9月
9月2日(土)  静かだとほっとする

今月から、基本的にデュオの仕事だけはやってみて、様子を見ながら、耳の静養をすることにした。3人以上での大音量の音楽、特に低音が響くような音楽を演奏するのには、まだまったく自信が持てない。すべての音が響いて困るという現象はだいぶ治まってきたとはいえ、聴覚過敏や音割れの状態は続いてるので、頭の中が音の響きで飽和状態になって、気が狂いそうになって、両耳を塞いでその場にしゃがみ込む自分が想像できるからだ。

そういうわけで、9月に入っても半分以上の仕事をキャンセルさせていただいた。この場を借りて、共演者、関係者各位、お客様のみなさまに、あらためて心からお詫び申し上げます。

で、今日は信州・松本にある神宮寺で、小室等(vo,g)さん、坂田明(as,cl)さんと演奏。

中央本線で現地に向かう。8月末に予習をしておいたから、トンネルの出現予測はできている。が、気が付いた。特急の方が各駅停車よりはるかにノイズが少ない。その分、道中は楽に感じた。

松本に着いてから車で現地へ。松本では、小澤征爾率いるサイトウ・キネン・フェスティバルがちょうど開催されていて、途中、その会場となっている所を右手に見る。

で、この神宮寺、かなり変わっているお寺さんらしい。住職は定年制で、働いている人すべてが給与制だそうだ。ボランティア活動などにも積極的に参加している。お葬式で、お坊さんが一人増えるたびに20万円ずつ増えていく、なんていうのは絶対おかしい、と言うような方だ。だから周辺のお寺さんたちからは・・・、言わずもがな、らしい。

「地域の中で寺は死にかけている。・・・かつての寺といえば、宗教行事を基盤にして、地域の中心として輝いていたものだった。行政や医療の機能を持ち、文化の発信基地として重要視され、人々の悩みの相談所として、深くやさしい人間関係をつなぎあわせる場所であったはずだ。」(『生き方のコツ 死に方の選択』 鎌田實 高橋卓志 著/集英社文庫)

上記の高橋卓志さんが神宮寺の住職さんだ。そのお寺は浅間温泉の中にあり、“原爆の図”で有名な丸木夫妻による八十八枚の襖絵がある。それはそれは素晴らしかった。丸木夫妻の生涯最後の大作と言われている。

そして、この寺に『尋常浅間学校』という“学びの場”があり、今回の演奏はその授業の一つ、だ。

リハーサルが終わって部屋にいると、聞こえてくるのは蝉の声だけ。機械音がまったくない。少し風が吹いていて、とても静かだ。心底、とても穏やかな気持ちになる。こんな気持ちになったのは久しぶりのことだった。深呼吸をすると、心かとても軽くなる。これから演奏するというのに、ああ、耳は静寂を求めている、としみじみ感じた。

そして本番。小室さんはヴォーカルとギターにマイクを使われたが、ホールの響きが適度にあって、坂田さんと私は生音。また、3人ともモニターはなく、かなりアコースティックな状況で演奏できたのがうれしい。けっこう思い切って演奏した。途中、耳の付け根あたりが突っ張って痛いような感じがしたりしたが、想像以上に演奏できたように思う。

ただ、終演後の打ち上げの席で、右耳がおかしくなっていることに気付く。いわゆる“自声強聴”という現象が起きていた。これは、通常、自分が話している声は、鼓膜を通して到達する経路とは別に、頭蓋骨を介しても伝わるのだが、この頭蓋骨経由の音が強調されて聞こえる現象のことを言う。つまり、自分の話す声が、自分の内側(頭蓋骨)に響いて聞こえてしまうのだ。やれやれ〜。


9月3日(日)  言葉をかけてもらって

ここに耳の病気のことをカミングアウトしているおかげで、いろんな方々からアドヴァイスや励ましの言葉をいただいている。想像以上に、同じように耳の病を経験している人が多くいることを知ったが、とにかく、みなさんには心から感謝の言葉を申し上げたい。ほんとうにありがとうございます。

