2月
2月1日(水) 駆け込み

というわけで、まったく動けなくなり、いつも通っている整体の先生のところに駆け込み、身体を温めるYOSAにも入り、3時間余り、なんとか回復をこころみる。



2月3日(金) まだ痛い

車を運転する時、左手でギアを上げる時に、ぎくっと痛い。同じ姿勢でいると、だんだん左足がしびれてくる。なんたるちあ、さんたるちあ。

夕刻、シューベルト作曲「アルペジオーネ」の最初のリハーサル。テンポ感や呼吸をどう合わせるかを少しだけ。

夜は、大泉学園・inFで、喜多直毅(vn)さん、翠川敬基(vc)さんとのトリオでライヴ。弾いているうちに、座骨神経痛の痛みが増してくる。早々に帰宅。ゆっくりお風呂に入る。



2月4日(土) 代々木

夕刻、代々木ヴィレッジに行ってみた。ここには、整体の先生が“整顔”でかかわっているお店も入っている。奥には、有名なイタリア・レストランも入っているとのことだったが、今宵は結婚パーティーの真っ最中だった。

ビルの谷間に現れたコンテナ。適度な照明。不思議な植物たちが植えられている。ふわ〜っと、いい薫りがする。なんとなく気分がすっとする。

マフィンを買って、コーヒーを飲む。若いスタッフの接客態度が気持ちいい。なんとなく、ああ、ここは“村”なんだ、と思う。

夜、代々木・ナルでライヴ。ユニットも組んでいるという、女性歌手2人のデュエットは、間のMCがちょっと漫才風味なところもあり、面白かった。



2月5日(日) 横浜

横浜・バーバーバーで、ジャズのライヴ。その本番前の リハーサルで、あれこれ提案してみる。なんだか楽しい。でも、ちょっとやり過ぎてしまったかも?とあとで反省する。

あの界隈は日曜日はほとんど死んでいるような街になるが、開いているお店が少ないこともあってか、今晩はほぼ満席。それゆえ、久々に、人の話し声が聞こえる状況での演奏になる。

1回目のステージが終わった後、お客様から「すてきですね」と話しかけられた某奏者が、やんわりと、微笑みながら、「演奏中は静かに聴いていただけるとうれしいです」と言ったらしい。あなたはエライ!(実際、2ステージ目は静かに聴いてくださった。)



2月7日(火) 日本沈没

夜、拙宅のピアノ、調律した直後くらいから、ちょっと上がりの悪い鍵盤があり、それを調律師さんが直しに来てくださる。

その直す作業を、初めて見る。いやはや、実に、細かいこと。頭が下がる。その間、先の映画『ピアノマニア』やお馬さんのことなど、いろいろ話しをする。

深夜、映画『日本沈没』(1973年)を観る。約40年前の映画だが、ものすごいリアリティをもって迫ってきた。

約2時間半の映画だったが、始まって1時間後に東京地震が起きて、360万人の死者・行方不明者が出る。富士山も爆発する。火災、それに大津波のシーンで、涙があふれる。もはや、他人事とはとても思えない。これは現実だ、と思った。

始まって2時間後くらいに、日本はどんどん沈没していく。大地が消えて行くのだ。

どう終わるのだろう?と思いながら観たけれど、日本を脱出した男性と女性が、それぞれ別々に映し出されて終わった。少しは希望?ということなのだろうか。それでも、なんとも暗澹たる気持ちになった。

この映画は、先にも書いた、日本映画専門チャンネル「映画は世界に警鐘を鳴らし続ける」で特集されている1本。各映画の最初と最後に、岩井俊二監督のメッセージが掲載される。

今回は、総理大臣(丹波哲郎が演じている)が、東京地震の際に、即刻、一般市民の避難場所として、皇居を開放したことを言っていた。この「即刻」というところが強調されていた。

