11月
11月1日(火)  羊肉パワー炸裂

夜、代々木ナルにて、黒田京子トリオで演奏。

かねてより羊肉が上手い!と評判の店で、メンバーの一人は開演前より、かつメンバー二人は休憩時間に、赤ワインでエンジンをかけ、羊肉によりパワー・アップ。顔が幸せでほころんでいる。今晩の演奏も基本的に生音、そしてハイ・テンション。二人とも素晴らしい。いい演奏だったと思う。

え〜ん、私も羊屋さんに行きたかったなあ。って、休憩時間にCDを販売し、サインをし、はるばる遠方より来たる人と話をしていたのだった。おい、こら、二人、ちったあ、営業せんかーい。お客様は神様です。


11月3日(木)  『スタインウェイ戦争』

『スタインウェイ戦争 誰が日本のピアノ音楽界をだめにしたのか』(高木裕・大山真人 著/洋泉社新書)を一気に読了。

特に差し支えない人名は実名で表記されているが、そのほとんどはとりあえず仮名が使われている。でも、だいたい想像できる。暴露本というと聞こえは悪いが、要するに事実本。

これはタカギクラヴィアの社長である高木裕さんが、1996年に公取委から独禁法違反で排除勧告を受けた松葉楽器商会(仮名)と格闘した一部始終が書かれている。実際、ここに書かれていることはまったくの事実に相違ないそうだ。と、実は思わず興奮して電話をしてしまった、地方でお世話になっている調律師さんもおっしゃっていた。

そもそも誰もがちょっとおかしいと思っていたことだろうと思う。先にこのwebにもアップしたことがあるが、決してピアノを痛めない方法で行った約30秒の内部奏法の代償に、楽器のことなど何もわからないホールの人間を通して、20万円も請求させる会社の体制は、どう考えてもおかしい。ここには楽器を納品したメーカー、そのおかかえ調律師、ホール側の管理体制などが絡む、一連の構造的な問題があることは火を見るよりも明らかだ。

ピアノという楽器をめぐるもろもろのこと。まだまだ知らないことがたくさんある。だいたい私なんぞは恥ずかしながら、ハンブルグ・スタインウェイとニューヨーク・スタインウェイの違いさえ、まだわからない。まったく未熟者だ。ピアニストはそこにあるピアノを弾かなければならない運命にある、などと甘えたことを言っている場合じゃない。もっともっとちゃんと楽器のことを知る必要がある。勉強、勉強。


11月4日(金)  生物学と音楽

坂田明(as,cl)さんの母校である、広島大学の大学院生物圏科学研究所・創立20周年記念行事『サイエンスとジャズの対峙』で演奏。

これは、大学院生が研究している事柄を、パソコンなどを使いながら短く発表するのに呼応して、私たちはそれに関連するような内容の演奏をするという、珍しい企画だった。現在大問題になっているエチゼンクラゲに関することや、ウィルス、アミノ酸、山羊の精子、植物をストレスから解放する方法などの研究が発表され、興味深く聞かせていただいた。

発表の時間はかなり短いし、基本的には素人にとてもわかりやすく話しているからだろうが、私には生物学というものがずいぶん身近なものに感じられて、こうした企画はとても面白いと思った。

思えば、こうした研究は実に実に地道なもので、ノーベル賞を獲るとか、世間に知れ渡るような薬の開発に直接つながった発見といったことでもない限り、社会的には音楽家より陽の目を見ない分野かもしれない。

こういう企画を、もっと町の中で一般市民を相手にするような形でやってみたらどうかしら?と大学院生に言ってみると、国立大学だとなかなかできないというようなことを言う。彼に聞くと、私立大学ではやっているらしいのだが。税金を使っている国立だからこそ、やるべきではないの?と言ったのだけれど、どうやら国立ゆえの動きにくさがあるらしい。なんだかヘンだなあ。


