12月
12月3日(月)  微笑む時

夜、喜多直毅(vn)さんがリーダーになっている、五重奏+ピアノの編成で演奏する。メンバーは向島ゆり子(vn)さん、会田桃子(viola)さん、翠川敬基(cello)さん、西嶋徹(b)さん。今夏に初めて演奏しているので、今回は二度目になる。

この編成、否、このメンバーから創り出されるサウンドの豊饒さは、いつも私の胸を震わせる。で、今回は前回よりも全体がすっきりしたところもあり、メンバーの誰もが口にしていたように、そのサウンドの質は一段アップしたように感じた。みんながそんな風に感じているところが、とってもいいなと思う。先へ行ける。

自作曲「ホルトノキ」は、去年の秋に自身が企画したコンサートの日に、トリオのために書いて、いきなり演奏してもらったものだが、演奏するたびにいろいろな表情を見せる。その後、おおたか静流(vo)さんが歌詞を付けて歌ってくれ、それはほんとうにすばらしかった。そして、この五重奏用にもアレンジしたわけだけれど、これもまたとっても気に入っている。トリオ、おおたかさん入り、この五重奏、と全部のヴァージョンでレコーディングしたいくらいだ。

こういう時、演奏する喜びとは別に、曲を作り、アレンジすることの歓びを感じる。なんだか顔がふんにゃりとやわらかくなって、自然に微笑んでいるような感じ。ジャズをやり始めた頃、この曲はこういうイメージでなければならないのだっ、みたいにリキんでいた頃のことを思うと、ずいぶん違うところに来ている自分を感じる。

んで、これ、来年も続きます。もう一曲アレンジに挑戦してみようと思っています。こんなの、他にないと思いますよん。もっと多くの人に聴いて欲しい。ぜひおでかけください。


12月4日(火)  私はどこに?

夜、代々木上原・ムジカーサで行われた、西山瞳(p)さんのコンサートにでかける。ベース、ドラムスという、いわゆるジャズのピアノ・トリオでの演奏。ドレスに身を包んだ彼女の大阪弁がすてきで、音楽に対する真摯な姿勢がよく伝わってくるコンサートだったと思う。

その足で、大塚・グレコへ、新澤健一郎(p)さんと西嶋徹(b)さんのデュオを聴きに行く。西嶋さんの手の動きや奏でる音色は実にしなやかで、食べてしまいたいくらいだ。などと言ったりすると、多くのファンや彼といっしょにやっている有名なミュージシャンたちにぶん殴られるに違いない。新澤さんとは初めましての出会い。オリジナル曲を演奏する時の、ピアノの音の立ち上がりがいいなと思う。

それにしても、ビル・エヴァンス(p)という人の影響は多大だ。日本人には非常に親近感を持てるプレイヤーなのかもしれない。かく言う私も、昔は散々聴いたけれど。

そしてもうひとつ、それにしても、「聴衆」というのはどう育っていくものなんだろう?日本のジャズをとりまく状況はひとつも変わっていない気がする。

などとつらつら思いながら、ジャズ業界にはいない自分を、、つまり自分がどこに立っているかを自覚させられた。と、妙に客観的になっている自分に気付く。

あ、特別先行告知です。来年五月の『くりくら音楽会』は、この二人のピアニストがそれぞれ相棒と共にデュオで演奏してくださいます。


12月5日(水)  音楽はここに

午後、レッスン。一人は某楽器メーカーの教室で先生をやっていて、そこで起きたあれこれを聞く。もう一人は郷里に戻るかどうか、ちょっと迷っている様子。二人ともとても魅力的な女性だ。

それで言う。音楽はここにある。ここ、とは自分自身の中に、胸に、心に、と。

自分のまわりを見ると、なにやらあまりにいろんなことがあって、迷う。ともすると、焦ったりもする。外を気にし始めたらきりがない。それでなくても外界は騒々しい。そしてそのうち自分を見失う。足元さえも見えなくなる。

無論、時代や状況を判断することは必要だ。が、ふりまわされて感情だけ空回りしても、そこにあるのはただうろうろするばかりの自分だけだ。実はそんな時間も大切だったりもするとは思うけれど。渦中の自分はそんな風には到底思えない状態にあるのが常だ。

時には嫌な目にも遭うだろう。傷つくことだってあるだろう。あるいは、自分をとりまく様々な環境、経済的な問題だってあるだろう。けれど、いつ、どんな所にいても、音楽は自分の内にある。外にはない。そして、音楽はそこをみつめるところからしか生まれない。

なーんちゃって、もう、ほとんど説教婆さんのようだ。


12月6日(木)&7日(金)  アナログを愛す

坂田明(as,cl)ヤッホー!でレコーディング。mii(みい)のユニット、すなわちバカボン鈴木(b)さんに、坂田さんのご子息、学(ds)さんを加えた4人での録音。

ブースに入って、ヘッドフォンをかぶらなければならない、という状況に、耳を患っている私は実はすごく不安だった。でもなんとかこなせたので、胸をなでおろす。

されど、やっぱり耳は壊れていることを自覚した。終了後、首と肩がバリバリになった。それに毎回録音したテイクを聴く時に、小さなスピーカーから出ている音がとても大きく聞こえてしまって辛く感じる。他の人は普通にしているから、私の耳がおかしいのだと思う。

