7月
7月2日(日)  けせらせら

ワールドカップ・サッカーを観ている。朝の6時もなんのその。

1日(土)、ドイツVSアルゼンチン戦の前半を、翠川敬基(cello)さんが主宰する“クラシック化計画”の演奏を聴いた大泉学園・inFで観てから、車で帰宅途中、後半にアルゼンチンが点を入れた実況を聞き、少々焦る。気持ちはアルゼンチンよりもドイツを応援。

この対戦は結局延長戦でも決まらず、PK戦へ。そのPK戦が始まる前に緊張に包まれた場内に流れていたBGMが「ケセラセラ」で、思わずのけぞり大笑いをする。もっともだ。けせらせら。

2日(土)の午前4時からのフランスVSブラジル戦も、無論観る。決勝トーナメント一回戦でスペインを相手に闘ったフランス。ジダンのプレイがあまりに素晴らしく、輝いている。さらに後半ロスタイムに本人が点を取って、私しゃ思いっきり感動する。ああ、観ていてよかった、と思った瞬間。なにはなくとも、やっぱり“ライヴ”だ。

上記のブラジル。それまでとポジションを変えてきて、ロナウジーニョが2トップに位置したのがよろしくなかった。後半、途中でポジションが下がった時から、やっと“リズム”が出てきた。明らかに、彼はリズム・メーカーだった。あのフリーキックが決まっていたら、めちゃくちゃ格好良かっただろうとは思うが、彼のプレイは今回のWCではもう観ることができない。

そんな風に考えてみると、ロナウジーニョがはずむ“リズム”を作り出し、チーム全体を生き生きとさせるなら、ジダンはしなやかな“メロディー”という感じがする。正確なパスで線をつなぎ、ヒールでキックして流れにアクセントを付け、主題のヴァリエイションを展開し、牽いてはフランス全体のハーモニーを作っている感じ。上下の感覚と水平の感覚の違い、みたいな。って、考え過ぎ〜。


7月2日(日)  のうのう

のうのう。すなわち、脳。悩。

昼間、高次脳機能障害を持っている人のドキュメンタリー番組(8ch)を観る。交通事故などで脳に大きな損傷を受けてしまい、その後、後遺症と闘いながら社会へ出て行こうとしている人たちを取材したものだ。

怒りの感情を制御することができず、家族に暴力をふるってしまう一家の大黒柱。が、当人は5分前のことを忘れてしまうので、身内は怒るに怒れない。今はなんでもメモをするようにして、PCも学び、働いている。

常に笑っていて、悩むという機能を失ってしまった人。人生、悩まなくていいならそれにこしたことはない、というのは大いなる間違え。なんでも、悩むからこそ、人はそれを克服して先へ進むのだそうだ。が、少しずつ「自分は何もできないではないか」としゃがみこむようになるまで回復。彼女にはイラストのセンスがあり、その本が出版されたところで、番組は終わった。

人間の脳の働きは実に複雑で不思議だ。世界には様々な障害を持った人たちもその命を生きている。そうした人たちを排除するような社会であっては決してならない。


7月6日(木)  ピアニストが二人

横浜・ドルフィーのマスターの強い希望で、おそらく2〜3年越しになっていた企画、田中信正(p)さんとのデュオが実現。このマスター、いつもにこにこしながら「今日もすばらしい演奏でした」くらいしか言わない方だが、その強度の近視の下に隠された耳はなかなかすごい、と私は思っている。

このピアニスト二人の演奏で私がもっとも心がけたのが、田中信正君と私の二人で実現できる音楽世界、さらに、一台のピアノを使ってできる音楽の可能性を考慮に入れて、方法論を明確にして挑んでみることだった。だから、シンセサイザーを持っている方が楽器を持ち込んで、片方はベースラインを弾くなどということは決してしない。

いきおい連弾が主となり、概ね彼がセカンドを弾くことが多かった。他に、彼には初めての経験だったらしい、ごく初歩的な内部奏法や詩の朗読。私はアコーディオンだけを演奏したり。曲もそれぞれのオリジナル曲から、バルトーク、ベートーベンなど、内容的には豊かで色彩感のあるものになったと思う。