11月5日(土)  子供は犬ではない

帰りの中央線の中。いかにも子供を邪険に扱いそうな、不機嫌な顔をした若いお母さんと、ベビー・カーの中の子供。子供はちょうど立って歩くのが楽しくなってきた頃といった感じ。ベビー・カーにおとなしくしているのにちと飽きたのか、子供は立ちたがる。それでお母さんは子供を立たせる。

そして、お母さんは犬に付けるような紐が付いたものを子供に装着した。子供はとっても嫌がっている。あれは窮屈で痛いに違いない。誰が見たってそう思うだろう。子供は泣き始めた。

子供は犬か?怒りがこみあげてきた。

あまりにかわいそうで、ひと言、言おうかと思っているうちに、その親子は電車から降りていってしまった。


11月8日(火)  輝く若さ

大泉学園・inFにて、真部裕(vl、viola)さんと初めて演奏。彼は'80年生まれ、25歳。芸大を首席で卒業した人だそうだ。音大を出ていない私には、そうしたことがどれくらいすごいことなのかはよくわからないのだけれど、在学中からスタジオやいろんな仕事をされてきたとのことだった。

午後5時に入って、打ち合わせ、リハーサルを済ませ、「飲みに行きましょう」と誘われて、おばさんは少々胸がわくわく。なんだかオープンな感じで、第一印象の好感度抜群。追っかけらしき女性(ちなみに、inFがこんなに女性ばかりの状況に初めて遭遇)の中には「なんたって性格がいい」と言っていた人もいたっけ。彼は小柄で、クリスチャンだそうだが、とても素直な感じがした。それに、いわゆるクラシック出身の人が醸し出しているような、ある種のスノッブな雰囲気は感じられない。

基本的には彼が持ってきた曲を演奏。それでも、この日の演奏は彼にとって、これまででもっとも即興演奏の部分が多かったものらしい。

また、ちょうどこの晩にお通夜だった、亡くなった本田美奈子さんの公演で彼は仕事をしたことがあるとのことで、そのことでたいへん胸を痛めていたようだった。その思いも込めながら、彼のソロから始まり、促されて演奏した曲は「アメイジング・グレース」。この曲は生前本田美奈子さんがもっとも愛していた曲だそうだ。ということを、翌日のワイドショー番組で知った。

若いながら、いろいろ経験も積んでるようで、合間のおしゃべりも楽しかった。以前はお客様のことなどまったく考えていなかったけれど、それではいけないと、ある日気づいたのだそうだ。また、10年くらい続けている”コミック・バンド”もやっているそうで、そのバンドは最初の頃の集客は一桁だったけれど、最近は200人を越えるそうだ。

音楽的にはもっと”ジャズ”を勉強したいというようなことも言っていたし、来年はお金がなくなるまでニューヨークで修業してくる予定だそうだ。若い、っていいなあ。

思えば、これくらいの年代の若者たちは、生まれた時からこれまで、それはもうたくさんの音楽を享受できる環境にあるのだなあと感慨ひとしお。それは、例えば、秋吉さんやナベサダさんが意を決してバークリーで勉強するために渡米したり、LPの溝が磨り減るまでレコードを聞いてコピーしたり、あるいは海外のミュージシャンの来日時に、長い列に並んでチケットを入手したり、といった時代とは、もうほんとうにまったく違うのだ、と思った。

いろんな若い人が出てきているのだなあと実感。その輝きが眩しい。

それにしても、最近、ヴァイオリニストもいろんな人が活躍している。
と振り返ると、自分もヴァイオリニストと接する機会に恵まれていることに気づいた。先月末は久しぶりに金子飛鳥さんと共演したし、太田惠資翁はいわずもがな。年内には喜多直毅貴公子との演奏もある。真部君と演奏した時には彼の友人の女性ヴァイオリニストもいた。またその翌日には、仙波清彦師匠の奥様である高橋香織さんが飛び入りで演奏され、初めてのこんにちは。今月半ばには古澤巌さんにお会いする。他に共演歴があるのは、勝井祐二さん、それに小松亮太さんの奥様になった近藤久美子さん。

