11月
11月1日(木) ソロ・レコーディング

およそ20年ぶりに、ソロのレコーティングを行いました。

このことについては、別立てにして、webに掲載しています。

ご興味のある方は、『エッセイ 月見草U』へどうぞ。



11月2日(金) 右脳がうっ血

午後、耳を患って以来通っている整体へ。院長先生が戻って来ていて、施術をしてくださいました。さすが、です。

腰も痛いし、膝も痛いし、左足ふくらはぎも痛いし・・・。されど「どうしたの?右の脳のほうの血流がとても悪いわよ」と先生から言われ、最後は、首から上、顔の前面の骨、頭蓋骨をギュウギュウ押されたり振られたり。痛ーーーい。これはよっぽど右の脳を使っていたということなのでしょうか?ともあれ、かなりすっきりしました。

今年は坐骨神経痛で突然まったく歩けなくなったり、せっかく富士山にまで行って金環日食を観に行ったのに、ひどい嘔吐で何も食べられず、膝の猛烈な痛みにも耐えなければならず、さらに秋のお墓参りの時に蜂に刺されて、生まれて初めての救急車。更年期とはいえ、やれやれでございます。



11月3日(土・祝) 昼のサムタイム

今日は吉祥寺・サムタイム・昼の部で初めて演奏しました。鬼怒無月(g)さんとのデュオです。昼の部で演奏するのは、新宿・ピットインで演奏して以来のことになりますから、あらまあ、約四半世紀ぶり?

「吉祥寺という街。平日の夜は全然人が歩いていないけれど、土日の昼間はたくさん人がいるのよ」「昼下がりの雰囲気に、このデュオの音楽はあっていると思うわ」という店長さんの温かいお言葉により、この昼の部への出演と相成りました。

実際、街にはものすごくたくさんの人が歩いていたし、事実、お店はほとんど満席だったので、くりびつてんぎょう(=びっくり仰天)。

一昨日前のソロの音楽内容とまったく異なる音楽を奏でている私は誰?と思わなくもなかったのですが、これもまた私、なのでした。これでいいのだ。

というわけで、このデュオで再びサムタイム・昼の部で演奏するのは、来年3月23日(土)です。みなさま、ぜひ。



11月7日(水) メロンちゃんとマリーさん

午後、高瀬“まこりん”麻里子(vo)さんと拙宅にてリハーサル。

さてどんなことをやりましょか、と話しをしているプロセスがとても楽しいです。かくて、ファンのみなさまの強いご希望も取り入れて、再びメロンちゃんとマリーさんが登場することになりました。

2年前(2010年)の秋、私が企画主催して行っていたコンサート・シリーズ『耳を開く vol.3 いとおしくカバレット』に、まこりんさんに出演していただいたのですが、以来、“ミニ・カバレット”という感じで、歌あり、朗読あり、ちょっと演劇あり、ダンスあり(?)、といった感じの、いわば“まこりん・くろりん劇場”を展開しています。

このデュオのライヴは、今月17日(土)、渋谷・dressというお店で、予定されています。一聴、一見、の価値、あります。また、他の人はあまりやっていないことをやっている自負もちょっとあったりします。ぜひおでかけくださいませ。

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追記 

渋谷・dressがある、渋谷川周辺の古いビルたちは、東急の再開発計画により、東急によってどんどん買収されているそうです。渋谷川沿いのdressが入っている建物の並びは、このビルを除いて、既に買収済みになっているという噂を耳にしました。

それとは別に、dressのオーナーは、現在、ビルの大家さんと闘っていると聞いています。お店やオーナのファンのみなさまには、この一件でオーナーが倒れないように、声援を送っていただければと思います。もちろん、このお店が大好きな私も、何か力になれることがあれば、と思っています。