冷静になってみると、同じピアニストとしてあるいは即興演奏をめぐって、田中君個人に対しては話したいことがいっぱい出てきたが、ともあれ、今回の演奏は面白かったと思っている。

現在、そのフライヤーを配り始めたところだが、この秋に企画している『くりくら音楽会』は最終的にはピアノ二台による演奏を目指している。そこへの道が少し見えた。


7月7日(金)  医療コーディネイター

夜、NHKでやっていた『患者と医師のコミュニケーションを 〜医療現場で今〜』を観る。

高度に専門化、複雑化した現代の医療現場では、「医師の説明が分からない」「聞きたいことが聞けない」「情報が多すぎて治療法の選択に迷う」といった患者の悩みが尽きない。こうした中、患者と医師のコミュニケーションを円滑にして医療の質の向上を目指す取り組みが始まっている。看護師資格を持ち臨床経験が5年以上あるメンバーが設立した日本医療コーディネーター協会では、患者の診察に同席して、医師の難しい説明をわかりやすい言葉で言い換えたり、患者の代わりに医師に質問をしたりするサポート業務を行っている。病院側でも、患者との対話能力を高めようと様々な患者を想定したロールプレイン研修を取り入れるところが増え、病院相手に研修を引き受けるプロの模擬患者集団も登場し依頼が絶えない。患者と医師のコミュニケーションのあり方を考える。

上記の文章はNHKのサイトから引用したものだが、登場するかなと想像していた諏訪中央病院の名誉医院長・鎌田實先生も、コメンテイターとして、医師と患者のコミュニケーションについて話をされていた。無論、鎌田先生はこうした制度を歓迎するコメントを残している。ただ、こうしたことを理解できない、しようとしない、あるいは患者とのコミュニケーションがうまくできな医者が、70〜80%はいるのではないか、とも話されていた。

近年、やっとセカンドオピニオンとして患者に対応する病院の認知も進んできていると思うが、現在、この医療コーディネイターは全国に40名しかいないそうで、まだまだ始まったばかりという状態らしい。

昨年からその鎌田先生といっしょに仕事をさせていただいているが、その著書を読み、講演やお人柄に接してお話を聞くたびに、医者と患者の信頼をつなぐのはコミュニケーション以外にあり得ないと思うようになった。それこそが、最善の治療への、どんな状態にあっても最後まで希望を持って生き切るという道への、原点あるいは出発点ではないかと思う。

実は、5日(水)の明け方、WCサッカーを観ていて、途中で北朝鮮が爆弾を発射したという臨時ニュースのアナウンサーの声の聞こえ方がどうもヘンだ、と気付いた。水曜日にやっている地元の耳鼻科をやっとみつけて診療に行ったら、突発性難聴だと診断された。

突発性難聴のことはよく耳にしていて、私はいきなりまったく聞こえなくなる病気かと思っていたのだが、そうではなく、要するに難聴だった。私の場合は右耳で、とりあえず内耳からくる低音性難聴らしい。耳鳴りがひどく、耳がふさがった感じがひどい。それはいわゆる耳抜きをしても一向に変わらない。外音にぼわーっとエコーが付いて聞こえてくる感じ。めまいはそれほどひどくない。

私事あり、この2〜3日、連続して2時間くらいしか寝ていなかったのが、多分直接の原因だろうと思う。寝不足。実際、もう無理はきかない歳だということをおおいに実感。おいおい、昨年の網膜剥離寸前になった眼の次は、耳かよ〜、みたいな。

で、ともあれ駆け込んだお医者さん。貧乏ゆすりをしながら、眼を見て人と話をしないので、こりゃだめかも〜と、いきなり信頼感が薄れる。薬を4種類もらって服用したら、6日(木)の朝に突然大きな耳鳴りが止んだので、思い切って夜の演奏にでかけた。車の窓を締め切って運転していると、耳がふさがる圧迫感があり、リハーサルでも演奏中も、耳がふさがっている感じは全然ぬぐえず。で、帰宅したら、再び耳鳴りが復活してしまった。