発症当時はそれまでに聞こえていなかった低・高周波数の音が異様に聞こえていたから、多分その後遺症なのだろう。今、そうした音が聞こえることはないけれど、聞こえ過ぎるという感覚は残ってしまったのだと思う。いやはや。

それはともかく、レコーディングのテクノロジーというのは、もはやおそろしく進んでいる。

(以下は一般論として書きます。)

私の処女作はソロのCDで、その時、今はもう亡くなってしまったエンジニアの人は、オープンリールを回して録音した。曲順などを決めるのに、自宅で何回も聴いたのはカセットテープだった。マスタリングをする時に訪れた、そのエンジニアさんのごちゃごちゃした一室には、確か机の目の前にオープンリールのダビング機械がドンとあったと思う。1991年の話だ。

そのうちDAT、そしてコンピュータが出現する。ツギハギに時間がかかり、まだちょっとタイヘンだった時代もあった。例えば、この小節のこの一音を修正したい場合、もう一度そこだけ演奏し直して、あるいは前後のつながりから例えば4小節分演奏し直して、それを元の録音のものと上手〜くつなぎ合わせるという作業があった。

が、今はもうそんなことはほとんどない。カチッ、ピッ、パッ、だ。ソフトは格段にヴァージョンアップしており、音源はハードディスクに録音され、ラフミックス状態の音源CD-Rはその場ですぐに作られる。

例えば、スタジオ録音する場合、それぞれブースに入ってヘッドフォンをかぶっているため、細かい呼吸や身体の動き、気配などを感じることが非常にしにくい。つまり、コミュニケーションがとりづらい環境に置かれる。で、エンディングのタイミングが三人三様でわずかにずれたりすることもある。

こういう時、昔はもちろん録り直した。ところが、今はコンピュータがあっという間にぴったり合わせてくれる。ミュージシャンはもう一度演奏することなど、おそらくほとんどない。それは無論、ミュージシャンやプロデューサーの考え方にもよることは言うまでもないが。

その時、何が起きるかというと、そのエンディングは誰の音に合わせるか、という選択だけを、ミュージシャンはせまられる。つまり、、AかBかCか、というパターンで、物事を思考させられる現象が生じる。あるいは、AかBの間がご希望ならば、その数値で、すべてが解決される。

そして、それはすべからく効率という言葉に集約されていく。仮にそのエンディングの2小節を、人間がもう一度録り直せば、どうしよう、ああしよう、こうしようと話し合うことも含めて、10分くらいかかったとしよう。だが、コンピュータはどこに合わせるかさえ決まれば、おそらく10秒もかからないで完成させる。作業はマウスを動かすだけだ。

話にならないような時間の短縮。スピード解決。無駄な労働の回避。ひいてはお金の節約にもつながる。これは特にジャズのようなプロセスを聴くような音楽の在り様とは対極にあると言っても過言ではないだろう。

その他、ピッチ(音の高低)がちょっとヤバイところも、コンピュータはたちまちにきれいなピッチにしてくれる。また、もっと高性能の機械だと、ホールでライヴ録音された時の、お客様の咳払いや拍手の音だけ消すこともできるらしい。ふえ〜。

こうして、録音された音楽はそのすべてをコンピュータがやってくれる世界になっている。うーん、これは、人間をダメにする。音楽をダメにする。という側面があることを否めないと、私は思う。

SPレコードが出始めた頃の光景、つまり、バカでかい朝顔に向かって、全員で「せーの」録りしている写真を見たことがあるが、私には「録音」の現場の原点のように思える。“空気”がいっぱいの音。アナログと言われようが、歳をとったと言われようが、私はその音の肌触りを愛する。

余談になるが、斎藤徹(b)さんがリーダーの作品、CD『アウセンシャス』は最後の収録曲(ライヴ録音)を除いた他は、すべてホール録音によるものだが、マイクは客席に置かれたL&R、たった二本だけだ。演奏する楽器のところにはマイクは一本もなく、私たちのところには無論モニターもない。一人がしくじれば、あるいは誰かが内容に納得しなければ、最初からやり直した。だから必死だった。すごくくたびれたが、私はこういう録音が好きだ。

なお、今回レコーディングされたCDは、チェルノブイリ連帯基金の代表を務める、鎌田實(医者)さんが主宰するレーベル「がんばらないレーベル」から出されます。『ひまわり』に続くCDの第二弾になります。その内容はお楽しみに。かなり意外、かも。ちなみに、そのCD発売記念も兼ねたコンサートが、来年1月26日(土)に予定されています。詳しくはスケジュールのページへ。


12月8日(土) 歓送会

8日、9日と二日間続けて、新宿ピットインでは、今年8月に亡くなったパーカッショニスト・富樫雅彦さんを送る“歓送会”が行われた。

楽屋は大先輩方でいっぱいで、なんだかちょっぴりわくわくする。誰か一人だけずっとアルト・サックスを吹いている人がいるなあと思ったら、やっぱり渡辺貞夫さんだった。その笑顔にしびれる。他に、山下洋輔さん、佐藤允彦さん、渋谷毅さん、鈴木勲さん、などなど、還暦を過ぎた、日本のジャズを背負ってきたような方たちもたくさんいらっしゃる。

