7月
しちがつ


7月1日(金) 今夏は九州、山陽方面へ

この夏、7月下旬から8月初旬にかけて、喜多直毅(vn)さんとのデュオで、九州の南部、山陽地方をツアーします。

詳細は、こちらを参考にしてください。
http://www.kitakuroda.com/#!summer-2016/cjeh

各地で、多くの方々とお会いできますように。
ぜひ聴きにいらしてください。




7月2日(土) 映画『日本と原発 4年後』

今回の映画は「4年後」となっているが、前作の映像や内容をかなり使っていたので、「4年後」のことをもっといろいろ具体的に知ることができるかなと思っていた私には、やや期待外れのところがあったのは否めない、というのが正直なところだ。

でも、河合弁護士たちが原発再稼働の裁判で闘い、勝利した報告や、絶望的な核のゴミのことなど、「4年後」として映像から伝わってくるものはたくさんあった。

また、上映後の舞台挨拶で、自然エネルギーへの転換をすることはけっして夢ではないという観点から、「第三作目を作っている」と力強く話されていたのは、河合監督ご自身だった。ちょっとユーモアもあり、毎回飯館村の村歌をアカペラで一人で歌われる監督の姿には、素直に心を動かされるものがある。私は応援したいと思います。

3.11直後の東京。新宿も渋谷も暗かった東京の光景を、私はけっして忘れない。ビルの柱に埋め込まれたLEDを使った動く広告を見るたびに、何かが間違っていると思う。イチエフの電気が東京に届いていることすら知らなかった自分。復興支援ライヴをして、必死に寄付先を探し。約3ヶ月後に東北の地に立ったときのことも、私はけっして忘れない。

公式サイト 『日本と原発 4年後』

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今夏、いまだに余震が続き、大雨にも見舞われている九州の南部で演奏する予定です。熊本大分地震から約3か月半後に行くことになります。気を引き締めて、喜多さんと音楽を届けてきたいと思います。

なお、デュオのwebなどでもおしらせしているように、今回は、熊本以外の会場に、募金箱を置かせていただきます。集まった寄付金はすべて「ゆめ風基金」(被災された障害者のために活動しているNPO法人)に送ります。あわせて、どうぞよろしくお願いいたします。




7月5日(火) 『兵士A』

七尾旅人さんの初めてのライヴ映像作品『兵士A』を、渋谷WWWへ観に行った。これはけっこう間際に観客を募集していたものに応募して、私は抽選で当たったので行くことができたもので、全員無料招待という太っ腹の主催者の配慮による催し。

ちょっと久しぶりに訪れた渋谷は、電気の無駄遣いが気になる、やっぱり騒々しい街だった。学生時代の1970年代後半、そして1980年代前半、勤めていた出版社が渋谷にあったので、その時代の渋谷の空気を知っている私としては、なんともガキの街になったなあと思ってしまう。

WWWという所に初めて行った私だが、地下深く、煙草の臭いがちょっとして、椅子は簡易な丸椅子。この椅子に座って、約3時間近く、休憩なしで、自分は耐えられるだろうかと思ってしまった時点で、歳をとったなあと思う。

この『兵士A』は、昨年(2015年)11月19日に、このWWWで行われた旅人さんの「特殊ワンマン」の、

「私は今日、兵士Aくん(近い将来、数十年ぶりに1人目の戦死者となる自衛官、または日本国防軍兵士)の扮装をして、過去から未来まで、さまざまな時代を切り取った歌を歌います。そして、どうしても描き出してみたかったあるものに、手を伸ばしてみようと思います。」

というライヴの映像記録作品だ。

共演者には梅津和時(as, etc)さん。確か、梅津さんはFaceBookに、このときのことを、とてもしんどかった、という感じで書いていらっしゃった記憶がある。手渡されたパンフレットに記載されている梅津さんの文章は「あの日、私は地縛霊になっていた。」から始まり、時代への危機感にあふれている。ちなみに、今回の参院選で、梅津さんは三宅洋平さんの選挙演説の後ろで演奏されたりしている。