それで7(金)に再びその耳鼻科に行っていろいろ質問したり相談してみたのだが、「最近はネットであれこれ調べてやってくる人がいるから困る」というようなことを言われ、大きな病院も紹介してもらえず、自分が音楽家であることにも親身になってもらえず、ものすごく暗い気持ちで自宅へ戻った。(実際、そりゃ、いろいろ調べてみましたし、突発性難聴の経験があるミュージシャンには相談にのってもらっています。)

おそらく今は決して無理をしていはいけない。安静を第一にしなければ、後に後悔すると判断。自ら決断して、この土曜日と来週月曜日に入っていた仕事をキャンセルすることにした。共演する予定だったミュージシャン、お店の方、聞きに行こうと思っていてくださったみなさんには、たいへんご迷惑をおかけしました。この場を借りてお詫び申し上げます。


7月31日(月)  ベートーベンの気持ち

簡単な病状経過報告。カミングアウトします。


7月10日(月)  ぐわんぐわん
地元の耳鼻科を捨てて、紹介状も持たず、某大学病院に行く。難聴専門外来があり、都内では設備が整っているということで決心。聴力検査の結果は発症当時より80〜90%良くなっているとのこと。再発する可能性もあること、メニエール病かもしれないし、そうでないかもしれないとの診断。
要するにこの病気はよくわからないし、わかっていないのが現状らしい。研究が進んでいないらしい。
されど、帰り道。ぐわんぐわん状態になる。薬局で薬を受け取った時、「だいじょうぶですか?」などと言われてしまう。耳を塞いでいないと、道を歩けないし、電車にも乗っていられない。

7月12日(水)
昼間、リハーサルに参加。耳塞感が強いため、自分が演奏するピアノの音の聞こえ方がとてもヘン。ベールをかぶったような聞こえ方。
夜、新宿・ピットインに、斎藤徹(b)さんと井野信義(b)さんのデュオのCD発売記念ライヴを聴きに行く。ずっと相談に乗ってもらっているテツさんにもお会いしたかったため。が、前半で会場をあとにする。聴いているのがつらくなり、耳の状態も体力も限界だった。

7月14日(金)
難聴専門外来に行く。聴力検査の結果は変わらず。ほぼ人並みといってもよいとのこと。

んでも、ここの聴力検査。私のように日々即興音楽などをやっている者にとっては、同じブースに検査する人がいると、器械を操作する気配を敏感に感じてしまう。つまり、なんとなく予測できてしまう。それに、隣のブースの人の声(補聴器の相談)が聞こえる。のは、ちといかがなものかと思ってしまう。

7月15日(土)  ああ、四万十川
朝早く、羽田から高知龍馬空港へ飛ぶ。フライト中、飴をなめたり、ずーっと唾を飲み込み続け、気が狂いそうになる。地上に降りてすぐバスに乗り、昼食を取った所ではもう頭がぼーっうとしていた。
空港から四万十市中村までは、バスで約3時間弱。到着してそのままリハーサル。
夕刻、四万十川を舟下り。木造りの屋形船に揺られ、涼しい川風に吹かれ、とても気持ちがよい。夕焼けが文句なく美しい。うん、これならだいじょうぶ、と思う。四万十川は素晴らしい。夕食に抜群の鰹などをいただき、早めに就寝。

7月16日(日)  「役立たずのあり方」
朝食後、薬を飲んで2時間ほど眠り、午後2時からリハーサルとゲネプロ。午後6時半から本番。

このコンサートは『坂田明と役立たずのあり方』と題された、アサヒ・アートフェスティバルの一環の公演。ステージは公民館の中央に作られ、それを囲むように客席が作られている。いろいろな所から出演者は登場したり去ったり、動き回ったり。詩の朗読や演奏などが交互に行われ、地元のアマチュアオーケストラとの共演もあった。

