7月
7月1日(金) 花咲爺

旅から戻った翌朝。なぜか、足が地元の神社に向かう。自身の無事を告げ、そして、訪れた地の空を想い、祈る。

夕方、整体に行き、最後のほうはぐっすり眠ってしまう。一週間足らずの短い東北・小ツアーだったが、正直、疲れている。なにも考えたくない。

夜、宮崎駿監督の作品『もののけ姫』を観る。プロットはどう展開し、最後はどう結論付けるつもりなのだろう?と思いながら観たのだけれど、「花咲爺」には「ええっ?」と思ってしまった。そうなのお?他に、エボシ御前の声を担当した田中裕子に違和感をおぼえた。



7月2日(土) お好きに

夜、精神科医・丸野先生が隔月で行っておられる“ひろしの時間”とも呼ばれるライヴで演奏。今日は来た人たちが自由に歌ったり、自作の詩を朗読したり、といった日になった。



7月4日(月) 分電盤

午後、電気屋さんに来てもらって、家の分電盤を変える工事をした。あまりに暑かったが、なにせ、電気は使えない。ので、工事屋さんが作業している間、私はずっとうちわで風を送ることに。途中、道具が足りないと言って、店に戻ること2回。なので、2時間余りもかかってしまった。こちらもちょっとへとへと。

この家を建てた当時、父の仕事の関係もあって、普通の木造モルタルの住宅なのに、なぜかどでかい業務用エアコンが入っている部屋が2室ある。他もすべて埋め込み式になっていて、それがために、拙宅の分電盤の容量は、なんと15KVA(75アンペア)。誰もがあり得ないと驚く。

で、それらのエアコンが動かなくなったことを機に、室外機の基盤ももう製造していないとのことで、今後は一切使わないことに決めた。既存のエアコンも室外機も残ったままだが。

かくて、分電盤は8KVA(40アンペア)に。東電に支払う基本料が、これで半分になる。聞けば、節電が叫ばれている最近、分電盤を交換する人が増えているという。ちなみに、この電気屋さんも言う「扇風機は一台もありません」。

節電、節約、の第一歩。これからLED照明を検討する予定。もはや電気がない生活は考えられないとはいえ、なんだかもう東電にできるだけ料金を支払いたくない気分にもなっている。



7月5日(火) 辞任

松本復興大臣が、就任から9日で辞任した。

あの宮城県知事との会見の模様は、私はFB(フェイスブック)でリンクされていたYouTubeの映像で、日曜日の夜には見ていた。わずか1分ちょっと、私が見ている間に、新しいコメントが30近くもあがっていたから、よほど多くの人が見ていたと想像される。ほんに、すごい時代になったものだ。

地方局で放映された「オフレコ」の内容、さらに「書いたらその社は終わりだから」と松本復興大臣が言っているこの映像は、あっという間に広まり、翌日の東京の昼のニュースでも流された。

したらば、今日の辞任。その辞任会見も、なんだかなあ。会見の最後に、被災した子供たちの作文集『つなみ』を、駅の売店で100冊購入して、みんなに売り付けようと思ったけれど、「あげまーす」・・・だって。

夜、7時のNHKニュースを観ていたら、「緊急地震速報」の音で、ハッとする。久しぶりに聴いた警報の音だった。ちょっと耳にしただけで、心臓がドキッとして、血圧が少し上がるような気分になった。東京にいる私でさえこうなのだから・・・、と被災地に暮らす人たちのことを想う。

今度の震源は和歌山県。日本列島、地震だらけ、だ。このまま日本は沈没してくような暗い心持ちになった。

夜、テレビ番組『ガイヤの夜明け』を観る。必要な物資や支援を、それを必要としている人たちや場所へ、確実に届けることに努力している団体『ふんばろう東日本支援プロジェクト』や、この番組で先にも放映された、那須のパン屋さんの様子が放映された。未だに集まった義援金の2割程度しか配布されていないという日本赤十字社。私はやはり民間レベルの支援を応援したい。



7月6日(水) プランタン

午前中から、おおたか静流(vo)さんからのご用で、ちょっとだけ録音の仕事。頭が起きていない。朝8時半には起きたのだけれど、あと30分早く起きればよかった。

その足で、プランタン銀座で行われている、村上康成さんの『森羅万象 ブリージング展』に足を運ぶ。前回の渋谷でのギャラリーでの個展に比べ、作品やグッズの販売といった色が強い感じだけれど、それはそれで、楽しきかな。結局、創作絵本、Tシャツ、タオルなどを買って、散財。

村上さんのギャラリーは、伊豆と石垣島にある。村上さんご自身が経営しているというわけではなく、地元の有志の方が運営しているそうだ。

そして、村上さん曰く、沖縄は唯一地上戦があった所。あのきれいな海の色は、たくさんの人が身を投げた海の色でもある、という。こうした村上さんの自然をみつめるまなざしと心のありように、私は深く共感する者の一人だ。

それからしばらく銀座の街を散歩してみたりするも、あまりの暑さに、喉はカラカラになり、途中で倒れそうになった。和歌山県のショップで、南高梅の梅干しを購入。



7月7日(木) 整顔

午前中、NHKを観ていて、野党からの質問に応えた海江田大臣が言葉をつまらせながら、時期がきたら責任をとる、というようなことを言っていたのを見て、あ、この人もやめるかも、と直感する。そりゃ、立場、ないっしょ>唐突な管総理の既存原発の「ストレス・テスト」実施発言。

午後、太極拳の教室。首、肩、背中、それぞれを別々に意識を持って動かす、ということを習う。もちろん、できない。

夕方、“整顔”に行く。お試し。単なるフェイシャル・エステではない。まず、背中から肩、首をオイルマッサージして、リンパの流れを良くする。これがけっこう痛い。悲鳴を上げそうになった。でも、気持ちいい。そして、最後に、お顔を整える。