いやあ、すごかった。

私のお尻、たくさんお肉がついているにもかかわらず、少々痛くなったけれど、旅人さんの3時間、ぶっ通しの緊張感、緊迫感は、ハンパなかった。前半の弾き語り、重低音、大音量の激しいノイズ、ドラム缶をぶっ叩いた(このときに、旅人さんは腕の骨を折ったそうだ)頃からの、もうイッている彼の目、そして少しの涙とともに歌われた歌たち。

言葉はすべてくっきりはっきりと伝わってくるし、声のピッチも歌の表現方法もまったくぶれない。彼のすばらしい歌の数々も、その声も、彼が創り出すノイズのサウンドも、なによりも、その思いが、いっときもだれることなど一切なく、映像に刻まれていた。

ライヴの現場にいたかった、と思った。

でも、そのライヴを映像化した監督・河合宏樹さんがパンフレットの最後に書いている実直な文章には、素直に胸をうたれる。

「この兵士Aに誰でもなりえる未来がくるかもしれない」

たとえば、この言葉は、どんどん右傾化してくこの国、こんな時代にあって、とても重く響く。旅人さんの音楽と生き様を記録に残してくださって、ほんとうにありがとう、と心から思う。付け加えれば、これは大画面、大音量、で観られてしかるべき作品だと思った。

そして、さらに、何に心が震えたかというと、そのほとんどが私より若い人たちが、映像(旅人さん)に対峙している姿だった。私は割合に後方に座ったので、なんとなく全体が見渡せる感じだったのだけれど、ほぼ、みんな、微動だにしないで、じっと見入っていたのだ。

そこには、まぎれもなく、旅人さんの生 き方に、時代へのまなざしに、なによりもその歌と声に、自分の心で感じて、自分に問いかけている人たちの姿があった。

「個」の尊厳とは何か?(というようなことを、旅人さんは声高に言うような人ではないと思うけれど。彼のまなざしはもっと小さなもの、ささやかなものに向けられていると思う)、そして今の時代の「危機感」を音楽と言葉を通して投げかけている旅人さんを、真正面から全身で受け止めている人たち。私はその若者たちの背中の光景を「希望」とさえ感じた。

この作品は、ナット・キング・コールが甘くやわらかい声で歌う「The very thought of you」で始まり、そして終わる。この音楽センスも抜群だと思う。というより、兵士Aと鏡のような位置づけになっていると感じた。

ちなみに、本編のなかで旅人さんは「 Fly me to the moon」を歌っている。私はそれこそ何百回と演奏していると思うけれど、旅人さんの歌うこの曲は心に沁みた。ジャズヴォーカリストはこんな風には歌わないし、歌えないだろう。

自分はなんとか3時間、座って観終えた。「まだ若いじゃん」とひとりごとを言ってみるものの、やはり疲れた。来年の自分はもう耐えられる体力がないかもしれないと思ったりもした。

なお、私は自身のツイッターで、
「約30年前にやっていた自分の「ORT」と、ハイナー・ゲッペルスの仕事と、喜多直毅(vn)さんとやっていた「軋む音」を思い出した」とつぶやいた。

これは、たとえばORTで、ブレヒト&アイスラーの「平和の歌」や「カール広場のポプラの木」をやろうと思った、最初のリハーサルのとき、私は大友良英さんに、ターンテーブルや手作りの俎板ギターで、思いっきり、歌をかき消すように、戦争の爆弾や銃声の音を出して欲しいと言ったときのことを指す。

池田篤(as)さん、村田陽一(tb)さんといった人たちを含め、メンバー全員がとても怪訝な顔をしたことも忘れられない。でも、それが私のなかで鳴っていたサウンドであり、音楽だった。(その考え方に、ブレヒトの“異化効果”の影響はあったかもしれないが。)

