8月
8月12日(土)  お休みします

ごく簡単に。といっても、ちと長いに違いない。


8月1日(火) 走れキョウコ

キョウコは激怒した。それから笑った。(by ださいおさむ)

とても親身になってくださったミュージシャンの紹介で、お医者さんを紹介していただき、さらにその方に紹介状を書いていただいて、某大学病院の教授の診察を受けた。

朝早く家を出てから約5時間後、予約時間の約3時間後に、やっと診てもらえた。待ちくたびれて頭はぼうっとする。診察に先立って必ず聴力検査をするのだけれど、その場所が古い建物の天井の低い暗い地下にあって、これがひどく気が滅入るので、できるだけそこにいないようにする。夏休みということもあったとは思うが、子供もけっこういて、いやあ、その先生を頼みとしているらしいあまりの患者数に驚いて、あきれて、先生に同情したり、腹を立てたり。そして、最後は大笑いした。

これだけ待った挙句、この先生が言ったことは、「毎日その辺を走り廻って、頭の中に酸素をいっぱい入れていれば治る。気合で治せ。」なかなかべらんめえ調の先生だ。実際、聴力検査の結果がそんなに悪くないため、ほとんど患者として扱ってもらえなかった。私としては、特に耳の痛みについて、他にもあれこれ質問を考えていたのだけれど、その気持ちも萎え、結果、何ひとつ解決しなかった。

ほんでもって、たくさんの人が待つ廊下の真ん中で、私は声を出して大いに笑ってしまった。思わず口から出た言葉は「おっしゃるとおり」。

現在、西洋医学で処方してもらっている薬は、要するに末梢神経や細い血管までの血の巡りが良くなるビタミン剤のようなものと、脳の代謝を活発にするようなもの。あとはめまいに関係する利尿剤と、内耳や脳の血流を良くすることによりめまいを改善する薬だから、大枠で考えれば、おっしゃるとおり、なのだ。

つまりは、生活を改善しなさい、そういうことを真面目に考えなさい、と身体が訴えているのだ、と思うことにした。(と、書いてみたりしているが、そうはできないミュージシャンが山のようにいることを、私は知っている。)

ともあれ、大学病院というものの実態を垣間見たようで、なんだかすごく疲れた。ほとんどやけくそ的な気分で、鍼治療に行き、足裏マッサージにも行ってしまった。他力本願じゃあきまへんえ〜、とわかりつつ。

それにしても、こうした高度な医療を提供する“特定機能病院”として厚生労働省から承認されている病院では、原則として他院や医者からの“紹介状”が必要になる。紹介状がなくても受診できるが、「紹介状をお持ちでない方は“初診時特定療養費”として、別途○○○○円(自己負担)かかります」ということになっている。これは初回のみならず、再初診(三ヶ月以上受診していない場合など)にもかかる費用。

この日私が行った病院の“初診時特定療養費”は3,150円。先月、紹介状を持たずに行った病院は2,625円。都内国会議員さんたちが働いているような所にある病院は5,250円。

いったい、この“初診時特定療養費”っていうのは、何なのだろう?それに、何故こんなに費用が異なるのだろう?

ちなみに、最近、“セカンドオピニオン”として患者の相談にのる病院が認知されつつあるが、主治医への報告書を書く時間も含めて約1時間の相談料が、31,500円(税込み)もかかる。保険がきかないとはいえ、決して安いとは言えないだろう。

この間、国民健康保険税を払えない人たちの特集番組をテレビで見たが、どう考えても、この国では貧乏人は医療を受けられない仕組みになっていると思わざるを得ない。かく言う私も必死だ。介護認定の仕方も変わって、認定レベルが下がった高齢者が困っているという話も耳にした。国民年金も問題だが、医療・介護保険制度ももっと問題だと思う。

8月2日(水)
昨日のやけくそが裏目に出たらしい。鍼治療をしても、耳鳴りや耳塞感、音の聞こえ方が、これまででもっとも悪く感じた最低最悪の一日。

8月3日(木)  整体に行く
午後、整体をしてもらう。約2時間、ものすごい集中力で施してもらう。心から感謝。終了後、すこぶる快適。耳鳴りは残っているが、耳塞感がなくなり、音の聞こえ方が正常になったのが、すんごくうれしい。神様、もう耳鳴りは残ってもかまわないから、とにかく音楽を聴き、演奏できる耳の状態に戻してください。

8月4日(金)  聴覚過敏な日々
朝方、ベッドに横になっていた時、上空を飛ぶ飛行機の音。その音が耳に入ったら、急にキーンと高い耳鳴りが生じて、飛行機が遠のいて行くに従ってなくなった。異常な聴覚過敏状態が変わらず続いていることを実感したひととき。

