1月
いちがつ

1月1日(木) 初春

新年あけましておめでとうございます
みなさまにとって、良い一年になりますよう





大晦日、私の最後の買い物は、なんと、ふなっしーのパーカー。実は昨年4月に突然ふなっしーにはまって以来、いまだにはまり続けています。国営放送の紅白の歌番組も、ふなっしーが出るというので観ていました。嵐が歌った曲のところで、プラカードに「暑い」と書いていたふなっしーに、思わず笑ってしまいました。(裏は「ありがとなっしー」と書かれていたと思います)

要するに、私にとって、ふなっしーの存在は、そういうはずし方をして、くすっと笑わせてくれるところにあるのだと思っています。ひとつぶのユーモア。これ、大事。

去年、私事、母の介護で自分の自律神経や血圧がおかしくなったり、9月半ばに突然倒れて今もなお入院中の母を思わない時はない日々のなかで、毎晩、ふなっしーのツイッターを読み、たまに動画を観ることで、正直、私はふなっしーに救われていると思っています。くすっと笑うことで、ほんの少しだけ心が軽くなり、明日も生きていけそうな気がするのでしょう。

ふなっしーについては、この「洗面器」(去年の4月)に書きましたが、やはり彼は稀なる才能の持ち主だと思います。神様が与えた才能。

昨年、ふなっしーはたくさんのテレビ番組で、かなり無茶、無謀な挑戦をたくさんしたと思います。空を飛んだり、海にもぐったり、木で造られたカートを運転したり。年末のTHE ALFIEの武道館公演では2m下に落下してしまいました。奇跡的にお尻に湿布するだけで済んだようですが。

今年、ふなっしーにはぜひとも初心に戻っていただけたらと思う私です。つまり、その出発点がツイッターでのメッセージ発信であり、YouTubeに勝手に動画を作ってアップしていたわけで、テレビというメディアは適当にしておいて、自分のラジオ番組をやるとか、動画配信をするとか、自らが発信する媒体で私たちに呼びかけ、ふなっしー独自の世界を作っていって欲しいと、私は勝手に思っています。

各地に存在するゆるキャラ、ご当地キャラのインタビュー番組とか、各地のおいしいもの紹介などはどうかしら?(基本的に、彼らは自分でしゃべることはできないけれど。)「地方(の過疎化)」の問題は、この国の在り方の根本的な問題だと思っている私は、今のふなっしーだからこそできることがあると思わずにはいられません。ふなっしーにとっては、甚だ余計なお世話ですが。

ふなっしーのことはともあれ、ほんの少しのユーモアとほほえみ。なにかとクソ真面目でいけない私は、心にとどめながら生きていきたいと思います。





そして、もう一人。内藤礼。

昨年、クリスマスイヴの日に、リニューアルオープンされた東京都庭園美術館で行われていた、『信の感情』と名付けられた、内藤礼展を観に行きました。それはもうたいへんすばらしかったです。

以下、印象を綴った断片的な文章です。

・・・・・・・・・・

なんだかよくわからない
けれど
自然に涙があふれてきた

その白い部屋に足を踏み入れ
ゆっくり歩く
いくつかの椅子
それらの椅子は自由に動かしていいそうだ
壁には白い絵が何枚か
向こうに
とても小さな人型の木と鏡
があることに
気づく

白い絵はどんな色でも線でも描くことができる
それは人の自由
そこには未来と希望
そしてあふれ出す肯定感
こんなに素直に人生をポジティヴに想っていいの?
いいのよというやわらかい声が聞こえる
やさしい風がそよぐ

小さな人型の木
いとおしくさえ
そして鏡
映し出される
あなた
わたし
あるいは世界

原発再稼働反対
特定秘密保護法案反対
集団的自衛権反対
沖縄辺野古移転反対
頭の中のあれやこれやが
半分どうでもよくなってくるような心持ちさえ

パンフレットを見て
見逃していたことに気づき
また引き返す

一つ一つ探す
それは人型を探す小さな旅
探す
探す
探す
求める

みつけたときのよろこびは
出会えたときのよろこびに似ている
この感情は何?

実は学芸員さえわかっていなかった展示番号

気付かれない人型
小さな存在
大きな存在

そしてまたあの部屋へ戻る
もっと涙があふれる

すべてがシンプル
どうしたらこんなにもシンプルで
こんなにも豊かになれるだろう
人に何かを与える届ける伝える
ということはどういうことだろう

・・・・・・・・・・

今年、内藤礼の作品集が出版されるらしいのですが、彼女の作品は空間のなかでこそ生きると思います。初めて内藤礼の作品に出合ったときの、あの風に揺れる二本のリボンもまたしかり。その本は彼女の履歴書くらいにはなるかもしれないけれど、彼女の作品は空間があってこそ、と私は思います。