そして、今日、某音楽家から一通のメールをいただいた。多分5分くらいは泣いていたと思う。

人間、いかに、人それぞれ、いろんなことを抱え、背負って生きていることか。そうしたことは30歳代になってから感じるようになったが、今、しみじみ、ますます、そう思う。

それでも音楽を奏でることをあきらめたくない、と思っている自分がいる。こんなに耳の状態がひどくて、都会はあまりにもうるさくて、気が狂いそうで。もっと静かな所で暮らして、太陽が昇る頃に起きて、沈み切った頃には眠るような生活をするのが、人間としてもっとも自然なのだ、と何度思ったことか。本当に何度も何度も考えた。生活を変える、生き方を変える。でも、今はまだ、どうにも私は音楽をやめられないらしい。


9月6日(水)  銀幕ランドスケープ

今週から約一週間、下北沢・シネマアートンで開催されている『銀幕ランドスケープ』で演奏。これは喜劇無声映画に音楽を付ける、という催しで、私は太田惠資(vl)さんと即興で演奏。

この日は雨。耳の状態は気圧に非常に左右されるようで、実は朝から最低の耳の状態。困ったなあと思いながらも、とにかく足を運ぶ。それでもちょっとつらくて、演奏途中で耳栓をした。耳がつらいと、特に即興演奏においてはまるでイマジネーションが働かないと感じる。ピアノはなく、慣れないエレピだったこともあり、私としては演奏内容にちと不満が残る。

耳の病気になってから、ちょうど二ヶ月が過ぎたが、演奏を始めるにはやはり時期尚早だっただろうか、とも思う。どうもまだいろんなことが安定しない。自分で自分の状態を予測あるいは判断して行動できないのが困る。


9月7日(木)  冷蔵庫のノイズ

この家に引っ越して来た時に新しく買った冷蔵庫。だから10年以上は経っている代物で、途中で修理したこともあったけれど、いよいよ買い換えることにした。

もう、とてもじゃないが、そのノイズに我慢ができなくなった。聴覚過敏の状態が続いているから仕方ないのだけれど、もう耳が限界だと悲鳴を上げている。それでお金もないのに、新しい冷蔵庫クンに来てもらうことにした。ああ、なんて静かなんでしょう。

私は家の電気製品はできるだけ町の電気屋さんに頼んでいる。大型電気店で買う物もあるが、この町の電気屋さん、とても親切なのだ。なんだって直してくれる。洗濯機の調子も悪かったのだけど、機械とは関係ない、水道栓をちょいと洗ってくれて、完璧に作動するようになった。電気屋さん曰く「あ、売り損なっちゃった。あはは」だって。なんと、すばらし、あるね。


9月8日(金)〜11日(月)  福井から岡山へ

前乗りで福井へ。実は福井県へは初めて足を踏み入れた。これで国内でその地を踏んでいないのは和歌山県と沖縄県だけになった。熊野、沖縄の島々、いずれも私の憧れの地だ。よくわからないけれど、何かが呼んでいるような気がずっとしている。だから、多分仕事では行かないのではないかと思う。

9日、福井で、鎌田實先生の講演、坂田明(as,cl)さんの講演と演奏。鎌田先生の朗読に合わせて演奏したり、坂田さんとデュオで演奏したり。

この企画、今年に入って二回目になるが、いつ立ち会っても、心は震える。“命”ということにまっすぐに向き合える、貴重で豊かな時間が、ここにはあると思う。

終了後、岡山へ移動。

翌、10日、岡山・蔭涼寺で、『わねわね音楽会』と題されている、山口とも(per)さん、おおたか静流(vo)さんとのユニットで演奏。午後3時開演の部は大勢の子供たちの笑顔と出会う。みんなNHKをよく観ているらしい。子供は素直にいっしょに歌う。午後7時開演の部はやはり多少大人のムードかしら。

