10月
10月1日(土)〜11日(火)  北海道ツアー・その2

1日(土)


稚内から雄武(おうむ)への移動日。朝から雨だったが、やがて曇り、時々晴れ。時々天気雨、というような一日。

ホテルを出てから、ノシャップ岬(納沙布岬とは違う)を見学。それから本当に日本最北端の宗谷岬へ。海岸に間宮林蔵の像が凛として立っていた。そこでは、坂田さんが約18年前にテレビの取材で訪れた時に知り合った漁師さんと会い、丘の上でおいしい帆立ラーメンをいただく。スープが絶妙。また、その丘には大韓航空事故の記念碑があり、みんなで鐘をついて合掌する。

ところで、北海道とひと口に言っても、そりゃあ、様々だ。稚内、宗谷岬といった海沿いの町の人たちと、例えば旭川や深川といった内陸、山の方の人たちとでは、なんだかずいぶん感じが違う。

「私は山の方が生に合うかもしれません」と坂田さんに言うと、「いや、ミュージシャンは海の方だろう」とおっしゃる。考えてみれば、確かにそうだ。

私には海沿いで生活している人たちは、ちょいと言葉が悪いが、ヤクザやさんのような雰囲気が感じられたのだ。なんというか、イチカバチカの博打うちのような感じだろうか。思えば、漁師さんの生活は海が荒れていれば船は出せず、かといえば、本日大漁、ってなこともある日々の連続だ。これは収入面から見ても、ミュージシャンの生活に似ている。のみならず、その時々の状況に柔軟に対応することが求められるから、そういう意味では明日をも知らぬ我が身的な、即興的な生き方を求められる。

対して、お百姓さんは土地に縛られ、自身の土地や収穫を守ることに必死にならざるを得ない。台風が来てもじっと我慢。自身の利権を死守するために、隣人と喧嘩することだってあるだろう。そんな風に考えると、守りの人生なのかもしれない。

さて、バカボン号はオホーツク海岸沿いを走り、途中、カムイト沼でミジンコ採集。なんとも深遠な雰囲気を醸し出している湖で、不思議な空気を感じる。「カムイ」はアイヌ語で”神”を現す言葉だ。ミジンコ採集の方は、今回のツアーからバカボン君が坂田さんの直弟子となり、どうやら珍しいミジンコを発見した模様。車には採集道具や顕微鏡も二台積んで来ているから、完璧な装備状態だ。

その後、クッチャロ湖を少し見学。途中の川で車がたくさん並んでいるのを発見。多くの人が鮭漁をしていて、砂には鮭が横たわっている。

夕刻、雄武に入ってそのまま会場に行き、地元の和太鼓の人たちとリハーサル。札幌から調律に来てくださっている方としばし歓談。前日から細かな整調作業をしてくださり、感謝。

夕飯はホテルで関係者や和太鼓の人たちとわいわいと蟹をつつく。このツアーでどれくらい蟹を食べただろう。当分見なくてもいい。

2日(日)

ここ、雄武での演奏も3回目になる。”三度目の正直・雄武公演 〜二度あることは三度笠〜 ”と題されているコンサート。体育館のようなホールでの演奏だが、私たち3人だけの演奏の時はベースはアンプを通すものの、基本的に生音。和太鼓の人たちとの曲はPAを入れるが、もはやピアノもベースもあまり聞こえない。これはもういた仕方ない。

和太鼓の人たちの演奏は本番が一番よかったと思う。気合が入っていた。昨晩、私は先にリタイアしたが、深夜遅くまで坂田さんたちはいろいろ話をしていたそうだ。私も今晩の打ち上げで和太鼓の代表者とあれこれ話す。

打ち上げは会場近くのカラオケ・スナックで。再び毛蟹の登場。蟹の味噌汁がおいしかった〜。しょっぱい温泉に入り、深夜3時半頃就寝。

3日(月)

雄武から北見へ移動。良い天気。

サロマ湖を右に見ながらバカボン号は走り、問答無用のホテルへチェック・イン。すべてがコンピュータ管理されているホテルで、その分安く、本日満室。部屋に入るにはレシートのような紙を渡され、そこに書かれた暗証番号を入力しないと入室できない。エアコンも大元の所でコンピュータ制御されている。フロントの人との会話など、ほとんどない。