終わって鏡を見ると、やはり直後は完璧なフェイスアップ。お肌もつるつる、というより、もちもち。なるほど〜。これ、毎日、といわなくても、一週間に一度やっていれば、“きれい”を保てるかも。って、その前に、宝くじを当てなければ・・・。



7月8日(金) 25年以上前

午後、来週、inFでデュオで演奏する予定の、青木タイセイ(tb etc)さんとリハーサル。実はきちんと共演するのは初めて。でも、最初に会ったのは、お互いにジャムセッションによく通っていた頃であることが判明。それは多分もう25年以上前の話・・・。

ライヴでは、お互いのオリジナル曲を中心に演奏する予定です。タイセイさんはトロンボーンのみならず、フルートやエレキベースも演奏することになると思います。ぜひ足をお運びくださいますよう。



7月9日(土) 歌手

大汗をかきながら、家中を掃除しまくる。今日のBGMはサザン。佐渡裕さんが指揮棒を振ったベルリン・フィルのCDは、あとでゆっくり聴くのだ〜。

佐野元春がホストをつとめるNHKの番組『ソングライターズ』の最終回で、先週(今日、再放送あり)と今週、歌手・七尾旅人さんが出演していた。

以前、彼の歌を初めて聴いた時、私は友部正人(歌手)さんをすぐに思った。

中学生か高校生だった私の心に、友部さんの歌の詩は強烈に突き刺さった。特に発声が良くてものすごく歌がうまいとか、メロディーが優れているとか、そういう類のことではなく、それは、文字通り“歌”として、まるでオレンジ色に染まる夕焼けのような肌触りで、ここ、で歌われている感覚だった。何度涙を流したことか。

で、まだ30歳を少し越えたばかりの旅人さんだが、私はその時の衝撃と同じような感覚を抱いた。

ご両親は四谷シモンや横尾忠則とか土方巽といった人たちと親交があったらしい(?)。また、松田美緒(vo)さんのように、小さい頃、家にはテレビがなかったという。さらに、お父様がジャズが好きだったとのこと。いわば、そうしたアングラで、ジャズな、家庭環境で育ったらしい。

そして、ジャズということから、即興。といっても、彼にとって「即興」ということは、何か特別にとりたてて難しい理屈を言うことではなく、生きている中に普通にある、という感じ。ついでに言えば、おそらく、今、30歳前後の人たちには、こうした身体感覚あるいは感性があるような気がする。

その感性と、時代をみつめる目は、新しい、と感じる。

彼が立ちあげたという、東日本支援プロジェクト『DIY STARS』、さらに音楽を伝える媒体(ネット配信など)についての意見は、示唆に富んだものだったと思う。

レコード会社という、昭和の音楽業界あるいは組織が成り立たなくなり、CDの売り上げが激減し、ネット上で音楽が飛び回ることをネガティヴに考える、いわば既存権にしがみつく人たちとは正反対に、彼はそれをポジティヴに考え、実際に行動に移している。

また、彼は麦わら帽子のような帽子をかぶり、下駄を履いて、ギター片手に歌う。なんだか宮澤賢治みたいだと思った。単なる直感。

つまびかれるギターは、上下左右に揺れる。つまり、リズム、というより、呼吸が揺れる。まるで、海の中に生きる海藻のように。そして、彼の声はあぶくのように海面へ浮き上がり、広がっていくような感触。時折、海の中には鯨がいて、その鳴き声がとても遠くまで伝わるような感覚。

パート・2では、会場にいた学生たちが書いた四行詩をもとに、そこから選ばれた7人の詩が、佐野さんと旅人さんによって、即興的に、朗読されたり、歌われたり。声とギターとエフェクターなどで、旅人さんは背景や心象風景を描く。なかなか面白かった。

というか、こういうことを、一枚の作品(CD)にしませんか?と、今から10年くらい前に、某歌手に提案したことがあった私。私自身も朗読の人たちと盛んに活動していた時期でもあったのだけれど。

さらに、彼はとても音楽を、歌を、信じている。うらやましいくらいに。音楽や文化の力を、私はあれほどまでに信じていないかもしれない。信じていなくて、あなたに何ができる?と糾弾されそうだけれど。

歌手といえば、ジャズ・ヴォーカリスト、上野尊子さんが亡くなられていたことを知る。お身体の調子が、とは聞いていたのだけれど。

尊子さんは、進駐軍のキャンプでも歌っていた大ベテランの方だが、なぜか、私に声をかけてくださった、数少ないジャズ歌手のお一人だった。金丸正城(vo)さんとのお付き合いも長くなっている私だが、その次くらいに共演歴が多い、いわゆるスタンダード・ジャズを歌う方だった。

敢えて書けば、いずれの方にも共通していることは、その“立ち方”だと思う。共演者に伴奏を強いる感じではなく、いつでも楽器奏者と同じところに立って、歌をうたっておられるように、いっしょに楽しみながら音楽を創っておられる方たちのように、私は思う。(だから、実際、尊子さんと共演したいと思う楽器奏者はたくさんいたように思う。)

「All of me」というスタンダート・ソングを、「還暦を過ぎて、やっと歌えるようになったわ」と言っておられた尊子さんの言葉が忘れられない。

また、以前、尊子さんに歌を習っている方のリサイタルで演奏した時、「Cry me a river」を弾いた私に、尊子さんが非常に強い関心を持ってくださったことも思い出した。その時、私は普通に歌伴をしなかったが、歌の核心のようなところへ降りたいと思って演奏した。したらば、尊子さんはそこを聴いていてくださったのだと思う。