この「信の感情」。どこかで少し体験したような気がします。あ、そっか、それはピナ・バウシュの作品を観たときの感じに似ていることに気づきました。

いったいいつになったら、私はこんな作品をつくることができるでしょう。一生できないかもしれません。でも、少しずつ、と思う希望は持ち続けたいです。

内藤礼で検索してみたら、こんな映画上映の企画も進んでいるようです。
映画『あえかなる部屋』





いったい、死ぬ、というのはどういうことなのでしょう?それは、生きる、というのはどういうことなのでしょう?という問いの裏返し。

今年は演奏の仕事は少なくなるかもしれません。自分は社会からもうあまり求められていない気がしています。それでも私は問い続けることはやめないと思います。何かを伝えようとすることを、届けたいと思うことをやめられないと思います。この祈りにも似たような気持ちを押さえることができないのは、この仕事を続けてきた性のようなものが身についてしまったからかも?ともあれ、ひとつひとつ丁寧にライヴや作品を創っていきたいと思っています。

一月は、喜多直毅(vn)さん、そして下羽南(oboe etc)さんとのデュオ。ほか、“カバレット”公演を二本やります。一つは昨年よりシリーズで両国門天ホールでお送りしている『オルトペラの世界』の冬公演。森都のり(女優)さんと二人で「愛のうた、歌たろか?」を行います。もう一つは、Inventioのユニットでの初めてのカバレットの試みです。これは昨秋に辻康介(歌手)さんと行ったカバレットが下敷きになっているもので「イタリア・パラディーゾ」。カバレット公演は、いずれもおおいに笑っていただければと思います。

みなさまのお越しを心よりお待ち申し上げております。

ということで、今年もどうぞよろしくお願いいたします。




1月8日(木) 初めてのまこたつ

夜、両国門天ホールで行われた、高瀬まこりんさんが主宰する新年会『まこたつ』というものに初めて行きました。

いやあ、楽しかったです。




(写真撮影:谷川恵さん)



上記の写真はアンコールのときのもので、白てぬぐいを羊の頭に見立て、プチ・コスプレして登場されたみなさん。左から、まこりん、小室等さん、谷川夢佳さん(谷川俊太郎さんのお孫さん/賢作さんの娘さん)、谷川俊太郎さん、吉野さん、瀬尾さん。全員未年だそうです。あっぱれ(笑)。

この『まこたつ』。毎年、まこりんの新年会ということで企画されていて、子年から始まり、途中一回休みで、今年で七回目になるそうです。

これはもうどう考えても、仕込み、買い出しなどの準備が相当たいへんそうであります。休憩中にはご友人の方の手料理もふるまわれ、帰るときにはおみくじ付きの小さなお土産までついてくるという、まこりんの細やかな心配り。そのほか、まこりんならではの、小さなものたちやディテールへのこだわりや工夫があちらこちらに。まこりんはさぞや疲れたことと思いますが、毎年こうしてお客様をもてなし、自分なりのお正月を創って、その年の出発にしていたのですね。すばらしい。

谷川俊太郎さん。私は高校時代にその詩に出合って以来、もう少し具体的に言うと、現代国語の時間にその詩を読んでぼろぼろ泣いてしまって以来、読み続けている数少ない詩人の一人かもしれません。夏目漱石との出会いも含めて、「言葉の力」にめざめた時期でした。(それで大学は文学部国文学科を選びました。)大学時代は詩人が朗読する会にけっこう行ったりしていたので、谷川さんや吉原幸子さん、吉本隆明さんなどなど、サインしていただいた詩集は本棚に大切にしまってあります。

小室等さん。声が太くなられ、歌の説得力が深くなっておられたような気がします。私は私でいいのだ、等身大の生き方を自然にしている(等身大ということは、自分がよくわかっているということでもあると思います)、というようなことを、いつも教えてくださっているように思います。案外ね、人は肩に力を入れて、こうせねば、こうあらねば、こうしたい、と思いながら生きているものかもしれないわけで。そうじゃなくてね、とやさしく語りかけてくる存在が小室等そのもののように思えます。今回は、なぜか内藤礼(美術家)が少し重なりました。

書初めに「愛の底引き網」と書いた吉野さん。それに呼応して書かれたのが、谷川さんの「愛の一本釣り」とのことでしたが、ま、これで吉野さんの正体がほとんど明かされていると言っていいでしょう(笑)。時々悪意のない辛辣な言葉が、いつものように、そのお口から出ていました。

瀬尾さんは飲みが足りなかったのでしょうか?大御所や毒舌家に囲まれ、かわいい夢佳さんが既婚者であることを知って少しがっかりしたのか、ちょっとおとなしめな感じ?いえいえ、吉野さんとタイプが全然異なるので、演奏はたいへん楽しめました。

ともあれ、このコントラバス奏者二人による生音の演奏、まこりんの歌、小室さんのギターと歌は、とても心地よいものでした。もちろん、けっして声高ではない、俊太郎さん、夢佳さんの朗読も。