11月8日(木) 映画 『三池 終わらない炭鉱の物語』

東京・東中野のポレポレ座で、熊谷博子監督作品、 映画『三池 終わらない炭鉱の物語』 を観ました。
http://www.cine.co.jp/miike/

幼い頃、夏の盆踊りで、 おそらく一番踊ったことがあり、今でも口ずさむことができる、あの歌。 やはりその頃に読んだ、ちばてつやさんの漫画も思い出しながら、ポレポレ座の前に着きました。

始まって、すぐ、先の原発事故を想いました。 「同じじゃないの」 そう、つぶやいた自分がいました。

知らなかったことを、知りました。
考えるべきことを、教えられました。

今、私たちが生きているこの国のエネルギー政策、経済を優先させることで失ったこと、あるいは背負っていること、ものごとの裏側、隠蔽されていることなどなど、たいへん考えさせられる力作でした。

一本の映画になる向こうには、地道な資料集めや足を使った取材、さらに撮影されたフィルムは膨大であろうことが、容易に想像できます。 映画化されていない部分の、地層のようなものが、ものすごく厚いことが感じられます。

映画を観終わって、最終的に、この女性監督、熊谷博子さんにいたみいりました。

その時、その場、その人間、に寄り添って、根気良く取材を続ける熊谷さんの姿勢は、すごいと思いました。自分の言動や行動の源となる動機や衝動を失わず、だからといって、エゴイズム丸出しで、自分を押し出したり押しつけるのではなく、まるでお腹の中に子供を抱えているような感覚で、自身の問題としてとらえて、「動く」というところが、女性ならでは、という風にも感じました。

(女性云々・・・、 という発言はあまりしたくないのですが、死刑囚・永山則夫を追い続けている、堀川惠子さんのお仕事にも、私は同様の力強さを感じます。)

昨年の大震災以降、根性が座った生き方をしている人。自分の足元を踏みしめ、しぶとく生きていこうとしている人。そういう人たちの仕事を知るにつけ、私は自分の未熟さと共に、励まされる思いになります。残された人生、自分がするべきことに思いを馳せながら。

すぐれたドキュメンタリーだと思いました。

この映画が公開されたのは2004年のようなのですが、今月、ポレポレ座での上映は終わったものの、下旬には、横浜での上映が予定されているようです。

また、2008年に、DVDも発売されているそうです。この映画になっていない映像や証言なども収められているようです。
http://www.cine.co.jp/detail/0082.html

さらに、今年、熊谷博子さんが一冊の本にまとめていらっしゃいます。『むかし原発 いま炭鉱 〜炭都「三池」から日本を掘る〜』
http://www.chuko.co.jp/tanko/2012/03/004343.html
私は現在、購読中。



11月9日(金) パブロ

パブロ、と書いて、チェロ奏者・カザルスのことではありません。ピアニスト、作編曲家シーグレルのことです。シーグレルはアルゼンチン人で、1978年から10年間、ピアソラの五重奏団のピアニストとしても活躍した方です。

というわけで、夜、パブロ・シーグレル(pf)のコンサートを聴きに、築地・浜離宮朝日ホールへでかけました。共演者は、北村聡(bandoneon)さん、鬼怒無月(g)さん、西嶋徹(cb)さん、そしてゲストに梅津和時(ss,cl)さん。

ピアソラの曲に始まり、ピアソラの曲で終わる、(前半途中にも1曲、前半も後半もピアソラの曲で終わり、アンコールも)という構成でしたが、ほとんどの曲はシーグレルによるものでした。久しぶりにピアソラの曲も聴いたのですが、やはり圧倒的に「ピアソラ」であることに、あらためて感じ入りました。シーグレルの曲も細かいところに様々な工夫がされていて、アレンジも面白く、楽しい曲もあって、よく考えられているように思いました。

昨年、このメンバーで演奏され、今年もこれらのコンサートに向けて当然リハーサルは行われたことと思いますが、いかにせん、いつもいっしょに演奏しているわけではないと思われます。そういう視点から考えると、特にアドリブの場面において、ユニット全体のリズムに一体感や安定感がやや失われるところがあったように感じられました。リズムを横に直線的に感じている奏者の演奏が、走る、走る。