夜はホームランという、元々はキャバレーだったと思われる所で演奏。オーナーは心温かい方で、来年もまた来てくれと言われるが、そうそう簡単には、などと深夜の焼き鳥屋で話す。

4日(火)

北見から阿寒湖への移動日。

津別でお蕎麦を食べ、バカボン君の提案で、来た道を戻って、チミケップ湖へ。このツアー、2度目のミジンコ採集。静かな湖で、湖畔を馬に乗った騎馬隊が警備しているのを見る。

阿寒湖に着いてから、足裏マッサージを受ける。夜は新しくできたお店でゆっくりと夕食。料理がどれもすこぶる美味。主催者のアイヌの方から、アイヌの人たちの面白い話、大変な話、考えさせられる話などをたくさん聞く。笑ったり、話したり、すっかり解放され、夜は温泉につかって就寝。

5日(水)

阿寒湖から弟子屈へ移動。今日も良い天気。

主催関係者が営む清潔なペンションに早めに着き、しばらく休む。オーナーは脱サラをして、この地でペンションを経営しながら、フライフィッシングのガイドもやっているとのことだった。

夜は弟子屈町社会老人福祉センターで演奏。ピアノは約2年間調律していないものだったとのことで、調律師さんが力を尽くしてくださった。なんでも朝着いた時に、まずピアノの鍵盤の部分を出して、乾燥させるところから始めたと聞いた。彼に促されてピアノの響板の方から見ると(ピアノの下にもぐって底を見上げる感じ)、わをっ、一面カビだらけだった。調律師さんはリハーサル後もだいぶ手を加えてくださり、いろいろ話もする。感謝の気持ちで、トリオのCDを差し上げる。

打ち上げはこれまた非常に美味な料理屋さんでご馳走をいただく。作り方が丁寧で、ここの料理には少々感動した。深夜0時頃にバカボン君と私はリタイアしたが、坂田さんは3時か4時頃まで盛り上がったらしい。実際、ツアー中、バカボン君はすべての行程を運転していることもあるが、打ち上げで一番元気溌剌だったのは坂田さんだったと思う。

6日(木)

弟子屈から、再び阿寒湖へ。

宿泊が関係者のペンションだったこともあり、ゆっくり昼頃に起きて食事をしてから出発。それでも午後3時頃には阿寒湖に着いてしまう。なにせ、今夜の開演時間は午後11時、なのだ〜。

ホテルに着いてから、、洗濯を済ませ、夕方調律に立ち会う。一昨日下見をした時は、鍵盤がカタカタいっていたので、心配だったのだ。でも、調律師さんのおかげでその病も癒えていたのでひと安心。その後、アイヌコタンを散歩してお土産を買い求め、夕飯をとったり、温泉に入ったり。でもこれから演奏をするのだから、身体や気持ちを緩めることはできない。

会場はエイトというお店。元々ディスコだった所で、今回のライヴでこの場所を復活させていこう、という話しだった。お客様はほとんどアイヌの方たち。打ち上げは居酒屋で。昨晩盛り上がり過ぎたらしい坂田さんは一滴もお酒を聞こし召さず。深夜5時過ぎに就寝。

7日(金)

阿寒湖から然別湖への移動日。

午後2時頃まで阿寒湖でゆっくり過ごして出発。途中、自衛隊の装甲車が列をなして走っているのをたくさん見る。山々はだいぶ黄色くなってきている。足寄を通り、夕方5時半頃に然別湖に着く。この湖は道内でもっとも標高の高い所にある湖だそうだ。

3人で夕飯に寄せ鍋を食べてから、私はゆっくり温泉につかる。サウナにも入り、再び足裏マッサージを受ける。このマッサージのお姉さんは上手だった。老廃物がたくさん出ているから水をたくさん飲むように言われる。ツアー中、初めてその日のうちに就寝。

8日(土)

然別湖から鹿追へ移動。

朝、雨にけむる湖がなんだか美しい。非常に神秘的な感じ。ここで3度目のミジンコ採集。遊覧船が入ってくるので、「お客さん、危ないですから、どいてくださーい」と言われて退散。