この辺りの上空、これまであまり気にかけていなかったが、福生基地や調布飛行場などの飛行機が、けっこう低空で飛んでいる場所にあたっているようだ。

8月6日(日)  決心
週末、だいぶ感じがいいので、試しに神社で行われている商工祭りに行ってみた。それほど大型ではないスピーカーが左右に置かれている野外ステージがあり、勇気を出してそこから10mくらい離れた所に座ってみる。始まったのはどこぞのスポーツクラブの子供たちのダンスで、音楽はヒップホップ。うんむう、耳が耐えられない。逃げて帰る。

この日の夜、ドイツ在住の先生からの強いアドヴァイスを受ける。「絶対に仕事はすべてキャンセルしなさい。とにかく休みなさい」。それで、8月に入っていた仕事をすべてキャンセルする決心をする。大苦渋の決断。

8月7日(月)  混合ガス治療、始める
発症した時に行った病院から数えると四つ目になる病院に行ってみる。聴力検査の他に、鼓膜の検査、耳のレントゲンを撮って診てもらう。鼓膜もレントゲンも何の異常もない。ここで、今日から“混合ガス治療”というものを、毎日12日間、受けることに決める。これはベッドに横になり、点滴を受けながら、純酸素に5%の炭酸ガスが入ったものを吸入するもの。言ってみれば、「毎日走れ」を、寝ながら30分〜1時間やるようなものだ、と勝手に理解。実際、気持ちよく眠ってしまった。ちなみに、保険はきかないが、今通っている鍼治療よりはずっと安い。

8月8日(火)  何度目かのパニック
明け方に近くで雷が落ちた音。を聞いたら、いきなり耳鳴りが始まってしまった。仕事のキャンセルの連絡などをしまくったこともあって、精神的に少し疲れていたのだろう。午後の鍼治療でマッサージをしてもらっている間、ずっと涙ぐんでいた。情けない。おまけに、これまで右耳をかばってきていたせいか、反対の左首がものすごく凝っている。

8月9日(水)  すべてキャンセル
明け方、再び雨に雷。もう雷は勘弁して欲しい。右耳のマスキング感が強くなり、耳に入ってくる音の響きが再び少しおかしくなる。実際、状態はまだ不安定か。どうも非常に気圧の影響を受けるようだ。おそらく、これからも耳の状態は低気圧に左右されるのではないかと想像する。

8月に入っていた仕事のうち、できるかもしれない、と残していたものも、今日ですべてキャンセルした。どれも楽しみにしていたものだった。誰との演奏も、どんな音楽の内容の演奏も、自らが選んだ、とても大切なものだった。ほんとうに申し訳けない。

8月10日(木)  くつろぎのイージーリスニグ
よく眠れ、空は晴れていて快調な気分でガス室へ行く。(看護士さんは電話を受ける時などに、「はい、ガス室、○○です」と応答する。なんとなくアウシュビッツの収容所にでもいるような気分になるが、無論、そんなことはない。が、縦縞のバスタオルは、私にそれを想起させる。)

このガス室にはいわゆるBGMが流れている。天井に埋め込まれたいくつかの小さなBOSEのスピーカーから聞こえてくるのだが、何故か今日はそのBGMにどんどん耐えられなくなってしまう。イライラが加速していく。

人口に膾炙されている映画音楽といったものではなく、どう考えても、日本人の誰かが作曲し編曲しているような、陳腐な癒し系のメロディーとアレンジで、適当にシンセや打ち込みを使って演奏されているような音楽にしか聞こえてこなかった。それを今日の私の耳は音を全部拾い、すべてが五線譜の上を踊るおたまじゃくしと化してしまった。聞こえ過ぎるのだ。「Aの音がする」と言い残して、川に身を投げて死んだのはシューマンだが、なんだかその気分がすごくわかるような心境になった。

途中でBGMを止めてもらうようにお願いすればよかったのだが、他にも治療を受けている人たちが何人もいるからと思って、我慢したのがいけなかった。吸入が終わってベッドで起き上がった瞬間、そこには「こんな超三流の音楽には我慢ができないっ!」とかなんとか、声を荒げて、肩で息をぜいぜいしている自分がいた。相当ストレスが溜まってしまったようで、こんな姿を人様に呈した自分に、自分自身が一番驚いてしまった。こんなんじゃ、酸素吸入も意味ないじゃーん、ってなもんである。事実、肩と首はバリバリになってしまった。

この酸素吸入をしている間、ウォークマンなどを持ってきて、自分の好きな音楽をイヤホンで聞いてもいいのだそうだが、耳を患っていて、耳の穴にイヤホンを突っ込んで聞く人はいるのだろうか?私は普段からイヤホンやヘッドフォンをまったく使わないし、そうやって音楽を聞きたいとも思っていない。

ちなみに、このBGMは有線放送の「くつろぎのイージーリスニング」というチャンネルだそうだ。・・・・・・・・ ←この点は永遠に続く。冷静に考えても、世の中で作られている“くつろぎ”とか“癒し”とかは、絶対に間違っているっ!そして、こうした病院内(待合室も含め)のいわゆるBGMについて、病院側はもっと真面目に考えるべきだと思う。それでなくても、日本人は無駄で不要なBGMに対して無頓着過ぎる。