そっか、やっぱり、自分はジャズからちょっと遠いところに来ているのかもしれない。だいたいジャズ・ドラマーとはほとんど共演しなくなっている。サックス奏者も限られた人だけだ。うーん、そっかあ。どうでもいいと言えばいいのだけれど。


11月15日(火)  ドリーム・ロード

劇団トランクシアターの公演『ドリーム・ロード』が、12日(土)から15日(火)まで、両国シアターカイで行われた。私はここで奏でられる音楽のすべてを作曲、あるいは編曲し、音楽監督をつとめた。トランクシアターとの付き合いは10年以上になるが、今回ほど譜面をたくさん書いたことはないし、長い関わりの中で上演時間もこれまででもっとも長いものだった。

実際は6日(日)からは毎日稽古に出たので、およそ10日間くらいベタで関わっていたことになる。昼間は芝居の稽古、夜は仕事、というパターンの時は、さすがに私も少々くたびれた。このままでは体調がやばいと感じ、本番中は自主的に両国にホテルを予約して、そこから通った。先手防衛。実際、眼に照明はきつい。かつ、他人の面倒ばかり見ていて、本番中は自分の前に譜面がどっさり。それを暗がりで見なければならないから、さらに眼にあまりよろしくない。また、依頼されている別の仕事の譜面を書く時間も欲しかったので、時間をお金で買った感じ。

今回は想像以上に装置、大道具が大掛かりで、かつ小道具、衣装も盛りだくさんになっていた。役者は1週間から10日間くらい、ねずみが這い回っているらしい稽古場で、徹夜したり寝泊りして、作業に取り組んだと聞いている。全員疲労がピークに達した時に本番を迎えた感じだ。この劇団、なにせ、自分たちでなにもかも作るのだ。商業演劇と異なり、大道具さん、衣装さんなど、いない。

と思っていたら、初日本番直前までペンキを塗っていた人もいた。そして、台本にはピアノの即興演奏とのみ書かれている最後のシーンも、本番直前に決まったのだった。

今回の芝居は、ルイジアナのミシシッピー川のほとりに住む一つの家族が、大嵐に遭い、家がめちゃくちゃに壊されてしまったシーンから始まっている。台本ができたのは、今年ニューオリンズを襲ったハリケーンの前だったとは思うが、これ、シャレにならない。現在、多くのジャズ・クラブには募金箱が設置されているが、とても他人事には思えず胸が痛む。

で、電車の中で、ぼうっと考えていたら、何故かルイ・アームストロングの歌が聞こえてきた。 「Nobody knows the troubled I've seen」 それでいつものようにラスト・シーンで振られた”即興演奏”とのみ書いてあるところで、ピアノ演奏だけで締めくくらない方法をとることにしてみた。別の言い方をすれば、アームストロングの歌の力を借りて、あるいはその歌と即興演奏をしながら、エンディングを作ったということになる。

すなわち、冒頭のシーンに呼応するように、最後のシーンにアームストロングの歌を使ったわけで、ここには音楽家である私のきわめて個人的な思いが託されている。

それはともあれ、果たして、その終わり方が良かったのか悪かったのか。

原本となっているブレヒトとワイルによる作品、特にブレヒトが書いている内容と、このエンディングが意味する内容はおそらく一致してはおらず、それでよかったのか。アームストロングの歌には「but Jesus」とあるからだ。脚本を書いた人の思いは、演出家の意図は、といったことを、深く吟味したり、話し合ったりする暇もなく、本番に突入してしまったが、それでよかったのか。

少なくとも私自身は、家族のために出稼ぎに出て、それこそいろんな目に遭って、結果的にはお金をうんと儲けることができ、新しい家も建った故郷(家族たちはそれぞれ人間的に破綻している)に戻ってきた主人公を救う気持ちがあったことは断言できる。が、それでよかったのか。

そもそも、脚本を書いた人、演出家、私との間には、その原本の解釈や何を問題にし、どういうことをテーマにするかといった点が、出発点から少々異なっていたのかもしれないのだが。原本も一筋縄ではいかない、ブレヒト的なシニカルなところやひねくれた視点が散りばめられていて、特にJesusというものから遠い世界にいる私(たち)には、直截的にはわかりにくいところも多々あるのだけれど。