心からご冥福をお祈りします。




7月10日(日) 同窓会

正午から、出身大学の地域の同窓会に出席する。今、私が住んでいる市の市長が、同じ大学の先輩にあたるのだが、要するに、その市長が立候補する際に、立ち上げらたような同窓会らしい。今年で10年目になる由。

私は毎回参加しているわけではないが、今年は「演奏してくれないか?」と話を持ちかけられたので、そんなこんなでかかわっているうちに、今回は出席することに。結局、会場にピアノがないので、演奏はしなかったけれど、博物館の学芸員さんから、とても興味深い、3万5千年前からの市の歴史の話を聴くことができた。

参加者の中で、こんな私でも、若いほうという状態。ま、仕方ないかもしれないが、もっと活性化されたほうが面白いと思う。

夕方からは、やはり大学の哲学科の時の友人たちと、同窓会の打ち合わせ。私は1年生の時だけ哲学科に在籍していたのだけれど、その時の仲間たちと。

私はその後転科試験を受けて、もともと希望していた国文科へ移ったのだが、なぜか哲学科の時の友人のほうが、今でも付き合っている人たちが多い。彼らは時々コンサートに来てくれたりもしている。

利害関係がないので、お酒が入ってくると、まるで学生時代に戻ったような雰囲気になる。さすがに哲学科出身らしく、飲んでいるにもかかわらず、その会話にはゆるいところがあまりない。それぞれの主張がはっきりしていて、言葉そのものの定義が問題になることもあれば、論理の曖昧さを指摘し合ったり、外から見れば、もしかしたら相当理屈っぽい感じかも。

でも、そういうことを楽しんでいることが感じられる。ちょっと青臭い、でも、心おきなく話ができる、という雰囲気で、私は嫌いじゃない。授業をさぼって、暗い喫茶店で、マッチ棒を取り出して、その“存在”について語り合った時間を思い出す。

7人のうち、1人が定時制高校の先生、1人が小学校の先生。いずれも公立の学校に勤めていて、2人も敢えて偉くならず、現場で闘っている。

社会に出ても、割り算ができないために、“ワリカン”ができず、いつでもおごってしまうという元生徒の話。モンスター・ペアレンツ(必ず、両親、らしい)のこと。教育委員会のこと。全員平等、みんな同じように、という日本の教育システムのこと。その都度変わる国の方針に翻弄される現場の教師の苦労などなど、いろんな話を聴いた。

私は私立しか行っていないので、実は公立のことはよくわからない。でも予想以上に、教育の現場は荒廃しているとしか思えないような話がたくさんあった。また、彼らの話を聴いていると、それは今の福島原発事故の、政府の対応と実際の事故現場で働いている人たちの乖離を見ているようでもあった。

夜11時半近く、三次会に行くという人たちを振り切って、帰宅。この友人たちを大切にしたいと思いながら、夜道を歩く。もう放射能まみれの世界に生きなければならないとしても、過ぎ去った時間と、人をいとおしく思えるひとときは、少しだけ温かい心持ちになって、なんだかいい。



7月11日(月) アドリブ

夜、門仲天井ホールで打ち合わせ。

その後、両国・b.b.へ寄り、少し話をする。友人たちは“両国びっくりバンド”というビッグバンドで、楽しく演奏している。で、話を聴いていると、アドリブが上手くなりたい人と、そんなことはどーでもいいという人がいるらしい。

アドリブ。なぜか、妙に懐かしく感じている自分に、少しだけ驚く。やりたい人はやればいい。ただ、それだけのことだ。



7月12日(火) ひまわり

映画『ひまわり』を、あらためて観る。図書館でレーザーディスクを借りて、その場で観た。

ロシア戦線に行ったまま戻らない夫(アントニオ/マルチェロ・マストロヤーニ)を探しに、ジョヴァンナ(ソフィア・ローレン)ははるばるロシアへ行く。そして、その尋ねた先で、夫はロシアの女性と結婚して子供ももうけていることを知る。

その夫が仕事から帰って来るのを、蒸気機関車が入ってくる駅のホームで待つ二人の女性。アントニオとジョヴァンナはひとことも話さず、ジョアンナはその列車に飛び乗って帰国してしまう。

その駅の向こうに見えるのが、あの、チェルノブイリ原発だ。

この映画の主題曲、ヘンリー・マンシーニ作曲「ひまわり」を、もうどれくらい演奏しただろう。数えられないほど、演奏している。そして、演奏し続けている。坂田明(as)さんがストレートにメロディーを吹くことを、ずるい、と言う人もたまにいたりするが、思いは全然別のところにある。坂田トリオは必然性のないことはやらない。

それにしても、その後、今度は夫のほうが妻を探しにイタリアへやってきて、やっと再会した時の、あの沈黙のシーン。私はここにもっとも感動した。言葉はひとことも発せられない。が、すべてを語っている画面。ヴィクトリオ・デシーカ監督、すんばらしい。

やはり言葉を尽くして多くを語ればいいってもんじゃない、ということを、あらためて学んだ。



7月13日(水) アンダルシア

家の節電も兼ねて、映画『アンダルシア』を映画館に観に行く。ま、ちょっとしたサスペンス、という感じだろうか。黒木メイサが全体を軽くしている気がした。うーん、別の女優がやったほうがいい気がしたなあ。

スペイン、アンダルシア地方。セビーリャ。フラメンコ。15年前くらいに、当時習っていたドイツ語の先生といっしょに約2週間、スペイン旅行をしたことを思い出す。あの青空。初めて行ったラテンの国で遭遇した、様々な事件。そして、そのドイツ語の先生は去年天国へ逝ってしまった。



7月14日(木) 初共演

夜、大泉学園・inFで、青木タイセイ(tb,fl,el-b)さんと初めてデュオで演奏。

お店に着くと、約20年前のCDを持って来ておられた方がいる。それはコンピレーションCDで、そのジャケットに、青木さん、そして私の、若い頃の姿を見い出すことができる。あな、恥ずかし。