2ステージ目の冒頭、奥のガラス扉の向こうに、羊が二匹。着ぐるみの登場!どうやら毎年やっているらしいのですが、あの扉の向こうからニュッと現れた感じ、よかったなあ(笑)。着ぐるみが自分の近くにいるというのは、こういう感覚なんだと思った途端、もちろん、私はやっぱり本物のふなっしーに一度会ってみたいと思ってしまったのでした(苦笑)。




(写真撮影:山田真介)



まこりん。あたたかなひとときをありがとう。よい一年になりますように。


追記
まだかなり先の話ですが、まこりんと私、二人で行うカバレットの公演が11月(千葉県船橋にあるホール)に決まっています。ご興味のある方はぜひ。




1月10日(土) 学ぶこと

昨年のGW、ハープ&チェンバロ奏者の西山まりえさんが主宰する、古楽のワークショップに参加し、生まれて初めてハープを演奏する機会に恵まれました。ハープといっても上等なベンツが買えるらしいグランドハープではなく、膝の上に載せて弾くことができるハープです。

その後、まりえさんのハープのレッスンを受けることに心を決め、一度レッスンを受けに行きました。ただ、去年の秋は私事いろいろあり、ツアーや仕事で行けなかったり、といったことが続き、レッスンを全然受けることができず、かくして、本日、二度目のレッスンに行きました。

「いい音を出したい」

今、私が望んでいるのは、ただそれだけです。まりえさんが弾くと、ほんとうにいい響き、倍音が生まれています。空気が細かくふるえていることが感じられます。ハープもチェンバロも。

もともと即興演奏の興味から自然に古楽に近づいていった私ですが、今はもっと音そのもの、あるいは音が生まれ、伝わっていく、ということへの関心が深くなっているかもしれません。

親指は「くるっ」、人差し指から薬指(小指は使わない)までは「ぱくっ」、そして脱力「ぼやっ」。これができないのであります。指にやらせない。これもまたできないのであります。

背骨中心で構え、背骨から弾く。肩甲骨に羽が生えているような感じで、力を抜いて弾く。頭は吊り下げられているような感じで。ん?これは太極拳と同じかも。

で、今日は、ハープのレッスンはそこそこに、チェンバロを弾かせていただきました。なんでも何百年か前の神社の檜を使って創ったという楽器で、いやあ、これがまたなんともすばらしい。

私がチェンバロ(スピネット含む)を弾いたのは、多分これが生涯三回目でしょうか。問題は指のかたちとタッチ。幼稚園のオルガン教室から始まっている私の鍵盤演奏歴は、指を立て、おむすびが入るような形にする、と習ったところから出発しているのですが、その演奏法ではチェンバロはけっしていい音が出ません。ほんとうに出ません。音色が全然異なります。

無論、ピアノとチェンバロはそもそも構造がまったく違うわけですが、演奏法(運指も含む)も異なっているわけで、それを意識すると、同じように白黒の鍵盤が並んでいるのにもかかわらず、チェンバロを前に、私は全然弾けなくなります。弾けない。ああ、なんてすてきなことでしょう。

ジャズをご存知の方でしたら、チェンバロを弾くときは、そうだなあ、セロニアス・モンクのような弾き方をすると、いい音が出ます。昔のクラシック音楽のピアニストにも、そういう弾き方をする人たちが大勢いたようですが。

また、グレン・グールドの弾き方。つまり、鍵盤から指を離す瞬間。これが問題。などなど、今日はまりえさんといろいろな話をしたレッスンになりました。具体的にいろいろなことを知るのは、ほんとうに楽しいです。

ともあれ、万一、私がチェンバロに手を染めたら、多分、もうピアノには戻れないだろうなあと予感しています。ので、もう私にはそんなに時間は残っていませんし、チェンバロの奏法やイメージをハープの演奏にも生かし、こうして様々な音楽の考え方を吸収して、自身の音楽を豊かにすることに生かしたいと思っています。

ということで、今度の月曜日(12日)は、歌手・波多野睦美さんのワークショップに見学に行く予定です。テーマは「ヴィブラート」。ピアノ弾きにはあまり関係ないじゃんと思う方もいるかもしれませんが、いえ、多分、とても大事なことのように思えています。見えない、聞こえない、できない、ことは、多分、すごく大事かと。って、ここに何かありそう、というのは、ほとんど直感ですが(笑)。

と書いてきましたが、「学ぶな」と、灰野敬二さんは言うのでありました(笑)。最初の15~20分だけでも、そのすごさが感じられると思います。

灰野敬二さんのインタビュー(2014年10月)



追記
昨年末、東京都庭園美術館で行われた『内藤礼展』に際し、web上で公開されているインタビューの文章の一部を、以下に書いておきます。
(全文はこちら)