また、元のワイルの曲はワイルの筆(編曲)が非常に優れていて、それを生かしながらも、各シーンに合わせて再構築する編曲作業は、なかなか苦労がいった。さらに、これもいつものことながら、役者たちの演奏能力も考え合わせなければならなかったから、骨が折れた。

編曲を終えた時点で、私の作業は半分以上は終わっていると思っているが、今回の公演では、それ以降の稽古は手取り足取りといった風にはあまりできなかった。この仕事を引き受けるかどうかの時点で既に出ていたスケジュールの都合で、稽古には満足には付き合えないということが、あらかじめの条件ではあったのだが。その分、私の助手のような感じで、音楽稽古をやってくれた人には、また、細かいことをあれこれ言って、苦労をかけた人たちにも、この場を借りて心から感謝する。

ともあれ、みなさん、おつかれさまでした〜。
劇場に足を運んでくださったお客様方にも、この場を借りて御礼申し上げます。


追記

今回の公演には”即興劇”という活動をしている役者さんたちが参加していた。私の興味は既にそちらに深まりつつある。
http://www.dance3.jp/index.html


11月16日(水)  まだまだ青い

自由、とはなんだろう?

自分が自由になる。それが自由か?
他人を自由にする。それも自由だろう。

歌いたいから歌う。そのメロディーを奏でたいから奏でる。

あるがままが在り、そこから始まる。
あるがままを受け入れ、そこから出発する。
そこに、その人にしかない、どこにもない、自在さが生まれる。

ということを、あらためて学んだ思いが残る。演奏した後の印象は故金大煥(per)さんと演奏した時に少し似ていた。

大泉学園・inFで、パリ在住の沖至(tp、flh)さんと演奏。現在63歳。日本のフリージャズを代表する、大先輩だ。今回は私の希望で、敢えてデュオでの演奏をお願いした。

先回沖さんが日本に来られて共演した時は、あらかじめ用意されたジャズのスタンダード・ナンバーなどの曲を演奏したので、そうではなくやってみたいということがまず頭にあった。いわゆるジャズの手法を用いたアドリブということではない即興演奏をやってみたかった。

としても、自分の内に、フリージャズとか即興演奏といった、ある種のフォームやイメージに、いまだに囚われている己れを発見した時、なんて情けない、と思った。あるいは、先入観やこうやりたいというようなくだらない意思に支配されていた自分を悔やみ、恥じる。

後半、「なんか楽しい曲でもやろうか」と耳元でささやかれて、沖さんが吹き出したのは「モリタート」。変ロ長調で始められたので、ちょっと珍しいなと思っていたら、3コーラス目から突然ハ長調に変わった。それから、今、沖さんのお気に入りなのだろう、どこかで聞いたイントロだと思ったら「愛の賛歌」。温かい音色が響く。次は私が「枯葉」のイントロを弾き、適当に即興演奏。最後に沖さんが吹き出したメロディーは、なんと「セシボン」。二人で歌った。何故か”フランス”になった。

帰り、車を運転しながら、自分はまだまだ青いと、つくづく思いながら、のろのろと前を走る長崎ナンバーの車をなぎ倒したくなった。


11月20日(日)  収穫祭

18日に前乗りして、足利に入る。夕飯を坂田明(as,cl)さんと差し向かいで食することになり、なんだかちょっと「不思議な光景じゃのう」と互いに照れ笑いをする。

19日、20日と二日間に渡って、今年もまた足利にあるココファームの収穫祭で演奏。昨年から新しくなった広く白い楽屋で、出番を待ったり、他のミュージシャンと歓談したり、おいしいお料理や飲み物をいただきながら、楽しく過ごす。