今晩は、ほぼ、お互いのオリジナル曲を持ち寄って演奏。青木さんはトロンボーンのほかに、フルート、エレクトリック・ベースも演奏する。作曲やアレンジも多く手がけている多彩なミュージシャンだ。

私の曲については、いつも中味が何も決まっていないことが多いため、どうしても“意思”が必要になる。その点において、全体に、私が少し強引にやり過ぎたかなあと反省するところあり。青木さんにとっては、これまであまり演奏したことがない領域の音楽で、青木さん自身がやりたいとおっしゃってくださった気持ちを尊重して演奏したけれど、なんだか申し訳なく思っている。



7月15日(金) ああ、放射能

暑い。身体が少しふらふらする。

さらに、放射能「鬱」かもおおお?赤ちゃんや子供の笑顔を見ると、自分の瞳が海になる。何の罪もない農家の人が「原発が憎い、この気持ち、わかりますか?」と泣きながら話す様子を見て、また涙ぐんでしまう。

私が住む市にある、都立農業高校の農場で採取された茶葉の検査結果が公表された。その結果、5月10日に採取した生茶及び製茶について、暫定規制値を上回る放射性セシウムが検出されたことを知る。7月5日に採取した生茶の検査では、暫定規制値を下回ったとのことだけれど。

「製造された製茶は、すべて適切な方法で処分する予定です」と、市のweb上には書かれているけれど、「適切な方法」って?

そういえば、つい2〜3日前に、その農場の辺りを通ったら、ヘルメットをかぶった、たくさんの人たちが土を掘り起こしていたことを思い出す。こんな時期にヘンだなあとは思ったのだ。

都立農業高校は、実家がある辺りから100〜200mくらいしか離れていない。また、その高校のある四つ角から南に向かって、神社に突き当たる参道には、古い立派なケヤキが植えられていて、ずっと並木道になっている。さらに、東西には桜並木がずっと続いている。

あの歴史に耐えたケヤキや桜の木たちも汚染されたのだ。

さらに、その農業高校の前には、市民屋外プールや砂場などもある公園がある。きれいな蓮が咲く池もある。

家の庭の草。ますます、草刈りをする気持ちがなくなってしまった。どうしよう。

ともあれ、不安な思いで暮らしていてもどうにもならないので、本屋に行って、放射能関係、原発関係の本を3冊購入。




7月16日(土) 古事記

異様に暑い。そんな中を、表参道・銕仙会能楽研修所で行われた『声の力・言葉の力』シリーズの第1回『古事記の世界』に足を運ぶ。

最初に、古事記の口語訳ブームの先駆けとなった三浦佑之さんと、大岡信さんのご子息・大岡玲さん、司会の笠井賢一さんの3人のトークが約1時間。

その話の中では、古事記は耳で聴いて楽しむ(音声による表現に耐え得る)ことができる、中には歌が100余首収められていて、人は自分の“思い”を、歌(形式)に託して表現していたということ、芸能の根本と呼べるようなものが古事記には書かれており、その“遊ぶ”という精神には、神話というより、上演台本に近い性格も見られる、といったことが印象に残る。

さらに、“物語る”というのは、あの世に向かって語る、すなわち“鎮魂”につながっているという。すなわち、古事記は天皇に討たれた人たちのレクイエムにもなっている、という話。

ちなみに、能楽の場合、舞台に死者が現れ、あるいは呼び寄せられ、その死者が語って消え去って行く(浄化される)、という筋はとても多い。

そんな話を聴いた後、古事記の「妻問いの歌物語」の下りが、4人の役者によって、まず口語訳で、次に、古事記の言葉で、演じられる。日本語の響きはなんとやわらかいことだろう。けれど、もはや、私たちの言語感覚からは遥か遠くにある印象は否めない。でも、一度、口語訳付きの古事記を読んでみようという気持ちになった。

最後は、めったに上演されない能『逆矛』の舞囃子を、観世銕之丞さんが舞う。

その足で、夕刻、黒田京子トリオのフライヤーを配りに、あちこちでかける。この暑さの中、営業も楽じゃない。ふうふう。



7月17日(日) 医療被曝

午前中、友人が畑で獲れた野菜を分けてくれるというので、畑に向かう。おいしそうな夏野菜をたくさんいただく。

でも、話題に上るのは、やはり放射能のこと。彼女には、小さい子供と、この春に生まれたばかりの赤ちゃんがいる。炎天下、赤ちゃんはベビーカーの中で眠っている。・・・うーん、とっても心配だ。

ということで、今日も放射能について、ちょっと本などを読む。

「医療被曝」について。

このことについて、友人がweb上で書いていた文章なども読み、自分はとっても無知だったことを知る。

日本の医療現場におけるCT検査は、世界の現状と照らし合わせると、異常に撮られ過ぎている、のだそうだ。「あんなことしていいのかという意味で、世界的に注目されているとのこと。健康のために、健康診断や人間ドッグといった検査を受けて、発癌率が増えているはずだ、というのだ。

CTについていえば、日本にはアメリカ全体の10倍ぐらいのCT検査機器がある、あるいは、世界の3分の1のCTが日本にあるという話もあるらしい。外国ではCTを撮る人はものすごく少ないらしいが、日本ではあたりまえのことになっている現実がある。各国の医療制度の問題もあるが。

ここにもまた、原発と同じように、広島、長崎を経験した被爆国でありながら、日本人はどうしてあんなに放射線に対して無警戒なんだ、と批判されている現実がある。つまり、“安全”や“安心”という心理操作がかかわっている。さらに、その陰に、アメリカという国の存在が。

たとえば、広島の原爆の被害についても、内部被曝の被害者はほとんど被害者として認定されていないらしい。ある限定された距離の中にいた人が、爆発後何日間という間に被曝したものだけを被害者と言っていて、極端に被害者の数が小さくされているとのこと。