と書いたりしてみても、たいていの医者からは「あなたは職業柄、普通の人よりも聴覚が繊細だったり、神経が過敏だったりしているだけですよ」と一蹴、一笑されて終わる。こうした医者の発言で、自分の状態が理解されないと感じた音楽家は、おそらく私だけではないだろう。

ま、そんなことに腹を立てていても仕方ない。問題はこんな自分だ。かくの如く、自分の耳はおそろしく聴覚過敏状態になっているようだ。おまけに自律神経がやられていると自覚した。突発性難聴などは心因性のストレスにも原因があるらしいが、自覚がないうちに、どうやら私はストレスに犯されていたのかもしれない。少し冷静に分析するか?なんてやっていると、ストレスあるいは鬱状態のスパイラルに落ちていきそうだから、とりあえずやめておこう。

その後、再び整体に行く。道中が長いので、『耳科学 難聴に挑む』(鈴木淳一、小林武夫 著/中公新書)を読み進める。いやあ、実に人間の耳は複雑によくできているものだ。思えば、人間の身体は不思議だらけだ。いったい誰がこんな風に作ったのか。

で、これを読むと、「内耳の感覚細胞は、脳の神経細胞と同じく、一度傷ついて壊れると、もう再生することはない。内耳の感覚細胞に難聴の原因があると、現在の医学では薬でも手術でも聴力を回復させることは困難である。」と書いてあった。

一瞬、目の前が真っ暗になった。完治はあり得ないということか。でも割と冷静な自分に気付く。即座に、考え方を変えなければだめだと思っていた。病気との付き合い方を含めて、自分の身体や人生のことを考えなければいけないと思ったのだ。(敢えて書くが、仮に私が音楽家として復帰できなかったとしても、私はここにこうして書いていることを後悔しないつもりだ。)

それに実際、私がとても親しくお付き合いさせていただいているミュージシャンの中には、命に関わる病気をしたり、病気の後遺症が残っている人が少なくない。けれど、みな、世の中に立って素晴らしい音楽を創り続けているではないか。

そんなことを思いながら、整体師に話しをすると、戦後、日本の医療において起きたことをいろいろ話してくれる。例えば、昔は“ほねつぎ”ができる人がいたのだけれど、今はもうほとんどできる人はいなくなっていることなども含め、戦後の医療はそれまでの医療を災いであったかのように、すべて否定して捨ててしまったというのだ。だから、悲観してはいけない、と彼は軽く笑いながら言う。

ともあれ、今の私にはやはり整体が一番合っている気がする。とてもリラックスできるし、耳鳴りは残るものの、他の耳の不快な症状は消えてなくなる。私は自分の自然治癒力を信じる。

8月11日(金)
私が行くと、ガス室ではBGMを消してくれていた。帰り際、昨日は実にみっともなく取り乱したことを謝る。

8月12日(土)  ということで、休みます
午後、すごい雷。ガス室にいる間中、稲妻が空を裂き、雷は落ちまくっていた。後で知ったが、山手線は長時間止まったらしい。で、途中、だんだん右耳の付け根辺りが痛くなってくる。やはり低気圧は最悪だ。懸命に身体がこらえているのがわかる。

おそるおそる自分の耳に聞いてみる。耳塞感はなく、音の響きは正常でほっとする。耐えられたことが少しうれしい。でもって、試しに病院の近くにある“ショパン”という老舗の喫茶店に入ってみる。だいじょうぶだ。ちゃんとショパンのピアノ曲を楽しく聞くことができる。

ちなみに、この喫茶店、いつ行ってもショパンの曲しかかかっていない。私にはショパンはちょっと派手で華麗過ぎるかなあ。それでも中学・高校時代に弾いた経験のあるショパンの曲は、指がちゃんと憶えているから、ああ、やっぱり記憶力は10代までね、と思ったりする。



ということで、結局、8月に入っていた仕事はすべてキャンセルさせていただきました。

ミュージシャン、お店や主催者の方々、聴きに行こうと思っていてくださったみなさまに、ほんとうに心からお詫び申し上げます。

実際、今月に入り、耳の状態はだいぶ回復してきているとは感じています。ただ、書いてきたように、状態が安定しているとはまだ言えないと思っています。というより、正直、耳が休みたいと言っているのが聞こえます。耳鳴りなどの後遺症は残るかもしれませんが、それでも私の耳は静寂を求めている気がするのです。ほんとに都会は騒々しいです。

また、今の状態なら、大音量を伴う音楽やPAを使いまくる音楽でなければ、ピアノを弾くことはできるだろうとは思います。でも、私はもう20日間以上、まともにピアノに触っていません。事務仕事とか何か物を売るといった仕事と違って、はい、弾きましょう、というわけにはいかない職業です。すぐに以前と同じように仕事はできないでしょう。つまり、復帰にはそれ相応の練習や準備の時間がどうしても必要です。

