生まれたての音
〜黒田京子トリオ『 Do you like B ? 』リリース記念寄稿〜

黒田京子


なんて豊穣なんだろう。これは2003年4月、この3人で初めて演奏した時の記憶だ。ヴァイオリン、チェロ、ピアノという楽器編成が作り出すサウンドの豊かさを、私は生まれて初めて経験した。また、すべて即興演奏で行われたにも関わらず、ピアニッシモからフォルティッシモ、調性やリズム、技法の選択、瞬時の判断、ユーモアなど、その表現は深くて幅広く、私には音楽と自由にあふれたものに感じられた一夜だった。



その年の晩秋、東京・大泉学園にあるライヴ・ハウスinF(インエフ)店主佐藤浩秋さんが、来年、ブラームス作曲『ピアノ三重奏曲第一番』を演奏するということを目的に、この3人での活動を提案してくださった。そのために店主が要求したのは、毎月1回ライヴをやり、毎回午後4時に店に入ってリハーサルを重ねる、ということだった。

はてさて、そんなリクエストを実に安易に引き受けてみたはいいけれど、実際、シャープが5つもある第一楽章の譜面を見た時、目の前にものすごく大きな黒い壁が降りてくるのを見たのは私だ。それは約30年ぶりの譜面のあるクラシック音楽との対面だった。自ら選択したこととはいえ、青天の霹靂の如く私に襲い掛かったこの約数ヶ月間のできごとは、拙web上のエッセイに詳しいので、ここでは省略させていただくが、結局、2004年7月にそれは披露され、シューベルト、フォーレといった作曲家の曲も含めて、その日のライヴはすべてクラシック音楽のプログラムで演奏された。その内容は今から振り返っても冷や汗が出るような惨憺たるものであったと思うが、その場に居合わせてくださった聴き手の方々の中には、何故か今でもあの時のことを特別な思いで語られる方もいる。

という経緯が、このCDのタイトル「 Do you like B ? 」につながっている。ちなみに、CDに収められている最終曲はその第一楽章の冒頭の部分で、これ以上ボロが出ないように美しくフェイドアウトされている。



そして3人での活動は、ひとまずinF店主のプロデュースに区切りをつけて、8月以降も継続していくことになった。もともとこのトリオは密かにブラームス・プロジェクト(通称ブラ・プロ)と呼ばれていたのだが、これより以前、四国のジャズ・フェスティバルに招聘されていたこともあって、とにかくこのトリオの名前を決めなければならなくなった。結局、私だけが反対する中で、「黒田京子トリオ」と名付けられたが、私がこのトリオのリーダーというわけではない。私たちの在り方はいつだってイーヴンというのが約束だ。この点において、最初から3人の在り様は個々に自律しているところから出発している。それは、私がこれまで出会ったことがないくらい、すばらしく自律している。

が、別の言い方をすれば、そもそもブラームスの曲を演奏することが中心にあったので、何がしかの音楽的なコンセプトや合意があって集まったわけではなかったとも言える。このことはこのトリオの脆弱性を意味しているかもしれない。けれど、私たちはまだ始まったばかり。これから作っていけばいいと思っている。



そういう状態で2004年1月からライヴを重ねてきた私たちだった。(誤解されている方もいるようなので一応書いておくが、クラシック曲を演奏したのはその7月のライヴの時だけである。)毎回のライヴでは各自がいろいろ曲を持ち寄って演奏したりもしたが、こういう私たちの一つの方向を支えたのが、主として翠川さんが提案された富樫雅彦さん(per)の曲だったのではないかと思っている。かれこれレパートリーは10曲くらいあると思うが、このCDにも3曲ほど収められている。

翠川さんと富樫さんの関係は深く、30年前くらいにジャズ・ベーシストとして活躍されていた翠川さんには、渡辺貞夫さん(as)をはじめ、日本のジャズを代表する人たち全員から声がかかった時代があったと聞いている。その中で、翠川さんが選ばれたのが富樫さんのグループだったそうだ。それで翠川さんは富樫さんが作った曲をたくさん知っているわけだが、CDに収められている「haze」は翠川さんが、「Waltz Step」はinF店主のリクエストで私が採譜し、「Valencia」は私が持ち寄った曲だ。