内部被曝して「晩発性障害」という後になって出てくる障害については、被害のなかに勘定されておらず、それは、おそらく、アメリカの ABCC(原爆傷害調査委員会)が日本に来た時に、日本の学者もそれに協力して、被害を小さくすることにしてしまったから、というのだ。

アメリカのことは、先に“第五福竜丸”の被曝について調べた時にも、彼らは日本に対して一切謝罪をしていないという事実を知り、腹が立った。

さらに、管総理の突然の浜岡原発停止宣言にも、横須賀基地などを保持したいアメリカの強い要請があったというのは、もっぱらの噂。

また、先の内閣官房参与・平田オリザ氏の失言(今年5月、福島第一原発の事故に関連して、汚染水を海に放出したのは「アメリカからの強い要請によるものだった」と発言した問題。後、すぐにと発言を撤回、陳謝した。)を引き合いに出すまでもなく。

もとい。ともあれ、医療被曝、そっかあ、という感じ。私は普通にみんなが小さい頃から受けている、胸のレンドゲン検査(約0.2ミリシーベルト)以外に、かなり大人になってから、バリウム飲んで胃の検査(約20ミリシーベルト)が1回。さらに、耳を患った時に、脳のMRIが1回。さらに、去年、眼の関係で、二ヶ月続けて脳のMRIを2回、受けている。あとは、歯の検診(約0.04ミリシーベルト)の時に1回。

をを、けっこう、頭に被曝しているじゃないの。と思ったら、CTと違って、MRI検査を受けても、放射線被曝はしないとのこと。正確に言うと、電磁波、とも違うらしい。でも、あの扉は異様にぶ厚く重たかったと思うのだけれど、あれは何なのだろう?・・・ということすら、知らない自分。

でも、その二ヶ月続けて脳のMRIを撮った時、医者はきちんとした説明は何もしなかったし、その時は、違う種類の脳のMRIをとったのだけれど、一ヶ月以内に再度やることは不可と言われただけだ。でもって、検査料金は高い。つまり、医者は儲かる。

正直、原発の問題についても、こうした医療被曝のことについても、無自覚であった自分を責めた時期もあった。が、こうなった以上は、現実にどう向き合うかを、自分でみつけなければいけない。

夜、 向田邦子作品『阿修羅のごとく』の再放送(NHK)を観る。脚本も演出(和田勉)も、実によくできている。向田邦子が亡くなってから30年経つという。

その透徹した、厳しくやさしいまなざし、情景や心象が切り取られ、白い原稿用紙に刻まれた、きめ細やかな言葉たち、ある事柄や物に象徴的な意味を与える手法など、そこに内包する“ベクトル”は、そのまま観ている者、あるいは小説を読んでいる者に、「痛み」を持って突き刺さってくる。そして、その世界には、生きている“昭和”がある。



7月18日(月) なでしこ

未明、日本時間午前3時45分から行われた、女子サッカー・ワールドカップ決勝戦をテレビで応援。延長戦、さらにPK戦まで、息を抜く暇がなく、緊張しっぱなしで見続けた。

女子サッカーを初めてまともに観たと思う。前半、アメリカがあれだけゴールを脅かしながらも点が入らない状況に、これは、天が日本に味方していると直感する。

また、男子サッカーと戦い方が全然違うように思う。パス回しなどがけっこう面白い。そして、ねばり強く闘う姿勢に、けっこう興奮した。最後のPK戦、面白いもので、ボールを蹴る直前の顔で、入るか入らないか、がわかる気がした。リラックスしている人のほうが、入れた。かくて、眠ったのは朝の7時過ぎになってしまった。

ちなみに、キャプテンをつとめ、MVP及び得点王になった澤穂希選手は、私が住む町の出身らしい。・・・知らなかった。すみましぇん。って、そういえば、以前、市の広報のトップに出ていた気がするけれど。

午後、思い切って、庭の竹取り、草むしりをする。

竹は強い。エアコンの室外機の羽のところに伸びて、エアコンが動くのを妨げたし、2階からの雨樋をぶっ壊してしまった。やれやれ。

草むしりは、もう幾分かの被曝を覚悟して、長袖、長ズボン、一応マスクをしながら、汗をだらだらかいて、なんとか4分の1くらいはやった感じだろうか。

放射能、私くらいの年齢になってしまうと、そんなに気にしなくてもいいらしいことはわかった。それでも、チリも積もればなんとかなので、基本的には、できるだけ注意したいと思う。



7月19日(火) へえ〜

他人がつぶやいているのを見て、知る。

今年の7月は、5つの金曜日と土曜日と日曜日があり、これはなんと823年毎に一度しかないとのこと。生きている間でも、滅多に経験が出来ない奇跡の月、なんだそうだ。へえ〜、そうなんだあ。

ちなみに、中国の風水では、この事を他人に伝えると、お金が自分に入ると言われているそうだ。なので、ここで言ってしまう私。・・・。



7月20日(水) 友人とランチ

午後、高校時代の友人たちと、ランチ会合。一人は宮崎からちょうど東京へ出て来ている時とのことで、先月、宮崎で、おおたか静流(vo)さんとのコンサートにも足を運んでくれた友人。そして、振り返れば、三人とも、中学一年生の時は陸上部に所属していたのだった。

そう、私は中1の時は陸上部にいた。主にフィールド、走り高跳びをやっていた。妹や弟は足が速く、毎年リレーの選手に選ばれていたけれど、私はそんなことはまったくなく。

ま、陸上部に入ったのは、個人競技に興味があったことと、男っぽい感じのすてきな先輩がいたからだったと思う。なにせ女子校だったもので。あは。

どうしても、話題がちょっと放射能のことになってしまう。福島県産の野菜は買えない、という話に。そして、やはり九州、宮崎辺りでは、全〜然問題になっていないとのこと。口蹄疫や新燃岳の噴火などに見舞われた宮崎県ではあるが。