「病み上がりなので、多少指が動かなくてもお許しください」なんてえことが許される世界では決してありません。というより、そんな自分を私は決して自分で許せません。第一、誰かがリーダーのコンサートで、私の演奏が良くなければ、その人や共演者に迷惑をかけ、恥をかかせることになります。お客様には言い訳けなどは一切通らないと思っています。

病気を抱えながらあるいは克服して、さらに目や耳が不自由でも演奏活動をされている人たちはたくさんいます。でも、それゆえに音楽が素晴らしいのではなく、その人の奏でる音、創り出す音楽が素晴らしいから、音楽が人に届くのだと思います。そこは絶対に勘違いしてはいけないと思っています。

なんてかたく考え過ぎるのがいけないのでせうねえ、きっと。ぼろぼろだっていいじゃ〜ん、それも人生、それも人間、くらいに構えられるようになれば、私ももっと成長するのかもしれませんが。いつになったら楽に生きられるんでせうか。

とにかく、今は毎日、治療と安静につとめています。都心に通うのがだんだんしんどくなってきていますが、まんず、空は見えるし、蝉は鳴いているし。日常のふっとしたことに気を紛らわせながら、このルーティーンが終わったら、しばらくのんびりして、少しずつ練習を始めようと思います。で、なんとか9月から復帰したいと思っています。

わかっていたつもりでしたが、鎌田先生の「がんばらない、で、あきらめない」、また「最後まで希望を持って生きる」ということが、実はちっともわかっていなかった自分に気付きました。その他、世の中で弱者と言われる障害を持っている人や、病気を抱えている人のことなど、実は自分はちっとも理解していなかったのではないかと思っています。「人間、一度くらい大病をしなければ、何もわからない」と言ったのは日野原医師だったと思いますが、ほんとうに自分はまだまだだと思うこの頃です。そういえば、夏目漱石も修善寺で大吐血してから“則天去私”なんて言ったんでしたっけ。


8月14日(月)  音楽の喜び

『僕はいかにして指揮者になったのか』(佐渡裕 著/はまの出版)を一気に読む。この本の題名、「余はいかにしてキリスト教徒になりにしか」という本があったような気がするが、もう少しどうにかならなかったのかと思わなくもない。だけれども、中身はすこぶる面白かった。

自身を“超雑草”という、若き佐渡さんの未来に決定的な意味を持つことになったバーンスタインや小澤征爾との出会い、コンクールで優勝した話などが、実に生き生きと書かれている。話し言葉がすべて関西弁になっているところが、ものすごくいいと感じる。そうなってくるってえと、バーンスタインまでが関西弁で話している。

そしてなによりも、佐渡さんの音楽に対する姿勢や考え方に、私は共感する者の一人だ。クラシック音楽にありがちな、いわゆるお高くとまったようなところがない。誰にでもある、また誰とでも分かち合える“音楽の喜び”というものが、文章や文体を通して、とてもストレートに伝わってきた。かつてお会いした時の感じ、あの身体、あの雰囲気、そのままだと思った。無論、眼の底には厳しい光があったとは思うけれど、全体としてはものすごく人間的だった。こういう人間がこういう音楽を創るんだ、という感じだろうか。

ああ、音楽を奏でたい。と思うだけで涙が出てくる。


8月16日(水)  アップルパイ

お盆中で都心はずいぶん静かだ。蝉がたくさん鳴いている空を仰ぐ。連日、ガス室に足を運んでいて、ふと気付く。この仕事に就いて以来、こうして毎日、約二週間近くも、ほぼ決まった時間に出かけ続けるなどということがなかったことに。

それで、気分転換となんたって自分に酸素をいっぱい取り入れるために、毎回、暑いながらも散歩するようにしている。神田、御茶ノ水界隈にはまだ昔の面影が残っている所があり、今日は明治17年に創業したという近江屋洋菓子店に入ってみる。

店内には古いスピーカーからオールディーズが流れていて、雰囲気は昭和40年代くらいにタイムスリップした感じだ。りんごがたくさん見えるアップルパイを食べる。とっても美味。ショートケーキには何故かいちごの他にマロンが必ず載っている。うんむう、不思議だ。

また、630円だったかを払うと、店内でドリンクが飲み放題。フレッシュな果物を使ったジュースが何種類か。他にコーヒーやショコラなどもある。で、これまた不思議なことに、何故か温かいボルシチがある。うんむう、またまた謎だ。あまりにおいしいのでおかわりしてしまった。

ここでゆっくり『フジ子・ヘミング 魂のピアニスト』(フジ子・ヘミング 著/求龍堂)を読もうとページをめくるが、読めない。よくわからないが、読んでいるうちに気持ちがすさんできてしまう。ので、読むのをやめた。

