5月
5月2日(月)  どう弾く?

J.S.バッハの曲を練習していると、どう弾いたらいいのか、どう表現したらいいのか、わからなくなる。それで、戦前に録音された、ラフマニノフやコルトー、バックハウス、ルビンシュタインなどがピアノで演奏しているオムニバスCDを聴いたりするも、つまりは好きなように弾けということか?と自問する有り様。

すると、高橋悠治さんが演奏するゴルトベルクの指がぬっと見えてきて、ほんとうかあ?それでいいのかあ?と尋ねてくる。

さらに、弾いている最中に、何故か、虚空、やや右上方に、白い歯を見せて笑っているチャーリー・パーカーの顔がぼわあっと浮かんでいる。

なんだ、こりゃ〜。


5月3日(火)  ちゃんとした店

が、少ないと感じることが多い。メキキがないだけかもしれないけれど。

新しくできたパン屋は導線が悪く、お盆にパンを載せてレジ待ちをしているところを、従業員が何の挨拶もなく無遠慮に横切る。パンを落としてあげようかと思ってしまう。

カジュアルなメニューにしたということだったが、オープンした時より確実に味は落ちているイタリアン・レストラン。何故か日増しに店の外装、内装がごてごてしてきている。ここのオーナーは道で会っても挨拶もせず、彼がなんともぼさっとした髪でぬうっとそこに居ると、なにもかもまずく感じられる雰囲気になる。

昨日、約30年ぶりくらいに入ったと思う、まだそこにあった新宿の喫茶店は、アルバイトと思われる従業員たちがやたら不気味で、なんだか幽霊屋敷に迷い込んでいるようだった。壁にはベートーヴェンやモーツアルトの肖像画などが飾ってある、かつての名曲喫茶の名残を色濃く残しているところだったが。無論BGMはクラシック音楽。実にアナクロ。

今晩入ったレストランで出てきたハンバーグは、飛行機の機内食を思わせる器に入れられて、目の前に現れた。いっきに食欲が落ちる。おまけに、器は熱いのに、食べようとすると皿の上でその器はぐるぐる回る。メリーゴーランドを楽しみなさい、ってか。

テナント代が高いためか、内装には非常に安っぽい素材を使い、なんとなくそれっぽく格好を付けている店も多い。

アルバイトも含め、従業員がなっちゃないと思うことも少なくない。

それでも天下り公益法人のひどさ、税金の無駄使い、怠慢に比べれば、まだ企業努力をしているということになるのだろうか。

と、文句を言ったからどうなるってもんでもないけれど。いよいよ更年期かあ?


5月4日(水)  人の情

久しぶりに”人の情”なる世界を感じた一日だった気がする。もはや東京ではあまり遭遇できないような、”村”的と言おうか、”共同体”的と言おうか。

20人も入ればいっぱいになるようなショット・バーでは、コンサートを楽しんだ後のお客さんや、それを終えたスタッフなどが集まってきて、たちまち昨日からの知り合いのように親しく話し、お酒を酌み交わす光景が広がっていた。そして声を掛け合っている。「明日も一日がんばれや〜」「楽しみにしとるで〜」

楽屋もすごかった。正直、一瞬立ちすくんだ。筋金入りの大人の不良がいっぱいいる感じ。40歳、50歳を過ぎても、「こういう風に生きてきたんや、何が悪いねん、あかんか〜」というような視線が漂っているようだった。

誤解を恐れずに言えば、ジャズやクラシック音楽にはどうもインテリ臭いところがある。ともすると、スノッブだったりイヤミっぽかったりすることもある。が、そうした雰囲気は皆無だったと言ってもいい。
そして、”どうしようもなさ”の種類がちょっと違う感じがした。音楽をなりわいにしている者は、誰でもどこかがどうしようもないと思っているのだけれど、そこに共通して言えるのは、いわば「Ugly Beauty」のようなものだろうか。いとおしくさえ感じるほどに。

自分もどうしようもないと思ってはいるけれど、かつて喫茶店で知らない人から「あなたは考古学の先生ですか?」とわけのわからないことを言われたことがあるように、それでなくてもそう言われることがままある私は、あの場所では先生っぽく浮いていたような気もする。
って、ジャズで括れるのは、私がメンバーとして参加した坂田明(as,cl)さんのユニットだけで、あとはフォークやロックを演奏する人たちばかりだったのだが。