7月21日(木) 伸筋抜骨

寝ている時から、寒くて目が覚める。薄手の毛布が欲しいくらい。終日、涼し過ぎるくらい。

午後、太極拳の教室。「伸筋抜骨」を教わる。これが、できない。

具体的に言うと、たとえば腕を上に挙げて、身体全体を伸ばす、という運動をしていたとしたら、筋肉以外にも、血液やリンパなどにも意識を持つ、という感じ。この、自分の内側に集中して意識を傾け、さらにそれを持続させる、というのは、とても興味深い。

また、私のように太っている人間は、常に内側に収縮するような意識を持つといいのだそうだ。うーん、やっぱり、もっと早く出会っていたかった>太極拳。

夜、デパートの屋上ビヤガーデンで友人と一杯。風も吹いていて、気持ちよかったが、身体が冷え切るほど、とっても寒い。夏の標高1500mくらいの所にいる感じだ。

帰宅してメールを開けると、能楽師(今春流シテ方)を生業にしている大学の後輩が、重要無形文化財になったとのしらせ。私が新入生歓迎の時に能楽研究会に勧誘したために、このような人生を送ることになってしまった人だ。・・・少しだけ責任を感じる。



7月22日(金) まだ涼しい

昨晩は、タオルケットの他に、小さな毛布をかけて寝た。今日は日中も気温が24度くらいで、過ごしやすい。

午後から、鬼怒無月(g)さんとリハーサル。ふとしたきっかけで、明日、某自治体主催のアマチュアで音楽をやっている人たちの審査員をしなければならない。私たち以外にも審査員はいるのだけれど。で、短い時間ながら、デュオで演奏する時間もあり、その選曲や練習などをする。

古事記に関する本、源氏物語の口語訳の本、さらに太極拳の先生に薦められた『東洋医学のしくみ』(新星出版社)を購入。学ぶことはたくさんあるなあ。

でも、やっぱり、ちょっと放射能・鬱かも。歳をとって、単に涙もろくなっただけかもしれないけれど、なんだか毎日涙ぐんでいる時間があっていけない。青い空を見ては、赤ちゃんの笑顔を見ては、涙している感じ。

大自然のいとなみ、地球に生きる生物の息づかい、そして人間のなにげない日常。世界のすべてが、薄いかなしみの色に包まれて、ほんのかすかな声が遠くから聞こえてくる感じなのだ。

「死ぬ」とは、どういうことだろう。怖い?こんなことではあきまへん。どこかできちんと定点を持たないと。




7月23日(土) 審査員

船橋市民文化創造館。自治体としてはたいへん珍しく、貴重な活動を地道に続けているところだ。

通常、私の経験から言えば、こうした市単位の自治体では、いわゆる“有名”な人たち、テレビなどで誰もが知っている人たちなどを地元に呼ぶことで、「文化」と言っている場合が多い。

ところが、ここはちょっと違う。平成15年の開設以来、「ちょっとよりみちライヴ」という、市民に広く開かれた無料コンサートを、ひと月に1回、行ってきている。その音楽の内容は多岐に渡っており、誰がどんな風にこんなところまでアンテナを張っているのだろう?と思わせるような出演者のラインナップを誇っている。

館長さんはじめ、市のスタッフ、さらに照明といった舞台を支える裏方の人たちまで、みなさんが高い志と誇りを持って、地域に根差した文化活動を目指しておられる。少なくとも、私はそう感じている。

そんなわけで、こんな私でさえ、これまでに「ちょっとよりみち」に、2回程出演させていただいている。が、今日は、生まれて初めて審査員として、ここを訪れることになった。

何の審査員かというと、来年3月にこのライヴ・シリーズが第101回を迎えるにあたって、その出演者を地元のアマチュア・ミュージシャンから選出する、ということで、いわばそのためのオーディション審査の命を仰せつかったのだ。

正直、このお話をいただいた時は、躊躇した。基本、音楽に優劣はなく、点数で勝ち負けが決められるようなものではない、と思っているためだ。この考えは今でも変わらない。

けれど、今回は、この俗称“きららホール”の館長さんはじめ、みなさんがこれまでに活動されてきたお気持ちを尊重し、お応えしたいと思ったこと、その第101回に地元のアマチュア・ミュージシャンを、さらに、必ず自作曲で応募する、という考え方に共感して、僭越ながらお引き受けすることにした。日頃から、音楽は何も特別な人たちのためにだけあるわけではない、と考える私の琴線に触れたのだと思う。

審査員は、日本の伝統芸能公演の制作などをされている小野木さん、上々颱風のメンバーとして活動されていたこともある後藤まさる(per)さん、それに、鬼怒無月(g)さん、市の教育委員会の方、私、全部で5人。

今日は音源審査に応募したグループから絞られた6組の人たちが、一般の人たちの前で演奏した。

前半は、ギターの弾き語りの方、筝(十三弦、十七弦)をピアノ伴奏で演奏された方、ヴァイオリンとチェロのデュエットでモダン・クラシック(というらしい?)を、という3組。

後半は、路上ライヴや“R14”というコミュニティでも活動されているという3組。ピアノで弾き語りする女性、ギターを弾きながら歌う男性2人組、最後はヴォーカル、ギター、パーカッション3人組の演奏。

それぞれに良いところあり、ちょっと?と感じるところもあり。細かい技術的なことや表現の到達点、音楽性など、そりゃ、いろいろ、ある。

一応、採点表があるので、それに点数を書き込まなければならないのだが、私がその考えの基本に置いたのは、自分のことをちゃんとやっているかどうか、伝えたいと思っていることが聴いている人たちにちゃんと伝わってくるかどうか、といったことだ。そして、この“きらら”で演奏したい動機や思いがあるかどうか、その音楽内容がそれにふさわしいと感じられるかどうか、だった。