で、『ジャズで踊ってリキュルで更けて 〜昭和不良伝 西條八十〜』(斎藤憐 著/岩波書店)を読むことにする。うわあっ、すんごく面白い。斎藤憐(劇作家・例えば『上海バンスキング』が代表作)の文章も独特で、その視点には少し毒気があるけれど、ふるっている。読んでいてすこぶる楽しい。

それに、この西條八十という人、めちゃくちゃじゃないの。「東京行進曲」「東京音頭」「同期の桜」、「青い山脈」「トンコ節」「王将」、「かなりや」「肩たたき」などなどを作詞したのが、この八十だ。

この本、八十のことだけが伝記的に綴られているわけではなく、同時代の作詞家、作曲家、詩人など、また“赤い鳥”や“金の船”などの大正時代の童謡運動のことも含めて、日本の“唄”というものが時代的背景も含めて書かれている。とても興味深い。ちょいと勉強しよう。


8月19日(土)  耳の静養

昨日でガス室通いも終わり。正直、毎日都心に出かけるのは疲れた。東京の街は本当にノイズで溢れている。周波数の加減だろうと思うが、ビルの空調の室外機の音や喫茶店の冷蔵庫の音に、耳が耐えているのがわかる。電車に乗っても、できるだけノイズが少ない所に乗るようになった。車やバイクのアイドリングの音や、階段を下りる若い女性のミュールのタンタンと鳴り響く音にもにも我慢できない時がある。まだ聴覚過敏の状態なのだろう。

ということで、とても久しぶりに一日家で静かにしている。静かだとほっとする。実際、耳の状態は日々変わり、耳鳴りがひどくて夜眠れない日も多い。と思うと、昼間、突然耳鳴りが消えたりする。低気圧と雷には少し耐えられるようになってきている気がする。いずれにせよ、電車の中で本を読めるようになり、喫茶店のBGMを聞けるようになったのは、少しは回復してきた感じかなとは思う。けれど、その日によって、まだピアノを弾けない日がある。例えば今日はダメだ。これがつらい。

秋のコンサートのフライヤーを配ってくれると言って来てくれた人たちに、まとめて発送する。8月、演奏した先々でフライヤーを配り、チケットを売りまくるつもりでいたのだが、これが全然できていない。協力を申し出てくれた人たちには、心から感謝する。

みなさん、コンサートのチケット、発売中です!!興味のある方はご連絡くださいませーーー!!

今はできるだけ“must”をなくしたいと思っているが、生きているとそうもいかない。思えば、父が死んでから、また黒田京子トリオを始めてから、私はずっとこの“must”だったかもしれない。自分ではものすごく“want”だと思っていたのだけれど。も少しいい加減に生きればいいのかなあ。ということで、今しばらく休みます。ごめんなさい。


8月23日(水)  音の奇襲

自宅で静かにしているようになって5日目。耳の状態はなかなか落ち着かない。そして時々、見えない音が私を襲う。

頭を左右上下に振ると、耳の中で鳴っているノイズが水のように動いたりする。これがけっこう煩わしい。

ある音域において、ピアノの重音や和音を弾くと、純粋なそれらの音の響き以外に、別の低音が聞こえている。という事態に、本人も驚く。連続して弾けば、その低音部の音はわんわんこだまする。

夕方、スーパーに買い物に行くと、「今日は○○の大安売り〜」とか「ポイント2倍」のような男性のアナウンスが天井のスピーカーから聞こえてきた。と同時に、ステージ上でよく起きるハウリングのキーーーンという音。「あらあら、ハウリングしているじゃないの」と思ったが、男性の声がなくなってもずっと聞こえている。

それで気付いた。これはスーパーにずらりと並んでいる冷蔵棚の電磁波ノイズだと。それはちょうど掃除機をかけている時に出ている高周波のノイズの音量を100倍にしたような感じのノイズ。これまで買い物をしていても、こんな音が耳に入ってくることはなかったのに、と愕然とする。気が狂いそうになったので、慌てて買い物を済ませてスーパーを脱出する。外へ出ると音は消えていた。


8月24日(木)  意識を離す

耳鳴り、聴覚過敏、神経過敏、自律神経失調などなどのゆえか、ぐっすり眠れない日々が続いている。完璧に意識が朝まで起きている。おかげで肩や首が異常に凝っている。

そのことを整体をやってくれている人に告げると、意識を自分から離すようにしたほうがいい、あるいは別のイマジネーションを持つようにしたほうがいい、と言われる。

耳鳴りの音を自分で聴き、おまけに適当に絶対音感があるものだから、その音程やハーモニーを楽しみながら苦しむというようなオプション付きで、夜の暗闇の中で、一人、それを内へ内へと持って行くのはよくない、と。