20ワットくらいの裸電球に照らされたようなおじいさんの顔、左隅に「おでん」と書かれている表ジャケットのLP『にんじん』。高校生の時に買って、ぼろぼろ泣いた。夕暮れ時、が何故か記憶に重なる。
ギター1本持って、時折ハーモニカを吹き、たった一人でステージに立って歌っていた。LPで聴いた時と変わっていない声、紡がれた言葉の最後が風に乗り、心がしびれる感じ。そして、コンサートの最後に歌った「一本道」を口ずさむことができた自分がいた。
その友部正人(歌手)さんとも言葉を交わすことができた。まっすぐに人の言うことに耳を傾ける方で、何かがわかったような気がした。胸がじんとして、ちょっと泣きそうになった。

実は、ずいぶん昔、梅津和時(as)さんが大晦日にやった、オール・ナイトのイヴェント”キャバレー”でいっしょになったことはある。でもそれはもう大勢の人が入れ替わり立ち替わりステージに立つ大イヴェントで、私はひっそりと横顔を見ていただけだった。
ちなみに、生まれて初めてストリップを見たのもこの時だったように思う。SM系のストリップ(逆さ吊り、蝋燭たら〜り、鞭でビシバシ等)で、唖然として口を開けて見ていたが、確か渡辺香津美(g)さんが傍らで演奏していたような気がする。

この日は高田渡さんが出演する予定になっていたこともあって、多くのミュージシャンが高田さんにトリビュートして歌ったようだった。スタッフも含め、その思いは非常に熱いことが伝わってきた。

私は何故か大阪ではあまり演奏したことがない。これは大阪で行われた”春一番コンサート”での印象なりにけり。春一番よ、永遠なれ。


5月7日(土)  へんないきもの

普段はその本棚の前にはあまり立ち寄らないところで、奇妙な本を購入。平積みになっていて、既に18万部出ているとある。その名も『へんないきもの』(早川いくを 著/バジリコ株式会社)。

「へえ」番組に何回も出そうな題材だが、とにかく、ヘンだ。ま、人間から見れば、ということなのだろうけれど。文章もなかなかふるっていて、思わず笑ってしまったりする。実にこの世界、地球上には、人間から見たら面白い生き方をしていたり、不思議な役目を担っている生命がたくさんあるものだ、と感心しきり。彼らから言わせれば、よけいなお世話に違いないが。見方を変えれば、人間よりもよっぽどまっとうに生きているのかもしれない。


5月11日(水)  いろんな即興

初台・ドアーズで、ザッハトルテ、マキガミサンタチ、新大久保ジェントルメン、3バンドの演奏を聞く。すべてトリオの編成。ザッハトルテは途中で簡単なマジックをやったりもしていた。あとの2バンドは基本的に即興演奏。若い人たちがとても楽しそうに舞台を見ていた。のを、客観的に見ていた自分は少し歳をとったかなと思ったり。即興演奏といっても、実にいろいろあるものだ。


5月13日(金)  型の美

37歳で死んでしまったゴッホの展覧会に行ってみようとでかけたが、長蛇の列。最低でも40分は待つという札。これでは入っても見れるのは人の頭だけだと思い、即、断念。

それで、その少し先にある工芸館の方に足を運び、『伊砂利彦(いさ としひこ) 型染の美』を観る。シルクスクリーン(版画の一種)をかじっている私には、これが非常に面白かった。

この型染には日本独自の”糸入れ”という手法がある。これは不安定な型を補強するために、毛髪や絹糸を挟み込んだ方法で、そのデザインと共にヨーロッパで”ステンシル”の技法に大きな影響を与えたとされている。
さらに、その網のように張られた形状から、この技法がのちのシルクスクリーンの技法へと展開されることになる。ちなみに、1907年、その特許を得たのがイギリス・マンチェスター生まれのミュエル・サイモンという人だそうだ。

この伊砂利彦さん(1924年、京都生まれ)は三代続いている友禅糊置き業の家に生まれ、いわば伝統に縛られた、厳格な分業体制が引き継がれている世界にいらっしゃた方らしい。初期の染色作家の多くがそうであったように、彼もまた着物地(布地)ではなく、例えば屏風といった紙の上に自身の作品を定着させることを始める。

また、中学の時に彫刻を専攻したこともあり、1960年代に入ってから、蝋染から型染へとその手法を変える。そして、幼い頃から、とにかく”写生”をすることをしていた彼は、天城山中の河津七滝に通っていたある晩に行ったコンサートで、「演奏された音がはっきりしたタッチでかたちになって頭に眼に飛び込んできた」という経験をし、その後、いわば眼に見えないものを造形化する挑戦を始める。