さらに、この映画には、地位や名誉、金銭などへの欲がない学者が出てきて、日本が沈没していくことを、悲痛な面持ちで予測している。それを演じているのは小林桂樹だが、もちろん、“御用学者”もちゃんと描かれていた。これもまた、今、私たちが目の当たりにしている現実、だ。

日本沈没の危機が迫る中、政界の黒幕、渡老人が学者たちに研究させ、出した結論の3番目が「何もしないことだ」というのは、日本人の心情として想像できるところがあった。ああ、無常。ちなみに、そのシーンで、涙をじわっとにじませた丹波哲郎の演技はすばらしかったと思う。

原作者は小松左京。本人も、映画の最初のほうに1〜2秒出ていた。発売された当時、私はまだ十代前半だったけれど、世間が騒いでいた雰囲気だけは、なんとなく記憶に残っている。なにせ、日本が沈没してしまうのだから。何か暗雲、不穏な感じだけは、子供ながらにも肌に感じていたのだろう。




2月12日(日) 鬼怒さんとのデュオ

夜、鬼怒無月(g)さんとデュオでライヴ。

鬼怒さんとのデュオは2009年5月に始まっている。ただその年は2回、2010年は1回しかライヴをやっていない。けれど去年は、船橋・きららホールで行われたアマチュア・コンテストの審査員の仕事も含めて、頻繁に演奏する機会を持った。

多分、それぞれ「なんとなくいい感じ」と思っていて、どちらということもなく互いに誘い合って、このデュオは断続的に続いている。関係はイーヴン。つまり、どちらがリーダーということは決めていない。

ヘンな言い方になるが、音楽とは何か、即興演奏とは何か、はたまた新しい、次世代の音楽とは、といったような理屈は、ここでは問われていない。また、音楽的には、裏切り、意外性、破綻といったことを意図することもほとんどない。ただひたすら曲を演奏し、メロディーを奏で、歌い、時々ちょっとへんてこりんな風味を伴いながら、ギターとピアノが調和的に、よく響き合うサウンドがただそこにある、という感じ。



2月15日(水) 神保町で

神保町にある喫茶店ラドリオ。まだ、在る。学生の頃から好きで、よく通った喫茶店だ。古本を買っては、ここでページをめくり、友人と話しこんだ。出版社に勤めてからも、当時90歳の社長と共に頻繁に訪れた。「コーヒー」と頼むと、目の前に出てくるウインナー・コーヒーをいつも飲んだ。

夕刻、ここで、震災以来、宮城県石巻に頻繁に行っている友人から、現地の様子を聴く。彼は建築家で、津波で流された水産加工場の建物の設計を任されている。

現地では、彼がかかわっている人のように、再建しようと前を向いている、強い精神力を持った人もいれば、仮設住宅から一歩も出られず、まったく立ち直れない人もいると聞いた。去年の秋頃からは自殺する人も増えているという。

来月、私は石巻でソロで演奏する予定になっているのだけれど、石巻に住む友人は、町の信号機は先月やっと全部点いた、とメールに書いていた。そして、私が演奏するコンサート会場(個人宅内のホール)は、市の計画道路、高台移転地区に指定されているらしい。つまり、建てたばかりの建て物(耐震設計が施されていて残っている)を、彼は取り壊さなければならないそうだ。

どうやら、そこに住んでいる人間たちを置き去りにして、市の計画は進められている部分も少なくないらしい。

また、なにはともあれ、ガレキの処理が先、ということでもあるらしく、ガレキ処理だけでも最低2年くらいはかかるのではないか、と言われているそうだ。実際、某ゼネコンは、そのガレキ処理だけで、さらに宮城県内だけで2000億円稼ぐらしい。

また、合併により、宮城県沿岸地方の中でも、石巻市は大きな自治体になったが、今回の大震災では、50人に1人が亡くなっているそうだ。今月のJAFの雑誌が特集を組んでいて、そこにはそう書かれていた。