元黒テントの女優・新井純さんの豊かでいなせな表現。着ぐるみの格好で素晴らしいシュトックハウゼンの曲をソロで演奏した菊池秀夫(cl)さん。絶好調と感じられる坂田明さんのアルト・サックスの音。なんとなく全体を異化するように三味線の音を紡ぐ山尾麻耶さん。

その山尾さんは芸大の邦楽科を出た若い方だが、少し話をしたら、在学中は「こういうことはしてはダメ、こんな間違えをしてはダメ」といったことがほとんどで、いつもいつも怒られないように、ということばかりを考えていたと言う。坂田さんをはじめ、新井さん、私などは「なんだってええけんねえ〜、好きにやりなさーい」状態だから、彼女は相当面喰ったらしいが、奮闘。私はちょっと仕掛け過ぎたかしらん。邦楽の世界だから、より伝統や形式といったことが先行するであろうことは容易に想像できるが、菊池さんにも聞いてみたら、大学で学ぶことは実際そんなものだろうと言う。うーむ、これでいいのか、日本の音楽教育。

終演後打ち上げに参加。午後11時でリタイア。限界。就寝時、相変わらず耳鳴り、耳塞感などが残っている。

7月17日(月)  耳に激痛
朝10時にホテルを出て帰途に着く。飛行機は行きの時ほどつらくは感じなかったが、隣に座ったおっさんが臭くてまいった。午後3時半頃、羽田着。一度帰宅して、午後6時過ぎにタクシーで大泉学園・inFに向かう。自分で車を運転することはおろか、電車を乗り継いでいくのもつらく感じ、少しでも体力を温存できる方法で急ぐ。

そのinFで、黒田京子トリオでの演奏途中から、特に右耳が猛烈に痛み始める。自分が奏でるピアニッシモ、フォルティッシモの感覚が少しおかしいことに気付く。んでも、今日はめでたいお店の誕生日。お昼から何も食べていなかったし、話もしたかったし、という気持ちで終演後の打ち上げに参加するも、早々に体力の限界。疲労困憊。再びタクシーを拾って帰宅。ダウン。

7月20日(木)  生まれて初めての点滴
火・水と、耳鳴りとめまいがひどく、ほとんど横になっていた。が、こりゃ、もうダメだと思い、必死の思いで電車に乗り、ふらふらになりながら、ともあれ病院に行く。午前中の外来締め切り時間を少し過ぎていたが、順番を待っている間にダウン。そのままベッド。そのまま点滴(めまいを軽減するもの)と相成り候。生まれて初めての点滴。3〜4時間は病院のベッドの上にいたと思う。四国にステロイド剤を持っていくのを忘れたのもいけなかったらしい。

病院を出て、なんだか目の前が真っ暗になった気分。こんな状態ではとても演奏はできないと判断し、ほとんど泣きながら仕事のキャンセルの電話をしまくり、路上で頭を下げて謝っている自分がほとほと情けなくなる。精神的にパニック状態に陥る。

7月21日(金)  生まれて初めての精神安定剤
難聴外来に行く。めまいは幾分軽減した感じ。幸いなことに、やはり聴力はそんなに落ちていない。自分でも「聞こえない」ということはまったくない。ただし、ある音域のある音に、ダブって聞こえてくる箇所がある。本来聞こえてくる音の他に、遅れてエコーあるいはギターのハーモニクスのように響く音が在る。音の響きがとてもおかしい。これ、音割れの現象と言うらしい(?)。自分が出す声も自分の内に響く違和感。この夜、生まれて初めて精神安定剤を飲んで眠る。

7月22日(土)  鍼治療、開始
思い切って、鍼治療に行く。既に予約で満員だったが、時間外に治療してもらえた。実際、耳の周辺や首まわりなどがめちゃくちゃ凝っていることに気付く。鍼を施されたのはほんの10秒くらいか。

また、西洋医学の病院よりも、日常の生活で注意した方がいいことや、細かいことを話してもらい、気分的に少し落ち着く。何を根拠に言っているかはわからないが、「回復します」のひとことに安らぎをおぼえる。