また、「僕たちが一番若いんじゃないの」と言っていたのは大友良英さん。そのユニットで演奏したのは、広瀬淳二さん、大谷安宏さん、芳垣安洋さん。大友君、広瀬さんと、亡くなった篠田昌巳さんといっしょに演奏していたのは約20年前のことになる。芳垣君と会ったのも、それからまもなくのことだったと思う。大谷君と共演したのも、もう15年くらい前のことになるだろう。いやあ、みんなそれぞれ額の面積が広がっていたり、髪を染めたり、なんだか感慨深い。

コンピュータで即興演奏をやる人などまだあまりいなかった頃、大谷君と出会った私は積極的に共演していたことがある。人間の声はえらく容量が必要で、コンピュータは固まってしまうとか、人間の身体の動きや、映像の色に連動して音が出るようなことがもう少しでできるようになるとか・・・、そんな話しをよくしたよね、と大谷君とは笑いながら話す。そして、今や、である。コンピュータのテクノロジーは恐ろしい速さで時代を駆け抜けていることを実感する。

とにかく、豪華な顔ぶれの“歓送会”。天国の富樫さんに乾杯。

ちなみに、私は梅津和時(as)さんのユニットのメンバーとして演奏。他に、初めましての藤川義明(ss)さん、そして翠川敬基(cello)さん、太田惠資(vl)さんと。

んでもって、いずれ黒田京子トリオで、富樫さんの曲だけを演奏する、きちんとしたライヴなりコンサートをやりたいなと思っています。


12月9日(日)  私は昆布を贈るだろう

夜、12chで、仲道郁代(p)さんと調律師さん(弘中俊也さん)を追ったドキュメンタリー番組を観る。「“弘法は筆を選ばず”というけれど、私はピアノを選びたいの」と仲道さんは言う。今の私にはよーくわかる。

最後の方で放映された、八ヶ岳高原音楽堂で調律師さんのためにだけベートーヴェンのソナタ(「悲愴」第二楽章)を演奏するというのは、ほとんどこの番組のためのヤラセっぽかったが。ほんでも、そういうことをしたいと思うピアニストの心情はわからないでもない。でも、私はやらないだろうな。北海道から極上の昆布を贈ることを選ぶだろう。

なににせよ、散々書いてきたように、ピアニストと調律師さんがより良い信頼関係を築くことが、いい音楽を創って、お客様に聴いていただくことの大前提だ。というようなことが、この番組を観た人にわかったのかなあ。

しかし、やっぱり美人は得だあああ。阿川泰子(vo)さんが世の中に出始めた頃から、ジャズ界にも美人ブームが訪れたと思っているが、そこからも完璧にハズレているよなあ、自分。って、なんだかすべてにおいてハズレまくっている気がしてきた。


12月12日(水)  己を知るのは難しい

午前中、歯医者に行き、レントゲンを撮る。現在、自分の歯は30本。左奥にあるオヤシラズにはハブラシが届かず、虫歯になっているそうで、来年に入ってから抜くことにした。

午後、整体。けっこうぐりぐりと揉まれ、帰宅後なんと二時間も熟睡してしまった。想像以上に身体が疲れていたことがわかる。目が覚めたら、辺りは暗かった。

病気をすると、いろんなことがわかるとは思っているが、かくの如く、己を知れ、とは思うものの、ちっとも自分を知ることができないでいる。


12月13日(木)  身体は動かすべし

久しぶりに太極拳の教室に行き、身体を動かす。昨日の熟睡もあって、気分は快調。やっぱり身体は動かすべし。

夜、『くりくら音楽会』の反省会兼忘年会。ああだこうだと話しをできる人たちがいることは、ほんとうにうれしい。来年も続けて中味のあるいいコンサートを創っていきたい。これからもきばりまっせ〜。


12月14日(金)  ぎくっ

朝起きてから、いつものように牛乳をコップ一杯飲んでから、いつもと違うことをふっと思いついた。食事をする前に少し身体を動かすべく、その足で庭の落ち葉掃きをした。

らば、ぎくっ。
ヤバイ。左腰をやられた。

生涯二度目のぎっくり腰が私を襲った。あまりに痛くて一歩を踏み出せない。階段などの段差がしんどい。油断した。整体、太極拳の教室に行って、さわやかな朝を迎えただけに、奈落の底に落とされたような気分だ。

しばらく横になり、なんとか仕度をして、思い切って車を運転してでかけることにする。その方が腰が固定されている分、おそらく楽だろうと判断したためだ。途中で薬局により、湿布薬を買い求める。時々聴きに来てくださる方が飲み薬をサービスしてくれて、感謝。

夜は大泉学園・inFで、会田桃子(viola)仕切りの五重奏。喜多直毅(vl)さん、太田惠資(vl)さん、翠川敬基(cello)さん、というメンバーでの演奏。私はリハーサルに遅刻してしまったが、既に全員いた、ので驚く。

なんとなくうきうきしている空気。会田さんの四重奏のアレンジ、それに会田さん作曲のうたや喜多さんのうたなども、会田さんが歌う。これがなかなかいい。今月初めの喜多さんリーダーの五重奏プラスピアノもとても面白かったが、今晩も楽しい。