こうして”音楽”を聞いて触発された作品の中には、具体的にドビュッシー、ムソルグスキー、スクリャービンといった作曲家の作品名が記されているものも数多く出展されていた。作品に動きやリズムが感じられ、楽しむ。

その後、午後4時半から夜9時まで、国立劇場で文楽をたっぷり堪能する。『伽羅先代萩』と『桂川連理柵』。大夫と三味線、人形遣い。これらの一流の人はやはり全然違うということが、だんだんわかってきた感じ。

今晩は『伽羅』の方では「御殿の段」で出演した重要無形文化財保持者の竹本住大夫、同じく乳人政岡の人形を遣った吉田蓑助、『桂川』の「帯屋の段」で関西弁で会場をわかせた豊竹嶋大夫、が出色。特に豊竹嶋大夫の、あの笑いと、人形遣いの息がぴったりあっている様は実に見事だった。すばらしい。

気分落ち込み、自分自身を責めまくり、最悪の状態から脱するべく、自分の中に風を通す一日と相成り候。


5月14日(土)  思い込み

『ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄』(中山康樹 著/河出書房新社)を読み進めている。細かいことまでよく調べられて書かれている。が、演奏者あるいは表現者という立場から考えると、どうも時々ちょっとひっかかる。

例えば、エヴァンスが父や自殺した兄の死の直後に作曲をしたりレコーディングをしたりした行為は、アーティストとしてというよりも、私には人間として自然なことのように思える。多かれ少なかれ、人はそうして身近な人の死を、どこかで客観的にとらえることをしなければ、今、ここに、自分が立っている意味を、自分で納得することができないのではないかと思うからだ。

中山氏はそのエヴァンスのことを、「一般的に考えれば〜非常識のそしりをまぬがれない」と書いているが、喪失感を埋める時間の長さは、人によって短かったり長かったりするだけのことではないかと思う。

私が突然父を亡くした時、私はかなり早い時期に、書く行為によって、自分を納得させた。残された母や妹弟たちへの責任感も大きく働いたが、そのことも含めて、そうしなければ、私は自分で自分を支えることができなかった。おそらく、私にとって「書く」ことは、自分のことや物事を冷静に客観的に考える時間を持ち、自分の足元をみつめる行為であり、物事や事態を先へ進めるための一つの方法になっている。それを公にするかどうかについては、別の問題があると考えているが。

って、そうしたことが一般的に”非常識”なことであるならば、私はそのことに気づかなければいけないのかもしれないのだが。

また、エヴァンスは小さい頃からクラシック音楽のピアノのレッスンを受けていたのだが、いっしょに習っていた兄と違って、エヴァンスは譜面どおり弾かず、「即興的な要素を加えて演奏したという」とあり、このことを「兄には譜面が読めたが、弟には読めなかった」とまとめている。

これ、ほんとだろうか?などと私は思ってしまう。無論、「これをもってエヴァンスにジャズの素養があったとするのはいささか早計にすぎる」とは私も思う。が、私にはなんだかエヴァンスは自分でわかっていて好き勝手に弾いた部分もあるような気がしてならない。

かつて、十代後半くらいの時だっただろうか、私はエレクトーンを少しだけ習ったことがある。その時、私は譜面どおり弾かなくて、先生にしかられたため、やめた。どう考えても、譜面に書かれているアレンジより、自分が弾いた方がすてきだと思ったからだ。ま、クラシック音楽とポピュラー音楽の場合では、いささか状況は異なるけれど。

『破天の人 金大煥 』(大倉正之助 著/アートン)を読了。非常に面白かった。めちゃくちゃ面白かった。

金さんが息子と呼んでいて、本気で養子にしたいと思っていたという大倉さんの文章は、強い動機に裏付けられた、誠実でまっすぐなものに感じられた。本文は、最初に金さんが倒れ、韓国の病院へ駆けつけた大倉さんが目の当たりにした様子から書かれているのだが、その時の”手”の描写のところで、思わず涙ぐみそうになった。この描写には、同じ手を使って音を出している者の実感がこもっている。

そして、金さんはものすごい人だったことがよくわかり、私はあらためて金さんを尊敬し直した。とにかく、すごい。深くて、大きい。それに、金さんがたどった音楽歴を知ることで、私たちは韓国のポピュラー音楽の歴史をほとんどたどることができる。

本を読んで、人というものはその人なりの思い込みで生きているものだと、つくづく思う。

中山氏にとっては、ドラッグでタラコのように膨らんだ指でピアノを弾いていたエヴァンスは、おそらくどこまでも(神格化されるべき)”アーティスト”であるのだろうし、大倉さんにとっては金さんはかけがえのない”父”なのだろうと思う。