・・・・・・・・・・

本館の空間はどう思ったか?という質問に対して。
(備考:本館というのは、フランスのアール・デコ様式が日本でいち早く本格的に取り入れられた旧朝香宮邸のこと)

このようにきらびやかな装飾に彩られた場所は、これまで縁がありませんでしたが、それもまた人が生きてきた場所であることは確かなのです。そこで生き、過ごした人たちを思いました。

いま私が取り組んでいることを胸に、一人で、空っぽになって、感じられるものを一つ残さず捉えようと、何日もそこにいました。

本館と新館をゆっくり巡り、そこに現れようとしているものを感じとろうとしました。

やがてある感情が動きだし、止まらなくなりました。

ここはどういう場所で、私は何をしようとしているのか。

こみ上げる感情によって感じとろうとしました。

その頃から、場所は私にとって少しずつ普遍的で親密なものになっていきました。

いっしょうけんめいに現れようとしているものを、限定したり抑制してしまわないように、形を持たないまま心に漂わせ、誰にもしゃべらずに、そのまま家に帰りました。

・・・・・・・・・・

うんむう。西山まりえさん、灰野敬二さん、内藤礼さん。我ながらなんという並記の仕方だろうと思いますが、共通しているものがあると思っています。どうも今年はこのあたりのことが、私自身が変わっていくかもしれない中心になる気がします。

さらに追記(1月11日)
「いい音を出したい」と言った時点で、多分、灰野さんからは「それも違うでしょ?」と言われるだろうな、と昨晩寝る前に思いました。




1月12日(月・祝) ヴィブラート

歌手・波多野睦美さんが主宰するワークショップに初めて行きました。このワークショップは、実際に参加して声を出す受講生のほかに、聴講するだけでもOKとのことで、私は静かに見学させていただきました。

今日のテーマは「ヴィブラート」。

普段、ヴィブラートはかからないピアノという楽器を演奏している私にとって、ヴィブラートの問題は関係ないのでは?と思う方もいるかもしれませんが、私はそうかなあ?と応えます。

実際、ピアノは、たとえば鍵盤に念をこめて指先を震わせたとしても、ヴィブラートはほとんどかかりません。気のせいくらいの感じで、ほんのわずかだけ、音の響きが揺らぐ感じはするかもしれませんが。

私にとって問題なのは、自分が歌いながら演奏しているということです。では、どういう歌い方をしているのか?と尋ねられると、正直、これまであまり考えたことがありませんでした。

さらに、今世紀に入ってから、私は、金管楽器や木管楽器奏者よりも、弦楽器、つまりヴァイオリン、チェロ、あるいはギターといった楽器を演奏する人たちとの共演が増えました。その際、自分が作った曲に対して、共演者から「ここはヴィブラートをどれくらいかけるの?」と尋ねられたとき、答えられない自分がいました。なので、ヴィブラートのことをもっと知らなきゃダメでしょ、という気持ちが自分の中にあります。

今回参加してみて、ヴィブラートといっても、実に様々な種類があることがわかりました。その上下の幅、速度によって表現が変わる。ヴィブラート、トリル、揺れ(震え)、それらは全部違う。などなど、ふむふむとメモすることがいろいろありました。

また、ヴィブラートを個々の身体性とシンクロさせるのに、波多野さんが各自の手を使ったり、二人一組になってリボンを用いていたことが、私にはとても面白かったです。声のワークショップならでは、と感じました。なるほど~。

そして、外から見ているので一層わかったのかもしれませんが、自分がヴィブラートをかけているのかいないのか、よくわかっていない受講生の方たちがほとんどだったことも、またとても面白かったです。少し語弊のある言い方ですみません。批判しているとか、決してそういうことではありません。

つまり、自分がヴィブラートをかけているという意識、あるいは自覚がされないまま、歌をうたっている自分に気づかれた方たちが多くいらっしゃった、という感じでしょうか。

概ね立派な音大を出ている女性の方たちが参加されている感じがしましたが、いつものことながら、今の音大がいかに狭い教育しかしていないかが、逆に感じられた部分もあったように思います。いわゆるオペラ唱法(こんな言い方もまた曖昧ではあるのですが)だけが偉いわけでもなんでもなく、世界中には様々な音楽があり、声の在り様があることを、ほとんどの人が卒業してから学ぶことになるのかもしれません?