ただ、私は会田さんの期待に応えられず、申し訳なく思う。特に会田さんが敬愛するジャコ・パストリアスの曲や、彼女の曲がうまく演奏できず、反省することしきり。

とにかく、十年前には考えられなかった光景が広がっている。クラシック音楽の畑で四重奏なり五重奏なりをやっているグループと、こうした人たちが同時に出演するコンサートを企画してみたい、などと思う。


12月15日(土)  背骨と姿勢

湿布をして、薬を飲んで、昨日よりは腰は楽になった。少し普通に歩けるようになった感じ。それでも何故か全身がボキボキと鳴っている。

午後、急遽、整体に行き、治療をしてもらう。患ってしまった腰ではなく、別のところをぐりぐりやられる。痛いこと、このうえなし。

聞けば、私の尾てい骨は左に曲がっているそうで、左側の血液の流れがすこぶる悪いそうだ。坐骨神経痛に結びつくものだ。

確か32歳の厄年の頃、雨の日、ドラマーの器材の搬出を手伝っていて、階段から落ちたことがある。その時、もろに尾てい骨を折って、漫画のような★★★をいっぱい見た。まったく歩けなくなった。そして、その時から、私の尾てい骨は曲がったままなのだ。妊娠すれば元に戻ると言われてそのままにしておいたのだが、結果、あの時治しておけばよかった。とは、後悔先に立たず。

また、腰の骨の4番目と5番目の間がほとんどない状態らしく、さらに私の背骨は出ていないと指摘される。なるほど、そんな感じだ。つまり腰のあたりでへっこんでいるような形でS字を描いているらしく、それで肩や特に首がつらくなるらしい。いやはや〜。

実は、この姿勢については、一昨日の太極拳の先生からも指摘されたばかりだった。姿勢があまりよくない、特に腰が湾曲していて、身体内部、特にお腹と腰の力が失われているようだ、云々。

自分を客観的に見る、観る、というのは、ほんとうに難しい。でも、言ってくれる人がいるだけ、うれしい人生を送っていると思わないといけない。両先生の言葉は、実に有り難い。

ということで、これからもっと姿勢に気をつけようと思う。そして、またもや演奏する時のフォームを改革しなければならないかもしれない。ピアノの前に座る時の姿勢は間違っていたのかもしれない。猫背になることを指摘されて以来、背筋を伸ばすことを意識してやってきたからだ。さて、どう改善していこう。


12月17日(月)  ムラータ

某アマチュア・ビッグバンドのクリスマス会の余興のために、久しぶりに村田厚生(b)さんと音合わせをする。

「あんな譜面は私にゃ読みこなせないぞ」のルチアーノ・ベリオの「why?」に始まり、TSさんの詩の一節から怒涛のアドリブ朗読になり、ガーシュインのバラッドになだれこんだかと思うと、甘いトロンボーンの音色がロマンティックな世界にあなたを誘い、そのエンディングは美しい歌のデュエットになる。

などということをいっしょにやれるのは、このムラータさん以外にいない。少なくとも普通にジャズをやっているミュージシャンとは決してできない。言葉の即興や歌をうたったりというようなことは、まずほとんどの人はしないだろう。

村田さんとの出会いのきっかけは、私がwebで“クルト・ワイル”で検索していたら、たまたまそこにひっかかった、だった。「歌って踊れるトロンボーン奏者」と書いてあったことと、平安時代の貴族のような衣装を身にまとっている写真が、ものすごく心にひっかかった。うんむう、そは何者ぞ?にしても、いわゆる現代音楽には非常に造詣が深いご様子で、特殊奏法の丁寧な説明もアップされている。実はすごい人なのではないか?

というところからお付き合いが始まった。こういう人に声をかけてしまうのだから、私も相当な身の程知らずだ。その後、朗読の人たちと、演劇の人たちと、またデュオでの演奏など、お蕎麦のような関係が続いている。

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で、この時のリハーサルがあまりに面白かったのと、折りしもこの日、来年の『くりくら音楽会 ピアノ大作戦 平成二十年春の陣』で、私が演奏する日のもう一組のデュオが決まったので、その音楽内容や方向性も考慮した上、私の相棒は村田厚生さんにお願いすることにしました。ちなみに、もう一組のデュオとは、佐藤允彦(pf)さんと加藤真一(b)さんのデュオです。

佐藤さんは大先輩。その金字塔的LP『パラジウム』だって勿論持っています。私が高瀬アキ(p)さんに習っている頃、佐藤さん、アキさん、そして加古隆(p)さん、橋本一子(p)さんは、特にその“ピアニズム”という点において、当時の日本のジャズやフリージャズという範囲を超えているようなところがあり、私はよくライヴなどを聴きに行ったものです。

ベーシストの加藤さんは北海道から東京に出てきて、一番最初にバンドのメンバーになったのが、実は私のカルテットでした。この“BAHR(バハル)”と名付けていたカルテットのメンバーは、池田篤(saxさん)、久米雅之(ds)さんでした。

1986年1月、このカルテットで初めて新宿ピットイン・朝の部に出演した時、ドラマーが寝坊して来なかったため、その始まりは私のソロ演奏になりました。この時以来、「人生は決して自分が思うようにはならない、予定通りになど事は運ばない」という思いが、私の中には抜き差し難く存在し続けています。