「haze」は3人のベクトルが自然に大きな流れになっているように感じられ、私のお気に入りの演奏になっている。実際、レコーディングには常にテンションやエネルギーが高まっていく波のようなものがあり、3人の呼吸がやっとそうしたものを含んできたように感じられた時に、この曲は録音されたように記憶している。また、太田さんは様々なグループのサポート・メンバーとして超多忙な音楽生活を送っている人だけれど、ここで聞けるような太田さんの演奏は、他ではそうそう聞くことはできないものになっていると思う。彼の音楽の懐の深さを改めて感じることができると思う。

「Waltz Step」はいわゆるジャズで言われるところのAABA形式になっている曲で、コード進行も付いている。つまり、パターン化したジャズで普通に演奏しようと思えば、いくらでもそうなる曲で、暗黙のうちにそこからできるだけ逃れようとする私たちには、かえって乗り越えなければならない部分も含んでいる。で、このCDではたまたまこういう演奏になっている。冒頭の翠川さんの“ファソミファ”。これだけで、私たちは自分たちが作るべき音楽のイメージを瞬時に共通に理解している。ちなみに、初めてこの曲を3人で演奏した時、翠川さんが一人でメロディーを奏でられたのを聞いて、私はほとんど涙がちょちょぎれそうになったことを思い出す。それは翠川さんの富樫さんへの深く特別な思いが伝わってくるものだった。

「Valencia」はまだ私がアマチュアだった頃に採譜したものだ。昔の譜面入れから引っ張り出してきた。ジャズ・ピアノを習っていた頃、よく聞いていた日本人のピアニストといえば、高瀬アキさん、橋本一子さん、佐藤允彦さん、加古隆さんだったが、振り返れば富樫さんの演奏もよく聞いていたように思う。生涯に一度でいいからいっしょに演奏してみたいと思っていたが、今はそれも叶わない夢になってしまった。(富樫さんは演奏できない体調になられ、既に引退されている。)この曲もこのCDではこういう演奏になったが、ヴァレンシア地方の地中海的な風景を描いたこの曲は、その旋律がユーロ・トラッド的なものを感じさせる部分もあって、即興演奏はそうした方向に広がることもある。これまでの演奏では、果てしない草原に太田さんのヴォイスが風のように駆け抜けていくアジア的なあるいはケルト的なものもあれば、アコーディオンとタール(打楽器)を用いたアラブ風の演奏になったり、といったこともあった。

富樫さんの曲は非常にシンプルで、とてもイマジナブルだ。そして不思議なことに、演奏していると、時の流れも、目の前に起ち現れる風景や空間も、遥けきところへ抽象化されていくように感じられる。というより、私たちがそういう演奏をしているということかもしれないのだけれど。



そして、それは同時に、富樫さんの曲に縛られることにもなっている。例えば、富樫さんの曲だけで1ステージのプログラムを組んだ場合、それはどうしようもなく富樫さんになってしまう。これはセロニアス・モンクの曲が結局はモンクになってしまうのとどこか似ているが、富樫さんの曲には独特の美意識のようなものがあって、あまりに芸術的な音楽(ヘンな言い方だが、しかもどこか現代音楽のような響き)になってしまうところがあるように思う。

実際のライヴで、そういうなんとなく呼吸が苦しくなるような状態の時には、太田さんや私はもっと別の音楽の位相や局面、例えばユーモアや楽しいリズムを伴ったものを持ち込みたくなったりする。それは音楽に含まれるエンタテイメント性や聴衆との距離を常に測ろうとする意識から生まれるものだ思う。

この点において、特に太田さんはその時の状況や雰囲気を、直ちにかつ的確に判断し、しなやかな対応をする。つまり、その“場”を作っていくことに抜きん出て優れた力を持っている。基本的に音楽は時間芸術ではあるが、太田さんはその時間の流れをふっと軽くしたり、ぎゅっと捻じ曲げたり、またある時は聴衆に直接呼びかけたりして、空間軸を作る。その在り様はこればっかりは現場に居合わせないとわからないと思う。