鹿追の会場前の広場では、ちょうど蕎麦祭りが開かれていて、大勢の人たちがいる。リハーサルまで時間があったので、その祭り会場をぶらぶらと見物したり、神田日勝記念館を見学する。神田日勝というのは画家の名前で、作品が展示されていた。楽屋に戻ると、そこはまるで理科の実験室のよう。採集したミジンコの中には、これまであまり見たことがないものがいた。

(ちなみに、この秋、坂田さんの『ミジンコ 静かなる宇宙』というDVDが発売されます。映像がとてもきれいで、ミジンコの勉強、命とはなんぞや、を学ぶことができます。かつ、一番最後に、新宿ピットインでのmiiのライヴ映像が1曲だけですが収められているという、世界にも珍しい作品になっています。実際、一家に一枚。一学校に一枚。推薦します。)

ホールにあったピアノはベーゼンドルファー。頻繁に稼動しているようではなかったけれど、やっぱりちょっとうれしい。町民ホールの客席は超満員。お客様の反応も温かく、CDもたくさん売れた。東京から持ってきたCD『赤とんぼ』はここで完売。全部で180枚くらいと聞いた。坂田さんのお言葉に甘えて売らさせていただいた黒田京子トリオのCDも45枚を超えた。

夜は帯広に出て、居酒屋で打ち上げ。深夜1時頃に、私はリタイア。

9日(日)

帯広で、このツアー最後の演奏。

午後3時まで延長してホテルに滞在。同じ帯広で、500mくらい離れた所にある別のホテルへ移動。実際、バカボン号に満載の荷物、すなわちスーツケースや楽器などを、連泊することはあったものの、連日のようにこうして出し入れする作業も、溜息が混ざったような気合を入れないと、なかなかたいへんなものがあったりする。文字通り、やどかり生活という感じだ。

夜はビア・ファクトリーで演奏。天井が高く、広い会場で、ここでは音響さんの助けを借りる。打ち上げもここで行われ、おいしいビールをいただく。

その後、主催者と”北の屋台”という所に行き、しばし歓談。ビルとビルの間に挟まれた土地に、7〜8人も入ればいっぱいという感じの、小さな屋台がずらっと並んでいる所だ。深夜にも関わらず、若い人たちからサラリーマンまで、大勢の人たちで賑わっていた。個室化が進んでいる居酒屋チェーン店と相反し、ちょいと狭くて、他人と肩が触れ合うような、それでわいわいやっているような雰囲気の所に人が集まっているのを、興味深く観察してしまった。人間、って面白いなあと思う。

今晩も温泉につかり、就寝。

10日(月)

帯広でおいしいお蕎麦を食べてから出発。日勝峠を越え、日高を抜け。だいぶ紅葉が進んできている感じ。途中、平取で”二風谷アイヌ文化博物館”に立ち寄る。フェリーに乗る前に登別温泉に寄り、北海道最後の温泉に入って疲れを癒す。実際、この登別温泉、よく効く。

苫小牧から、夜11時45分のフェリーに乗り、波に揺られてどんぶらこ。

11日(火)

波の上で、3人でトランプなどをしたり、昼寝したり。

かくて、夕方5時少し前に茨城県・大洗に到着。高速を走り、坂田さん宅に寄ってから、夜11時頃帰宅。苫小牧のフェリー乗り場から自宅に戻るまで、約24時間ということになる。

ふひゃあ、お疲れさまでした〜。

自らこのツアーを組んだマネージャー、さらに、自称”立派な坂田旅行社”社長、ツアーコンダクター及びナビゲーターの坂田さん。人間と人間との付き合いを大切にされているのには、ほんとうに頭が下がる。
そして、いったい何km走ったかわからない、運転手のバカボンさん。今回のツアーではミジンコ採集にも力を発揮して、その分野でも坂田さんをサポート。
お菓子配給係と会計担当、ミジンコ採集の際の写真係の私。
なんとも役割分担の行き届いた、、絶妙なバランスを保っているトリオになっている気がするが、ともあれ、お二人にはお世話になりました。ありがとうございました。