古澤巌(vl)さんは肉体改造計画に着手されているとのことで、一見してシェイプアップされていることがわかる。「なんだかだんだん派手になって〜」とは奥様の言。でもなんだか格好良い。ちょいと歳をとってからでも、身体を変えることはできるのだなあと思い、自分に少しだけ決意を促す。なにせ、しょっちゅう、他人から見られているわけだし。

という古澤さんに、今年出されたブラームスのソナタ集のCD(ピアノは高橋悠治さん)に、サインをいただく。ついでに、トリオのCDも差し上げてきた。古澤さん自らが書かれていたライナーノートを読んで、贈呈する気持ちになった。聞いてくれるとうれしいなあ。

天気は晴れ。されど、野外ステージにはすこぶる冷たい風が吹きまくって来る。訪れた人たち(二日間で2万人くらい?)も、いくらワインを飲んでいるといっても寒いに違いない。演奏する方の身体もこわばり、指先は冷たく、想像していた通り、指先が割れてしまって痛い。困った〜。

このこころみ学園の園生たちが大事に育てた山の斜面のぶどう畑、ココファームでの一年に一度の収穫祭のことは、これまでにも書いてきたので多くは語らないが、この秋の一年に一度のお祭りに今年も参加できたことはとてもうれしい。

そして、今年もまた、ここで誕生日を迎えた。思いがけず、ここで知り合った方や、レストランのスタッフの人たちなどからお花などを頂く。終演後にはステージの上で園長先生から花束を渡される。酔っ払いのお客様たちも含めて祝ってくれたことになるわけで、おそらく生涯これほどの人たちから祝福を受けたことはなかったと思う。心から感謝。この収穫祭のように、さらに実りある、いい一年にしたい。


11月22日(火)  マイ・フェア・レディ

初めて帝国劇場に足を踏み入れ、(二階にある、パーラー・インペリアルには入らなかったけれど、それにしてもすごい名前の喫茶店だあ)、初めてミュージカルというものを観た。正確には十代最後の頃に、アメリカで『コーラスライン』を観ているのだけれど、日本でこうしていわゆる商業演劇興行であるミュージカルを観るのは初めてのことだ。

それは大地真央主演の『マイ・フェア・レディ』。間に休憩が30分入るものの、午後1時開演で終演は午後4時半だ。そして客席はほぼ満員。ほぼ女性。もんのすごいオバサン・パワーだ。ついでに言えば、休憩時間のトイレは長蛇の列。

パンフレットには”女性の自立”とか”言葉(方言訛り)の階級闘争”といったようなことが書かれているが、実際は貧しい花売り娘から、訛りを矯正されて、社交界にデビューするに至る、主演女優の変化と美しさに、多くの観客は溜息。

実際、舞台上方中央に、純白のキラキラしたドレスで、彼女がジャーンと堂々と登場した時は、こんな私でさえも、へえーっと感じた。それくらい大地真央には華があったと思う。ああいうのを看板女優というのだろうなあ。そして女性は誰もが、生涯に一度でいいから、あんな風にドレスを着こなしてみたーい、と思うのだろうな。

『マイ・フェア・レディ』は1964年に製作された、かのオードリー・ヘップバーン主演の映画で超有名で、その印象も強いが、元は1956年から約7年半ロングランを続けた、アメリカのミュージカルだ。その時の主演はジュリー・アンドリュース。

この音楽が素晴らしい。作曲はフレデリック・ロウ。「踊り明かそう」「君住む街町」などは、このミュージカルのナンバーだ。いやしくもジャズをやっているからには、やはりこうした元曲に戻って、もう少しちゃんとしなきゃいかんのではないかとあらためて思った。


11月23日(水)  希望を抱け

面白くて、ちょっと興奮して、息を引き取るその瞬間まで希望を持って生きたい、などと思ってしまった一日と相成り候。

東京・国際フォーラムで行われた、日本歯科保存学会50周年記念大会で演奏。”命、人生、歯、音楽を考える”と題された、これだけではなんのこっちゃよくわからないが、要するに三日間に渡る学会のオープニングを飾るイヴェントに参加した。