7月23日(日)
右耳の置き鍼の効果(?)か、一晩中、ものすごいキーンという耳鳴りに悩まされる。あまりにつらいので、正午くらいに置き鍼を取り除いたら、ひどい耳鳴りは止んだが、耳塞感と音の響きの状態は変わらず。めまいはない。

7月25日(火)  おおたか静流さんのCD
昨日の鍼治療(鍼を置いたのは5分くらい)が効いたのか、身体がだるく、なんだか少しふわふわしているので、鍼に行くのをキャンセル。ほとんど寝て過ごす。耳塞感はだいぶなくなったが、右耳にはマスキングノイズ(例えばボイラー音のような低周波のノイズ)が残っている。

おおたか静流(vo)さんの新しいCD『Sugar Land』を聴く。とてもおおたかさんらしい、自然な音創りと歌。沖縄の風がいっぱい吹いている。って、実は沖縄には行ったことがないのだけれど。というより、音楽とか歌といったことを超えるような“世界”があり、その世界に一人すっくと立っている彼女の姿が見える。その彼女のまわりには、子供たちや温かい人たちの笑顔、黙々と生きてきた木々や空や海が、ただそこに在り、私はやわらかい命の光のようなものを感じる。すばらしい。

このCDはおそらく今月聴いた唯一のCDになるだろう。やっと少しそういう気持ちが生まれた自分がうれしい。でも、今の私はスピーカーを横に向けないと音楽が聴けない。音圧に耐えられないと耳が訴えている。

7月26日(水)
鍼治療。実際、どのような加減で鍼治療に通ったらいいのか、どんな風に鍼を施してもらえばいいのか、よくわからない。が、私の場合、どうも軽い方が良さそうなので、鍼は2分半くらいにしてもらう。

この業界、二回キャンセルすると事前予約ができない、というのが通常のシステムらしい。身体がだるくて一回キャンセルしてしていて、今日思い直して(毎日行くより、隔日の方がベターかと判断)変更してもらうように直接頼んだら、それがキャンセルになって、もう二度と事前予約できない身になってしまった。のが、なんだかストレスになり、気分が暗くなる。

耳塞感はだいぶなくなってきた。右耳にはマスキングノイズが残っているが、両耳とも唾を飲み込むと耳とつながっている感じになってきていて、耳、鼻、喉の空気の通りが良くなってきている。

7月27日(木)
耳鳴りの感じは毎日変わる。起床時、右耳からはB♭音とマスキングノイズ、左耳からは薄くD♭音が聞こえる。サウンド・オン・パレード状態だ。

午後、谷川賢作(p)さんがプロデュースするレコーディングに行く。太田惠資(vl)さんとのデュオで約3分くらいの録音のもの。谷川さんにはあらかじめヘッドフォンはかぶれない状態である旨を了解してもらい、太田さんとはエアで生音で録音する。谷川さん、太田さんに心から感謝。

でもって、音に集中力を注ぐような耳の使い方をすると、その後の状態がどうもあまり良くない気がする。終了後、なんだかぼうっとする。夜はゆっくりお風呂に入る。

7月28日(金)  難聴に対する日本の医療
右耳のマスキングノイズが少々つらかったので、何を思ったか、夜中3時頃、試しに両耳にチタンテープを貼って寝てみた。らば、ノイズ音は消え、すこぶる快適に眠ることができた。おそるべし、チタンテープ。実際、夜が涼しいのでとても助かっている。

午後、病院の難聴外来に行く。聴力の変化はない。結局、飛行機に乗った後の耳の激痛について、この病院では誰にも説明してもらえない。こうした難聴については症例が少なく、データベース化もされておらず、この分野の研究や治療法は全然進んでいないらしい。従って、仕事の仕方や音圧のことなどについて、何ひとつアドヴァイスをもらうことができない。