ともさんはあのくるくる髪型といでたちだ。静流さんもいつもながらの素晴らしい衣装だ。んじゃ、くろりんはどする?ということで、おおたかさんから黄緑色の美しい衣を借りて、身にまとうことにした。ほとんど、ダリ、ゴーギャン、ルノワール、という雰囲気だ。わっはっは、どうじゃ〜。

結局、いずれの部も1時間半以上は演奏していたようで、終演後は3人ともぐったり。でも去年よりはずっと涼しくて助かったし、楽しかった。いいコンサートだったと思う。

耳がこうなってから、久しぶりに地方での連チャン仕事をしてみたが、耳はなんとかやり過ごせたようだ。それが少しうれしい。実際、すみません、少しずつ、少しずつ、で。


9月13日(水)  残念

地元、東京・府中市で『子供ゆめミュージカル』を実現できれば、と動いてくださっていた方から連絡があり、諸所の事情で断念せざるを得なくなった由。うーん、かなり可能性が高いと思っていただけに、とっても残念。どこかの自治体で、この企画、受けませんか〜?


9月18日(月)  久しぶりのトリオ

大泉学園・inFで、黒田京子トリオの演奏。

演奏前、チェロ奏者が“楽屋”とおっしゃっている飲み屋さんに、初めて行ってみる。そろそろ演奏時間ということで席を立つと、「いってらっしゃーい」と声をかけられて、思わず笑みがこぼれる。すっかりなじみになっているのねん。

予想通り、来ない、のはヴァイオリン奏者。もともと中国からの戻りで、午後5時頃に成田に着くと聞いていたから、ハナから開演時間には来ないだろうとは思っていたのだけれど。なんでも軍事演習があって出発が遅れたらしく、結局、後半から演奏に参加。つまり、前半はチェロ奏者とピアノ奏者のデュオと相成り候。

翠川さんの生音で奏でられるピアニッシモや、かすかに鳴っている4つの倍音(これは初めて聞いたような気がした。聴きながらすごいと思ったのだが)も聞こえた。ので、ほっとした。とにかく、聞こえた、のだ。

今のところ、私の耳はやはり聞こえないわけではないようだ。その辺がやはりいわゆる“聞こえない難聴”とはどうも大きく異なっているみたいだ。とはいえ、それ以外の症状がたいへんな状況なので、約三ヶ月もほとんどの仕事をキャンセルしなければならなくなったわけだけれど。

「ま、ゆっくりやろうよ」と声をかけてくださったのはうれしい。が、一方で、クラシック化計画も順調に進んでいるらしい。12月には太田さんはベートーベン作曲「スプリング・ソナタ」を演奏するらしいけれど、ほんまかいな〜。ヴァイオリン界の貴公子は何を弾くのだろう?私は・・・少なくとも今年いっぱいはもう勘弁させてもらおうと思う。というか、人前でクラシック曲を演奏するのは、ちょっと考えさせてね、という感じだろうか。


9月19日(火)  鍼百本

先週から週に一回、某人に紹介していただき、思い切って新たに鍼治療をしてみることにした。今日は二回目。

まずパンティ一丁姿で、仰向け。ほとんどお天道様の下の干物状態だ。というか、私の場合はトドかアザラシか。と言う間もなく、どんどん鍼を刺される。次はうつ伏せ。また刺される。刺してはすぐ抜くというやり方だが、いったい何本身体に打ち込まれているのか、とても勘定できない。最後はとどめの鍼を何本か刺された上に、そこにお灸。という状態で5分間くらいそのまま、だろうか。

一回目の後は、見事に自分の身体の悪いところがすべて出た。坐骨神経痛、腰痛、眼、耳などなど。おかげで、当日と翌日は少し寝込んでしまった。特に眼は鈍痛がずっと続き、集中力が続かなくて困った。