「がんばらない」けど「あきらめない」といった、その著書でも有名な諏訪中央病院名誉院長の鎌田實先生の基調講演から始まる。その語り口は穏やかながら、主張が明確で、人の心を打つ。具体的にスライド映像も使ったお話で、静かな説得力があった。そして、仮に末期癌で寿命を宣言されても、天国に召されるその瞬間まで、希望を抱いて生を全うする命の尊さを、チェルノブイリなどへの医療支援の話しでは、人と人とのつながりがいかに大切であるか、を教わった。その他、心に残るすてきな言葉がたくさんあった。

全体の進行は主として永六輔さんがつとめられ、その話芸は絶品。とっても面白い。映像を伴った坂田さんのミジンコの話しもわかりやすく、会場から笑いを誘う。鎌田先生、永さん、ピーコさん、小室等さん、坂田明さん全員によるトーク・コーナーもあり、その話も抜群に面白く楽しい。これだけの人たちが集まっているのだから、面白くないわけがないのだけれど。

小室さんのギターと歌は実にしみじみ。自分は自分で在るという、ごくあたりまえのことを、私はいつも学ぶ。ピーコさんの歌も思いがこもっていて、ダイレクトに伝わってくる。坂田さんの音も表情豊かに響き渡る。

私は坂田さんとの演奏とアンコール曲「見上げてごらん 夜の星を」を演奏するためにだけ参加したわけだが、これだけの人生の大先輩たちの中にいて、決して声高ではなく、自分のことをしっかりやることがどれほど大事なことかを、しみじみ思った。それくらい一人一人の存在に説得力があった。少しは爪の垢でも煎じて、と謙虚に思う。

また、命や死についての話しというのはどうしてもどこか重くなりがちだと思うが、そこに音楽もあると、生きていることの喜びを、非常にシンプルに自分に問いかけることができるように思った。そこには、ちゃんと自分自身を生きたい、人との関わりを大切にしたい、というようなことを感じさせる時間が流れる気がした。つまり、コンサートやライヴといった、音楽だけを聞く場や時間とはまたちょっと違った、豊かな音楽の在り様を感じた。

夕刻に終了。少し時間があったので、こういう方たちとお会いした記念と自分への誕生日プレゼントに、いよいよ老眼鏡を作ることにした。遠近両用というのはよく聞くが、私は中近(ちゅうきん)にした。近近(きんきん)というのもあるが、それだと手元中心過ぎて、演奏中に共演者を見るとボケてしまうため、中近と相成った。歳をとっていく自分と折り合いをつけていくことが始まったのだなあ。


11月27日(日)  ピアノの森

静岡での仕事から戻ったら、そのまま居間で寝てしまった。気が付いたらもう夕方。何ひとつやる気が起こらず、何もしない一日にすることにして腹をくくる。

どうやらCD製作に勤しんだ春以降、疾走し続けてきた疲労がどっとたまってきているらしい。普段私はほとんどコンビニを利用しないが、ここでおむすびを買うようになり、深夜に洗濯をするようになり、家の掃除ができない日々が続くと、要するに全然家にいない状態が続いていると、赤信号だ。

で、ふとかたわらを見れば、妹が貸してくれた漫画『ピアノの森』(一色まこと 著/講談社)がどさっと10冊。読み耽る。ユーモアもあってなかなか面白い。急にショパンが弾きたくなる。弾けないくせに〜。


11月28日(月)  サウンド・イメージ

深夜に放映されたNHKアーカイブスで、世界遺産に指定された『奥飛騨白川郷 合掌屋根を葺く』(NHK特集/1982年)と、『修学院離宮』(日本の名園/1987年)、二つの番組を見た。

修学院離宮は比叡山のふもとにあり、17世紀、後水尾(ごみずのお)上皇が山荘として造営したもので、その庭は京都の洛北に位置する岩倉からさらに北山の山並みを背景とし、借景の手法を用いた庭として日本を代表するものだそうだ。風と光、水に映る木々、実に素晴らしい。

