1月
1月1日(火) 迎春

あけましておめでとうございます


昨年は20年ぶりになるソロ・ピアノのCD『沈黙の声』を発表することができました。自分とピアノに向き合ったこの作品は、私の人生の大切なひとつの節目になったとように思います。

処女作のソロCDのタイトルは『Something keeps me alive』ですが、自分がいかに多くの人によってここに在ることができているかを含めて、今、生かされていることを、あらためて空を仰いで思う今日この頃です。

また、六月には、念願の天川を訪れ、天河神社にお参りに行き、CDも奉納して来ました。その一週間後、新宿ピットインでのCD発売記念ライヴの際に猛烈な頭痛に見舞われ、三日後に再び倒れて、耐えきれずに生涯二度目の救急車を呼ぶことに。(ん?何かにとりつかれたかしら、私?)「あいうえお、ドレミファソラシド、だいじょうぶ」と唱えていた私でした。いやはや年相応に身体はほころんできているということなのでしょう。自分に残された時間に想いをめぐらす日々を生きました。有り難いことです。

今年は去年オープンした両国門天ホールで、再びコンサートを企画制作する予定です。春夏秋冬(ああ、この泉谷の曲をギターの弾き語りで歌える、フォーク少女だった私)に各一回ずつ行い、カバレット形式を用いた「オルトペラ」をめざします。オルトはドイツ語で“場”の意味。それと“オペラ”を勝手にくっつけた造語です。

この大晦日、1980年代後半、ORT(オルト)というユニットをやっていた時の仲間たち、すなわち大友良英さんや村田陽一さんは国営放送の歌番組で演奏していましたが、振り返れば、私自身の志向はその頃からあまり変わっていないかもしれません。当時、6〜7人編成でやっていたユニットに「歌」が必要になった時、参加してもらったのはいわゆる歌手ではなく、役者で歌もうたう人たちでした。以来、私は演劇や朗読、無声映画などの音楽に長く携わることになります。

さらに、2000年には歌手、役者、即興演奏ができる演奏家を大勢集めて、クルト・ヴァイルの生涯を描いた作品で「オルトペラ・アンサンブル」として公演を行いました。以降、2000年代は主として弦楽器奏者との共演や、ヴァイオリン、チェロ、ピアノによるトリオの活動で、自分の耳や指は大きく変わったと思っているのですが、その流れの中で出会った喜多直毅さんと実験劇場『軋む音』シリーズを数回行ったことも、いわば言葉と音、テキストと即興音楽による時間と空間を創出するこころみだったと思います。

「歌」について少しだけ言えば、日本語の歌あるいは日本語で歌をうたうことで、自身やジャズ業界と闘っていたとも言える歌手、たとえば澄淳子さんや酒井俊さんといっしょに仕事ができたことは、私にとってはとても貴重なことだったと思っています。その後、カルメン・マキさんとも共演することになるとは夢にだに思っていませんでしたが。そして去年は、いわゆるスタンダード・ジャズを歌っておられる金丸正城さんのアルバム制作に携わりました。このような時が訪れるようとは、と思うと感慨深いものがあります。

また、音楽をやり始めてほどない頃の、巻上公一さん、ローレン・ニュートンさんといった方たちとの共演。さらには、おおたか静流さん、松田美緒さんといった、世界の空を飛び、いくつもの海を渡る声を持った、深い考えを持つ歌い手と出会えたことも、私の歌に対する概念や思いを広げ、深めたものになったと思っています。

ということで、「オルトペラ」の第一回目は4月17日(木)。昨年、岩淵達治先生の追悼の会で初めてごいっしょさせていただいた、服部吉次さん(黒テント創立メンバー)と二人で行います。(以降、7月、10月、1月(2015年)の第三木曜日に予定しています。)ぜひ応援に来てください。

そのほか、エンタテイメントとシリアスな歌が混在する稀有なユニット、辻康介さん、立岩潤三さんと続けている“インヴェンチィオ”の活動も、レパートリーを吟味、広げながら、地道に続けていければと思っています。

これまで続けてきた喜多直毅さんとのデュオはさらに深く。鬼怒無月さんとのデュオはぼちぼち広く。また、才能ある若い人たちとのサシの勝負にも挑みたいと思っています。

そして、できれば、自身のユニットも始動したいと思っています。

この指が動くまで、この頭がボケるまで、ピアノを弾いていたいとは思っていますが、これまで門仲天井ホールで行ってきたようなコンサートのプロデュースや、何か別のかかわり方で仕事をしていく道も少しずつ模索していくかもしれません。


本年もどうぞよろしくお願いいたします




1月8日(水) CD買い始め

昨日、購入したCDの数々。

『美空ひばり&川田晴久/ひばり&川田 inアメリカ 1950』
『藤 圭子/艶歌と縁歌』
『二葉 百合子/セリフ入り歌謡ベスト』
『フィッシャー・ディースカウ/シューベルト 冬の旅』
『タリス・スコラーズ/ジョスカン・デ・プレ 祝福された聖処女ほか』
『軍歌・戦時歌謡 (音のギフトボックス5枚組)』

なかなか支離滅裂なラインナップだが、最初に聴いた、美空ひばり13歳の歌。一曲目の冒頭の歌い出しに耳を奪われ、めったにしないことだけれど、すぐに、もう一度最初から再生して聴いた。久々にぶったまげた。