少し突き放した言い方をすれば、その人を突き動かしているのはその思い込みにほかならず、それは書くことの動機にもつながることだ。何を他人に伝えたいかということは、その時既に見えている時もあれば、書いているうちにもっと明確になったり、あるいは変質する場合もあるだろう。が、いずれにせよ、そうした思い込みは前提として尊重されるべきことだろうと思う。

そして、それが公になる場合は、決してひとりよがりであってはならず、深く考えられたものでなければならない。その言葉や文章はよく吟味され、反芻され、他人が読むに耐えうる客観性や社会性がきちんと備わったものである必要があるだろう。その時初めて、他人に何がしかのことを伝えることができるものになるのだろうと思う。良い本に出合うと、そんな風に思う。


追記
昨年、私が『音場舎通信65号』(金大煥追悼号/2004年7月18日発行)に寄稿した、金大煥さんへの追悼文です。拙文ながら、興味のある方は、こちらからどうぞ。


5月22日(日)  走る馬

一年に一回くらいやっている競馬ピクニック。G1レースの時に、お昼頃友人たちと集まり、競馬場の真ん中の広場で、みんなでお弁当を食べるという催し。今回は薔薇の花のアーチの下で。風に吹かれて薔薇の花びらが舞い落ちてくるなんざあ、いいじゃござんせんか。日頃、お天道様をめいっぱい拝むことや外の風に吹かれることが少ない私には、ちょっとしたいい気分転換になる。

お酒を飲みたい人は飲み、馬に賭けたい人は賭ける。みんなが競馬新聞を真剣にみつめ始めると、口数は少なくなっていく。私は8レースくらいからやり始めて、進路妨害で繰り上がった馬が2着になり、100円が1060円になったほかは当たらず。CD制作費を稼ごうと思ったセコイ根性がいけなかったか。

メインの”オークス”の後に行われた第12レース。パドックで馬を見ていたら、とてもきれいな馬がぱっと目に入る。しっぽに赤いリボンなんぞ付けていて、あ〜ん、かわいい。で、なんだか買いたくなって買ったら一等賞。されど、2着馬をはずして、またもや馬券はただの紙切れになってしもうた。とほほ。


5月27日(金)  ジョルジュ・ド・ラトゥール

国立西洋美術館に、ジョルジュ・ド・ラトゥール展を観に行く。金曜日は夜8時まで開館しているのだが、日本にはこんなに美術が好きな人がいるのかと思うような適度な混雑ぶり。無論、ゴッホ展ほどではなかったけれど。

この17世紀のフランスの画家(1593年〜1652年)が描いたとされる真作はわずか40点余りに過ぎず、あとは失われたか、模作で知ることしかできないそうだ。

暗い部屋に灯されている蝋燭の光。それに照らし出された人の顔や姿。電気のない時代、写真技術のない時代の人々の生活に想像をめぐらす。そして、その宗教画からは、当時の人々の精神の在り様のようなものが、じんわりと伝わってくるようだった。辻音楽師やヴィエル(ハーディーガーディー)を持った盲目の音楽師なども描かれていて、しげしげと見てしまう。

建物の地下にはコンピュータが何台か置かれている部屋があり、自由に検索できる。また、1台のコンピュータでは、実際の絵の画像の細部を大きく拡大して見ることができるようになっていた。なんだかちょっと宇宙船にいるような気分だった。


5月31日(火)  心

いろんな演奏家がいる。
優れた技術を持っている演奏者の中には、幸か不幸か、あまりの技術力のために、実際の心が空っぽな人もいる。技術が心を装っている、と聞けばすぐに感じてしまう。
あるいは、そういう自分を否定したり、意識的に離れようとして、多くのことに疑問符を投げかけ、わざと不器用さの伴った身振りで、私たちに問いかけ続けようとしている人もいる。

そして、技術とか上手い下手といったことで音楽を聞くのではなく、その人の心や在り様に耳を傾けている聴き手は、そうしたことをちゃんと感じ取れている。

では、自分はどうなのよ。技術はない。何かと躓くことが多い。何かがひっかかって、迷ったり、立ち止まってしまったりすることもよくある。救いようがないじゃないの。それでも、なんとか震える心だけは持ち続けたいと思っている自分を見る。願わくば、その心が他者と綾をなして、このつたない指が奏でた音が、音楽が、そこにいる人たちの心へ届かんことを。





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