この上皇は若くして(確か35歳と言っていたような)引退し、この山荘でしばしば過ごし、長きに渡り院政をつかさどったらしい。85歳まで生きたそうだから、当時としては異例の長寿だ。最後の朝廷文化の担い手とも言われているらしい。

問題はこの美しい庭園の風景に流れていた音楽。何人かの作曲家の曲が使われていたと思うが、やはり武満徹の音楽が圧倒的に深い。あの音楽が流れていなかったら、私はこの番組を見なかっただろう。この深さはいったい何なのだろう。

後水尾上皇のことなどよく知らない私だが、その音楽によって、水面にゆらぐ風景をじっとみつめる上皇の姿が浮かんでくるようだった。というより、たえず水が流れ、風や光のうつろう、それは美しい風景が、この世に生を受けたもののうたかたやはかなさ、むなしさのような、根源的な人間の在り様に静かに深く降り立っていくような感じを受けた。そんな曲を一曲でいいから残してみたい。


11月29日(火)  個から始まる

夏にやった”ドラマ・リーディング”のミーティング。先のライヴの反省や今後のことを話し合う。

私以外は役者が二人のトリオ編成のグループなわけだが、”即興劇”というものは約30年前くらい、けっこう流行っていたものらしい。つまり私たちが学生時代の頃。

例えば、二人一組になって、とにかくなんでもいいから芝居(話)をする。それを録音しておいて、すべてを文字にして書き起こし、それを再現する、といった勉強の仕方があったと聞いた。

また、かつて芸能座という劇団があって、この劇団もトランクシアターと同じように、何か一つ楽器をやる、というのが義務だったらしい。そして、そこに所属していた役者さんは、入った当時、やはり二人一組になり、とにかくなんでもいいからやってみろと言われたという。それを率いていたのは小沢昭一さんだが、その時「演技の先生は自分自身だ」と言われたことが、もっとも印象深いと話していた。これは演出家と役者との関係、役者はどういうつもりで舞台に立っているのかといったようなことを尋ねた私に、メンバーの一人が答えてくれたものだ。

おそらく私が”即興”にこだわるのは、それがきわめてすぐれて”個”に関わることだからだろうと思う。すべてにおいて自立(自律)は前提だが、実のところ、人は自分が裸になることを容易にはしない。(昔、演奏中にしばしば裸になったらしい人を知っているけれど・笑。)

芝居作りに関わっていると、私には演劇には様々な制約やマゾヒスティックなところがあるように感じてならないことがある。まずは台本(脚本)がある。そして演出家という存在がある。さらに実際の現場(舞台)では、Aさんがこっちから出てきたらBさんはあっちへ行って、といった動きを決めなければ、人と人とがぶつかる。ここでは赤いドレスに着替え、ここではウルトラマンに変身しなくてはならないといった段取りを上手く組まなければ、全体の進行に差し障りが生じる。照明の関係から立ち位置も指定される・・・云々。

いったい役者個人はどうやって立っているのか?自分をどう立たせているのか?そもそもこうした命題を考えること自体が誤りなのだろうか?演劇において本当に”即興”は成り立つものなのか?

要するに、私は”個”がある役者と何か面白いことをやってみたいと思っているのだろう。そんなこんなで、先のトランクシアターの公演で出会った人たちのあれこれにまずは出かけてみようかと思っている。

昨日の黒田京子トリオのライヴに来てくださった方が主宰している”即興劇”のサイトはこちら。
http://www.dance3.jp/index.html

コメディア・デラルテなるものをやっているらしい人のサイトはこちら。
http://www.dellarte-c.com/

出演者の一人が、このサイトを主宰している人と、12月に即興劇やら楽器演奏やら何かやるらしい。(現在、まだその情報はアップされていないようです)
http://homepage3.nifty.com/mosquite/top/index/main_index.html

他、黒テントに所属している人とも共演したのだけど、あの音楽、お仲間にはどんな評判だったんだろうなあ。




2005年10月の洗面器を読む

2005年12月の洗面器を読む

『洗面器』のインデックスに戻る

トップペーージに戻る