美空ひばりは天才と言われ、デビュー当時は上手過ぎて大人びていて気持ち悪いと言われたことがよくわかった。映画『悲しき口笛』はテレビで観たことはあったけれど、こうして耳だけを傾けてみると、その歌唱力と表現力やはりものすごい。

はっきり言って、バックバンドの演奏はかなりいかがなものか状態だし、たとえば、12曲目に収められている「三味線ブギウギ」で伴奏している川田のギター演奏では、よくもまあ、こんな伴奏で音程も狂うことなく歌えるものだと、ひたすら感心。思わず笑ってしまったほど。

父親が浪曲の歌手、母親が三味線瞽女だったという藤圭子。やはり浪曲師の父のもとで育った二葉百合子。古来、日本人が持っていた喉の使い方や歌唱方法に想いを馳せる。

正直に言えば、私は美空ひばりの歌はあまり好きではない。ものすごく上手いとは思うが。そして、思う。美空ひばりも藤圭子も二葉百合子も、ほんとうは何を歌いたかったのだろう?と。あるいは、そういうことを歌手本人があまり深く考えなくても成り立っていた(無論、葛藤はいっぱいあったと思う)、レコード会社を中心とした昭和の音楽業界のことを思う。

『軍事・戦時歌謡』は5枚組で3000円だったので、資料として購入。独走し始めた現政権をにらみつつ、自らの立ち位置を確かめるためにも。




1月11日(土) 『とことこ』のニュース映像

昨年末、長野県・茅野市の市民館・マルチホールで行われた、影絵朗読劇の公演『とことこ』の様子を、地元テレビによるニュース映像で観ることができます。

この作品、私はとても良い作品だと思っており、主宰者は現在タヒチ在住ですが、これからも時々日本で公演ができるといいなあと思っています。ご興味のある方はぜひご連絡くださいませ。

LCY-TV NEWS、2013/12/24 
影絵朗読劇「とことこ」(茅野市)の視聴をクリック





1月11日(土) 堀文子さんの文章

現在95歳の画家・堀文子さんが、1月9日の東京新聞に寄稿した文章。

これまで以上に、強い筆致で書いておられると感じました。共感したので、アップします。




1月24日(金) 中屋幸吉を知る

高橋悠治さんの曲集の中に、「名前よ立って歩け」という歌がある。その詩を書いているのが、中屋幸吉、だ。

便利な世の中になったものだと思いながら、ネットで検索してみる。

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遺稿集『名前よ立って歩け』の中屋幸吉が自殺したのは6月。
石川市の宮森小学校に米軍ジェット機が墜落、炎上し、授業中の児童11人を含む17人の死者、200人以上の負傷者を出した
「宮森小ジェット機墜落事故」があったのも6月だった。
この事故で、中屋の姪は焼死している。
そのショックで、琉球大学に入学したばかりの中屋は休学をしている。
復学した後は、米軍支配下の沖縄の現実を変革しようと、学生運動に加わり、主席間接指名阻止闘争では立法院議場を占拠し、逮捕・起訴もされている。
その後、中屋は詩を書き始めたのだが、66年6月、知花城址にて自殺。亨年26歳。

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生前には1冊の著作もない、沖縄の詩人。没後、三一書房から遺稿集が出ていて、その本のタイトルが『名前よ立って歩け』。表紙を開いて、最初に掲げられているのが、同名の詩だった。

高橋悠治さんがとりあげているのだから、当然、ある程度の覚悟はしていたものの、実に重い。

昨年末、2013年も終わろうとしている時に、突然、沖縄県の仲井真弘多知事は、米軍普天間飛行場の代替施設の建設地、辺野古の埋め立てを承認することを正式発表した。そして、今月、名護市の市長選挙では、その埋め立てに反対する稲嶺さんが当選した。

私にとって、日本国の中で、唯一、まだ足を踏み入れたことがないのが、沖縄県だ。沖縄がまだ琉球だった時代、祖父が「琉球の切手だよ」と見せてくれたことを思い出すが、その後は坂田明(as)さんのコンサートで何度かごいっしょした古謝美佐子(vo)さんが、私の沖縄、といったところだろうか。

・・・これまで、私は沖縄のことにきちんと想いを馳せたことがあっただろうか。そんな思いも胸に、その遺稿集を図書館で借りる。

中屋幸吉はいわゆる60年代安保の学生運動に関わり、その時代に青春を生きた1人だ。そうなると想い起こすのは、樺美智子(亨年22歳)、奥浩平(亨年22歳)、高野悦子(亨年20歳)。思わず、自宅の本棚の奥をみつめてしまった。

'60年代後半から'70年前後の騒然とした時代の雰囲気は、自分は小学生ながらも、なんとなく憶えている。裸電球1個の茶の間で見た、放水されている安田講堂の白黒のテレビ映像は、今でも鮮明に憶えている。

また、中学に入ってから、なぜかずっと高野悦子の『二十歳の原点』をバイブルのように持ち歩いていた私だが、いったい何がひっかかっていたのだろう。もしかしたら、それは私が書物を通して初めて体験した「死」(とても観念的だけれど)だったのかもしれない、とも思うけれど。

そうした記憶のようなものを、生まれた時代が違うために共有できないのではあるけれど、昨日の“Inventio”のリハーサルの時には、各自が同じ本(中屋幸吉の遺稿集)を持っていた。即、アマゾンで購入した辻康介(vo)さん、地元の図書館で借りてきた立岩潤三(per)さん。私はこうした人たちと共に音楽を創ることができていることを、うれしく思う。











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