今日はたまたま「オンブラ・マイ・フ」(ヘンデル作曲)を歌った方が3人いました。とてもきれいな旋律をもった曲ですが、波多野さんだったらどんな風にうたわれるのか、聴いてみたかったなあと思いました。最後にリクエストしようと思っていたのですが、会場の時間切れで断念。

後日、波多野さんにはメールでいくつか質問させていただきました。誠実なお応えをいただき、とてもうれしくなりました。やはり、波多野先生、とても細かいところまでヴィブラートを意識されていることがよくわかりました。




1月16日(金) ラテン音楽

ひと口に、ラテン音楽、ったって、広うござんす、ですが、昨日、突然友人からお誘いを受け、“見砂和照(みさご かずあき)と東京キューバンボーイズ”の結成65周年記念コンサートに足を運んでみました。

金曜日の夕方5時半開演というコンサート。聴衆の年齢層がほとんど想像できる気がしなくもない時間ですが、大勢のお客様が足を運んでいました。ゲスト歌手として、元宝塚の方たち、雪村いづみさん、ペギー葉山さんが歌われ、後半には東京スカパラダイスオーケストラも演奏しました。

前半、「踊り明かそう」を歌われた雪村いづみさん。お歳を召されて云々と噂を耳にはしていたのですが、背中がぱっくり開いたドレスを身に付け、喜寿を越えてもなお、少々荒っぽいところもあったものの、声はよく出ておられたのにびっくりしました。

後半は、スカパラとのバンド・バトルのシーンもあり、なかなか楽しめました。左半分がいわゆる“ロートルなドンバ”の雰囲気、右半分が若者たち(といっても、彼らも今年結成25周年ですから、それなりにピチッとキメたおじさんたち)で、わきあいあいと演奏していて楽しかったです。

全体に飽きないプログラムになっていたと思います。プロデュースされた高橋正人さんのご苦労も実ったのではないかと思います。

私は今回のプログラムに書かれていた曲名を読んでも、どんな曲かはほとんどわかりませんでした。が、実際に聴いてみると、なぜか、いつかどこかで聴いた曲が多かったことに、自分で少し驚きました。とても小さい頃に、なんだか聞いたことがある、という感覚です。とても懐かしさを伴ったものでした。

解説を読むと、戦後、アメリカのジャズが流れ込んできて、日本のレコード会社には洋楽の新レーベルが次々に生まれ、1951年に民間放送が続々開局すると、そのプログラムを埋めるために、日本の流行歌以外のタンゴ、シャンソン、ラテン音楽が広まっていったそうです。

その流れのなかで、タンゴの藤沢嵐子、ラテンの宝とも子、シャンソンの越路吹雪、そして、ペギー葉山、江利チエミ、雪村いづみ、といった歌手たちが、ヒット曲を飛ばしたとのこと。

と同時に、すさまじいマンボブームと共に、ラテン音楽の隆盛が訪れ、その中心にいたのが、「見砂直照(今回の指揮者の先代、お父様)と東京キューバン・ボーイズ」だったそうです。(この見砂さんは、戦前から戦後すぐの頃には、タンゴバンドでベースを弾いていたとのこと。)

なんでも、1949年、麹町にあった高級クラブ“エスカイア”に2年前から出演していた2人の演奏家、すなわち、早川真平が「オルケスタ・ティピカ東京」(タンゴ)を、そして見砂直照が「東京キューバン・ボーイズ」を作ったそうです。

日本のポピュラー音楽の受容のことを、一度、きちんと考えないといけないと思いながら月日が流れているのですが、今回演奏された曲たちが、私の遠い記憶のなかにあるという事実が、自分にはちょっと衝撃的なことでした。おそらくジャズとの出会いより、ずっと前のことになると思います。

それにしても、司会者がたびたび言っていた「明るい」とか「情熱的な」という形容詞。一般的な日本人がラテン音楽に抱くイメージなのだろうとは思いますが、どうもなんだか違和感を抱かざるを得ない私はヘンでしょうか?何かとても大事なことが抜け落ちているような感じがするのです。それは、キューバといえば、チェ・ゲバラ、を最初に想起してしまう自分との齟齬感かもしれないのですが。

東京キューバン・ボーイズ(YouTube 注:音が出ます)
(指揮をしているのは、先代のお父様)




1月17日(土) 満月の夕

阪神淡路大震災から20年の月日が経った今日。

あの日、朝、起きて、いつものようにTVをつけたら、画面の向こうに信じられない光景が。どのチャンネルも震災の報道をしていて、私はその場に立ちすくんだことを、今でもはっきりと思い出します。

その約2年半後、1997年10月、ライプチヒでのフェスティバルから戻ったばかりの私は、翌日には齋藤徹(b)さんの小松亮太(bandoneon)さんを迎えた、期間限定のピアソラ・ユニットのメンバーとして、横浜ジャズプロムナードで演奏し、そのまま車に乗って関西に向かいました。まだ傷跡がいっぱい残っていた神戸の街。そして、人の心。非常にショックだったことも思い出しました。

夜、NHKで放映されていた番組『満月の夕』を観ました。歌が人にどう寄り添うか、人が歌をどんな風に引き寄せるのか、歌の力とは何か?ということが丁寧に作られていたように思います。