そして本番(多分、新宿ピットインの朝の部のライヴ)では、大友さんが奏でる爆音のなかで、池田さんも村田さんも、これ以上ないというメロディーを吹いた。つまり、自分の歌をうたったのだった。私はそのとき鳥肌が立ったことを、今でも憶えている。

また、喜多直毅さんとの「軋む音」を思い出したのは、音楽家(あるいは演奏家)が、言葉に深く、重くかかわり、少々演劇的なふるまいを伴うことを舞台で行う、という点において、ということでもある。

アウシュビッツを象徴させるために鉄条網をはりめぐらしたり。繭のイメージを具体的に表現するために、グランドピアノを模造紙で包んだり、喜多さんは蚊帳のなかでパジャマを着てパソコンのキーボードを叩いたり・・・などなど。
喜多さんのblogに「軋む音」のときの写真が少しだけアップされています

そうした具体的な表れはとりあえず横に置いておくとして、いわゆるライヴハウスで演奏している喜多さんとのデュオも含めて、こうした重い内容の作品や演奏は、たとえば、イエイ!という軽い雰囲気や、みんなで同調して楽しく手拍子を叩いて輪になって躍るとか、そういう類のものではけっしてない。それは、明日もう一度聴こう、観ようというものではないのだろうな、とも思った。

実際、今日、これだけの映像を観て、明日もう一度観よう、とは、私は思わなかった。正直、しんどい。でも、きっと、また、観たくなる。観て、何かを確かめたくなる。それは自分の存在そのものにかかわっていることだからだ。

たいていのミュージシャンは、よほどメジャーでないかぎり、ライヴやコンサートのいわゆる集客にとても苦労している。そのことをここで述べるのは本意ではないので、別の機会に譲るとして、その音楽を享受した人たちに、何かを問いかけるというような音楽は、自分が反芻したりするのに時間がかかる。そして、いわゆる一般受けはしない。

それでも、喜多さんと私は、多分、やり続ける。というような意味において、同じ質感のベクトルを、旅人さんに感じたのだと思う。旅人さんには失礼かもしれないけれど。

個としての声を持つこと。

それを教えてくれたのは、私にとって、音楽であり、ジャズだった。また、現代詩であり、夏目漱石だった。

それがどんどん抑圧され、制限され、自由でなくなっていく方向に時代が動いている。私にはものすごい危機感がある。帰り道、やっぱり渋谷はたくさんの人で溢れ返っていた。若者よ、旅人さんのDVDをよーく観て、投票に行って欲しい。

公式サイト 『兵士A』




7月7日(木) 七夕の日に

7月7日、七夕の日に、期日前投票に行った。どうか3分の2になりませんように、と願いをこめて。

夜は、Luna(歌うたい)さんと、中野・スイートレインにてライヴ。彼女と2人だけで演奏するのはまだ2回目。前半は七夕にちなんで星をめぐる歌の数々。後半は諸行無常への旅、みたいな感じになっただろうか。

Lunaさんのように、言葉、彼女の言を借りれば、言霊を大切に歌う人との音楽創りをする時間は、私にとってはとても大切なものだ。

振り返れば、出会った順に書くと、おおたか静流さん、酒井俊さん、カルメンマキさん、松田美緒さん、こうしたすばらしい歌い手の方たちとの出会いは、私のなかにある「歌」をさらに深くしてくれたと思っている。そういう意味においても、若いLunaさんとの出会いは大切にしたいと思う。

お客様がお帰りになられた後、しばし参院選の話しに。その後、ママの淳子さんもフォーク少女だった話になり、私は40年ぶりくらいに、赤い鳥が歌っていた「忘れた朝」をピアノで弾いた。ああ、若い頃に憶えた曲は今でも弾けるのね、の私(笑)。




7月8日(土) ファー・クライ










7月11日(月) ハクエイさんとのピアノ・デュオ





7月15日(金) 早川さんのリハーサル




7月16日(土) 部活という名の




7月17日(日) 第二次黒田京子トリオ、集会





7月22日(金) タルカス










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