今日は指のことも申告した。整形外科で相手にされず、診てもらえなかった指だ。そうしたら、「こんな指でよく演奏してましたねえ」と言われる。この指が原因で腱鞘炎も頻繁に起きているのではないかと思うのですが、と言う間もなく、う、う、うぎゃあああ、痛てえええーーー。その問題の指に鍼が刺された時の痛かったことったらない。まるで筋を裂かれるような音がした。

はっきり言って、痛い。痛いところはめっちゃくちゃ痛い。ギョエーッ、ヒエーッ、アウッ。と、もう恥ずかしげもなく悲鳴をあげて、この際開き直って、自分を開放することにした。したらば、最後のお灸では完璧にハイ状態になっていて、今日は歌をうたってしまった。何故か「たらったらったらった うさぎのダンス〜」から始まって、創作歌謡へ、そしてふにゃふにゃ〜状態へ。

参考図書:『はり100本 鍼灸で甦る身体』(竹村文近 著/新潮新書)

この耳の病に陥ってから、いくつも病院に行ったし、いろんな治療も試みてみた私だが、この鍼でもう終わりにしようと思う。もう疲れた。あとはケセラセラ、だ。


9月21日(木)  はじめの一歩

『くりくら音楽会 ピアノ大作戦 平成十八年秋の陣』の第一回目。これは門前仲町にある、門仲天井ホールの支配人と、今年からORT Musicを立ち上げた私との共同企画製作コンサートだ。(詳細はこちらへ

午後4時に会場に入り、ピアノの調律に立ち会う。今回、気付かれた方もいると思うが、この『くりくら音楽会』及び『耳を開く』とも、そのフライヤーの“協力”のところに、調律師さんのお名前を記載している。それは考えがあっての上のことだし、無論、調律師さんの了解も得ている。こうしたことを意識するかしないか、は私は大切なことだと思っている。ピアニストは奢ることなかれ。音楽会はてめえ一人じゃあ成り立たねえんだよ、みたいな。

今日は、前半は林正樹(p)さん、喜多直毅(vl)さんのデュオ。後半は私と平野公崇(sax)さんとのデュオ。

林さんと喜多さんはそれぞれのオリジナル曲を持ち寄り、テーマがバッチリ決まっていて、格好良くて、若さ溢れる演奏を聞かせてくれた。ピアノもヴァイオリンも生音だが、空気が乾燥していたこともあって、お客様が入っても何も問題ないと感じた。二人とも音がとてもよく鳴っているし、そのサウンドはちゃんとブレンドして聞こえてくる。

私たちの方は何も決めず、すべて即興演奏で。どうでもええけんねえ、でも、ああして、こうして、を聞き合いながら、時には目線や気配で、状況を動かしていく。うーむ、ちょっと硬直しているかも〜と思って目を上げると、平野さんは恐〜い目で私を見ていた。ごめんなさーい、すぐなんとかしますから〜。実際、この日はお互いに少々体調がすぐれなかったこともあって、演奏後は二人で反省の言葉しきり。

二組のデュオの演奏を聴くコンサート。今夜はそれぞれのデュオの感じが異なっていて、なかなか面白かったのではないか思う。お客様にもお楽しみいただけたと思う。

その後、4人全員で即興演奏。アンコールをいただき、みんなが出てきてくれないので、私がソロで1曲演奏。再びみんなを呼び込んで演奏。

なんたって、みんな私よりずっと若い。林さんと私などは20歳以上も離れているのだ。その彼との連弾も楽しかった。そして、3人とも、これからの音楽界を引っ張っていく人たちだ、と私は胸を張って断言する。ずっと応援し続けたい。

お客様にも大勢来ていただき、全体に温かい空気に包まれた、いいコンサートだったと思う。窓から見える夜景も美しく、なんとなく会場の雰囲気がよかった。まずはいいすべり出しだったと思う。