人は意識やイマジネーションの持ち方で変わることができる、という話はよくわかる。少しずつ実践してみよう。じゃなきゃ、とてもじゃないが、やってられない。


8月25日(金)  今度は漢方

午前中、漢方薬を施してくれる病院に行ってみる。脈をとり、血圧を測り、舌の様子を見て、お腹を触診する。なんだか懐かしい感じがする。医者だった祖父を思い出した。結果、処方してくれた漢方薬は、どうも更年期障害によく使われるもののようだ。

結局、どこの病院に行っても、すべては身体の血液の流れを良くする、代謝を良くする、すなわち私の場合は特に内耳の血液循環を良くする、ということに帰結している。要するに、毎日走れ、だ。ともあれ、8月中に、やれそうなことは全部やった感じ。

午後は二週間おきに行っている病院へ。聴力検査の結果はこれまでとほとんど変わらない。担当してくれている若い医師は自らもギターを弾くらしいので、耳鳴りの音程をD♭と言ったりすると理解してくれる。が、「8月の仕事を全部休むなんて、普通はあり得ない」という感じのことを言われる。私だって同感だ。あり得ない。多くの人に迷惑をかけて、第一サラリーマンではないから生活に直結する大問題だ。何枚の福沢諭吉先生が空中を飛んでいったことか。

けれど、演奏できないと耳が言っているのだから、これはもうほんとうに仕方ないのだ。

一般的に難聴と言うと“聞こえない”ことをイメージすることになるが、私の場合は聞こえないことより、“聞こえ過ぎる”ことがおおいなる問題になっている。

内耳性の難聴では、音を少し大きくすると耳に響いてしまう補充現象(リクルートメント現象)が起こると聞いている。このため、例えばテーブルの上にドンと食器を置くと、ひどく響いて非常に不快に聞こえてしまったりする。

また、読んだ本によれば、外からの音が内耳の蝸牛を刺激して発生した電気信号(インパルス)は、いろいろな部位を経て、大脳皮質の聴覚野に到着して、初めて音として感じることになるそうだ。この聴覚野に至るまでに、周波数、周波数の変化、音の始まりと終わり、音の組み合わせ、などの特徴が抽出されることがわかっていて、「脳磁図という方法でピアノの音に対する反応を測ると、音楽家の聴覚野は普通の人より25%も大きいという報告がある」のだそうだ。

私の聴覚野がどれくらいあるのかは知らないが、とにかく、耳の部品がそんな風に壊れてしまったのだから仕方ない。

もし私が自らも演奏する音楽家でなければ、多少の無理をしてでも仕事をしただろう。でも、現実として、音を聴く、音を出すと、頭の中がわんわんしてきて、とても耐え切れず、楽しいどころではない。我慢をすれば、疲れ果てる。それに、音楽に接している時間も問題だ。1ステージ1時間×2回をこなすことは、今の私には多分困難だ。第一、共演者にもっとも迷惑がかかる。お客様も不愉快な思いをするかもしれない。

無理をして仕事を続けて良くなるわけがない。むしろ悪化して、元に戻るどころではなく、とんでもないところで落ち着いて、生涯苦しまなければならなくなる。それこそ音楽家としては命取りになるやもしれない。

というぎりぎりの気持ちが、医者にはわからないらしい。こういうケースはあまりないのだろうか。いや、知っている限り、絶対多々あると思うのだけれど。

世の中、マックのお姉さんからPC店のお兄さんから、ホテルの従業員に至るまで、いつのまにか、みんな片耳にイヤホンを付けている。目の前の客を相手にしていながら、そのイヤホンを通して聞こえてきた上司の怒鳴り声に対応している。エアに開いている片耳にはたいてい店内のBGMと客の声が聞こえている状態だろう。そして街は電気器具や携帯電話などの電磁波に満ち溢れている。そして天下のウォークマンにi−podの登場だ。さらに高齢化社会の到来だ。

こんな状況で、難聴にならない方がおかしい。明らかに文明がもたらした難病だろう。耳鼻咽喉科というのは地味なのかもしれないが、この分野の研究はもっと進められてしかるべきではないかとつくづく思う。というか、期待したい。実際、京大の医療チームが皮膚の細胞から内耳の再生細胞を作ることに成功したと、友人からは情報が入った。


8月26日(土)  神頼み

いよいよ神頼み。この世に生まれてきてお宮参りもした地元の神社に行って、病気平癒の御祓いをしてもらう。神主さんの有り難い声を聴くうちに、しゃくりあげて泣いている自分がいた。恥ずかしい。

帰りに寄った喫茶店。案内された席に座ると、低周波の太いノイズが聞こえる。すぐに耳が辛くなって席を変えさせてもらう。おそらく天井に埋め込まれた空調機のノイズだ。

いやあ、実際、なんだか毎日いわゆる音響派の音楽にさらされている感じだ。この耳の経験から考えると、音響派はノイズ派からの流れで、しかもそれは都会で生まれた音楽以外の何物でもない、という風に思う。実に街はうるさい。それでも私の耳は蝉や虫の鳴き声にはだいじょうぶなのだから、やはり日本人なんだなあと思う。