上記の頃と同じく、1997年秋、府中市のジャズ講座を初めて担当したときに、演奏者としてお呼びした一人が、歌手・酒井俊さんでした。その後、酒井さんとの長いお付き合いが始まったのですが、この「満月の夕」という歌を、いったい何回演奏したことでしょう。数えきれないくらい演奏しました。

この歌は、基本的には、中川敬さん(ソウル・フラワー・ユニオン)と山口洋さん(ヒートウェイヴ)の共作とされていますが、中川さんと山口さんとでは、歌詞が大きく異なっています。それは、神戸にいる者と東京にいる者との違いであることが、番組を見てよくわかりました。ちなみに、酒井さんが歌っておられたのは、中川さんの詞のほうです。

恥ずかしながら正直に言うと、もう一つの歌詞があることを、私はこの番組を見るまで、ちゃんと知りませんでした。そういえば、太田惠資(vn)さんが「中川さんのほうの詞で歌うんですね」と言っていた記憶がちょっとよみがえってきましたが。

2011.3.11を経て、さらにまた生きている歌。生涯に一曲でいいので、作りたいものです。私は中学一年生のときに、学年の応援歌を作詞作曲したのですが、今でも母校で歌われているかどうか・・・。もし歌われていたならば、私はきっと感涙すると思います。無名の者として。

話がそれますが、戦地に慰問で赴いた作曲家が、多くの兵士が声を合わせて自分が作った曲が歌われるのを聞いて涙する、という心情。この心情だけはわかります。自分が作った曲が多くの人に歌われる。作った者にとって、このよろこびはとても大きなものでしょう。そのことが、その時代において、どのような意味を持っているのかは別として。

年末、紅白歌合戦のサザンオールスターズがうたった歌のことが大きな話題になりました。昨年、武器輸出の解禁が始まり、特定秘密保護法、集団的自衛権が通り、『報道ステーション』の古賀さんが言っていたように、この国はさらに武器輸出の拡大をはかる方向へ動いています。軍需産業、雇用促進、地方再生というシナリオ。そして「もはや戦争ができる国、ではなく、戦争がないと生きていけない国になる」という道。

結局、サザンは謝罪文を公表しましたが、この一連の騒動は、これから音楽家が背負わなければならない時代状況が象徴的に現れていると思いました。無論、それはほかならぬ、自分自身の問題でもあると思っています。

サザンオールスターズ「ピースとハイライト」(YouTube:注 音が出ます)




1月22日(木) カバレット・シリーズ終了

両国門天ホールとオルト・ミュージックの共同企画制作による『オルトペラの世界 カバレット・シリーズ』。春は俳優・服部吉次さん、夏は歌手・高瀬makoring麻里子さん、秋は歌手・辻康介さん、そして、冬、本日は女優・森都のりさんと行いました。

これら一連のチラシを作ってくださっているのが、デザイナー・山田真介さんです。今回は、彼が手掛けてくださったチラシのイメージから、森都さんが「愛のうた、歌うたろか?」の全体の流れや構成、台本を考えました。この思いがけない展開に、私は思わずほくそ笑んでしまいましたが。

冷たい雨の降る夜に、足をお運びいただいた大勢のみなさまに、心から御礼申し上げます。

このカバレット・シリーズ。どの回も、とても面白く、すてきな内容だったのではないかと思っています。普段ほとんど自分を褒めることがない私ですが、たまにはいいかな、という気分です。

当日現場に行ってそのまま演奏するジャズのセッションなどとは違って、こうしたことを実現するには、多くの時間と労力が必要になります。さらに敢えて言えば、たいていはお金になりません。持ち出しになります。

でも、自分以外の人とああだこうだと言いながら、こうして何もないところから何かを創り上げていくプロセスは、頭を悩ますことは多々あり、苦労も多いですが、とても楽しく、大事な時間を過ごしていると、あらためて思っています。

この場を借りて、これらの公演にお越しいただいたみなさま、共同企画制作の両国門天ホール及びお手伝いいただいた方々、そして共演者のみなさまに、心から御礼申し上げます。

下記、写真は、終演後の撮影タイムに撮られたものです。(撮影:山田真介さん)森都さんは、今回は亀になって登場しました。背中にちょっと見えるのは、亀の甲羅です。私がなぜこんな格好をしているか?って。ああ、聞かないで~。いくつかのシーンのうち、私はあやしげな占い師の役割を仰せつかったため、お客様のリクエストに応えて、こんなんです(笑)。








1月22日(木) 昭和歌謡

上記、女優・森都のりさんとの「愛のうた、歌うたろか?」は、亀が浦島太郎を探しに行く、いわゆる道行きの形式を借りています。亀は都会に出て、そこで様々な“愛”あるいは、愛の在り方に巡り会い、最後には浦島太郎に出会いますが、今度は永遠の別れに、というプロットです。

そのシーンの1つに、昭和歌謡のコーナーを設けました。その際に私が提案したのが、昭和の作詞家・阿久悠が書いた詞。そして、それはお客様も巻き込んでの「イントロ当てクイズ」に発展しました。