そして、各地で出会った主催者の方々、スタッフ、音響さん、調律師さん。みなさんにたいへんお世話になりました。この場を借りて心から御礼申し上げます。ほんとうにありがとうございました。

それにしても、ツアー中に網膜が破けなくてよかったあ。左眼は3回程レーザー治療を受けているのだが、その医者からは「北海道?ま、爆弾を抱えているようなものだから、もしそういうことになったら、まず、アウトね(網膜剥離を起こして失明する。例外を除いて、手術をすれば光は戻る。)」などと軽く言われ、ツアー直前に検査してもらった医者からは「いいえ、そんなことは絶対起こりません」と言われてはいたものの。このことがもっとも不安だった。いやはや、なにはともあれ、健康第一。


10月14日(金)  耳栓人間

北海道ツアーから戻り、二日間休みを取ったものの、日常の生活に戻るにはまだ時間が少々足りない。浦島太郎のような気分で仕事にでかけて、久しぶりの電車の中でたまたま見た光景。

耳栓をしている人。

を、たまたま二人、見た。一人は女性、一人は男性。いずれも20歳代後半から30歳代前半という感じ。本を読むでもなく、ただ、耳栓をしていた。

耳栓をしている人を見たのは、チャーリー・ヘイデン(b)以来のことだ。ヘイデンは演奏中、ずっと耳栓をしていた。

耳栓をするにはするなりの理由があるのだろうが、私にはどうも理解できない。そこまでして外界を遮断したいのだろうか。なんとなく病んでいる都会の光景を見た思いが残る。


10月15日(土)  けいさく

お寺で演奏して、お土産にと”けいさく”をいただいた。座禅を組んでいて邪念が感じられると、パシッ、とお坊さんに打たれる、あの棒のことだ。何か慶事の記念品に作ったものらしく、バカボン君に聞いたところによると、通常の長さより短く、普通は文字は書かれていないとのことだが、それには

「平常心是道」

と、書かれている。

うーむ、平常心。これが難しい。居間に飾っておくことにした。


10月16日(日)  蟹三昧

北海道から蟹が贈られて来たので、母や妹家族たちと食べる。美味。今年はほんとに蟹を堪能。それにしても、眺めれば眺めるほど、奇妙な形をしている。


10月19日(水)  ちょっと緊張

黒田京子トリオで新宿・ピットインで演奏。CD発売記念ライヴ。なんとなく、親元の巣を離れて、ちょっと世間の風に当たってみる、という感じだろうか。

実際、いつもと違って幾分緊張していた私だったかもしれない。空席が目立ったらどうしようと思ったり。でも、まずまず人で埋まっているように見えたので安堵する。

CDのジャケット・デザインを担当してくださった方が、新たにポスターを作って来てくださり、感謝。毒を喰らわば地獄まで?いっしょにものづくりをしている感じがして、なんだかうれしい。


10月20日(木)  様式美

とても久しぶりに国立劇場へ歌舞伎を観に行く。『貞操花鳥羽恋塚(みさおのはな とばのこいづか)』四幕八場。四世鶴屋南北による、文化6年(1809年)に市村座の顔見世狂言として書き下ろされた作品。間に休憩は入るが、正午から夕方5時まで。思えば、贅沢な時間の使い方だ、と腹をくくって鑑賞。

『平家物語』に世界を取っているもので、話の筋はなかなか複雑なので、ここには書かないが、三幕目で天狗になった崇徳院が虚空に飛び去るという場面で、生まれて初めて”宙乗り”を見た。長い暗転から、バッと目に入ったのが、すごい形相をしている人の姿。自分が座っている席のやや左斜め真上の近さで、ド迫力だったのが強い印象として残っている。

それにしても、歌舞伎は”様式美”だとつくづく思う。んでもって、より良い型に自分を近づけていく表現の方法は、どうも私にはあまりしっくりこないようだ。能楽、狂言、文楽など、日本の文化には”型”があるのだが、「どうだっ」と観客に見せる部分も多くある歌舞伎より、もっと内面深く降り立っていくものを感じさせるものの方に、私の心は動くらしい。

