6月
ろくがつ


6月3日(土) 苦しみのあとに

以前共演したことがある方と、おそらく30年くらいぶりにお会いした。彼女が最初に産んだお子さんは軽度の知的障害があり、そのお子さんを育てることがどれほどたいへんで、どれだけいろいろな思いを抱えてきたか、苦しみ、涙を流したか・・・話しを聴いた。

そして今、ようやく少し余裕が生まれ、その彼女が、若いときに作った歌をまとめて作品にしたいと言う。僭越ながら、私はそのお手伝いをすることにした。いい作品にしたい。




6月6日(火) 父を想う

父の命日。一人でお墓参りに行く。

父が逝ってから16年が経ったことになる。今の母のことを思うと、私はいつも父に申し訳ないと思う。そして、母の施設に行き、お墓参りに行ったことを報告する。




6月9日(金) 梅シロップ

大きな青梅をたくさんいただいたので、生まれて初めて、梅シロップを作ってみた。おいしくできるといいなあ。




6月10日(土) OB会

大学のサークルのOB会に出席する。卒業後初めてOB会に参加した同期の友人たちもいたのだけれど、参加者が思いの外少なく、ちょっと残念に思う。




6月13日(火) 古楽のたのしみ

調布のたづくりで行われた、NHKFMの番組『古楽のたのしみ』の収録に足を運ぶ。私は前半しか聴けなかったが、初めて聴いた前田りり子さんが奏でるトラヴェルソは、その人間的な温かさと共に、やわらかく胸に響いた。




6月15日(木) 共謀罪成立

朝方、共謀罪が成立。

「隣人による隣人の密告社会が到来する」と、哲学者・内田樹さんは言う。そう言われて、すぐに思い起こしたのは、もちろんアウシュビッツだ。

また、共演させていただいたこともある歌手・小室等さんは、こんなことを書いていらっしゃる。

さらに、先般、FaceBookでの友人が、某銀行の自分の預金をすべておろして、口座を持つのをやめようとしたとき、おろせなかった、と書いていた。マジか?!と思った。なんでも、その使い道をしつこく聞かれ、高額なので警察の立ち会いが必要になる、と言われたそうだ。

今、こんな世の中になっているのだろうか?もう暗澹なる気持ちになった。




6月17日(土) サロンホンジョウ

埼玉の西川口にある、サロンホンジョウで、喜多直毅(vn)さんとデュオでコンサートを行う。個人宅の上階にあるサロンホールで、お客様がたくさん来てくださってうれしく思う。

喜多さんとのデュオの活動も長くなっている。彼は来月、突然、田中信正(pf)さんとのデュオCDを発表する。このことは彼から既に聞いていたのではあるけれど、以下のことは本人にも言ったので、思い切って告白すれば、なんだか、旦那に派手に浮気されている古女房のような気分だ(笑)。なんてね、大人げないよね、私も。←ここは笑い飛ばすところっす。

ともあれ、phaseは変わっていくだろう。それが人生だ。




6月20日(火) 麻耶ちゃん

高校時代の友人のお嬢さんが、昨年からこの5月初めまで、南北アメリカ大陸を、自転車で一人旅をした。途中でころんで意識を失ったり、それはもう様々な体験をしている。なんと、たくましいことか。

その彼女が、夜、お母さんがインストラクターをつとめるヨーガ教室にやってきて、終了後に旅の話しを少し聴くことができた。とにかく、元気そうでよかった。

彼女に興味のある方は、ぜひこちらの日記をお読みください。めっちゃ、面白いですよ。
『まやたろの体当たりチャリンコ日記』




6月23日(金) 痛み

午後、小林貴子(vo)さんとリハーサル。貴子さんは信仰を持ち、とても真面目で、一所懸命で、まっすぐで、私は久しぶりにまぶしい人に出会ったなあと感じる。それに引き替え、私はだいぶ薄汚れてしまっていると思う。が、ともあれ、かなしみや苦しみのようなものを共有できると感じた。本番は良いライヴにしたい。

そして、濱マイク。

ひょんなことから、かつてテレビで放映されていたドラマ『私立探偵 濱マイク』をYouTubeで観てひきつけられた。2002年当時、私は好んで観ていたドラマだ。

私の記憶のなかでは、まず、その主題歌、だ。EGO-WRAPPIN'が歌う「くちばしにチェリー」は、いやあ、格好良い。

主演は永瀬正敏。彼がドラマの中で言っていた言葉が、胸に突き刺さった。

「全身傷だと、さわられると痛い」

私など、他者の痛みをどれほどわかっているというのか。うぬぼれるな、と自分を戒める。




6月25日(日) ソロピアノ

江古田にあるパン屋さん・ヴィエイユにて、久しぶりにソロ・ピアノのライヴ。

リハーサルをしたときに、なんとなくくらくらするなあと感じてはいたのだけれど、それは自分の体調のせいかもしれないと思っていた。が、本番直前、どうもピアノ(アップライト)が斜めになっているのではないかしら?ということに気づいた。調律師さんはたいてい持っている水平器が欲しくなった。

したらば、前のお店の構造(厨房の排水)により、床が斜めになっているとのことで、事実、ピアノの片方の足には既にダンボールが差し挟まれていた。けれど、椅子はそうはなっていないので、演奏する私の身体は斜めになってしまう。ということで、椅子にもダンボールを付けて、楽器に対して平行になるようにしてもらった。