話を聴きながら、胸が痛む。いったい私は一人で演奏できるのだろうか。そんな風に思っていたら、現地に住む高校時代の先生や、近くに住む調律師さんや、東京から友人たちも来てくれるらしい。以前、そのホールで喜多直毅(vn)さんと演奏した時にも来てくださった人たちだ。素直にうれしく思う。



2月16日(木) 六ヶ所村

午後、まだ腰痛と坐骨神経痛が痛いので、よっぽど休もうかと思った太極拳の教室に行く。しんどかったら、途中でリタイアするつもりだった。

が、先生からアドヴァイスもいただき、身体を動かして、大正解。痛みは軽減し、帰りの足どりはとても軽くなっていた。

夜、日本映画専門チャンネルの特集で、映画『六ヶ所村ラプソディー』(2006年/鎌仲ひとみ監督)を観る。構成、骨組みがしっかりしていて、いいドキュメンタリー映画だと思った。

先にライヴ・シリーズ『軋む音』でもとりあげた永山則夫のドキュメンタリー番組を制作したのも女性だったが、彼女も、この鎌仲さんも、決して声高に、たとえばそれぞれ「死刑制度反対」「原発反対」と言わない。ただ、彼女たちが、どういう問題に自分の心を押さえることができないでいるか、は映像を通してひたひたと伝わってくる。このまなざし、姿勢は尊い、と私は思う。

2004年、青森県六ヶ所村に、原発で使った燃料からプルトニウムを取り出す再処理工場が完成した。この核燃料リサイクル計画は、日本原燃(株)のもと、2兆1900億円の国の予算をかけて、40年前に始まっている。

“やませの風”に乗って、煙突から放射性物質が放出されている風景。・・・思わず、ぞっとした。

この工場の風下で、農業を営み、チューリップ祭りを開催している女性。ほか、隣接した村々でお米を作ったり、野菜を育てている人たち。特に有機や無農薬で、土を作ることから始めた人たち。彼らはみな再処理計画に反対している。が、周辺の同業者たちからは、放射能被害の宣伝をするな、と批判されている。それでもなお一人ででも立ち向かう背中を、カメラは静かに追っている。

一方、六ヶ所村の漁場・泊は、工場の廃水を海へ流すための配管が2〜3km沖合に敷設されるため、最初の頃は漁師たちはみな反対していた。が、工場を受け入れた村は、経済や雇用の面で、工場が必要だという考えに変わっていく。権力とお金でつぶされていく反対運動の現実。

工場内の衣類のクリーニングを引き受けている会社。さらに、建設会社にとっては、大きなビジネスチャンスになっているという事実。

そして、既にYouTubeなどで有名になっているが、東大の斑目さんの「安心なわけないでしょ。最後はお金でしょ。20億円なんてたかが知れてる 云々」のにたにたしている笑顔の映像。

さらに、京大・小出さんの「プルトニウム8tは、長崎に落ちたプルトニウム爆弾の100発分に相当する。プルトニウムはたいへん危険で、100万分の1gで人間は死ぬ、つまり、20gで2000万人が死ぬ。そんなものを、私たちは100万年もの間、保管し続けなければならないのです 云々」という発言。

最後には、2005年6月に起きた、イギリス・セラフィールドの再処理工場の事故の様子が映し出され、水俣を撮り続けた監督、土本典昭さんの活動が紹介されていた。

こうした原発関連の映画を観ていると、まるで放射能によって内部被曝したかのように、正直、少し気分が悪くなる。精神も汚染されてはいけないと思う。が、この誰も解決できないという現状は、ひどく絶望をもたらす。そして、自分がこれまでほとんど無知であったという罪悪感のようなものを、私は自身の内にぬぐい去ることができないでいる。



2月17日(金) 調律師の国家資格

夕刻、シューベルト「アルペジオーネ」のリハーサル後、大泉学園・inFで、門馬瑠依(vo)さんと2人で演奏。お客様、少なし。ただし、濃い。東北地方で演奏する時にいつもお世話になっている調律師さんの顔を見た時は、びっくりした。思いがけない再会。その後にドアを開いたのも、長年お世話になっている調律師さん。さらに、店内の空気は濃くなる。