そこをふんばって、ユニットのリズムの軸になっていたのは西嶋さんだったように思います。西嶋さんのプレイはゴツゴツ、ゴンゴン、ブンブンという感じではありませんが、そのやわらかく温かい音は、サウンドとしても底辺を支えていたように感じられました。

北村さんの演奏は久しぶりに聴きました。青白い炎を感じさせる格好よさと、瞳の奥でその時々の情況や他者を冷静に分析しているような雰囲気は、以前と変わらず健在という風に感じましたが、いやあ、なんだか色っぽくなった気がしました。シーグレルのユニットではありますが、ここはもっと北村さんが前面に出て、全体を引っ張ってももいいんじゃないかしら、と思った場面もあったように思います。

また、その音楽は、プログラムの構成も含めて、もっと色彩感があり、起伏のある、ダイナミクスレンジの広い表現が可能なのではないかしら、とも思いました。もっともっと音楽の深いところへ到達できるように感じたのです。なんだかとてももったいない気がしました。

ちなみに、私はピアソラの初来日公演(振り返れば、今からちょうど30年前!私がちょうどジャズを習い始めた頃)を聴いています。その時の音楽は、暗い哀しみとやさしいよろこびにあふれ、どこまでも深く、ピアソラは凛々しく立って演奏していました。

当時、高柳昌行(g)さん→井野信義(b)さん→高瀬アキ(pf)さんという流れの中で、私はジャズ・ピアノの師匠であるアキさんといっしょに行って、楽屋にも訪れ、ピアソラが左利きであることを知ったのでした。実はわけもわからず行った感じなのですが、その音楽の印象は強烈なものとして残っています。

話しを戻します。

また、このユニットには「パブロ・シーグレル・ミーツ・トーキョー・ジャズ・タンゴ・アンサンブル」という、わかるようなわからないような名前が付けられていますが、シーグレルがジャズも学んできた人とはいえ、コール&レスポンスに基づくフレーズ合戦としてのジャズは、私には不要に思われました。

不要と言えば、ステージ上方に吊るされていたスクリーン。野外公演あるいはドーム公演よろしく、実況中継されていたわけですが、ステージの照明とあいまって、画像が不鮮明だったことは言うまでもなく、私には、まったく不要に思われました。

おまけに、客席真ん中後方にはPA及び撮影スタッフが陣取っていたわけですが、演奏中、撮影スタッフのインカムから低い男性の声がずっと洩れて聞こえていました。さすがに、途中の休憩時、勘弁して欲しいとお願いしたのは私です。



11月11日(日) ETV特集 『永山則夫 100時間の告白』

東京、今夜は雨、です。
今日もまたちょっとハードな内容のことをアップします。

こうした問題に、なぜ、自分の心のアンテナがピクピクするのか、よくわからないのですが・・・。ま、もしかしたら“血”のようなものがあるのかもしれません。

・・・・・

堀川惠子さんがディレクターをつとめている、NHKの番組、ETV特集(2012年10月14日放映) 『永山則夫 100時間の告白 〜封印された精神鑑定の真実〜』を観ました。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/1014.html

当時、永山の精神鑑定をした石川精神科医。その石川さんが作成した精神鑑定書、 及び、のべ278日間、 100時間にも及ぶカウンセリングの録音テープ (番組の中では、その言葉は的確に選び出されている)これらの資料を軸に、当時の映像も差し挟みながら、永山の生涯をとても丁寧にたどった内容になっていました。

最後には、現在の厳罰化している司法に対して、さらに、現代の家族内における虐待に対して、また、現社会のいじめやを暴力に対して、決して声高ではなく、押しつけるのでもなく、私たちに深い問いを投げかけている、と思いました。

今回の作品は、永山本人はもとより、その母親、姉や兄といった家族、さらに、精神鑑定をされた石川さんの生涯にも、私たちが想いを馳せることができるような、そんな創り方になっていると感じました。