阿久悠さんが作詞された曲は、実に5000曲以上と言われており、その曲は多岐にわたっています。演歌、アイドル歌謡曲、フォークソング、コミックソング、アニメソング、CMソングと幅広い作詞をされました。そのシングル売上枚数は、秋元康が出てくるまでは、断然トップを走っていました。また、日本テレビのオーディション番組 『スター誕生!』の審査員をやっていたことも、今回、いろいろ調べて思い出しました。

興味のある方は、wikiっていただければ詳しいことがわかりますので、ここでは敢えてかきませんが、たとえば、こんな曲を作っています。

また逢う日まで、ジョニーへの伝言、勝手にしやがれ、UFO、宇宙戦艦ヤマト、ピンポンパン体操、北の宿から、津軽海峡冬景色。

他に、ざんげの値打ちもない、あの鐘を鳴らすのはあなた、どうにもとまらない、青春時代、せんせい、わたしの青い鳥、思秋期、雨の慕情などなど。沢田研二や山本リンダ、ピンク・レディーなどの一連の作品も、彼の詞によるものです。

これらの歌を書いた作曲家の名前を言うのは無理としても、歌った歌手を全部言えるあなたは、昭和な人かと(笑)。というか、私が小学生、中学生、高校生の頃は、テレビで見ることができる歌謡番組がたくさんあり、当時どんな音楽を聴いていたか?と問われると、はて、そっか、歌謡曲と呼ばれるものを聴いて育ち、わけもわからず歌っていたんだなあと、あらためて思ったのでした。私の場合は、途中からフォークソングやシンセーサイザーによる音楽が入ってきますが。

阿久悠さんはご自身で「津軽海峡冬景色」の冒頭の歌詞は最高傑作だと言っていたようです。
「上野発の夜行列車 おりた時から 青森駅は雪の中」
思わず、川端康成の小説『雪国』の冒頭を思い出す私ですが、この後に出て来る「連絡船」も含めて、実に“昭和”な風景と時間を感じます。

北へ走る列車の起点は上野ではなくなり、夜行列車も減り続け、青函連絡船はなくなり(明治41年から昭和63年まで運航。現在、青函フェリーは運航中)。今や、東京オリンピックを前に、常磐線は品川のほうまで乗り入れることになるとか?

「ききわけのない女の頬を 一つ二つはりたおして」(「カサブランカ・ダンディ」/沢田研二 作詞:阿久悠、作曲:大野克夫)なんて、今なら、セクハラで訴えられるかもしれません。

そして、特に演歌にはいわゆる不倫の歌が多いとは思いますが、こういう歌たちが作られることは、もうないのだろうなあと思います。その昔から、そういう男女の関係はあり、もちろん今もあると思うのですが、作られることがなくなってきている、ということなのでしょうか。とても漠然とした言い方になりますが、その愛の在り様や、言葉で描かれ、歌われている心象や風景は、"昭和"そのものだと、今回、あらためて強く感じました。

今回、そうした歌の一つと思われる、映画の主題歌になった、森進一が歌う「北の蛍」。私はこの言葉にグッときました。ちなみに、作曲は三木たかしさん。津軽海峡冬景色、時の流れに身をまかせ、夜桜お七、などを作曲した方です。演歌以外にも数多く作曲されていますが。

森進一「北の蛍」(YouTube 注:音が出ます)




1月25日(日) ひたひたと

ひたひた、じわじわ、と、この国が戦争への歩みを進めていることに、非常に危機感を抱いています。

1月23日の5ch『報道ステーション』での古賀茂明さんの発言が大きな話題になっているようです。イスラム国の邦人人質問題について、「日本人がアイアムノット安倍を掲げる必要がある」と明確に言っていました。

(この人質問題、25日深夜2時現在、新たにYouTubeに動画が投稿され、官邸には幹部が集まっているようですが)

また、去年の暮、特定秘密保護法案、集団的自衛権の閣議決定を経て、同じく『報道ステーション』の古賀さんは、武器輸出の拡大をはかるという政府の方針に対し、もはや戦争ができる国、ではなく、戦争がないと生きていけない国になる、と言っています。
http://www.at-douga.com/?p=12760

なお、この動画の中で、防衛大臣が経済のことを言っていて、この発言を聞いた私は、古賀さんと同様、それはとてもおかしい、と思いました。武器輸出の解禁は昨年4月に始まってしまったわけですが、武器輸出産業、雇用促進、地域再生計画、と連鎖していくということなのでしょう。

3.11からもうすぐ4年。原発が爆発してもなお、この国は経済を謳い続けているように思います。最近の沖縄辺野古の海自の高圧的な姿勢もひどいと思います。

さらに、気をつけなければらないのは、今はネットでの情報を得ることができるとしても、テレビや新聞がきちんと事実を報道しないという現実がある、ということだと思います。そんなことは3.11以来、イヤというほど知ったことではありますが。