調律師という職業。今年度(平成23年度)から、厚生労働省による国家資格を取得する試験が始まった。東北の調律師さんはこの試験を受けていないそうだが、東京の調律師さんは、浜松で行われた最終試験を受けて、ちょうど帰って来たところだという。それで、いろいろ興味深いお話を伺う。

検索すると、この調律師の国家資格については賛否両論あるようだけれど、さて、これからホールのピアノの調律など、何か変わっていくだろうか?しばらくは様子をみる感じだろうか。

なににせよ、私の場合、これまで信頼関係を築いてきた調律師さんたちと、このことで縁が切れるわけでは決してない。

私が少し危惧するのは、ピアノのことなど何もわからないホールの人(ピアノの持ち主)が、かつてスタインウェイの調律をほぼ独占していた松尾楽器のように、その認定書を持った調律師さんの言うことしか聴かなくなるかも?というようなことだ。

あるいは、いわゆる日の丸親方、国家のお墨付きによって、それをふりかざしたり、他の調律師さんの仕事を故意に奪ったりするような調律師さんがいないともかぎらない?といったことだ。それでなくても、ピアノは売れなくなってきているし、自宅にピアノを持っている人は減っているのだから。

<参照>
ピアノ調律技能検定
http://jpta.org/kentei/notification.html



2月18日(土) アケタで

夕方からリハーサルをして、夜は西荻窪・アケタの店で、通称タンコさん、石橋幸さんのロシアの歌のライヴ。翠川敬基(vc)さん、向島ゆりこ(viola)さん、石塚俊明(ds)さんが演奏をつとめる。

ライヴ本番では実はいろいろあったけれど、脱輪はせず。さらに、今日のライヴでは、タンコさんとそれぞれのデュオがあり、それが私にはたいへん興味深かった。翠川さんはこよなく歌い、ゆりこさんの時には、トシさんも参戦。トシさんの空間的なアプローチによる演奏がすばらしい。

終了後、近くのめっちゃ安い居酒屋へ行く。「さあ、みなさん、新鮮なセシウムを食べましょう」と言ったのは、さすが“頭脳警察”、トシさん。そして、隣に座ったトシさんの話を聴く。トシさんは富樫雅彦(per)さんにとても影響を受けたそうだ。すんごくよくわかる。



2月19日(日) 嘘罪

今宵は、喜多直毅(vn)さんとデュオで、渋谷・ドレスで演奏。情緒的な曲は排除されて曲は選ばれ、即興演奏もまじえて演奏する。

喜多さんは前日に誕生日を迎え、40歳になったので、お祝いに花一輪。で、ツイッターで「記念に某女性ミュージシャンと今月末入籍します」とつぶやいたものだから、さあたいへん。後に、「結婚の話は嘘だぴょーん」と再びつぶやかれたものの、おそらくマジに受け取った人はたくさんいたのだろう。

ちなみに、ジャズには「ウソツミ」と言われる曲がある。「It's a sin to tell a lie 」(嘘は罪)。



2月21日(火) ヘタクソ

ああ、私はなんてジャズがヘタクソなのだろう。サンバとか速い4ビートとか、しばらくやっていないリズムは、身体からちょっと抜けていた。反省。



2月22日(水) 音質

代々木・ヴィレッジへ行ってみる。一番奥のイタリアンが入っているところの、バーのほうへ行ってみる。水曜日だというのに、けっこう満席。

ここにはDJがいて、彼がLPの選曲をしている。スピーカーから聞こえてくる音に、耳を疑う。多分イコライジングしていると思うが、ジャズの曲がジャズに聞こえないのだ。そしてどの曲も、お腹より上にしか響いて来ない感覚。この音の質感に、ちょっと待った、と言いたくなった。まいった。今や、若者たちの耳は、こんな音質を心地よく感じているのだろうか?