私は村田さんと「声」を真ん中にして、作曲と即興演奏の妙を内包した構成感のある、ちょっと演劇的なところもあるかもしれない(?)50分間を創ろうかと思っています。さらに、シリアスとユーモアが同居しているような、楽しい時間を、と思い描いています。



ということで、『くりくら音楽会 ピアノ大作戦 平成二十年春の陣』の出演者が決まりました。とりいそぎ速報です。

■3月27日(木)
野村誠(pf)&林加奈(pf、鍵盤ハーモニカ、紙芝居など)
富樫春生(pf)&吉見征樹(tabla)

■4月24日(木)
黒田京子(pf)&村田厚生(tb)
佐藤允彦(pf)&加藤真一(b)

■5月22日(木)
西山瞳(pf)&井上淑彦(sax)
新澤健一郎(pf)&太田朱美(fl)


12月18日(火)  ふちがみさん

“ふちがみとふなと”というすばらしいユニットを組んでいる、渕上純子(vo)さんとリハーサル。いっしょに演奏するのはとても久しぶりだ。しかもデュオは初めて。

多分、結局、何の曲を演奏するか、どんな歌を奏でるか、ということよりも、渕上さんが「この二人で何ができるか」に興味があると言っていたように、私もそう思うから、それが問題であり、大切なことになるライヴになると思う。

自身のぎっくり腰で、昨晩の“ふちふな”のライヴに行けず、千野秀一(p)さんの演奏を聴けなかったのがちと残念。でも、もしかしたら千野さんの演奏を聴かないでおいた方がよかったかもしれない?


12月19日(水)  大きな森

“森泰人(b)meets 黒田京子トリオ”と題されたライヴ。森さんはスウェーデン在住のベーシストで、時々日本に戻って演奏活動をされている方だ。このメンバーの出会いを作ってくださったのは、他ならぬ大泉学園・inFの店主、佐藤さんだ。心から感謝。

演奏された曲は森さんが提案してくださったものと、トリオでやっているものと、おおよそ半々といった感じになったが、いつものトリオにコントラバス奏者が加わっただけで、そこには文字通り何か底辺が支えられた世界が広がったように思う。それはピアノの低音という音質では表現されない、弦楽器の響きや倍音による、サウンドの豊かさとして現れたように感じる。

というより、もはやコントラバスという楽器が加わったから、などということではなく、自らは「ボンボンベース」というような言い方をされていたけれど、大きく、温かく、深い音を奏でる森さんと演奏したから、ということに尽きる。

一番最後には聴きにいらしていた早川岳晴(b)さんも加わって、ベーシストが二人となって演奏。やんややんや。終演後も、わいわい。早川さんとはこれまでも何度か演奏したことがあるけれど、お酒を聞こし召すと、あのような“俺様”状態になるとは知らなかった。うーん、すんばらしく愉快。

ところで、私が作る曲や提案する曲は、そんなに教条的だろうか?御大に言われたことが気になっている。


12月20日(木)  ミーオ

船橋駅に直結しているビル内にある“きららホール”で、松田美緒(vo)さんと初めてデュオで演奏する。聞けば、ピアニストと二人だけで演奏するのは、美緒ちゃんにとっては初めてとのことだそうだ。

PA(音響)はできるだけ生音に近い感じにしてもらったつもりだが、どうだっただろう?実際はけっこうリヴァーヴなどがかかっていたように感じたけれど。

ごく自然に考えてみれば、例えば自分が歌っている声は、誰かに届けるために前に出ている、あるいは空中に分散して自分から遠ざかっていくわけで、それがテクノロジーによって、自分の前に置かれた箱(モニター)や両脇のスピーカーから聞こえてくるというのは、きわめて異様なことだ。

で、どうやら美緒ちゃんの耳や身体は、そういう人工的な状態に順応していない、あるいは慣れていないらしい。とすれば、先のジョアン・リラの時の音響状態はさぞかし地獄だったであろうことは想像に難くない。

かく言う私も、耳を患ってしまったこともあるとはいえ、特にトリオをやり始めてから、聴く耳が変質したと思っている。昨晩のライヴ(森meets黒田京子トリオ)だって、まったくマイクを使っていないけれど、聞こえるようになっているという自覚がある。

演奏した曲は武満徹、A.C.ジョビン、また美緒ちゃんの自作曲もあり、即興演奏を中心とした曲あり。お客様は無料で聴けるコンサートだったが、みなさんよく耳を傾けてくださっていて、ピアニッシモもよく聴き合える雰囲気だった。

にしても、私はちょっと歌に寄り添い過ぎたかもしれない。あるいは、歌い手を支え過ぎたかもしれない。普段から自分には聴き過ぎるところがあるので注意はしているつもりなのだが、歌い手に寄り添い過ぎると、歌に対する距離感やアレンジがどことなく均一になり、曲の色彩感や立体感が乏しくなるように思うからだ。あとは南米音楽のリズム。これが私の血にない。だからリズムが立たない。などなど、一人で反省。


12月21日(金)  即興のおしえ

「なんでもいいから、何かやってみい?」

・・・・

「自分をさらけ出すこと、だと思います」

をを!