で、特に揉めることもなく、審査も終えて、ミニ・ライヴということで、私は鬼怒さんと30分ほど演奏。最初、なんだか妙な緊張感があった気もするが、なんとか面目は保たれただろうか?実は審査されていたりして・・・(苦笑)。

その後、審査発表。結果、路上ライヴを3年続けているという男性2人のユニットが一等賞を獲得。会場には、お揃いのハンドタオルを持ったファンの人たちも応援に来ていたが、そんな彼らが来年の演奏権を得た。

審査員は一人ずつ簡単に講評を述べたのだが、鬼怒さんは、全組の人たち、それぞれに“良かった点”を話される。さすが、ナイス・ガイ。ほんとに心がウォームな人だ。

私なんぞ、ここはもっとこうしたほうがいいんじゃないかしらとか、ここが難点かも、みたいなことしか浮かばない、意地悪オバサンだ。無論、そんなことは、この場では言っていないが。

生涯にそう何度あるとも思えない審査員というものをやってみて、こうしたことが体験できてよかったなと思う。すべてが終わった後、なぜか女性館長さんとハグしながら、互いに少し涙ぐんでしまった。この船橋市の“きらら”ならではの企画にかかわることができて、私もうれしく思う。

その後、急遽予定を変更して、渋谷・百軒店に向かい、辻康介(vo)さん率いる“ビスメロ”のライヴに足を運ぶ。

実にいかがわしい界隈(ネオンがギラギラ、ラヴ・ホテル街)にある、それでいて妙にヨーロッパにいるような雰囲気のある、かと思えば、赤い鳥居のお稲荷さんがあり、昭和の名曲喫茶もあるという奇妙な一画で、彼らは演奏していた。ドアは開け放たれており、行き交う人たちが音楽に足をとめる雰囲気もなかなかいい感じ。

編成は、歌のほかに、ギター、サックス、パーカッション。珍しくて面白かったのは、バグパイプ。これが奇妙なサウンドを醸し出していた。吹いている姿と指の感じが合っていないことも、見た目にちょっと奇妙に感じられるのも面白い。

辻さんのwebによれば、「バグパイプの持続低音に代表される、ドローン音から生まれるグレゴリオ聖歌的なシンプルな旋律、それは音楽の源、「旋律の力=Vis Melodica」。それを支える現代的普遍的な、つまり理屈無しに「のれる」リズム」と書いてある。わかるようなわからないような、だが、ともあれ“ビスメロ”というユニット名は、ここから取られているらしい。

イタリア古楽や歌謡曲を日本語にして歌われる曲はどれも面白い。また、野口雨情&本居長世の曲も歌っておられた。こちらはご本人にも伝えたけれど、どうも歌唱法あるいは発声法に迷いがあるように感じられた。歌がきちんと伝わって来なかった印象を受けたので、ちょっと残念に感じる。油断禁物。

それで、正直、ちょっとだけ迷ったけれど、辻康介さんに、秋のコンサート『耳を開く vol.4』への出演を依頼することにした。ふう、これでやっと出演者が決まった。近々、公表いたします。どうぞお楽しみに。みなさん、おでかけくださいますよう。



7月24日(日) トロンボーン

日中、少し暑かったけれど、それでも、まだ涼しいと感じた日曜日。

午後、新宿・ドルチェ楽器で行われた、村田厚生(tb)さんのコンサート『 Aus Europa ヨーロッパ発 vol.4』に足を運ぶ。毎回、村田さんが自身に課題を負わせながら、やっておられるコンサートだ。

今回は、三輪郁(pf)さんとのデュオ。なんでも、三輪さんは村田さんが学生時代に習った師匠の娘さん、とのことだ。

前半、アルト・トロンボーンで演奏された、フレスコバルディの曲が一番印象に残る。後半、村田さんがソロで演奏されたオリジナル曲も面白かった。

ピアニストの方は、経歴を見ると、どうやら私と同じ高校を出ているようだ。それを知ると、いかにも、という気がしてくるから不思議だ。前半に演奏された、もとは自動オルガンのために書かれたモーツアルトの曲が、演奏者の思い入れも深かったようで、もっとも良かったように思う。ただ、正直、ブラームスはちょっと?と感じる。

彼女はピアノの弱音ペダルも駆使されていたが、サスティーンペダルの離し方(つまり曲の終わり方)があまり美しくないように感じられた。また、私には音や音色への配慮も少し荒いように感じられた。

今日はステージが平台で組まれ、床から少し上がっており、ピアノのキャスターの向きもあちこちだったので、ちょっと?と思ったところもあり。途中で調律の状態にも?(あのB♭)と感じたところもあり。って、私が細か過ぎるオバサンに過ぎず、こんなことを書くと、また人から批判されるかもしれないのだけれど(苦笑)。

村田さんの音はどこまでもやわらかく温かい。そのお人柄もいつもながらユーモアたっぷり。パウエル・ジャパンの小さなホールは、管楽器屋さんの中にあり、「高いフルートから安いトロンボーンまで、どうぞご堪能ください」なんて言う村田さんはすてきだ。



7月25日(月) カサブランカ

夜、NHK・BSで放映された映画『カサブランカ』(1942年)を観る。言わずもがな、ジャズのスタンダード曲「 As time goes by 」が有名な映画だ。イングリッド・バーグマンが美しい。ハンフリー・ボガードは、あまり私の好みではない。

が、この映画。やはり会話がイカしている。こんなにウイットにあふれていたっけ、と思う。その終わり方にもニヤッとしてしまった。それに、白黒、がとてもいい。光と影の世界。