2月24日(金) お伊勢詣り・その1

一睡もしないまま、朝5時前に起きて、7時05分、東京駅をめざす。年明けからなぜか伊勢神宮に行きたくなり、さらに何を思ったのか、生まれて初めて自分の意思で、伊勢神宮、豊川稲荷を参拝する、団体ツアーというものにのっかってみることにした。お一人様でもツアー料金が変わらないというものだから、ま、いいか的ノリである。

ああ、あの“旗”を2日間、追いかけるのね、が集合場所に立った時の印象。なんだかひどく場違いな所にいる自分を見る思い。既に少し後悔する。

第一、旅程に無駄が多い。名古屋まで「こだま」だ。「のぞみ」の倍近い時間がかかるじゃないの。さらに、名古屋駅で近鉄に乗り換えるのに、新幹線の駅構内で約1時間以上待たされた。・・・知らなかった。行く、いる、ところがないじゃないの。これがつらかった。

専用近鉄列車で宇治山田へ。そこからバス。座席は狭い。椅子は後ろへ倒さないように言われる。車内のスピーカーの音はかなり大きい。参加者の年齢層が高いので、こういう音量になるのだろうか。私の耳にはきつい。むむう。

最初に、伊勢神宮、外宮へ。正式には「豊受大神宮」。天照大神の食事を司る神をおまつりしていて、衣食住をはじめとする、産業の守り神だそうだ。

なお、伊勢神宮は伊勢市の4分の1の面積を占めており、自給自足、すなわち、自分たちのものは自分たちで、という考えに基づいている、と聞いた。

ここではとてもすがすがしい気持ちになった。特に、風と土の神さまのあるあたりの、ちょっと奥に入った水(飲料水)の守護神・下御井神社は、そこへ歩いていく途中から、空気がまったく変わった。すーっとした心持ちになる。しばらくたたずみ、左方向を見やると、水の道ができている。それが私には龍の道に感じられた。あは、頭がおかしくなっただろうか、私?

その後、バスは二見興玉神社へ。しめ縄で縛られた2つの岩、夫婦岩で有名な海の風景を目の前に見る。やはり1人で参加している女性が「もし津波が来て逃げるとしたら、この崖をよじ登るよりも、あのホテルかしらね?」と言う。

その後、鳥羽を通って、宿泊先のホテルへ。部屋はツインルームで、すこぶる広い。でも、海側ではない。なにせ寝ていないので、しばらく横になって眠ってしまう。夜6時には夕飯。このツアーのお値段なりの料理内容だと思う。

出口でチラシが配られていたので、手にとってみれば、7時から大衆演劇の公演があるという。特別に“花魁”も披露される予定で、宿泊客は1000円でいいというので、まんず、どれどれと行ってみる。大衆演劇というものを観るのは、生まれて初めてだ。

座敷の宴会場の向こうに、一尺くらいあがった舞台がある。じゃじゃーん。お客様は地元のおばさん、おばあさんたちがほとんど。ほかに浴衣を着た宿泊客がぞろぞろ。けっこう人は入っている感じだ。が、途中のMCを聴いていると、どうやら昼の公演のほうがお客様がたくさん入るようで、今夜のように、夜にお客様が大勢入ることはどうもあまりないらしい。

劇団の名前は「松丸家小弁太劇団」。前半は「雪月花」というお芝居。後半は舞踊ショーだ。芝居は泣きあり、笑いあり。話の筋は泣けるものだが、笑いをとることも忘れない、という構成と演出。舞踊ショーは演歌あるいは歌謡曲などに合わせて、着物を着た人たちが踊るショー。

この後半の音環境が劣悪。だいたい音が大き過ぎる。やはりお年寄りが多いから、こんな音量になっているのだろうか?だとしても、これでは日本人の耳は退化する一方だ。

照明さんはたいへんだ。細くて若い女性が、ピンスポ2本を使って、役者を追っかけていたが、全体の灯りが足りなくて、陰になる人も続出。なんとも温泉場の宴会場という感じだ。