処刑された永山の独房に残っていたという精神鑑定書。(永山自身の手により、きれいに包装され、中にはたくさんの線などが引かれていた。)それを、堀川ディレクターが石川さんに手渡すところで、私は思わず、涙。

(永山はこの精神鑑定書を自から否定したため、石川さんは、以降、精神鑑定医をやめ、精神科医として生きる道を選んだそうです。これだけ永山に真摯に向き合ったにもかかわらず、本人に否定された石川さんの失望は、想像するにあまりあると思います。)

(なお、この精神鑑定書は「PTSD」に、日本で初めて言及したものとのことです。石川さんは、当時、最先端の精神医療に携わっていたそうです。)

つまり、この作品は「一人の人間の生涯の重さ」ということに、しっかり触れていると、私は感じました。

なお、ディレクターの堀川惠子さんは、これより先に、同じくNHK ETV特集で、『死刑囚 永山則夫 〜獄中28年間の対話〜』という番組を作られています。また、『死刑の基準 「永山裁判」が遺したもの』(日本評論社)という本も書いておられます。いずれもすばらしい力作、と思います。




11月12日(月) 歌舞伎鑑賞

早起きをして、午前中から新橋演舞場へ歌舞伎を観に行きました。『吉例 顔見世大歌舞伎』ということで、午前中の演目は「双蝶々曲輪日記 ふたつちょうちょうくるわにっき」と「人情噺文七元結 にんじょうばなしぶんしちもっとい」。

主役の片岡仁左衛門が体調不良で休演であることを、会場に着いてから知りました。

途中の休憩時間に、どこか遠い地方から出てきたご年配の方が、案内のお姉さんに「休演はいつ決まったの?知らなかったわ」と軽くかみついていました。お姉さん、一番最初に言った言葉は「インターネットでおしらせしております」。

・・・と言われても、尋ねたご婦人がインターネットができる環境にあるとは到底思えません。特に大震災以降、テレビもそうなりましたが、もはや、インターネットを見ることができない人たちのことは、世の中から置き去りにされている感があります。私は決していいことだとは思えないのですが。

さて、歌舞伎のほうは、いずれの演目も割合に軽い世話物という感じで、気軽に楽しむことができました。

「双蝶々〜」で表に出て浄瑠璃語りをされていた、竹本谷太夫(義太夫節)さん、鵜沢泰二郎(太棹)さん、私はすばらしかったと思います。途中から、舞台上よりも、右方向に首が傾いていたのは私です。また、女方・中村時蔵さんもいいなあと思いました。

「人情噺〜」のほうは、三遊亭円朝の人情噺を劇化したもので、江戸の市井に生きる人々が生き生きと描かれている感じで、楽しいものでした。尾上菊五郎が酒と博打にはまって落ちぶれているものの、どっこい、魂は江戸っ子でえ、みたいな役を、くっきり演じていました。

終演後、新宿に出て、コニカミノルタプラザで開かれている、村上康成さんとヨシカワゴエモンさんによる『絵本とスポンジアート 〜ようこそ、小さな大自然へ〜』を観に行きました。(高野のビルの上に、このようなスペースがあることを全然知りませんでした。)

村上さんのほうは絵本の原画が、ヨシカワさんのほうは黒色のスポンジによって作られた、海の生き物たちが立体的に展示されていました。思わず「欲しい」と言ってしまいました。

村上さんの絵はずっと好きで、伊豆にある美術館にも行きましたし、今年も既にカレンダーは購入済みです。ここ何年かは年賀状のやりとりをする仲になりました。うれしいかぎりです。

この後、おいしいお食事でも、というノリではあったのですが、睡眠不足と体調不良が重なり、ひどい頭痛と嘔吐感に見舞われ、外の空気を吸ってもいっこうに良くなりません。仕方ないので、いざという時のために、各駅停車に乗って、ゆっくり帰宅しました。そのまま電気毛布の上でダウン。