あ〜あ、どうなってしまったのだ〜、この耳。



ということで、このように事態が長引くとは、自分でも想像だにしていませんでした。こうした耳の病気は心因性ストレスが原因とよく言われているようなのですが、自分ではそのストレスの原因がわかりません。もしかしたら思いもよらないところにストレスというものがあるのかもしれませんが。それを取り除けば、あるいは何かを捨てれば、あれっ?という感じで症状が軽くなるか〜もしれないのですが。

私と同じように、すべての音が異様に大きく聞こえ(←この現象はだいぶ収まりつつありますが)、音楽を聴くことや演奏することに耳が耐えられず、もしそうした時は疲れ果てる、といった似たような症状を持っているミュージシャンからは、9月の仕事もすべてキャンセルして、とにかく耳を休めなさい、と言われました。飛行機もやめなさい、と。(ちなみに、医者は乗ってもかまわないと平気で言います。実際、他に、天気、地下鉄、トンネルなどの気圧の変化には、耳はかなり敏感になります。)そして、状態が落ち着くまでには、最低三ヶ月〜四ヶ月、場合によっては半年とも。

が、考えた結果、9月は耳栓をしてでも、基本的にデュオの演奏まではしてみようと思っています。それ以上の編成の音楽は、10月5日のコンサートのことを視野に入れた18日(at inF)の黒田京子トリオ以外は、すべてキャンセルさせていただくことにしました。

万一耳が悲鳴を上げてしまったら仕方ありませんが、ダメだダメだと家で横になっていても、精神的にまいってしまいそうなので、ともあれ、演奏の目標、復帰への意欲を持って、まだしばらくは耳を休める日を持ちながら、回復への道を目指そうと思っています。

共演者のみなさん、関係各位、お客様、みなさまにご迷惑をおかけして、ほんとうに申し訳けありません。

みなさんも夏の疲れが出てくる頃かもしれません。人間、なにはともあれ、栄養、睡眠、運動、休養が大切かと。どうかご自愛くださいますよう。

(こんな風にweb上で公開して、お前はアホか、と言われる方もおられると思います。実際、私はアホです。そして、畢竟、人はその人の気の済むようにしか生きれないのではないかと思う今日この頃です。)


8月27日(日)  そして、占い

神頼みに続いて、占いだ。もうほんとにヤケクソ状態としか言いようがないじゃないの。ああ、こりゃこりゃ。

ネット上で“易経姓名判断”というものを初めてやってみた。これがどうもなかなか当たっている気がするから、笑った。

「京子」と名付けたのは、いくらでもお金は積むから医者になれと言っていた祖父だが、この占いによれば、私の生涯における仕事運は「お勧めなのは“声”に関係のある職場。・・・また、通信関係や、“音”に関係のあるもの。音楽関係もそうですし、・・・」なんだそうな。

それなら耳を奪うなよ〜と思うのだが、今年の運勢もついでに見てみたら、健康運のところには「・・・眼病や耳病など、頭部の疾患の可能性もあります。根を詰めすぎないようにすることが必要です。・・・」とあった。あらあら〜。


8月29日(火)  友、遠方より来たる

約一ヵ月半ぶりくらいに演奏してみた。太黒山(太田惠資(vl)、山口とも(per))の3人による即興ユニットでの演奏で、甲府・桜座にて。

私宅から甲府までは車を飛ばせば近いのだけれど、万が一めまいが生じた場合はとても危険なので、各駅停車に乗ってとことこと前日に現地に入った。当日に入って現場で準備してそのまま演奏、という段取りにもまったく自信がなかったので、前乗りして温泉に浸かることにした。終演後も泊まって、翌日ゆっくり戻ることにして、普段なら日帰りの仕事に、二泊するという態勢で臨んでみた。

自分でもこんなに病気が長引くとは想像していなかったため、実際、9月からは完全復帰するつもりでいたから、この太黒山での演奏は“プレ復帰”と思っていた。実際はそうは問屋がおろさなかったわけだが、どの程度の音量や音圧、音色や音質などに、自分の耳が耐え得るか。私にとってはトライだったし、正直、心中不安でいっぱいだった。

で、この演奏に、友、遠方より来たる、のだった。夕刻、お弁当を買って、都内から電車に乗って来てくれた友人たちが4人。心底うれしかった。うち2人は、私が新宿・ピットインの朝の部をやっていた頃からずっと聴いてくださっている人たちだ。涙がこぼれた。耳鳴りもどこかへすっ飛んで行きそうな気持ちになった。

また、この桜座に呼んでくださったのは、私が駆け出しの頃、すなわちその新宿・ピットインの朝の部をやっていた頃にとてもお世話になった、当時のブッキング・マネージャーだった方だ。声をかけてくださり、私はうれしかったし、その気持ちにどうしても応えたかった。