座長は男性で、男役も女役もやる。この人はなかなか華がある感じで、歌も踊りもうまかった。坐骨神経痛になってしまったと言っていたので、心底同情もする。最後の最後に、長い時間、花魁姿で踊るのは、相当つらかったに違いない。でもとてもきれいだった。

終演後に、役者さんたちは全員並んでお見送りをしてくれる。座長と握手をしてみたが、ものすごくゴツゴツしたでっかい手だった。ふうん、それでもあの色気なのねえ。あの中学生くらいの子は、学校はどうしてるの?と思ったり。あら、おばさん、あの子におひねり、なのね。

この劇団は、なんでも一ヶ月間、ここで昼夜、公演しているそうだ。こうしてホテルや温泉場やヘルスセンターや、日本各地を一年中まわっているらしい。そりゃあ、たいへんだあ。しかも昼夜毎日。昼夜で、さらに2日ごとに、演目も変えるのだそうだ。いつ練習するの?えらいこっちゃ。

正直、内容に中身があるとは思えない。日本の文化の底辺を観たような気もするが、彼らも身体を張って生きていると思った。それにこの料金設定。間に休憩をはさんで2時間半くらいで、1500円。劇団員、スタッフ全員が食べていくのは、たいへんなことだろう。

でも人気のある役者は、その着物の帯や胸のところに、お客さんがお札をはさんでくれる慣習があるらしい。をを、脱税し放題ではないの。

それなりに楽しんだ後は、もうお風呂に入って寝るしかない。したらば、超混んでいる。ので、時間をずらして遅い時間にお風呂につかり、爆睡。



2月25日(土) お伊勢詣り・その2

バイキングの朝食を済ませ、8時半に集合。昨日わかったことだが、実は、バスに乗りこむのはたいてい私が一番最後だった。もちろん約束の時間に遅れていない。ほぼジャストか1〜2分前に戻って来ているにもかかわらず、添乗員さんからは「このバスの時計を基準にしてください」とやんわりと言われたりした。そっかあ、暗黙のお約束、みたいなことがあるのね、と気づく。なにせ団体旅行なんてまったく慣れていないのだから、ゆるしてちょんまげという感じだ。

今日はまず真珠のお店へ。その後、海産物屋さんへ。要するに、お土産を買うためにバスが停まる。真珠は思いとどまったが、海産物は少々買い物。

その後、伊勢神宮の内宮へ。土曜日ということもあって、ものすごい人だ。外宮は左側通行だが、内宮は右側通行。去年新しく架けられた宇治橋を渡る。五十鈴川はとてもきれい。

内宮を案内してくれる人も、“おはらい町”のお店の女性で、御正宮をお参りした後は、そのままお店に連れて行かれた感じ。なんだか“まんまと団体旅行”という感じを否めない。伊勢うどんと漬け丼のランチだったが、全部食べきれず。

そんなわけで、強制収容所的気分で歩いた内宮に戻り、廻れなかった荒祭宮や風日祈宮、滝祭神などを一人で歩く。風日祈宮へ行くには橋を渡るのだが、風がすーっと通っていて気持ちよかった。何かを少し感じたのは、この風くらいだっただろうか。あとはもう人が多くて。なので、私の印象は内宮より外宮のほうがよかった。

それから、まるで原宿・竹下通り状態になっている、おはらい町、おかげ横丁を散策する。伊勢醤油や伊賀の組紐のストラップなどを買い求める。うーん、今日は朝から買い物しなさいと、旅行会社に言われているような気分だ。

その後、バスは左手遠くにに名古屋を眺めながら、白・赤・青に塗られたトリトン橋を渡り、豊川稲荷へ。夕方4時頃に着いたのだが、なんと、大型バスの駐車場が既に閉門されている。なんだか人通りも少なく、神社前のお店にはシャッターが閉まっているところもある。あらまあ。

