それにしても、ハンズは一日いても飽きない。ちょっと立ち寄った時計屋さんにかわいい時計があったので、それもプレゼントする。予定外の出費になったけれど、18歳の青春はもう二度とめぐってこないのだ。もうなんでも買うたりまっせ〜。

今、彼女は某球場で、生ビールを売るアルバイトを始めたばかり。なんでも15kgもする生ビールの缶を背中にしょって、けっこう勾配のきつい階段を昇り降りするので、筋肉痛だと嘆いている。半ズボンで足を露出。お客さんの中には秋葉原のカメラ小僧よろしく、かわいい売り子さんにはファンなるものもついているらしい。若くなければ、とてもできない。

本人は「今はまったく必要性を感じない」のだそうだが、彼氏ができたら、こんなオバサンと遊んでくれるわけがない。もう二度とないであろう、いい一日になった。



5月27日(木) とりつかれた?

午後、整体へ。ここにはいろいろ“見える”人がいて、先月末、京都から戻ったばかりの私には、落ち武者やらきつねやら、なにやら10体くらい、とりついていた、と聞かされる。

暗示にかかりやすい私は気を付けなければならないが、体調があんなにひどくなってしまった原因がわかったような気分になる。(ひどい腹痛と下痢に見舞われ、まったく何も食べられなくなり、ホテルのベッドに2日間寝込んで、へろへろで帰京したのでした。)

宝ヶ池に通じるあのトンネル、実はものすごく気持ち悪かったのだ。夕刻、一人で長時間、あの周辺を歩きまわったのがいけなかったのかもしれない。ほんとに身体ごと冷えたし。

これからは塩と般若心経を持って旅に出るように言われる。って、仕事であちこち行くわけだから、こりゃ、たいへんだ〜。



5月28日(金) クラリネット

横浜・関内にあるお店、上町63で初めて演奏する。今日は竹内直(b-cl)さんに誘われて、初めましての土井徳浩(cl)さんと、三人でのライヴ。

そもそも直さんが、私がヴァイオリン、チェロの編成によるピアノトリオをやっていたことで、私が作った曲などを、音域的にはそのままクラリネット、バスクラリネットでやれるのではないか?というところから始まった話だった。

その時は、あ、そうか、と思った私だが、実際は決してそうはいかなかった。準備をしているうちに、自分が先のトリオのために作曲したものが、いかに弦楽器のために、さらに太田惠資(vn)さんと翠川敬基(vc)さんのために書いたものであるかが、痛いほど確認できたのだった。「今はない」ものの大きさと深さに、少しだけ涙しながらの作業になってしまった。

で、気を取り直して、今日の二人と演奏するためのことを考える。クラリネットは大好きな楽器のひとつだ。クラリネットとトロンボーンが好きなのは、いずれも人の声に似ているからだろうと思うが、最近、坂田明さんはアルトクラリネットを吹いておられ、これもまた、いいのだ。

直さんも徳さんも、基本はジャズのフレーズを中心としたプレイをされる方たちだと思うが、途中から、少しだけ音色や音質、微妙なニュアンスなどに意識が働くと、世界が少し歪んだり、軽くなったりするように感じられた。無論、、弦楽器とピアノが交ざった豊かな倍音の海とは、まったく質は異なるのだが。

演奏中、そんな自分を発見して、現在の自分の興味は、やはりそうした“響き”にあることをあらためて思い知った。

そして、この編成、この三人で、もしかしたら、もっと面白いことができるかもしれない、と思ったのも事実。なので、今年、ちょっと踏み出してみるかもしれない。さしあたっては、その正体がまだよくわからない徳さんとサシで勝負してから、か。



5月29日(土) 失声

朝起きて、いつもうがいをするのだけれど、うがいをした時に、うっ、喉がヘン?と思ったら、いきなりまったく声が出なくなっていた。生まれて初めてのできごとに、しばし狼狽する。

少し喉が痛くて、風邪がひどくなるといけないと思い、昨日医者に処方してもらった薬を飲んで寝たのだが、その作用なのだろうか?それとも、再び何かにとりつかれたのだろうか、私・・・。



5月30日(日) 森の茂み

声が出ないというのに、大学時代の友人たちが競馬場にいるというので、先週に引き続きG1レース「ダービー」に参戦。その道の筋金入りの男性3人。青いビニールシートの上にビールと焼きそば。なんとも競馬、だ。この辺が、私が主宰する“競馬ピクニック”とはちと違う。

この方々は相当な競馬オタクで、データにも詳しい。すごい倍率の三連単などを当てたりしては、次につぎこんでいるらしい。この辺りも100円をちまちまと賭けるピクニックとはおおいに違う。

夜は、大泉学園・inFで、mori-shige(vc)さんとデュオで演奏。

その楽器にはひびが入っているとのことだったが、リハーサルの時に奏でられた音は、その説得力のある質感と、深い陰影のある音色、音の大きさにおいて、これまで出会ったことがないチェロ奏者との出会いを予感させるのに充分だった。文字通り、暗い森の茂みに踏み込んだような感触。

ピアノの状態はとてもいい。調律師・辻さんのご尽力の賜物だ。ほんとうに頭が下がる。心から感謝。

今夜はほぼ即興演奏。mori-shigeさんの演奏はチェロを弾くとか奏でるというより、擦(こす)っている、という感じ。まさに擦弦楽器がそこに在る、というような。

前半の演奏は、ちょっと寄り添い過ぎている、合い過ぎているかな、という印象を抱いた。ので、後半に1曲だけ、私の曲を提案して、実際やってみたけれど、mori-shigeさんには“曲”という意識がないことがわかる。ならば、という感じで、演奏はあまり途切れることなく続き、終わった。

チェロとピアノ。mori-shigeさんと私。この2つの楽器、否、2人から立ち現れる倍音や響きは、とても細かい泡が満ちていくような質感を持った響きで、お店の空気を染めていったように思う。そしてその密度は濃い。これはきわめて身体的な感覚だが。

さらに、今の私が求めているのは、おそらくこういう空気の震え、だ。時に色彩は強くあるいは淡く、凝縮された密度とふわっとした浮遊感が混在し、いろいろな風が吹くような世界、ではないかと思った。

やっぱり弦楽器と演奏したい。

さらに、調性とか、和音とか、いわんやフレーズとか、また、即興演奏をしながら作曲をする意思(←私は非常に好きだけれど)とか、・・・今日はどうでもいいんだなあ、と思ったり。

振り返れば、そうした世間一般で言われる「音楽的なこと」以外に自分が感じていること、聞こえていること、希求している世界は、この道に入った初めから、すなわち新宿・ピットインの朝の部で大友良英さんたちとやっていた“ORT”の時代から、私の中にはずっと内在していたことに、あらためて気づく。演劇や朗読といった、言葉とかかわる自分がいるのも、自然な流れだったのだと思う。






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