最初のセリフは、某音楽大学に入ったばかりの時に、“即興演奏講座”(ジャズではなく、クラシック音楽のカリキュラム)の先生からいきなり言われたこと。(←と勝手に想像する。)な、な、何をすりゃあいいっちゅうの〜、どうすりゃあいいのさ〜状態の、面喰って頭が真っ白になった学生の姿が目に浮かぶ。

間の・・・・は毎年履修を重ねている様子。この間、脱落していく人もあれば、一年に一度しか出席せずに単位をもらった人もあるかもしれない、という4年間の時の経過を表している。先生曰く、「自然淘汰されていく」成り行きも含む。ちなみに、新学期の春に履修を希望する学生数は200人余りいるらしい。

最後のセリフは、残すところ、授業はあと1回と最後の試験のみとなった今日、「この講座を4年間受け続けて何を学んだ?」と尋ねた時に、学生の一人が答えた言葉。

をを!は、私が感心した様子を表している。

そして、この瞬間、この講座を担当している平野公崇(sax)さんがやっていること、やろうとしていること、がわかった。現在の音楽大学の状況で、こういう時代に、こういうことを言える人間を創ったのは、平野さんの力だと思う。

さらに、自分が何故この場にゲスト先生として呼ばれているのかもわかった。私は何も教えなくてよかったのだ。今日もいくつかのワークショップ的なことをやってみたりしたが、私はここに来て、ここに居て、学生の即興演奏の相手をすることを求められていたのだ。少なくとも、平野さんはそのまなざしで私を呼んだのだと思う。

そこには、私と初めて出会って演奏することで、もしかしたら、学生自身が新たな自分を発見したり、それまで自分が抱えていた壁のようなものをちょっと超えたりすることができるかもしれない、というほのかな望みのようなものが漂っている。そのほんのちょっとしたきっかけのために、私は招かれているのだと思った。

つまり、この日、私は平野さんが担当する音楽大学の講義に、ゲスト先生として呼ばれたわけだが、前回(一昨年9月)は平野さんはおらず、完全に授業の代行を務めたので、ワークショップ的なことをたくさんやったりした。あとで聞くと、その時の授業に強い印象を抱いた学生もいたらしく、実際、今、私宅にレッスンに来ている人もいたりする。

にしても、一昨年は講義の枠は3コマだったのに、今年は4コマを、平野さんは担当している。午後1時から始まって、90分の授業。10分の休憩の後、また90分の繰り返しで、90分×4回で、終わる時間は夜の7時半になる。今日はその後4年生の学生たちから質問を受けたり話したりしていて、結局教室を出たのは8時半をとっくに回っていた。ぎっくり腰も手伝ったこともあってか、これは相当くたびれた。大学の講師というのもたいへんだあ。

というか、その4コマは履修年数によって、1.初級&中級、2.上級、3.初級&中級、4.上級、という風に一日が組まれていて、この2.の上級の時は10人くらいの学生しかおらず、その一人一人と私はデュオで、即興演奏の相手を務めた。一人5分ね、と言ったって、終わるわけがなく。相手となる学生のことなど全然知らず、その楽器も異なるし、テンションが高い状態で1時間以上の演奏となった。

中にはジャズ科から来ている学生もいて、不思議なもので、そういう人たちにはそういう人たちの雰囲気がある。その愛すべきグレた態度や髪型や格好、それに目つきですぐにわかる。そして彼らはみんな私に対して非常に挑戦的な演奏を仕掛けてくる。

そんなこともあり、それは楽しかったが、ここでけっこうへばった。まだ半分、2コマも講義は残っているというのに。それで、最後のクラスでは平野さんにも加わってもらい、学生たちと演奏したりもした。さすがに平野さんの音色や演奏、全体をぐいぐいと引っ張っていく力は圧倒的だ。学生たちに対しては、おまえらな〜、どうでもええけんね〜、ひらひら〜的振る舞いもしたりしている平野さんだが。って、私はそういう平野さんの態度を学ばないとなあ、と反省したりして。

この講義、来月はどうやら喜多直毅(vl)さんが呼ばれているらしい。一昨年の『くりくら音楽会』で平野さんと私が演奏した時、もう一組のデュオが林正樹(p)さんと喜多直毅(vl)さんだったのだが、既に彼らは一度この講義に招かれている。そんな風につながりが広がっていることを、ちょっとうれしく思ったりする。

それにしても、講義が終わった後に受けた、学生からの最後の質問は、「どうしたら強くなれますか?」というものだった。私とて決して強くはないのよ、と言いたかったが、彼女の頬に流れる涙を見て、冗談めかしては言えなくなった。

最後に残った学生たちはみんなとってもきれいな目をしていた。みんな2年前にも会った人たちだったが、こういう若い人たちが即興演奏に触れることで、自分の内に目を向けたり、外に向かって開こうとしている姿を見ると、世の中捨てたもんじゃないという風にも思えてくる。それよりも、なんとな〜く、ジャズ科の学生たちがみんな菊地成孔風スタイルを気取っている感じがする方が気になる。

ごく短い時間の関わりだったが、いい時間を過ごしたように思う。ま、もっとも一年に一回だからかしらん?ともあれ、某大学の方針は知らないが、この講座を平野さんがやっている意味はあると思う。もし彼がまた声をかけてくれたら、私は喜んで応援に行きたいと思う。