否、時代はさらに進んでいて、政府や内閣に何か批判的な発言をしたり行動することが、非常にできにくくなっているという時代状況にも、私は非常に危機感をおぼえています。




1月25日(日) Inventioのカバレット

午後、公園通りクラシックス(渋谷)にて、辻康介(歌手)さん、立岩潤三(per)さんと組んでいるユニット“Inventio”のカバレット公演を行いました。このユニットとしては初めてのカバレットの試みでした。

「イタリア・パラディーゾ」と題されたこの企画は、去年秋に、辻さんと私が2人で行ったカバレットを、基本的に踏襲、発展させたもので、立岩さんが加わることで、さらに色彩感や表現の幅などが深く広がり、面白くなるのでは、ということで、ともあれやってみることにしたものです。

立岩さんが加わったことで、やはりリズムの側面は断然締まった感じになったと思います。また、既に“神様”でお馴染になっていますが、立岩さんのキャラクターがすばらしく、さらにユーモアあふれる内容になったかと思います。

全体のテンポ感や流れ、役者ではない人がしゃべるということ、即興演奏も含めて3人の在り様のこと、マイク使用の有無などなど、これから考えるべき問題はいろいろあったと思いますが、ともあれやってみてよかったと私は思っています。

終演後、来てくださったお客様たちとお好み焼き屋さんへ。それから、辻さんを除いた全員は下北沢の昭和の店へなだれ込みました。(後日談になりますが、その後、メンバー3人全員、風邪をひいたり、下痢になったりしました。カバレットの呪いか?とほほ。)




1月29日(木) きりり

夜、東京オペラシティで行われた、喜多直毅(vn)さんのクァルテット、CD『幻の冬』発売記念コンサートに行きました。

多くのお客様が足を運んでくださったようで、他人事ながらよかったなあと安堵しました。ミュージシャンの姿もちらほら。

途中休憩なしの約70分のコンサート。緊張感にあふれ、きりりとした空気に包まれた、いいコンサートだったと思います。あっぱれ。

このリサイタルホール。これまで現代音楽のコンサートなどで、何度も訪れていますが、その都度、舞台を自由に設定できるのがいいなあと思っていましたが、今はそれができなくなっているとも聞きました。

おそらく、客席で聴く場所によって、聞こえ方はかなり変わるのではないかと思いますが、今日、私が座った席では全体の響きがとてもやわらかく感じられました。

なので、コントラバス奏者・田辺さんの音はさらにやわらかく聞こえてきて、全体のサウンドの中にややもぐっているように感じれた部分もあったように思います。また、どうしても近代合理主義の権化のようなピアノの音が大きく聞こえてしまうところがあり、ヴァイオリンとピアノ、さらにバンドネオンの中音域が判然としないように感じられるところもあったように思います。私の耳がおかしいのかもしれませんが(苦笑)。

あくまでも、敢えて、敢えて、書きますが、この喜多さんの音楽には、もう少し音のエッジが立つ会場のほうが、その内容が引き立つように感じられました。って、多分、あの喜多さん独特の“痛い感じ”を、私がガツンと胸を突き刺されるように感じたいという思いがあったのでしょう。でも、その痛さがちょうど融和されてよかった、と前の方に座っていた友人は言っていましたから、やはり、聴く場所によって感じ方がかなり変わるのかもしれません。

ともあれ、喜多さんが創ろうとしている音楽、志、そしてそれに共感し、共に音楽を奏でている三人の仲間たちの、喜多さんへのリスペクトと信頼、心意気は、充分に伝わってきました。それだけで、充分に音楽。

私はそんな喜多さんをとてもうらやましく思いました。

去年頃から再びユニットを組みたい、自分の年齢を考えても最後のユニットになるかもしれない、というようなことを思いめぐらしてはいるのですが、なかなか踏み切れません。というより、私はやはりピアノ・トリオをもう一度やりたいと思っているのだと感じています。ヴァイオリニストとチェリストと。無論、それは決して誰でもいいわけではありません。

などとおばさんが言っているうちに、ピアノ・トリオをやり始めた2004年から10年以上経った今、ライヴハウスではごく普通に、あたりまえのように、特に若い人たちがストリングスや木管アンサンブルなどによるライヴを行うようになっています。音大を出た人たちがこうしたアンサンブルをライヴハウスで演奏するようになっているのでしょうね。良くも悪くも、ピアソラの音楽が遺した現象の一つではないかと思っていますが。時代は確実に流れている、とつくづく実感している今日この頃です。




1月31日(土) こんなピアノ

友人がこんなピアノの存在を教えてくれました。

http://www.boganyi-piano.com/en/piano/

実際に、生で聴いたら、どんな音がするのでしょう?










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