でも、豊川稲荷をお参り。奥の院のほうに、狐のお地蔵さんがたくさんある場所があったが、行く途中から胸が重くなってきて、早々に退散。長い時間、あそこにはいられないと直感。

最後は、竹輪屋さんにバスは停まる。またお土産だ。買ってしまうじゃないの。結局、帰宅してから計算してみると、ツアー代金より、食事代やお土産代(おかげ横丁で購入した、グリーンジャンボ宝くじを含む)を足した金額のほうが上回っていたという。とほほ。

帰りも新幹線「こだま」。車内では添乗員さんがアンケートを配る。彼の評価にもつながるらしい。添乗員という仕事も、まあ、ほんとにたいへんだと思う。体力も精神力もタフじゃないと勤まらないだろう。ほかのツアー客もいて、その添乗員さんたちの顔を見ると、ひどく疲れ切っている人もいて気の毒に思えた。

夜11時過ぎに帰宅。伊勢神宮を訪れるのは、中学の修学旅行以来のことだと思うが、行ってよかったと思う。とてもすがすがしい気持ちになれた場所もあった。

でも、ま、団体旅行はもういいかな。甘いロマンスが生まれたわけでもなし、気の合う女性の友だちができたわけでもなし、結局、一人でまわった感じだったわけで。



2月27日(月) 3.11には

以前、おおたか静流(vo)さんとのライヴでごいっしょした沢田穣治(b)さんから連絡があり、3月11日に新宿・ピットインで行われる、彼のプロジェクト“NO NUKES JAZZ ORCHESTRA”に参加することになった。ピアニストの方が急にできなくなったとのことで、ピンチヒッターだ。

なお、当日、ピアニストはもう1人いて、私は室内楽のほうを担当、ジャズのほうは南博さんが演奏される予定。

NO NUKES JAZZ ORCHESTRA
http://www.youtube.com/watch?v=_Q5E0L7wUu0



2月28日(火) ドラゴン

ピナ・バウシュの映画を観に行く予定だったのが、急遽キャンセル。それで、都民による原発投票の署名をした後、以前より気になっていた『ドラゴン・タトゥーの女』(デビット・フィンチャー監督)を観に行った。映画館のポイントがちょうど貯まっていたということもある。

オープニング・ロールは私の好みで、すばらしかった。期待に胸がふくらむ。実際なかなか面白かったけれど、倒錯した性の世界は、私にはしんどい。以前、『闇の子供たち』(阪本順治 監督)を観た時もそうだったが、吐き気がしてくる。

夜、NHKの「クローズアップ現代」では、“初音ミク”の声に使われている「音声合成技術」が特集されていた。この技術は、医療現場で喉頭がんで声帯を失った人たちなどにも生かされているとのことだった。

その初音ミクの声と音楽。歌や声の質感、さらに演奏のサウンドは、私にはとても耐えられない。おそろしく耐えがたいものだった。けれど、あのマンガのキャラクターの女の子がステージ上で架空の状態で歌っている会場には、ペンライトを持った男子諸君がいっぱい。私にはこの現実が理解できそうにない。



2月29日 雪

午後、整体に行ってから、腰痛と坐骨神経痛に用心しながら、雪かき。2時間強かかった。汗だく。

ころんで骨でも折っていないかと、母に電話すると、家の前を雪かきしていたら、小学生に「手伝いましょうか?」と声をかけられたと、ものすごくうれしそうに話をする。そんな小さなことでも、ほんとにものすごくうれしそうだった。なんだかとても反省した。

ちなみに、この小学生。弟の息子と友人らしいのだが、「お名前は?」と母が尋ねると、名字は告げたらしいが、「下のお名前は?」には、「個人情報保護のため、教えられません」と言われたそうだ。

この個人情報保護法により、東北地方の復興が遅れていることは周知の通り(被災して避難している人たちを、自治体がきちんと把握できていない、復興支援も行き届かない等々)だが、いやはや、小学生まで、そんなことを言うなんて。






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