ちなみに、その方が新ピを去る前にいっしょにした仕事として、CD『Now's The Time Workshop vol.1』が残っている。池田篤(as)さん、村田陽一(tb)さん、大友良英(g,turntable)さん等がメンバーだった、ORT(オルト)での演奏が収録されているオムニバス盤だ。

耳は、といえば、明らかにまだ耐えられない音域や音色があることを自覚した。また、スピーカーを通した音やエレクトリック楽器の音を、この耳はまだ拒んでいる。この辺りはちょっと厳しいと思うとあらかじめ言っておいたことを、頭の良い演奏者は確信犯的にやってくれたので、よくわかった。無論、彼の無言のメッセージもわかっているつもりだけれど。

うんむう、やはりまだちょっと時期尚早だっただろうか。帰りの電車ではトンネルに非常にナーヴァスになり、ずっと耳栓をしていなければならなかった。耳を使うと、聴覚過敏の状態になるようだ。


8月31日(木)  おばさんは改善と改革をめざす

「青年は荒野をめざす」時代を過ぎた私に与えられた課題は、まず生活改善かと。

27日から煙草を吸うのをやめた。ただ、一日三食、への道のりはまだ遠い。振り返れば、ずいぶん長い間、一日二食の毎日だった。毎朝かかさず牛乳は1本飲み、野菜をたっぷり摂るようにはしているのだが。

これまでも就寝時や演奏のために椅子に座る時などに、“呼吸”は意識していたが、もっと意識するようになった。でも、毎日、適度な運動はできていない。できるだけ歩いたり、自転車でわざと遠くへ買い物に行ってみたりはしているけれど。

そして、次に、意識改革か。

実際、この8月はじたばたしまくったと自分でも思う。とにかく、耳のために良かれと思われることは、そしてやれるだけのことはやったと思う。

そのじたばた期を過ぎて、この耳の病は原因不明の難病で治療法も確立しておらず、完治はあり得ないこと、さらにある程度回復して、後遺症が残った状態で落ち着くには、少なくとも三ヶ月から半年くらいはかかるらしいこと、再発する可能性もあること、そのたびに悪化することもあること、などなど、こうしたことを、どうやらそうらしい、とやっと少し落ち着いて受け入れられるようになった気がする。(ちなみに、私がかかったどの医者も、こういうことをはっきり言ったりはしない。)

こういう状態に陥ってしまった自分を受け入れなければいけない。今後この耳とどう折り合っていくかを考えなければいけない。ということを、今月初め頃には頭ではわかっていたのだけれど、結局は心も身体も決して納得していなかったひと月を過ごしたように思う。

それがようやく、発症してから約二ヶ月弱後になる、8月も終わりを告げようとしている今、心が少しずつこの自分を受け入れるようになってきたように思う。あるいは、意識を変えないといけない、と思っている。そうしないと、精神的にどんどん鬱状態に陥っていくし、自分が楽になれない。

つまり、あきらめる、というよりも、断念するところから出発する積極的な意思、のようなものが、自分の中に少しだけ芽生えてきた感じがする。などというのは格好が良過ぎる。人から言われたことだが、まずは「気にしない」。耳鳴りのことなど、できるだけ気にしないようにつとめる。そして残るのは、それでも「演奏する根性があるかどうか」が、自分に問われている。うんむ、根性、か。

病気になった、歳をとった、最愛の人を失った、・・・「受け入れる」というのは、言うは易しいが、なかなか難しい。そして、それにはそれ相応の「時間」がかかる。

ともあれ、半年かあ〜。ってえと、今年いっぱい、ということなのね〜。そんな風にふえ〜っと思えるようになってきて、なんだか少し気が楽になったような気がする。事実、ほんの少しずつだが、夜眠れるようになってきている。これまでずっと、意識あるいは自律神経が完璧に冴えていて、横になっていてもほとんど眠れなかったから、例え2〜3時間でも自力で眠れるようになったことに、少しほっとしている。

誰もが、明日は生きている自分を想定し、明日の、一ヵ月後の、一年後の予定を入れて、将来が保障されているような錯覚を抱いて生きている。今日は明日に続いている、と。このように突然病に落ちると、“希望”という文字も、こんな風にペシミスティックになっていけない。

芥川龍之介の『羅生門』ではないが、ある一つの事象は、その見方によって結論が異なってくる。その事象をどういう視点でとらえ、判断し、理解するか。さらに、その時どういう気持ちだったか。それによって、それからの道は大きく異なる。

だから一日、一時を大切に生きようと思う、などという良い子ぶったことを言うつもりはさらさらない。ただ、私にはもっと一瞬がすべてになっていくような気がする。そして、それはおそらくこれまで以上にその音楽に反映されるように想われる。

うんにゃあ、まんず理屈はどうでもいい。こうして私の最低最悪の夏が終わろうとしている。




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