12月22日(土)  サウンド・アナトミア

『サウンド・アナトミア 〜高柳昌行の探究と音響の起源〜』(北里義之 著/青土社)が、昨日手元に届いた。

北里君は大学時代からの親友で、1980年代後半新宿ピットイン朝の部で、私が“ORT(オルト)”というユニットをやり始めた頃から、ミニコミ紙を発行したりして、連動する感じで活動していたような時期もある。また、私の初めてのCD(ソロ)は彼が主宰する音場舎から出されたものだ。

この著作は彼の処女作にあたるが、なんとも非常に感慨深い。ほんとうにしみじみそう思って、何度も手に取ってしまう。

なお、この本は出版されるにあたって、著者の加筆訂正があるものの、もとは限られた媒体である“ミクシイ”に書き綴られていた文章がまとめられたものだ。パソコンが一般に普及してもなお、かなり長い間パソコンなどというものは持たないと頑固として言っていた人だけに、ORTの時代にやはりいっしょに演奏していた大友良英さんの強い後押しもあったとはいえ、時代の流れのようなものも感じる。


12月23日(日)  やんやのパーティー

友人や知り合いたちがやっているアマチュアのビッグ・バンドのクリスマス・パーティーに初めてでかけてみる。みんな緊張した面持ちで、自分にもこんな時があったなあと思ったりする。

今、レッスンに来ている生徒も参加していて、ピアノを弾くのみならず、振付つきで踊っていた。ビッグ・バンドのメンバーには演劇関係の人たちも大勢いるので、仮装やら身体を動かすことなどは彼らにとってはお手のものだが、彼女はちょっと恥じらいながらやっているところがとってもかわいい。

前半のステージの最後で、私は村田厚生(tb)さんとちょっとだけ演奏。その後、プレゼント交換タイムに突入。いったい何年ぶりでプレゼント交換というものをしただろう。

後半にはダンス・タイムがあり、ごく簡単な四角を描くステップで踊ってみる。社交ダンスというのは思いの外しんどいということがわかった。腕を上げ続けているのがけっこうつらい。それに途中でぎっくり腰がどうにかなりそうな気がしたが、どうにもちょいと気分がのってしまったので、少々無理して踊ってしまう。い、い、いかん。

その後、打ち上げにも参加。下町の安くておいしい中華料理屋で、やんや、やんや。もう一人生徒が見学に来ていて、これからこのビッグ・バンドに参加させてもらうことに。

最後はその生徒たち二人を誘ってお茶をする。二人とも音大を出ている人たちだが、卒業してから音楽の幅が広がったと言っていた。それは彼らが自ら手を伸ばしてみつけた音楽の世界であり、そこで得られる歓びは生涯のものになるだろう。私などは単なるきっかけにすぎないが、なんとなくうれしい気分。


12月28日(金)  楽器の選択

大泉学園・inFにて、翠川敬基(cello)さんが主宰する“クラシック化計画”のライヴに足を運ぶ。

喜多直毅(vl)さんはギタリスト・竹内永和さんと、バルトークとファリャの小品集を演奏。彼が使っていたのは安い値段のほうのヴァイオリンであることはすぐわかった。何故このヴァイオリンを使ったかということは、その楽器の音色と彼のこれらの作曲家の曲に対するアプローチで、こちらには明確に伝わってきたように思う。

ピアソラがロストロポビッチに捧げたという曲は、会田桃子さんが奏でるヴィオラと北村聡さんが奏するバンドネオンとのデュエットで披露された。会田さんのこの曲への強い思いが身体の動き全体から感じられ、そのヴィオラの深い音は聴いている者の胸にストレートに届けられる。

ライヴの後半にはラヴェルの弦楽四重奏曲が演奏される。第一ヴァイオリンはフルート奏者・菊地香苗さんが演奏。第二ヴァイオリンは喜多さん、ヴィオラは会田さん、チェロは翠川さん。とにかく、曲そのものが圧倒的に面白い。ラヴェル、すばらしい。

そしてこのラヴェルの時も、喜多さんは安いほうのヴァイオリンで演奏。瞬間、えっ?と思う。全体の調和のとれたアンサンブルということを考えれば、選択はあっちのほうのヴァイオリンだろうと思ったからだ。第一ヴァイオリンのパートがフルートで演奏されることを考えての選択?どうせまとまらないのなら、と異質なものをぶち込んだ?はたまた第四楽章で「12345」と口に出して五拍子を数えるため?いろいろなことが頭の中を行き交う。

想像の域を出ないのでこれ以上は言及しないが、しばらく時間が経つと、この彼の楽器の選択は逆に面白かったとも思えてくる。ともあれ、こういう喜多さんの在り様がとても面白い。すてきだなと思う。という私はヘンかしら?