11月14日(水) 女性の生き方

夜、最近親しくさせていただいている友人が声をかけてくださり、NHK内で行われた、日本女性放送者懇談会の例会に参加させていただきました。今回は先の永山則夫をめぐるドキュメンタリー番組を作られた、ディレクター・堀川惠子さんのお話しをうかがうチャンスに恵まれました。

出席者は女性だけで、私は思わず女子高時代の生徒会活動を思い出しました。会議室なので、テーブルの配置がそう思わせたのでしょう。聞けば、そもそも女性だけの会だそうで、テレビやラジオといったメディアに携わる仕事をされている女性の方たちの集まりなのだそうです。

なので、堀川さんご自身がお話しされた後の質問では、前半は番組の内容に関するものが多かったのですが、後半はこうした活動(番組のディレクターや執筆作業)をされている堀川さんご自身に対する質問が多かったように思います。

ともあれ、想像していたよりも少ない人数で、ゆったりと話しを聴く時間を持てました。

堀川さんによれば、今回の内容のほうが、前回(2009年)の時よりもやりたかったこと、言いたかったこと、だそうです。彼女は34歳の時に、意を決して広島テレビを退職されます。精力的に現場に出て取材をこなし、寝るのは毎日会社のような生活を送り、管理職にまでなって、お父様のお給料よりもいっぱいもらうようになったにもかかわらず。それは現場に出たい、という思いが強かったとのことでしたが。

そして、広島テレビを出て、初めてわかったことは、「自分が知りたいことを、誰も教えてくれない」ということだったそうです。特に光市母子殺人事件が起きた時、テレビも新聞も“永山基準”ということを言っているけれど、それは何なのか?誰も解説してくれない、なので、「なんとなく気持ち悪くて調べ始めた」、そして「永山はなぜ事件を起こしたのか?」「人間は多面体だと思うけれど、いったいどこを見て、人は人を裁くのか?」という問題へ、ぐいぐい、どんどん突き進んで行ったそうです。

この堀川さんの言葉「なんとなく気持ち悪かったから」、さらに、「(石川精神科医から、永山の言葉が録音されているテープ全部、残されていたカルテ全部を持ち帰り、すべてを調べた終えた時)細胞がざわざわした」、また、映画『三池』を作られた熊谷さんが、その著書にも書いている「なんだかとんでもないものにさわってしまった/どうにも説明できないあふれ出る不思議な感情を抱えた」。

これらの言葉は、そのことに自分がひっかかってしまった出合いや動機を語っていると思うのですが、私には非常に女性らしい感じがします。決して差別するのではなく、修飾的な言い方をすれば、自分の子宮にやむにやまれぬものを抱えてしまった、という感覚になります。だから、信じられる、と私は思うのですが。

「石川精神科医をどうやってくどき落としたのか?」という質問





11月15日(木) シルバー

今年、しばらくぶりに障子を張り替えることにしました。それで、以前もお願いしたことがある地元のシルバー人材センターに依頼して張り替えてもらったところ、どの障子の桟も傷だらけになって返ってきて、指にトゲが刺さってしまいました。それで逡巡はしたのですが、「今回は、どうも仕事が乱暴な気がして」と、センターに電話しました。

すると、すかさず、社団法人の職員の方が、タオルを一枚持っていらっしゃいました。デジカメで写真を撮って、シルバーさんたちとの会合の際に話しをすると言っていました。

嫌みなクレーマーになるつもりは毛頭ありません。拙宅は建ってからもうそろそろ20年になりますから




午後は、高瀬まこりんさんとリハーサル。



夜は喜多君と話す。





11月16日(金) 聴き返す

ここのところ、できるだけ集中できる時間を捻出しながら、先のソロ・レコーディングの録音を繰り返し聴いて、来週のマスタリングの準備をしています。

だんだんだんだん、自分が嫌になってきました。



























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