終演後、これまた久しぶりに神保町界隈を散策。大学時代やその後出版社に勤めていた頃、それはもうよく行った蕎麦屋や喫茶店(今は広さは半分で、夜はバーになっていてコーヒーは飲めない)に行く。鹿児島出身の出版社の社長に連れられて行っていた、空調設備のない小さな店にも行ってみた。焼酎と薩摩揚げを出している店で、当時の親父さんは亡くなっていたけれど、店内の感じはほとんど変わっていなかった。約25年ぶりに足を踏み入れたことになるが、「四半世紀じゃないっすか」と言われて、時が流れたことを思い知った。


10月22日(土)  本日の取り組み

朝から12月の演劇の稽古。朦朧としている頭をぶんなぐりながら、子供たちと音楽を練習する。子供たちの中に、無表情で口も小さくしか開いていない子供たちがいるのを見て、これはちょっとなんとかせにゃあと思う。

夜は大泉学園・inFで、”平野公崇(sax)さんといっしょ”のライヴ。ゲストに巻上公一(vo/テルミン)さんを招いて、すべて即興演奏。

巻上さんの即興演奏能力は抜きん出ていて、日本の即興演奏家のトップクラスだと思う。百戦錬磨。素晴らしい。今日の企画を組んだのは私だが、この取り組み、いかがでしたでしょうや。

巻上さんには少々胸を借りた状態だったかもしれないけれど、ここには確かに自分自身を問題にする時間が流れていたと思う。無論、私自身も含めて。


10月28日(金)  運転免許

11月になってしまうと時間が取れそうにないので、早々と運転免許の更新に行った。良い天気だったので、自転車ででかける。

一時停止を無視したカドで、たまたまそこに立っていたお巡りさんに呼び止められ、必死に抵抗したものの言い分は通らず。そのため、二時間講習。また古〜いビデオを見せられるんだろうなあと思っていたら、薄型のテレビにDVDだった。

それにしてもいつまでたってもゴールドにならないなあ。


10月29日(土)  耳には届く

朝から12月の演劇の稽古。今日は楽団の練習。ソプラノ・サックス、アルト・サックス、トロンボーンを演奏する人たちと初めて会う。彼らはみな音大を卒業した人たちだそうだ。譜面は読めるが、音楽にならない部分が多々あり、これからの稽古でエンジンをかけないと、このままでは、まずい。

夜は大泉学園・inFで、黒田京子トリオのライヴ。10日程前に新宿・ピットインで演奏した時は曲をやったこともあって、今晩はすべて即興演奏で。このトリオでは久しぶりに2ステージすべてを即興で演奏した。

さらに、今回は翠川さんの提案で、マイクやアンプを一切使わず、生音で演奏。これが、聞こえる。

だいたいにおいて、ライヴハウスでもホールでも、よく聞こえないという理由から音響装置による力に頼り過ぎている。また、PA屋さんもやたら音を大きく増幅したがる傾向がある。生音だと、最初はあれ?小さいかな?と思うけれど、そのうち耳は自然に開いていくものだ。やがて繊細なピアニッシモも聴き取れるような耳になっていき、そこには聴き手の能動的な耳が生まれる。それが音楽の豊かさにつながっていく、と思う。


10月30日(日)  惚れる音

東京駅近くのDCROSSで、平野公崇(sax)さんに誘われて演奏。彼が吹くソプラノ・サックスのあまりの美しさに、涙がこぼれそうになった。そのピアニッシモは極上だと思う。

この日、ピアノはスタインウェイのフルコンが二台。前半は私が、後半はアキコ・グレース(p)さんが演奏して、最後の曲とアンコールのみ、ピアノ二台での演奏だった。

この二台のスタインウェイはタカギクラヴィアから借りたもので、その運搬作業に感心した。キャタピラが付いている小さい戦車の土台だけの部分のものに、足を取りはずしたピアノを載せて、レバー操作でゆっくり運ぶのだ。これ、自作らしい。

折りしも、『スタインウェイ戦争 〜誰が日本のピアノ音楽界をだめにしたか〜 』(高木裕、大山真人 著/洋泉社新書)という本を購入したばかりだった。今年はアサヒビールのロビーコンサートでもタカギクラヴィアさんにお世話になっている。さて、これから読んでみよう。




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