ヴァイオリンなどの弦楽器奏者と共演する機会が多くなって、少しずつ楽器の性質や響きがわかってきたような気がする。例えば、弓。これも木でできたものと、カーボンでできたものでは、音色や響きが相当異なる。ということが感じられるようになった。

それにしても楽器を選べるのはいいなあ。私のような者にとっては、永遠の羨望だ。


12月30日(日)  富樫さんに捧ぐ

今年最後の演奏。大泉学園・inFにて、太田惠資(vl)さん、翠川敬基(cello)さんとのトリオで、すべてのプログラムを富樫さんが作曲されたもので演奏する。(ただし、そのうち1曲は私が富樫さんに捧げた曲「ゼルフィス」を含む。)今日初めて演奏する曲も4曲ほどあった。

富樫さんの曲を演奏するのは、私には時々難しい。どうにでもなるが、どうにもならない時もある。このトリオのように、その方法論も含めてほとんどが“即興”だと、ものすごいことになる時もあるけれど、展開がうまくいかず進行が停滞したり、演奏が冗長になったりする時もあるように思う。

実は晩年の富樫さんは自作曲でアドリブや即興演奏することをほとんど拒否されていたようなところがあるらしい。もう少し正確に言えば、メロディーとコード進行がある自作曲が、そこから逸脱するような即興演奏をされることを、好ましく思っていなかったと聞いている。

先の新宿ピットインでの二日間に渡る富樫さんの歓送会で、そのことを山下洋輔(p)さんが公に言っておられたが、特に山下さんは事あるごとに口にされている。実際、このトリオのCDに富樫さんの曲が収められていることについても、当初そのことをずいぶん心配してくださっていた。

だとしても、富樫さんの曲を演奏しているこのトリオの方向性は、私は間違っていないだろうと思っている。つくづく、このトリオと富樫さんといっしょに演奏したかったと思う。

おそらく富樫さんはご自分の音楽は「ジャズだ」と言われるような気がするのだけれど、富樫さんが抱えている世界はご本人の意思とは関係なく、ジャズではくくれないと私は思う。

それは富樫さんがパーカッショニストであることと、その世界が“音色”や“響き(サウンド、ノイズ)”と深く関わっているからだ。ジャズのリズムのグルーヴ感とか、ダンモのフレーズとか、そうしたジャズの文脈だけでは富樫さんの音楽を語ることは決してできないと思う。

実際、この日の私の身体のどこかには、あの“ベル”の音がずっと鳴っていた。新曲をコピーしたりするので富樫さんのCDを聴いていたこともあるとは思うが。普通のジャズを聴いていて、こういう状態になることはまずない。

また、ご自宅に行けば、「これ、いいだろう」と富樫さんが聞かせてくれたのは、ディズニー・ソングだったり、カーペンターズだったりしたという。つまりご自身の演奏の現れはどこか非常に厳しいものを感じさせるところがあるにも関わらず、普段聴いている音楽はごくシンプルなメロディーだったり、美しい調和に富んだハーモニーのある音楽だったらしい。

例えば、先の新ピで山下さんがソロで演奏された、その最期に富樫さんが書いたという超美しいバラードは、崩したり壊したりすることを拒否しているようなメロディーとコードでできた曲だった。(というより、山下さんご自身がそのことに縛られていることがよく伝わってきた。)もしかしたらそれは元々の「ジャズ」の精神(とりあえず、自由への希求あるいは逸脱しようとするベクトルという意、としておく)とは相反する部分を持っていると言っても過言ではないだろう。

あるいは、それはもうほとんどセロニアス・モンクが書いた曲のように、アドリブなどというものはほとんど要らない世界だ。モンクの曲はあのヘンテコリンなメロディーと、短二度とホールトーン的なサウンドだけで充分だ。そしてそれは本人が演奏することだけに、もっとも意味があるような領域に入る。

などと考えていくと、富樫さんの世界も奥深い。もう少し研究してみて、できることならトリオでアルバムを一枚作りたい、と勝手に思う。

そして夜も更けて行き、ナイスガイなギタリストとヴァイオリン界の貴公子もやってきて、深夜3時過ぎまで話し込む。翠川さんからは2月のクラシック化計画に誘われるが、私の力量ではとてもじゃないが二ヶ月では何もできない。それに少なくとも最低自分自身に対して「Don't explain」と言えるような状態でなければ、私はクラシック音楽を人前で演奏することはしないだろう。無論、それは譜面通りに間違えないで弾けるようになるとか、完璧な演奏でなければならないというようなことを意味しているのではない。

ということで、なんだかんだで久々に明け方に帰宅。寝たのは朝の6時をまわっていた。


12月31日(土)  大晦日

今年も炬燵で「紅白」観戦。

ドリカムの吉田美和の歌は圧倒的。
一青窈が最後にマイクを置いて歌った姿勢に共感。ほとんどの歌手が思い入れたっぷりに絶唱する中、彼女には歌が「聞こえている」感じ。聞こえないことが聞こえることになる時間だった。
森進一の泣き節にしびれる。ほか、阿久悠が書いた言葉は多岐多種に渡り、彼が残した仕事に感服。“昭和”という時代を非常に感じる。

カウントダウンはテレビ東京。指揮者・尾高忠明が選んだのはレスピーギ作曲・交響詩「ローマの松」の第四楽章。やはり妙に派手な曲だ。東フィルに所属している友人が言っていたが、これが流行ってしまって年末は忙しくてたいへんなのだそうだ。でも今年はその友人はカウントダウンの時にはいなかったみたいだから、ちょっとは休めたのかなあと思う。

ということで、2007年、ライヴやコンサートに足を運んでくださったすべてのみなさんに、心から感謝いたします。そして、いっしょに演奏してくださった音楽家の方々、ライブハウスの店主、コンサートの主催者、その他大勢のスタッフ関係者の方々にも、この場を借りて御礼申し上げます。




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