このコンサート、10月、11月も、各第三木曜日に、門天ホールで行われます。興味のある方はどうぞおでかけくださいませ。


9月26日(火)  鬱の身体

鍼百本の三回目。毎回、先生はこの身体に深〜い溜息をついている。それがトドのようにほとんど真っ裸で横たわっている私にもよく伝わってくる。

今日はお灸にしびれた。これ、ほんとにアッチッチッチ、と熱い。悪さをすると「お灸をすえるぞ」と言われる真意が、生まれて初めてわかった。そこには軽い火傷をした跡が残っている。

そして、どうやら私の身体は想像以上にぼろぼろらしい。というより、先生曰く「耳とか眼とか、っていう場合じゃないなあ。例えば、ピアノの弦はそれぞれ長さや張り加減などが決まっていて、それぞれあるべき所にあって、最善の音を出し、美しい響きを作っているわけでしょ。あなたの身体はその高音の弦が下の方に張られていたり、その逆だったりしている感じで、なんだかばらばら、めちゃくちゃな状態・・・云々」なんだそうだ。

この鍼治療はいっぺん身体を壊すところから始まり、次第に良い状態にしていく、あるいは自然治癒力を高めていって徐々に快方へ向かうようになっていく、というものらしいのだが、私はまだその道のりの真ん中へもほど遠いところにいるらしい。つまりかなり回復が遅いらしい。

さらに、身体のみならず、精神が鬱の状態にあるらしい。「あなたは元来とても明るくて大らかなひとだろうと思うのだけれど、このままだと・・・云々」。

また、「でも、きっと何かのきっかけで、ふっ、と軽くなったり、解き放たれたようになると思う」とも。

思えば、最初にこの治療を受けに行った時、私は上下とも白い服装を選んだ。あとでその著書を読み返すと、その時の服装で状態がわかるとあり、白色は落ち込んでいる時に着る、とあった。あらあら。私しゃ、思わず、笑ったけれど。かくのごとく、この先生、その人の状態を、服装から見分けたり、階段を上がってくる足音でも聞き分けたりするらしい。いやはや、恐るべし。

実際、約二ヶ月間、ほとんど眠れず、完璧に自律神経がやられたという自覚はあった。私は他人に対して決して声を荒げるようなことはなかったのに、なんだかイライラして、自分の母にヒステリックなもの言いをしてしまったりしている自分に、自分で驚き、ひどい自己嫌悪に陥ったりもしていた。いよいよ更年期かとも思ったが、ちと別らしい。

おそらく私は演奏することで、自分を解放していたのだろうと思う。俗に言うストレス発散、ということなのかもしれないが、人前で演奏するという行為で、外の世界と関わり、なんとか自分で自分を立たせていたのだろう。その演奏ができなくなったのだから、当然、すべてのバランスが崩れたのだと思う。

やばい。

耳鳴りがどうこう、耳がぼわぼわする、別の音が聞こえてくる、すべての音にエコーがかかっている、などなどと言っている場合じゃあなくなってきた。


9月29日(金)  脱出へのこころみ

いかん、どうも暗示にかかってしまったようだ。自分が鬱状態ではないかという発見は、私にますます鬱をもたらしている。ふと気付くと、電車の中で涙ぐんでたりする。一人で食事していると、それが外であろうが家であろうが、ぼろぼろ泣き始める自分がいる。こりゃ、あかん、曲を作るどころではなく、音楽に気持ちが向かわない。

振り返れば、出版社に勤めながら新宿・ピットインの朝の部で初めて演奏したのが、ちょうど20年前の1986年。誰かのグループのメンバーとしてではなく、最初から自分のユニットでの出演だった。つまり、今年でちょうど20年ということになる。去年の眼、今年の耳、いずれもこの20年間のツケだと、しみじみ思っている。

では、この20年はいったい何だったのだ?私の人生、これでいいのか?こんな生活でいいのか?