私はといえば、シリアスにはならないだろうと想像できる曲を持っていったりする。例えば、千鳥足のテンポと滑稽にも聞こえてくる不協和音が楽しい「Drinking Music」(カーラ・ブレイ作曲)とか、幼い頃の記憶にそっと触れるような「Songs my mother taught me」(チャールズ・アイヴス作曲)など。コード進行やリズムがはっきりしていて、楽曲として成立しているアストラ・ピアソラやニーノ・ロータの曲なども。とにかく一夜のライヴが一色に染まらないように、いろいろ拡散するように考えている。

そうすると、翠川さんも歌い出したり、口笛を吹いたり、ある時は3人とも歌ったり、時には朗読したりすることもある。フリー・ジャズの第一世代にあたる翠川さんは、それこそ昔“パフォーマンス”も散々されたと聞いている。そういえば、私が初めて翠川さんの演奏を聞いたのは、白石かずこ(詩人)さんとのコラボレーションで、譜面を逆さまにしたりして演奏していた記憶がある。叫んだりもしていたような。その他、楽器を持って会場を走り回ったり、のみならず、会場を飛び出して外を走ったり。ある時は服を脱いだりしたという話も聞いたことがある。



こうしてひと月に一回のライヴをやっていくうちに、それぞれの思いが募って、毎月のライヴの録音はほとんど残ってはいるが、きちんとレコーディングをしようという話になり、2004年の暮も押し迫った年末に、4〜5時間かけて録音は行われた。そういう意味でも、このCDには2004年一年間の総まとめといった側面もあると思う。



ただし、収録曲中、ヒンデミットのモティーフを用いた「hindehinde」と私が書いた「Baka Na Watashi」以外のオリジナル曲は、すなわち全体の約半分にあたる曲は、すべてレコーディング当日に初めて持ち込まれたものだ。

翠川さんが作ってきた「para cruces」はラテン語で“重要でないもの”ということを意味する。翠川さん自身は“音楽の調和の中の異物”といったイメージでおられたようだ。「パラ」には“避ける”という意味があり、「パラソル」や「パラシュート」といった言葉を思い浮かべれば想像しやすいと思う。「クルーシス」は“十字架”の意、転じて“重要なもの”となるとのこと。かくの如く、曲名を深読みすると、さらにこの曲が冒頭にあることを考え合わせると、このCDそのものあるいはトリオの存在が、なんとも逆説的な意味合いを帯びてくるように感じられてくるところが、翠川さんらしいかもしれない。「このトリオの演奏を聞いたら、みんなびっくりするぞ〜」と言っていたのは、他ならぬ翠川さんだったからだ。実際、ジャズのフィールドから見れば、このような編成での即興演奏を主体とした音楽は、これまでの日本にはなかったものだろう。またクラシック音楽の室内楽では一般的な編成ではあるものの、クラシック音楽をやる人は決してこのような演奏をしないだろう。

「Nijuoku-Konen no Kodoku」は、私が若い頃もっとも親しんだ詩人、谷川俊太郎さんの処女詩集『二十億光年の孤独』から題名をそのまま拝借した。無論、お許しを得て使わさせていただいている。実は作曲されたのは今から約20年前のことで、その頃の私は出版社に勤めながら、新宿ピット・インの朝の部などで演奏活動を始めたばかりだった。「孤独」よりも「二十億光年」というイメージの方に強く支えられた曲作りになっているかと思う。このCDでは太田さんのヴォイスがさらにその宇宙を広げており、その内容はピアノでは決して表現することができない弦楽器独特の奏法や響きにあふれている。また、この曲はテーマに沿って即興演奏され、完結する方法が取られている。もっともその詩集に収められている同題名の詩の最後は「二十億光年の孤独に/僕は思わずくしゃみをした」となっているから、このことを2人が知ったら、きっと演奏内容はまた変わるのではないかと思う。

「check1」は翠川さんがこのレコーディングのために作ってきた曲。「anohi」は翠川さんが書かれた古い曲で、このCDではチェロがフィーチャリングされている。「moko−haan」は一応題名は付いているものの、太田さんのヴォイスを何か入れようということで即興演奏されたものだ。太田さんはここでホーメイ(自分では「ホーメイもどき」と言っているが)を使い、私はピアノから離れてアコーディオンを用いている。実際、ライヴでの翠川さんはもっと馬頭琴のような音色でアプローチし、太田さんの世界に応えることもよくある。