7月27日(水) ガス燈

映画『ガス燈』(1944年)を観る。やはり、イングリッド・バーグマン。実は叔母を殺していた夫によって、精神病に追いつめられる女性をバーグマンが熱演。白黒映画の、すぐれた特徴にあふれていると感じる。



7月28日(木) キュールニング

午後、太極拳の教室。「関節を伸ばす」またまた、できない。右眼と左眼と、別々に視る。これも、なかなかできない。普段、意識していないことを意識する貴重な時間。その後、整体に行き、身体の調子を整える。

夜、NHK・BS『Amazing Voice』を観る。基本的には、スウェーデン出身のグループ、ABBAの特集。その独特の発声法、歌唱法をめぐる番組。

中でも、スウェーデン・ダーラナ地方の山間部に伝わる伝統唱法という「キュールニング」は、とても面白かった。

「キュールニング」は、夏、牛飼いが牛を山の奥に連れていった際、遠くの仲間と連絡を取り合ったりするために使った唱法だという。また、その声を出す女性たちは、気温や湿度に合わせて、どの音(音程など)で声を出すか、といった技術も身に付けているのだそうだ。

古来、声にはこうしたコミュニケイションの力があることを再認識した。

それにしても、この番組、着目点はいいのだけれど、出演者がどうもいげない。

ところで、去る7月21日に、中村とうようさんが亡くなった。自殺だったという。若い時、こうした“民族音楽”を、中村さんが書いたものからずいぶん学んだ。心からご冥福を祈る。

って、どうも最近、大人が自らの命を絶ったり、亡くなったりしている。病気はやむを得ないとしても、なんだか、日本にあまり良くない“気”がとりまいている気がする。




7月29日(金) 音

夜、渋谷・公園通りクラシックスで、江村夏樹(作曲/pf)さんのラウイヴ『川が流れる村』を聴く。足を運んだ動機は、mori-shige(vc)さんが譜面に書かれた楽譜(現代音楽)を演奏されるということと、たびたびライヴのお誘いを受けている柴田暦さんが、芥川龍之介の作品を朗読するという興味からだった。

mori-shigeさん、以前より音符に書かれたものは演奏しない、即興演奏だけ、とおっしゃられていたのだけれど、彼にとってはトライ、勉強、ということだったそうだ。また、ご事情があって、この秋でしばらく演奏活動を休止される由。そこで、どれどれとでかけてみた。

演奏者はほかに、日高和子(cl)さん。聞けば、20年前くらいから“時々自動”のメンバーだという。ということは、私はその演奏を以前に聴いていることになる。終演後、1980年代後半から1990年頃にかけての、懐かしい話もしたりして。また、山本ヤマ(tp)さんも。彼女とは門仲天井ホールやトランクシアターを通した知り合い。

で、思う。譜面に書かれた曲だろうがなんだろうが、やはり、問題は「音」だ。生きた音を奏でているかどうか。そういう意味で、mori-shigeさんの音は、表情豊かに屹立していたように思う。

残念ながら、江村さんの音楽は、私にはあまりぴったりこなかった。暦さんの朗読はいわゆるテープ音楽を流し、江村さんは脚立の上から木片を投げ落とすというパフォーマンス付きだったが、暦さんが生かされているとはあまり感じられず、全体によくわからなかった。『川が流れる村』も第六楽章まである曲だったが、私には変化に乏しいものに感じられた。

作曲されたものに、個人の声を持ち込む、ということを成功させたのは、20世紀、私はデューク・エリントンと武満徹だったと思っているのだが、今日のライヴはそこからは遠いものだったように思う。というのは、余計なお世話というもの。作曲家、江村さんはそんなことは考えていないだろう。

ただし、私に即して言えば、1980年代後半、新宿ピットインの朝の部をやっていた頃に、悟ったのだった。表現したい世界において、楽器がそろっていればいいわけでは決してなく、やはり、人、だということを。



7月30日(土) ロシアの歌

夜、西荻窪・音や金時で、石橋幸(vo)さん、通称タンコさんのライヴで演奏。

今日は向島ゆり子(vn)さんがいなかったので、翠川敬基(vc)さんがメロディーをとる場面も多く、時々ぞくっとくる。



7月31日(日) 散らばる菜箸

夜、渋谷・ドレスにて、喜多直毅(vn)さんとデュオで演奏。喜多さんは一ヶ月近いヨーロッパから帰国したばかりの、洋行帰り。

向こうでは即興演奏しかしなかったとのことで、喜多さんは即興演奏しかやる気がない、と言う。かたや、私は曲をたくさんやってみようかと思っていた。ということで、折り合い点は、前半はソロ演奏も含めて即興演奏、後半に曲をやる、ということに。

このお店のピアノはアップライトなので、実は私の背後で何が起きているかはよくわからない。

でも、どうやら、このヴァイオリン界の貴公子、否、天才・ガイキチ・ヴァイオリニストは、何本もの菜箸を使って演奏したり、それを放り投げたり、声を出して咆哮したり、ヴァイオリンに息を吹きかけたり、いろいろしていたらしい。

この一年余り、おそらく斎藤徹(b)さんや翠川敬基(vc)さんから多大なる影響を色濃く受け、この夏、ヨーロッパに単身で行って演奏して帰って来た喜多さんは、新たに自分の演奏に自信を持ったように感じられた。私の背中はそんな風に受け止めていた。

それにしても、喜多さんは独特のイントネイションでメロディーをこよなく歌う。昨日、たんこさんとやったロシアの歌を提案してやってみたのだけれど、自分はなんてメロディーを弾くことがヘタクソなのだろうと、演奏しながら嫌になってしまった。やはり、聴いている量によるのだろう。気持ちはあっても、にわかロシアはダメだ、私。反省。






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