過去を振り向くと、いろんなことが否定的、批判的な色を帯びてくる。あるいは、我慢してきたことがいっぱい見えてくる。こうしたかったのに、こうなりたかったのに、ならなかったのは何故?と、そのうち、他人を責め始め、さらに自分を責め始める。こりゃ、完璧に鬱のスパイラルに落ち込む、と危機感をおぼえる。

それで、もう何も考えないことにして、温泉に行くことにした。約三ヶ月ぶりくらいに丁寧に洗車して、車にキーを差し込んでみた。動いてくれたので、これまた三ヶ月ぶりにくらいに運転して、高速を飛ばした。

家から30〜40分。ちょっと長いトンネルを抜けただけで、空気が違う。こういう所に住んだ方がいいのではないかと、本気で思ってしまう。温泉にゆっくりつかった後、知り合いがやっているレストランに行く。

ジンジャー・ティーを一杯飲んでから、犬の散歩に同伴させてもらって夜道を歩く。道を行き交う人たちみんなと、彼女は挨拶を交わしている。夕飯時だけれど、友人のお宅に遠慮なくお邪魔して、揚げたての天ぷらをいただく。田舎だと言ってしまえばそれまでだが、都心ではありえない光景だ。自然が、人間が生きている。そして、最後においしいカレーと採り立て野菜のサラダをいただく。辛いものは耳に良くないと言われていたので、これまた約三ヶ月ぶりのカレーだった。

ま、ベッドから出られない、家から出られない、他人と話せない、というような状態ではなく、車を洗って温泉に行く程度の状態。普通、か。それに、こんなことをこんな風にここに書いているのだから、なにをかいわんやでありまする。あきらかに、書くことで発散しているとも思うけれど。

ともあれ、気持ちとしては、もう今年いっぱいはリハビリというか、あまりあくせくしないで、適当にのんびりしながら過ごそうと思う。鍼治療も三ヶ月が目安というし、続けて通っていればもう12月だ。これを機会に、身体も精神も立て直そうと思う。というより、これからの、少なくともこれから十年間を見据えた身体づくりを心がけ、心の在り様を定めようと思う。問題はこれからの自分だ。





というような状態です。

そして、10月5日のコンサート『耳を開く 最前線の室内楽』から演奏活動に復帰します。復帰するまで、ほんとに三ヶ月かかってしまいました。某師匠からの助言どおりでした。

共演する予定だったミュージシャンの方々、お店の方やイベントの主催者の方々、その他多くの方にご迷惑をおかけしました。心からお詫び申し上げます。

耳は元には戻りません。今日(9月30日)は朝から両耳ともひどい耳鳴りで、世界の音がぼわぼわしてつらかったです。自分の話す声も自分の中で響いています。喫茶店で地元の友人と会った時は耳栓をしました。

チャーリー・ヘイデン(b)が演奏中も黄色い耳栓をしているのを見て、以前から不思議に思っていたのですが、今はよくわかる気がします。人から聞いたところによると、ヘイデンは神社の玉じゃりの上を歩く音に耐えられず、耳栓をして歩いたとも聞いています。

これからもおそらく、こうした調子の悪い時が波のようにやってくるのだろうと想像します。そして、私の耳は、自転車のキーッという高音のブレーキ音や、冷蔵庫などの電磁波ノイズや、オートバイや空を飛ぶ飛行機などの低いエンジン音、換気扇や扇風機などの機械そのものの音よりも、風が起こしている低周波のノイズなどに、耐えられない耳になってしまったようです。この聴覚過敏、専門的には「補充現象」は、生涯消えることのない友だちになってしまうでしょう。

でもって、あとはこの身体と心です。耳のことで約三ヶ月。そして今年いっぱい、あと三ヶ月、私はゆっくり自分をみつめ直して、自身を立て直そうと思います。それがこの病気をしたことの意味だろうと思います。ま、神の啓示、ってやつでしょうか。そんな風に思うことにしましょう、っと。

あ、9月の最後に。10月5日のコンサートのチケット、まだお席をご用意できます。たくさんの人と音楽を分かち合いたいと思っています。ぜひおでかけくださいませ。




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