これが現在の難聴に対する日本の医療ということらしいが、この病気にかかった経験のあるミュージシャンは、実はかなりいることを知るに及び(声をかければ50〜100人くらいはすぐに集まると思う)、何故、こんなに研究が進んでいないのだろうと疑問に思う。実はこんな思いもあって、ここにカミングアウトすることにした。が、ま、ともあれ、そんなわけで、結局、すべてを自分で判断しなければならず、苦しい。

その後、鍼治療に行く。今日も鍼はごく短い時間。指圧、マッサージは実に気持ちよい。

夜、8月の仕事をどうしたらよいか考え始めたら眠れなくなる。友人たちは“ストレス”が原因ではないかと口々に言う。自覚はなかったが、積もり積もったストレスと言われると、だんだん思い当たる節が出てきたので、少しずつ分析し始める。思えば、5年前に父を亡くして以来、なんだか突っ走って来たような気もする。それに、うんむう、麺鳥及びその周辺の復讐が続いている?

7月29日(土)  米寿のお祝い
夕刻、その絵に出会った瞬間に「なんだ、これは?」と感じた、某画家の米寿のお祝いに行く。肩の凝らない、いいお祝いの会だったと思う。

スピネット(チェンバロの小型)の演奏とエッセイの朗読。そして、やはり「なんだ、これは?」と感じる音と声を持っているミュージシャンたちとの演奏をプレゼントできたことを、私はほんとうにうれしく思う。3人で「ふるさと」や「赤とんぼ」を演奏したが、それぞれソロもプレゼント。私はエリントン作曲の「ひとひらのはなびら」を捧げる。それにしてもこのような展開になるとは、と画廊の社長さんと笑って話す。

んが、右耳は変わらずぼわぼわしていて、静かな所で話をしていても右耳を塞いでいないとつらい状態。8月の第一週目の仕事をキャンセルする決心をしたら、急にパニック状態に陥り、夜中に大泣きする。それでストレスが解消できたのか、両耳から耳鳴りが消えていた。安らかに眠れると思ったら、蚊がぷう〜んとやってきて、思わず、右耳元でパンと手をはたいたら、その瞬間に耳鳴りが復活してしまった。やはり音圧に対して、これまでのように自分の耳が適応できていないことを感じる。

7月30日(日)
午後、右耳を塞ぎながら生徒のレッスンを見る。その後疲れて1時間くらい眠ってしまった。かくの如く、日によってだいぶ調子が異なる。今日は1日のうちに3〜4回、耳鳴りの感じが変化した。だいぶ良くなってきている気がするが、まだ元の調子からは遠いところにいる。

7月31日(月)  みなさまへ
ということで、現在、西洋医学と鍼治療の二本立てで治療と安静につとめています。だいぶ良くなってきているとは思います。

結局、8月も約1週間、仕事することを断念しました。共演者のみなさん、関係各位、足を運ぼうと思ってくださっていた方々に、心からお詫び申し上げます。



それにしても、街にはなんとノイズがあふれていることか。私の場合、聞こえないわけではないので、すべての音に非常にセンシティヴになっているようです。すべての音が耳から入ってくる感じです。車が行き交う交差点の真ん中に立っていると、その喧騒に気が狂いそうな気分になることもしばしばありました。あるいは、冷蔵庫がうなり、換気扇が回り、電子レンジが働き、湯沸し気のボイラー音が鳴っている台所に、1分も立っていられないこともありました。平安時代には決してなかった機械のノイズ音に、東京という街は、そして私たちの生活は、なんとあふれかえっていることか。

よくはわかりませんが、この音に対する新たな認識のようなものは、もしかしたらこれからの私の耳を変えるかもしれないとさえ思っています。って、もし良くなれば、すぐ忘れたりするんでしょうね〜。

そして、こんな耳の状態の中、今月は数えるほどですが演奏をしました。ピアノを弾いている最中に、「うれしい」と思っている自分を見たことに、自分で少々驚きました。それは何故か涙がこぼれるような瞬間でした。

ああ、ピアノを弾きたい。
あなたと、あなたと、演奏したい。
あなたと、あなたに、聴いてもらいたい。

今、思っているのは、ただ、これだけです。




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