今から思えば、ピアノの位置も、客席に向かって音が届くように配置すればよかったと思っている。

ともあれ、ソロ、だ。

そして、後半の最後のほうには、このお店の店主の奥様でもある小林貴子(vo)さんに加わっていただいて、いっしょに演奏した。

これから、ときどき、ソロをやろうと、なんだか思った。




6月27日(火) 訃報:ジェリ・アレン

本日、ピアニスト・Geri Allenが亡くなったことを、友人のtwitterで知った。60歳になったばかりだそうだ。

同時代的に、その演奏には刺激を受けた。同年代の死はこたえる。




6月28日(水) 濱田芳通さんのモンテヴェルディを聴いた

今年は、クラウディオ・モンテヴェルディの生誕450年記念の年だそうで、国内でもたくさんのコンサートが企画されている。

そんな流れの中、今月、7日(金)に、ラ・ヴォーチェ・オルフィカ 第30回公演『クラウディオ・モンテヴェルディの肖像』を、28日(水)には、ラ・フォンテヴェルデ×アントネッロ『聖母マリアの夕べの祈り』(通称 Vespro)を、私は聴きに行った。会場はいずれも東京カテドラル聖マリア大聖堂。

7日のコンサートでは、奏でられたモンテヴェルディの音楽が、私の耳にはとても新鮮に、かつ現代的に聞こえてきた。それはちょっと不思議な感覚で、幾重にも重なった声の響きがもたらしたものだったかもしれない。

28日のコンサートは、その編曲がすばらしく、各楽器奏者も生かされ、楽曲ごとの色彩やリズムなども際立っていたと思う。

ジャズのウォーキングベースを想像させるような曲があったかと思うと、静謐でシンプルな旋律に満たされる曲もあり。会場を広く使って、演奏者の立ち位置を立体的に配置して、こだま(エコー)が前後に聞こえたり。

また、ジャズの分野で言えば、たとえば、ルイ・アームストロングの歌やトランペットは、当時、その“装飾”が他者とは違って際立っていたそうだが、この日の歌手たちが歌った装飾は、めくるめくようなものでさえあったように思う。ああいう部分は歌い手に任されているのだろうか?

ともあれ、濱田芳通さんが考えるモンテヴェルディの音楽を、心ゆくまで楽しませていただいた。そして、濱田さんが指揮をする美しい背中、手、呼吸、思い、コルネットなどを演奏する姿に、私はほとんど惚れそうになった(笑)。

濱田さんの頭あるいは心に鳴っていらっしゃる音像あるいは音響のイメージの広がり(空間)。

内側に抱えていらっしゃる音楽、さらに信仰への思いとその深さ(縦方向)。

さらに、会場であるカテドラルの音響と、モンテヴェルディが書いた旋律のこだま(乱反射)。

それらがすべて声と音楽となって、神とかマリア様というより、なんだか人間と、私たちが生きるこの世界を描いているかのように感じられた。

私には信仰はないが、ソプラノから「マリア」で始まった歌には、素直に心がふるえた。

ところで、たとえば、だが、私は、ビル・エヴァンスが弾く「枯葉」と、ウィントン・ケリーが弾く「枯葉」を、どんな風に違うか等々、まあ、ある程度は説明できるとは思っているが、それと同じように、モンテヴェルディの「Vespro」について話すことは、私には知識がないことはもちろん、到底できない(苦笑)。

なので、濱田さんのモンテヴェルディが、ほかの方が演奏するそれと、どう異なっているのか等については、私にはまったくわからない。

ただ、私がもっとも驚いたのは、ピッチをA=466に設定された、ということだ。

昨晩のVesproでは、私はパンフレットを一切読まずに耳を開き、帰りの電車の中で、そのピッチの設定のことを知ったのだが、思わず、「ええっ、マジか?」と叫んでしまった(笑)。いえね、私のあやしげな絶対音感によると、演奏中に、E♭やB♭がやたら聞こえて来て、実は、コンサートの間、ずっと ? と感じていたのだった。

西山まりえさんのハープの弦は、2回だっただろうか?、ブチッと音を立てて切れていたのはわかったが、このひどい湿気のせいかと思っていたら、それだけではなかったのだろうと思いあたった。

なぜ、ピッチをこんなに高くされたのか、濱田さんに伺ってみたいところだ。ピッチの問題は、人の心に届くときに、ものすごく大きな影響があると、私も思っているためだ。


追記
なお、今秋、濱田さんはアルテスから本も出版されるようです。楽しみです!


追記
★ピッチがA=466に設定されたことについて

尊敬する濱田様からお返事をいただいたので、ご本人の許可を得たうえで、その一部をアップさせていただきます。

「歴史的なピッチは様々で、モンテヴェルディの時代は北イタリアでは半音上~全音上位、ローマは半音下~現代ピッチ位でした。

ヴィヴァルディの時代には全体的にどんどん下がってきて、北では現代ピッチ位、ローマでは400Hzとか低くなりました。

今では、モンテヴェルディの時代は半音上の466Hz(半音上)、バッハの時代は415Hz(半音下)、クープランなどフランスバロックは392Hzなど、現代ピッチに比べてキリの良いところで演奏するのが一般的になってます。

ですので、ちょっと中途半端ではあるのですが、一応歴史的ピッチで演奏したということになります。」

なるほど~。一般的に、古楽のピッチは現代のそれより低い、と思っていた私だが、いやあ、勉強不足だった。ほんとに、まあ、私はなんて知らないことだらけなのでしょう(苦笑)。





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