「hindehinde」は20世紀現代音楽の作曲家として知られる、パウル・ヒンデミット(1895年〜1963年)のチェロとピアノのための小品曲集から採ったモティーフを、翠川さんがアレンジしたもの。この曲をジャズ・フェスの最初に演奏したら、出演していたミュージシャンに1人だけ知っている人がいてずいぶん驚かれた。「Baka Na Watashi」は私の処女CDにも収められている曲で、このCDでは太田さんがメガホンを通したヴォイスで、曲の“馬鹿”さ加減に色を添え、最後にメモリアルで入れられたブラームスの曲との落差を際立たせることになったと思う。



と書いてきたように、この3人の演奏は曲が提示されていたとしても、きわめて即興性に富んだ方法をとっている。特に意識したわけではないが、気づいたら自然にそうなっていた。小節線のないシンプルなメロディーだけ書かれたものでも、楽曲としていわゆるAABA形式をとっているものでも、誰がメロディーをとるか、どんなテンポで演奏するか、どんな風に始めるか、テーマが終わったらどういうリズムや調性(コード進行も含む)にするか、どこでダルセーニョするかなど、つまりどんな演奏内容、展開、構成にするか、といったことを、私たちは事前に一切決めていない。打ち合わせもほとんどしない。音色も、音楽の強弱も含めたダイナミズムも、リタルダンドなども、基本は聴き合いながら作っている結果として生まれている。

従って、曲順というものを決めても、その内容や展開が演奏してみなければわからないところが多々あって、本番中に順番が変わったり、予定していなかった曲と差し替えられたりすることも時々ある。あるいは、前回と同じ曲をやったとしても、その内容はまったく異なったものになっていることもずいぶんある。そうした演奏を支えているのは、各自の音楽的アイディアやイマジネーション、それを瞬時に表現できるだけの技法と開かれた耳だ。

つまり、常に、その瞬間に、音が生まれている。そういう意味で、あるライヴで互いの出方を探り合うことが多かった演奏になった時、「自分はこうしたいという音を出せ、音を出す時に意志を持て」と言った翠川さんの言葉は、このトリオの演奏がどこに立脚しているかを具体的に語っていると思う。音を出す根拠は自分自身以外にはないという点において、さらに頼るべきは自分の耳だけということにおいて、3人の関わりは常に即興的であり、またそれぞれの指と心は、その瞬間に生まれようとする音あるいは音楽に、いつも震えているのだ。



こうしたことはこのトリオの特色でもあると思うが、それゆえに危険性も充分に含んでいる。私とて、別に即興演奏に幻想を抱いているわけではない。よく言われることではあるが、自己模倣に陥ることには常に気をつけなければならない。また、結果的にその日の体調や精神状態に大きく左右された演奏になってしまうこともある。さらに、こうした方法をとっているとしても、テーマ→アドリブ→テーマといったジャズの形式を多用していることや、リズムのヴァリエイションのことなど、私たちがこれから取り組むべき音楽的な問題は多々あると思っている。



3人が良い緊張感を持って関係を持続していくことも含め、こうした経過を経て現在に立っている私たちは、今後おそらくこうした即興性を決して失うことなく、それを最大限に生かし切るような、しっかりとした骨格のある曲を各自が書いて、新しい音楽を作っていくことにあるだろうと思っている。そして、「とにかく曲を書かなきゃダメだ」と言い続けている翠川さんは、既にそれを実行している。

誤解を恐れずに言えば、去年の無謀な挑戦のおかげで、私の中では、ジャズも即興演奏もクラシック音楽も等価なものになったと思っている。書かれた音楽か、そうでないか、が問題なのではない。生まれたての音を、生き生きと、その場、その時に、どれくらい聴き手に伝えられるか、ということが、演奏家のすべてだろう。そうした音楽をどこまで実現することができるかが、これからの私たちの課題だろうと思う。



黒田京子(2005年7月13日 脱稿)

(注:web上で読みやすいように、行間などを多少調整してあります)




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